korou's Column

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「過去」の不在、歴史の喪失

2018-01-21 | J-POP

小室哲哉氏が引退を表明した。

今後の小室氏が

今回の引退を撤回するのかどうか不明だが

とにかく、しばらくは活動しないことだけは確実だ。

安室奈美恵も引退し

昨年はSMAPが”消滅”してしまったので

SPEEDの各メンバーの不祥事などを思い合わせると

1990年代後半のJ-POPを

その当事者をまじえて回顧するような企画は

ほぼ不可能になったと言ってよいだろう。

 

さらに言えば、松田聖子のこと。

紅白歌合戦に「復帰」したはずなのに

今の自分をアピールするだけで

1980年代を回顧させてくれない。

松田聖子と好一対だった中森明菜は、長い間

テレビ出演が叶わない状態(あの「紅白」出演はあえて無視するとして)が

続いている。

中山美穂は女優のポジションに戻りつつあるのだが

誰も彼女にかつてのヒット曲を歌わせようとしない。

本人が固辞しているのだろうか?

小泉今日子なら

その気になれば”歌手復活企画”が可能なはずなのに

本人はもはや文化人のステイタスがお気に入りのようで

一向に歌わない。

こういう状況は誰も意図していなかったはずなのに

1980年代のアイドル歌謡曲の回顧は

主役抜きでやらざるを得ず

脇役だけが目立った形で現在進行している。

 

1970年代のアイドルにしても事情は同じだ。

桜田淳子が1990年代以降に今のような状況になってしまうとは

人気絶頂の頃には誰も予想できなかったはずだ。

山口百恵が毅然と引退を守り続けている以上

ここでも1970年代のアイドル歌謡曲の回顧は不可能である。

 

それぞれが流行のピークの時期には

予想できなかった成り行きである。

 

かくして、2018年の今

日本のJ-POPは”歴史喪失の時代”を迎えている。

過去が不在になったからである。

「本人」という重みのある実体が不在のまま

映像だけで回顧するしかなくなり

そこに実感のこもった”何か”が付与されないと

その映像を利用した企画の意図だけが

一方的に暴走する時代になりつつある。

 

それがどうした、ということかもしれないが

年代的に

そろそろ懐古趣味に全身で浸りたいと思っている自分にとっては

何か違和感を覚えることが

ここ数年続いていることも確かである。

 

このブログでは

そんな視点から

かつての流行歌について語っていこうと思っている。

 

渡辺美里「My Revolution」初生放送

 

(小室哲哉と言えば、この映像を思い出す。

 アイドル歌謡全盛のこの時代に

 これほど真摯な歌詞、真摯な歌いっぷりは画期的だった。

 もう20代も後半に入っていた当時の自分にとって、結構な衝撃だったのだが・・

 小室哲哉も渡辺美里も、少なくとも自分にとっては

 その後、これ以上のクオリティのものを感じさせてくれることはなかった)

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