おいちゃんさんのブログで
興味深い文章を拝見しました。
http://ameblo.jp/blogoichan/entry-12019140183.html
実のところ
おいちゃんさんの書かれたことを完全に理解できているわけではないのですが
「響く声」と「張り上げる声」という対比のイメージについては
大変参考になりました。
1960年代、弘田三枝子という天才少女歌手がいました。
その後半世紀を経て
ある意味彼女以上の歌手は出現していないといっても
過言ではないでしょう。
彼女は、典型的な「張り上げる声」の歌手でした。
当時、パンチの効いた声という表現は
彼女のためにある言葉といってもいいくらいで
同世代の中尾ミエや伊東ゆかりなどは
レコーディングの際に
「どうして、ミコみたいにパンチが効いた声が出ないんだ」
と叱られまくったというエピソードがあったほどでした。
そんな彼女が
抜群の歌唱力を誇りながら
ヒット曲には恵まれず
だんだんと芸能界でのポジションを
後輩たちに奪われていったのが
1960年代末の話。
そこで、当時、新進気鋭の作曲家だった筒美京平の楽曲を得て
巻き返しを図ったのが
今や隠れた名曲として名高い「渚のうわさ」でした。
この曲はそこそこのヒットとなったものの
その後に出したシングル曲が振るわず
もはやミコの時代ではないと言われ始めたとき
彼女は、突如、半年余りの休養期間に入ったのでした。
1969年夏、彼女は復活します。
復活後の彼女は
もはやあの元気いっぱいハツラツガールだったミーコではありませんでした。
顔は、整形してかつての面影などなく
健康優良児のような体形は、驚くほどげっそりと痩せて別のボディに変身していました。
そして、歌は・・・、
パンチの効いた歌声ではなく
抑え気味の静かな歌声になっていたのです。
新曲は
なかにし礼&川口真という
当時の最高のヒットメーカーコンビによる「人形の家」という曲でした。
もはや弘田三枝子を名乗るけれども
弘田三枝子とは別人が歌っているようでした。
あまりにも変貌してしまった彼女に
賛否両論沸き起こりましたが
曲そのものは彼女最大のヒットを記録しました。
60万枚近く売り上げて、オリコンチャート1位を3週独走。
年末にはレコード大賞歌唱賞も受賞する見事な復活劇となったのです。
当時私は小学生高学年くらいの年令でしたが
弘田三枝子のこのあまりにも激しい変貌ぶりに
嫌悪感を抱いたのを覚えています。
それまでも大好きな歌手とまではいきませんでしたが
何といっても歌が圧倒的に上手いので
その歌声そのものには惹かれていたのですが
この「人形の家」の暗い影のある歌声には抵抗感を覚え
いっぺんに嫌いになりました。
そして、それから数十年経って
youtubeの時代になり
過去の歌手について
自分のなかで再評価が可能になってきました。
その過程で
いくつかの大きな発見があったわけですが
弘田三枝子についても
「やはり素晴らしい歌手だ」と再認識するに至りました。
でも「人形の家」については
あいかわらず、あまり好きになれないという感覚のままでした。
その後、松浦亜弥ファンになりました。
亜弥さんの魅力は「響く声」だ、というイメージを
おいちゃんさんのブログから確信したとき
まず頭の中に浮かんだのは
過去の歌の上手な人たち・・・西田佐知子、弘田三枝子、ちあきなおみといった
人たちのことでした。
さっそくyoutubeで手当り次第聴いてみました。
西田佐知子。
素晴らしいですね。
この方は「響く声」を持っています。
何度かその歌声に泣いた経験があるのは
亜弥さんと同じような素晴らしい声を持たれているからなのですね。
いや、亜弥さんが、西田さんと同じような素晴らしい声を持って生まれた、
と表現するのが正しいのかな。
ちあきなおみ。
この方の歌は国宝級の上手さです。
ただし、この方の歌には
あまりにも多彩な感情が劇的に詰め込まれていて
私のように地味で平凡な人生を送ってきたものには
全部を消化しきれないという・・・まあ聴く側の私のほうに
問題があるということになってしまいます。
私には、ちあきなおみさんの歌は
勿体なくて聴き切れないわけでして(ヘンな表現ですが)。
多分、しっかりとした人生を歩んできた人には
ちあきさんの歌はかけがいのない宝ということになるのでしょう。
そして、弘田三枝子、ミコちゃんということになるのですが
