「食べ処・身土不二」(札幌)は、身土不二を日本と世界へ発信する。食堂ならぬ食堂、啓蒙運動の発信地。日本よ、滅びるな!

「身土不二」は、解放思想であり、危険思想でもある。

 日本から「身土不二」を発信し、日本と世界を救おう。

「身土不二」には、競争というものがない

2007-09-03 10:14:18 | Weblog

 

 昔から、「ところ違えば、品違う」といわれてきた。
 まさに、この言い伝えをあらわすものが「身土不二の原則」である。

 いかなる農産物も、その原産国では「適食」であるが、外国へ輸出されると、それは「身土不二の原則」に反する「不適食」となる。

 例えば、熱帯の産物であるバナナは、その原産国では「適食」であるが、温帯の日本へ輸出されると「不適食」となる。

 日本産リンゴとミカンは、日本では「適食」であるが、熱帯地域では「不適食」となる。これが、「身土不二の原則」というものである。まさしく「甲の薬は乙の毒」(諺)である。

 ◆「食は命なり」
 食物という生命体が、人間という生命体へ変化する。 

 この転換は、「生命の鉄則」というべきもの、あるいは「宇宙の法則」といってもよい。

 それが、今日では、蹂躙されている。
 例えば、農産物貿易である。
 これは、別名、「食物を用いた、生命に対する蹂躙と冒涜の経済行為」とでもいうべきものである。

 ◆農産物貿易は戦争である
 農産物貿易は、武器によらない戦争である。
 農産物貿易は、血を見ない戦争である。
 
農産物貿易とは、人間による「環境への反逆」である。
  
「環境と食物と人間」の関係をいまいちど述べておこう。
 ある環境(例えばアメリカ大陸)では「薬ともいうべき食物」が、別な環境(例えば日本列島)へ移動(輸出)されると、「毒」へと変化する。当然のことながら、この逆も成り立つ。

 「生命と健康」へと変わるべき食物が、その産地から他へ移動されると、その正反対のもの(病気)へと変化する。

 農産物貿易とは、「食物の移動」による経済競争である。       
 この経済競争は、「身土不二の原則」から云えば、生命を害するものとならざるを得ない。

 「身土不二の原則」は、原理的に競争と云うものを否定している。

 したがって、食糧危機のときは別として、食物の移動は、とりわけ国外へはすべきでないことになる。