korou's Column

2024.5.1 音楽ブログとして再スタート。

女性アイドルの話(最後のほうは本田美奈子の話)

2015-11-07 | その他

(以下、長文です。多忙な方にはスルー推奨)

一般的な理解としては、こんな感じだろうか。

まず南沙織で始まり

本格的にはTV番組「スター誕生」(NTV)スタートで

第一次ブームが起こる。

桜田淳子、山口百恵が人気の中心。

70年代後半になると、アイドル人気も落ち着いてくるが

百恵引退を機に、1980年から再びアイドル売り出しが盛んになり

第二次ブームとなる。

松田聖子、中森明菜が、出す曲全部がヒットチャート上位に来る人気ぶりで

さらに中山美穂、菊池桃子あたりもファンを獲得。

しかし、やはり80年代末期あたりには

アイドル人気も下火になり

1990年代前半は、これといったアイドルのスターは生まれなかった。

90年代末期に、つんく♂の仕掛けで

モーニング娘。を中心としたアイドルが次々と出現したが

それは、あくまでもハロプロだけの現象で

ハロプロ以外に抜群の人気を博したアイドルは現れなかったという点で

過去のブームとは異なっていた。

それは2000年代後半に出現したAKBグループも同様で

どれだけAKBのアイドルたちが人気を博しても

それ以外のアイドルは、なかなか現れなかった。

少なくともCDセールスとかの面では

その傾向は今でも続いているといえる。

(ただし知名度という面でみれば

2010年代になってからは、

ももクロを始めとして多数のアイドルが出現し活躍する時代が到来した)

 

そんな歴史のなかで

私個人は、どうアイドルと向き合ったか。

 

当初は、音楽的にも幼稚で、歌詞も皮相で、いかにも詰まらない感じがして

ハッキリいって70年代には

アイドルなど自分には無縁だと思っていた。

キャンディーズ解散コンサートで

自分と同世代の連中が一喜一憂しているのをみて

「アホか」と思っていた。

 

ところが、自分のなかで何が起こったのかいまだに不明なのだが

社会人になった途端に、いきなり山口百恵ファンになってしまったのだ。

最初にもらったボーナスで

まず自分専用のステレオセットを買い揃え

そのコンポで聴く最初の音楽として

山口百恵のアルバム「L.A. Blue」を買った。

それが初めて買ったアイドルのレコードだった。

 

山口百恵「CRY FOR ME」(上記LP内の曲。画質・音質は悪いですが、素晴らしい歌唱です)

https://www.youtube.com/watch?v=8LGqn9PbDKg

 

残念なことに、ファンになった途端に

百恵さんは引退してしまった。

コンサートに行ってその生歌声を聴くといったことは

すべて夢幻となってしまった。

もちろん、引退そのものは早くから発表されていたので

それを承知でファンになっていたわけだが

かといって、引退撤回で復帰ということを待ち望んだということでもない。

彼女の意思の固さは、当時の私にも直感的に判っていた。

山口百恵は引退を撤回したりしない、もう会えない人なのだ

ということで納得していたのだ。

 

とはいえ、しばらくはやむを得ない喪失感が続く。

歌番組で、無意識のうちに百恵さんのイメージを探している自分がいた。

彼女に似ている人はいないか?後継者たるアイドルはいないか?

 

当時、山口百恵の影武者として活躍していた佐藤恵利というアイドルが居た。

それで、しばらくは、佐藤恵利ファンを自称していた時期もあったが

あまりに人気が出ないので、ファンを続けることも苦しくなった。

アイドルは人気がないとダメだなということも分かった。

 

ある日、「ザ・ベストテン」を見ていたら

初登場ながら、どこか雰囲気のあるアイドル歌手を見つけた。

百恵さんに似ているわけではないが

どことなく暗げなイメージに共通点を見出した。

その日から、その歌手、中森明菜のファンとなった。

 

