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エスせんブログ

ラノベ好きなB級小学校教師のエスせんが、教育中心に色々語るブログです。少しでも面白ければ「いいね」御願いします。

エスせん流 若手教師の体系的育成法①~若手教員は新一年生だと思え!

2025-07-08 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、教育現場の抱える問題について私なりの意見を述べるシリーズ…の系統なのですが、どちらかと言うと新シリーズと言えるかもしれません。

若手教員の育成は体系化されてない
 令和7年度、新卒臨時採用のAさん&1年担任は初のBさんと学年を組んでいる私。4月から2人を育てる為に、色々と手を打ってきました。その事を頻繁に考えているので、帰宅してからも、妻と若手育成に関する話をする事が多々あります。
 そんな中で、ある日、妻から言われた言葉がありました。
 「若い先生を育てる方法って、体系的に確立されていないよね」
 確かに、若い教員を育成する方法って、体系的に確立されていません。マニュアルなど無いですし、私自身、試行錯誤しながら進めています。今の職場を見ても、若い人の自主性に任せ、困った時に相談してもらう…って、やり方で指導を行っている方が多いです。
 でも、どうも、その方法ではダメっぽい印象です。今の職場には新卒新採用3年目のCさんと言う教員がいて、その様子を見て感じました。
 Cさん、過去2年間は「若い人の自主性に任せ、困った時に相談してもらう」的な指導をされていましたが、どうにも自信なさげで、いつも眉間に皺が寄っている感じだったのです。それが令和7年度、積極的に指導する先輩と学年を組んだら、すっごく明るい表情になり、自信をもって指導しているのを感じる様になりました。
 やはり、若手教員には積極的に指導を行い、様々な面で支えていく必要がある…この事例からも、そう感じます。
 そんな訳で、令和7年度、私がAさんやBさんに行った指導を振り返り、どの様に指導したかをまとめよう…と考えました。どこまで体系的にまとめられるかは分かりませんが、若手教員を育成する方法の体系化に向け、叩き台くらいにはなるだろうと考えてます。

まずは育てる側に覚悟が必要
 体系化する前に、大前提として押さえておきたい事があります。それは、育てる側に覚悟が必要だ…と言う事です。どう言う覚悟かと言うと、
 「教えていない事が原因の失敗は100%自分(育てる側)の責任。
  教えたのに失敗した場合も、50%は自分の責任。
  教えて成功した場合は、100%若手教員の手柄」

…って、本気で思う覚悟です。
 「そんなの当たり前じゃん」って思うかもしれませんが、必ずしも教育現場では当たり前じゃない事が多いです。
 例えば、給食の時に子供が食器を落として割ってしまった時、「何やってるの!」と子供を叱る先生…結構、多いと思いますよ。先程の「」で言えば、食器を落として割ってしまうのは、「教えていない事が原因の失敗」か「教えたのに失敗した場合」のどちらかでしょう。前者なら100%担任教員の責任だし、後者だとしても50%は担任教員の責任です。それにも関わらず、一方的に子供が叱られて終わり…まだまだ多いと感じます。
 これが若手教員になったら、失敗した時に叱られる(責められる)率は格段に上がる
でしょう。「いい歳をして、こんな事も分からないのか!」とか、「社会人なんだから、この位は分かるだろ!」とかってね。私の記事でお馴染み「どぶ泥ゲス校長」辺りだと、ねちっこ~く、嫌みったらし~く言いそうです。
 でも、これはハッキリ書いておきます。若手教員が失敗したら、大半は育てる側に責任がある…と。若手教員を叱ったり、責めたりする前に、まず育て方に手落ちのあった自分が反省すべきだ…と。
 もちろん、何でもかんでも育てる側が悪いとは限りません。note仲間の記事に出てくる若手教員みたいに、教えても指導しても、なかなか入っていかない若手教員もいるでしょう。その場合、若手教員に厳しく指導する事も必要だと思います。
 ただ、人間は、どうしても自分に甘くなりがちです。だから、若手教員が失敗すると、ついつい相手を責めたくなってしまうものです。そう言う自覚をもち、「自分の指導に手落ちがあったのでは?」と、まずは考える様にしませんか…と言いたいのです。

若手教員は「新一年生」だと考えよう
 「教えていない事が原因の失敗は100%自分(育てる側)の責任。
  教えたのに失敗した場合も、50%は自分の責任。
  教えて成功した場合は、100%若手教員の手柄」
…と、先程、書きました。「では、どのくらいまで教えればいいの?」と思った方がいるでしょう。
 はっきり書きます。
 「新一年生と同じ扱いで教えましょう」
 入学したばかりの新一年生は、マジで何も分かりません。トイレの場所も、下手したら使い方も分かりません。だから、トイレの場所を教え、可能なら使い方も教えます。それと同じだ…と考えるべきです。
 いや、さすがに、若手教員にトイレの場所や使い方を教えたりはしませんよ。教える人が私で、相手が女性だったら、セクハラになりかねませんし…。
 そうではなくて、「この程度は知っていて当たり前」とは考えず、「これも、あれも、知らないだろう」と言う前提で考えるべきだ…と言いたいのです。
 例えば、学年を組んでいるAさん、先日、教師用の教科書にペンで書き込みをしていると分かりました。しかも、相当な頁数にです。札幌市の場合、教師用の教科書は「担任する学級」に配られます。つまり、教師個人の物ではない扱いなのですが、Aさんは教師個人に与えられたと勘違いしてしまったのですね。大学を出たばかりだと、そう言う事も分からない訳です。
 これ、明らかに、教えておかなかった私の責任です。だから、教科書担当者とAさんに私は謝りました。
 もちろん、「教師個人の物ではない」とAさんが分かっていなかった事は、私も予測出来ていませんでした。だから、「これは俺の責任じゃない!」と言う事も可能です。
 でも、先程書きました。「新一年生と同じ扱いで教えましょう」と。
 新一年生は教室に置かれている物は公共物だから、大切に扱わなくてはならない…って分かりません。だから、「教室の物は大切に扱いましょう」と指導します。今回の教科書の件も同じです。
 その位の覚悟で、我々育てる側は若手教員育成に臨まなくてはならないのです。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。

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