(前回、前々回の続き)
「身土不二の原則」は、言うまでもなく、日本だけでなく、世界各国にかかわるものである。つまり、この「原則」は、世界性というか国際性をもつものである。
ここでは、この「原則」とWTO(世界貿易機構)との関係を考えてみる。
先に結論をいえば、「身土不二の原則」は、WTOの行きかたと、全面的に衝突する。
いまや、グローバル化が、時代の潮流といわれている。WTOとは、そのグローバル化を取り仕切る国際的な組織である。
その農業政策のねらいは、農畜産物自由貿易化(以下、WTO路線という)である。つまり、農畜産物の価格競争を通して「安さ」の追及ということになる。
「WTO路線」とは、いってみれば、大農業国における「環境収奪型の営農形態」そして「政府の農業補助金」でもって農産物の「安さ」を志向する。
その結果、一握りの農業大国の農業は別として、「WTO路線」によって、「各国の農業」が淘汰されてしまうと危惧されてならない。
ちなみに、ここでいう「各国の農業」とは、輸出向けのモノカルチャー的な換金作物(例えばコーヒ単作)農業ではない。
「各国の農業」のあるべき姿とは、自給自足農業、すなわち、それぞれの国民の生命を支える農畜産物を100%自給することである。
「WTO路線」は、この「各国の農業」と真っ向からぶつかる。だが、「各国の農業」こそ、各国の人々が健康で天寿を全うするために欠かせない。
「WTO」がねらう農畜産物自由貿易化は、「各国の農業」そして「身土不二の原則」の否定に他ならない。
「食は命なり」といわれる。
「食物イコ-ル生命」である。
「食物という生命体」が、「人間という生命体」に変わること、これが、「食物イコ-ル生命」の意味である。
「WTO路線」の「安さ」を武器にする世界規模での商業活動は、「食物イコール生命」であらわされる「食物の本質」とは鋭く対立する。つまり、「WTO路線」は、「安さ」を売り物にする輸入農畜産物で、「食物イコ-ル生命」を否定する。
このような「WTO路線」は、安さでもって「各国の農業」を破壊してしまう。「各国の農業」の崩壊で、人々は、必然的に「身土不二に原則」に反する輸入農産物に頼らざるを得なくなる。その結果、生命の強靭さが損なわれ、疾病と犯罪が増える。
土壌を疲弊させる過剰生産で環境を破壊し、疾病と犯罪を増加させる「農畜産物の安さ」とは、いったい何か。この「安さ」は、人類を滅ぼす劇薬とでもいうべきである。
「安さ」は、「食物の本質的な要素」ではない。
「安い」輸入農産物ではなく、「各国の農業」が産みだした農畜産物(「身土不二の原則」に適う)でもって、健康で天寿を全うすることが、人類の願いであろう。
この人類の願いが、最も「安い」。