さっそく中森明菜のレコードを買いに行った。

今、それがどのLPだったのか思い出せないというのもヒドい話だが

とにかく、最初の頃のLPを買い、すぐ全曲を聴いたのである。

感想は・・・ガッカリだった。

中森明菜は山口百恵のレベルではなかった。

暗い雰囲気を突き破る内面的なパワーというものに不足していた。

ただ暗いだけのLPだった。

 

ただし、ラジオのDJとか、テレビでちらっと見せる表情などで

中森明菜の可愛さを十分に感じていたので

その後もずっとファンであり続けた。

人気という面では、当時の中森明菜は、あり過ぎるくらいあったので

それも申し分なかった。

毎日のようにテレビで見かけるその顔を眺め、ラジオで声を聴き

ポスト百恵の空虚感を満たしていた。

 

1985年発売のアルバム「BITTER AND SWEET」を買って

最初に聴いたその瞬間、素晴らしい!と心から思った。

中森明菜は歌手としても成長していると思ったのだ。

 

中森明菜「ロマンティックな夜だわ」

https://www.youtube.com/watch?v=pYkZWfp4Aqo

 

残念ながら、その後の中森明菜は

この「BITTER AND SWEET」で披露した歌唱レベルを

超えることができなかった(と私は思っている)。

何故「赤い鳥逃げた?」ではなく「ミ・アモーレ」なのか?

「DESIREー情熱ー」で張り上げる声の空虚さは何?

次々と疑問が湧き、徐々に私の心は離れていく。

気がつくとファンではなくなっていた。

私は、中森明菜そのものではなく

今は居ない山口百恵の代償としての明菜ファンだったのかもしれない。

そして、中森明菜が他の誰でもない中森明菜そのものになったとき

私としてはファンを止めざるを得なくなったのだろう。

そして、それ以降の長い間

特定のアイドルにうつつを抜かすことはなかった。

2004年にyoutubeの存在を知るまでは。

 

インターネットの時代になってすぐに

いわゆるネットサーフィンをしているときに

偶然、昔の歌謡曲の音源を

MP3で聴かせてくれるサイトを見つけたことがある。

そのサイトで70年代の歌謡曲を何曲かDLして聴きまくった。

あまりの懐かしさに涙が出そうになった。

そのサイトは、著作権法でいえば明らかな違法サイトだったので

すぐに閉鎖されたが

その記憶は後々まで残った。

だから、それから数年後にyoutubeなるサイトを

人から教えてもらったとき

あの感激がまた味わえるのだとワクワクした。

ただし、当時は洋楽ばかりで、日本の音楽は数少なかった。

また、これも違法サイトとしてどうせ閉鎖に追い込まれるだろうと

当時は思っていた。

 

その頃、仕事の都合で、毎日JRで通勤することになった。

電車待ちの時間などの有効利用のために

ウォークマンの廉価版のような機器を買って

ちょっとした時間に音楽を聴く生活になった。

かつてカセットテープを装填するウォークマンを使っていたことがあったが

それと比べて、今回はMP3で音楽を再生するので

はるかに使い勝手がよくなり、音質も向上していた。

歩きながら気軽に音楽が聴ける快適さを知り

こうして久々に音楽三昧の生活が始まった。

音源はもっぱらレンタルCDから採っていたが

そうしていろいろな音楽を

イヤホンで集中して聴くという体験を重ねていくうちに

思わぬ発見をすることになる。

 

それは

「前から知っている曲のはずなのに

 今この年齢になって改めて聴くと、

 以前と全然違って聴こえることがある」

という発見だった。

 

その発見をした頃

youtubeにも

日本でかつて流行った音楽がアップされ始めた。

レンタルCDだと、聴く音楽は自分の好みに集中してしまうが

youtubeだと次々と様々な音楽を聴くことができるので

上記の再発見のようなことを

もっと幅広く体験することになった。

 

普通、劇的な音楽体験というものは

若い頃に集中するはずだが

私の場合、この頃のyoutube体験が

若い頃の体験に劣らないスケールで私の感性を変えていき

私の音楽の嗜好を再構築していったのである。

 

