「食べ処・身土不二」(札幌)は、身土不二を日本と世界へ発信する。食堂ならぬ食堂、啓蒙運動の発信地。日本よ、滅びるな!

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トケテ、姿かたちが消えたネギ

2007-09-12 09:05:16 | Weblog

 

 「生命力のない野菜」が、市場に出まわっている。
 
 市場で売られている野菜には、少数の例外を除いて、そのほとんどに、「生命力がない」といってよいかもしれない。

 「生命力のない野菜」とは、どのような野菜なのか。
 
 その実例を挙げておこう。もうかれこれ、10年以上も前のことである。ある知人から、長ネギをもらったことがあった。
 
 貰ったネギを、冷蔵庫に入れておいたまま、旅行にでかけ、およそ一月の長期旅行から戻ってきた。

 調理しているうちに、ネギが必要になった。
 「ああ、そうだ」と、冷蔵庫を探してみた。


 あのネギが、見つからない。 
 おかしいなと思って、よく調べてみた。あのネギの置いてあったところに、かすかなシミみたいな跡だけが残っていた。あのネギは、トケテ無くなってしまったのである。 

 かって、有機栽培のネギを冷蔵庫に入れ忘れて、2ヶ月くらい海外旅行で留守をしたことがあった。
 

 そのときのことを思い出した。あの有氣栽培のネギは、ヒカラビテはいたが、形は残っていた。 

  

  痕跡だけを残して、トケテなくなるネギ。

 ヒカラビテてはいるが、姿かたちの残るネギ。

 この違いは、いったい何んなのであろうか。
 おそらく、トケテなくなったネギは、ネギとしての実質がない、いわゆる「水ぶくれ」であったに違いない。

 冒頭で、「生命力のい野菜」の話しをした。まさに、このようなネギが、「水ぶくれの野菜」の例である。

 「生命力のない」「水ぶくれの野菜」を食べていると、食べた人も、水ぶくれとなって生命力を弱めることになる。
 

 (今回のブログは、佐々木健人先生の「有氣農法」と、前回に予告した。さきのネギの話は、次回に紹介する「有氣農法」への導入部をお考えいただきたい)