今回「人形の家」を聴き直して
初めて心から感動しました。
これは
「張り上げる声」が出せる人が
あえて「響く声」を多用して
歌唱表現を広げたという高次元な歌なのだと思いました。
こういう発見は
松浦亜弥ファンになってから
「響く声」の美しさを(少しだけですが)極めることができたから
可能になったのだと思いました。
以上、全くの個人的見解・・・というより単なる個人的体験を
書いてみました。
(”パンチの効いた”歌唱時代)
https://www.youtube.com/watch?v=-k1oQemNw-8
(”パンチ”だけではない歌唱)
弘田三枝子さん 人形の家1969
弘田三枝子さん、幼いころ好きでした。
特に、この曲「砂に消えた涙」。
https://www.youtube.com/watch?v=VLBmMxoDR5M
歌詞の意味も分からず、メロディラインだけでしたけど。
いつもはハスキーな声でパンチのある唄い方をするのですが、この曲では少し控えめにしていました。
それが心地良かったのかも知れません。
私が初めて「人形の家」を聴いたときは、正直、声には違和感はありませんでした。人形的な整形はちょっと引いてしまったかな…。
あらためてこの2つの曲を聴いてみると、弘田三枝子さんはもともと響かせて歌える素質がありながら、わざと声を唸らせたり、張り上げていてたような気もしてきます。
砂に消えた涙、いいメロディですね、
一気に昭和30年代後半のあたりへ
タイムスリップしそうです。
たしかに、彼女は
もともと響かせて歌える素質があったでしょうね。
デビューした頃の時代が
ああいう唸り声、張り上げ声にさせたのだと思います。
都はるみとか畠山みどりとか
演歌の若い女性歌手は皆そうでしたしね。
ポップスでもドドンパなんて
極端なリズム物が流行ってたみたいですし。
昭和40年代半ばになると
そういう唸り声とか、演歌のこぶしなどは
控え目なほうが売れる、ということになったようです。
その意味で模範にされたのが西田佐知子だそうで
ちあきなおみは
歌の師匠である鈴木淳から
「アカシアの雨がやむとき」を何度も歌わされ
キャバレー回りで身に付けた独特のこぶしを
直されたらしいですね。
そういえば、都はるみも
この頃から、唸ることが少なくなっていきました。
・・・なんか、亜弥さんブログらしからぬ内容ですね(笑)
まっ、時にはこういうのも。
申し訳ありませんが、ちあきなおみさんは(名演技かもしれませんが)、典型的な日本人の喉声です。
思い浮かぶ発声が見事な日本人ポピュラー歌手はレベッカのノッコ、土屋アンナ(もちろん他にもいます)といったところでしょうか。
コメント、ありがとうございます。
この文章を書いたのが5年前になるので
自分でも
もう何を書いていたのか忘れていました。
あらためて読んでみて
ああ、これは日頃思っていたことを
ついつい書いてしまったのだということ、
つまり、弘田三枝子という歌手が
昭和30年代から40年代途中まで知名度があったことから
それはちょうどインターネットで言及されることが急激に少なくなる
そういう時期にあたっているので
(注:ネット上では、「昭和」と名乗りながら、その実態は、戦前はないも同じ、
戦後も昭和40年代後半から急にコメントが多くなるという傾向が顕著ということ)
その実力の割にはネット記事が少なすぎる、
つまり、忘れられた歌手とするには惜し過ぎる
ということを強く感じていて
それはまた、
このブログでおもに取り上げている松浦亜弥という歌手が
同様に「忘れられた歌手とするには惜し過ぎる」というイメージなので
ついつい書いてしまったのだな
と思い出しました。
”ついつい書いた”ことで
言葉の選択が不十分だったようです。
「張り上げる声」という表現が不適切だったかもしれません。
このネガティブなイメージの言葉を使ったことで
私の文章の真の意味が
「通りすがりのヒターノ」さんに間違って伝わったのかもしれません。
私自身でさえ、今、この自分で書いた文章を読んでみて
「何で弘田三枝子の声が”張り上げる声”なんだよ」と
違和感を覚えました。
とはいえ、そのことで
「通りすがりのヒターノ」さんの貴重な知見をお伺いできたわけで
その意味では嬉しかったです。
今後ともよろしくお願いします。
大丈夫ですよ、無礼講でいきましょう。