ここから、私のアイドル嗜好の第二章が始まる。

すべてはチャラになり

かつては好きだったのに、今はそれほどでもないということが起こり

逆に、かつてそれほど素晴らしいと思っていなかったものが

今聴くと「素晴らしい!何で当時はこの素晴らしさに気付かなかったのだろう」と

後悔するような思いに至ることも多くなった。

 

その延長線上に

松浦亜弥の発見があった(2014年7月)。

ただし、よくよく考えてみると

その発見には

当初からアイドル”あやや”と、歌手”松浦亜弥”が混合していた。

最初のうちは「桃色片想い」のPVの”あやや”の可愛さにマイってしまい

やたらカワイイ、カワイイと、このブログに書きまくっていた(その頃は誰も見ていないブログだったし)

 

その後

アイドル”あやや”の全部を好きになることは無理だということも

徐々に分かってきた。

松浦亜弥ディスコグラフィーを始めたときには

そのへんの線引きが自分でも不十分だったのだが

書いていくうちに段々と明確になっていった。

 

決定的だったのは

最近になって

本田美奈子の映像をいくつか見てからである。

少なくとも、アイドルとしては

本田美奈子のような雰囲気が

自分にとってベストだということを悟った(その詳細はここでは省略するとして・・・)

 

ただし、アイドル時代を経て次のステップに進んでからの話となると

本田美奈子のそれも素晴らしいものだったが

これに関しては

断然、私の好みは松浦亜弥のほうに傾く。

本田美奈子の儚いほどのソプラノ声は

確かに美しすぎるほど美しいのだが

その取り上げた楽曲も含めて、私の好みと真反対になる。

トータルとして本田美奈子の生き様、パーソナリティには

好感(というか敬意)を抱くのだが。

 

それにしても

本田美奈子の場合

没後10年以上経過しても

いまだにファンクラブが存在し

ファンクラブのイベントも

いまだに盛況なのには驚かされる。

これも、つい4日前の出来事。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151103-00000128-spnannex-ent

 

でも

彼女の心の強さとか暖かさとかを生前から知っているファンにとって

そんなことは当たり前なのだろう。

いつまでもファンの心のなかで彼女は生き続けているのだ、

こんなことを言っても仕方ないのだが

ほんの少しだけでもいいから

亜弥さんにも

美奈子さんのようなひたむきな思いを持ってほしいと思ったりする。

時々、本田美奈子関係の情報を検索することがあるのだが

そのたびに彼女の心の強さ、優しさ、温かさを知ることになり

そのたびに胸が熱くなるのだ。

亜弥さんの歌唱力に

美奈子さんのような魂が加わればと想像しただけで

胸がわくわくしてくる

(亜弥さんも、本来、プロとして素晴らしい精神力、ひたむきさを持っているのだが

 ここ数年は、それが正しい方向に発揮されていないと思うので)

 

昨日で、没後10年を迎えた美奈子さん。

アイドルとしては、このPVの3分7秒あたりの微笑みに

私はメロメロになるわけです。

(私としては好みのど真ん中・・・まっ、誰が見てもカワイイとは思いますが)


本田美奈子「Oneway Generation」

https://www.youtube.com/watch?v=QJznVKoBRkY

 

歌手としては、この映像なんかは

スイッチが入った後の歌いっぷりが凄いです。

 

本田美奈子「あなたのキスを数えましょう

https://www.youtube.com/watch?v=1-FzEAsjDKQ

 

彼女の代表曲「アメイジング・グレース」では

これを聴きましょうか。

病床でいかに彼女が健気に振舞っていたかを知れば

これは涙なしには聴けませんね。

やはり私の心の中でも彼女は生きているみたいです。

 

本田美奈子. 最期のアメイジング・グレース

 

 

(注)「本田美奈子」の正しい表記は「本田美奈子.」ですが、ここでは最後の「.」を略して表記しました。

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