11月3日付 産経新聞【正論】より
「安全神話」憲法の護持続けるか 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111103/plc11110303090000-n1.htm
日本国憲法は65年前の今日、公布された。前文には「日本国民は、…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。他方、先般の自衛隊「航空観閲式」で野田佳彦首相は「挑発的な行動を繰り返す北朝鮮の動き、軍事力を増強し続け周辺海域において活発な活動を繰り返す中国の動き、我が国を取り巻く安全保障環境は不透明さを増しております」と指摘、「天下、安らかなりといえども、戦いを忘れなば必ず危うし」なる言葉に託し、「平和時においても、有事のことを忘れないで備え」よと訓示した。
≪憲法前文に背いた?首相訓示≫
首相訓示が憲法前文に背くことは、誰にも分かる。だのに、目くじらを立てる人は少ない。憲法は憲法、訓示は訓示。世の中、そんなものさ、というわけだ。清濁併せ呑むこの奇妙な物分かりのよさが現代日本の憲法状況である。
もともと現行憲法は米国製だった。当時の米国の対日政策は非軍事化を根幹としたから、日本よ、安全と生存の保持には諸国民の公正、信義に信頼するに限るのだよ、と「安全神話」を説いた。薬は効きすぎた。国際情勢がどうあろうと日本は「安全神話」憲法を護持、改憲を忘れてきた。米国は内心、あきれているはずだ。
なぜなら、もう一つの主要敗戦国ドイツに対する戦勝国の扱いはまるで違い、峻厳を極めたからだ。ドイツ人は敗戦後4年間、国家を持てなかった。東西冷戦下、米英仏による擁立で西ドイツがやっと1949年5月に発足するが、制定された憲法相当の「基本法」では、主権が米英仏により幾重にも制限されていた。起草者の意図に反して軍備条項も欠落。55年のNATO(北大西洋条約機構)加盟で、やっと再軍備条項を盛る「基本法」改変が成った。
≪ドイツは対照的に憲法明文化≫
それでもまだ三国は西ドイツ国家主権の完全回復を認めなかった。「基本法」に非常事態規定が欠けていたからだ(非常事態権限は三国が留保)。ゆえに西ドイツは非常事態立法に心血を注ぐ。それは起草から10年、戦後初の大連立政権下で68年5月にやっと成立するが、採決では与党陣営からも多数の反対票が出たし、日本の60年安保騒動顔負けの「議会外」反対運動が荒れ狂った。非常事態法下では自由と民主主義の社会が失われる、との観念論の下に。
歳月がこの観念論の誤りを証明した。対外的、対内的および災害による非常事態への対処のため「基本法」に28条項もの新設、削除、変更を加えた往時の難作業は今日、懐かしい昔話である。かくて、憲法に対するドイツの姿勢は、日本とほぼ正反対となった。
改憲忌避の日本は、国の安危に関する問題でも憲法解釈一本槍。先掲の首相訓示と「安全神話」憲法との辻褄合わせも、明文規定はないのに自衛権が「ある」との解釈あってのこと。他方、ドイツは憲法明文規定重視。現実、または有り得べき現実と憲法規定との間に落差ありと見るや、現実尊重で憲法規定を変える。齢62歳の「基本法」には57回の改変が加えられた。非常事態立法は、その代表的な一例である。
≪独非常事態条項は出藍の誉れ≫
完全主権回復の最終条件として非常事態立法を西ドイツに求めたのだから、三国自身が非常事態対処の仕組みを持ったのは当然だ。今日、日本以外の世界主要国はいずれも憲法的非常事態規定を持つ。ただ、ドイツのそれは出藍(しゅつらん)の誉れか、注目に値する。普通、非常事態では国家指導者または政府が法定の非常時大権を行使、他面で立法府は一時的に沈黙する。が、かつて大権下、国会が機能停止し、ナチス独裁が残った苦い歴史を持つドイツでは今日、非常事態下でも立法機能休止はない。
平時下で衆参両院は議員中から有事用「合同委員会」議員を合計48人選任しておく。これはいわば有事用「小国会」だから、構成議員の日常所在は事前申告を要する。この「小国会」に許されない立法領域は、極論すると「基本法」改変だけ。かくて非常事態下でも国の立法機能は存続する。
そのうえで、非常事態の状況次第で政府と「小国会」は地下施設に入る。非常事態期間を生物学的、物理的に生き残るために。詳細は当然、機密だが、冷戦期の首都ボンの近くには総延長17キロ強の地下施設があったことが今日、判明している。同施設はベルリンから遠過ぎて今日ではお役御免だが、今日のベルリンに類似施設なしとは、誰も断言しない。
真似しろとは言わない。言いたいのは3点。第一、憲法解釈なしでは不可能な日本の「護憲」は、原理たる立憲主義(コンスティテューショナリズム)に対する冒涜(ぼうとく)である。第二、多くの国が憲法に非常事態条項を置く意味を考えよ。それが対外、対内非常事態発生の抑止作用を持つからだ。第三、日本の武力攻撃事態法など有事法制は已むなき憲法解釈をもって「安全神話」憲法に接合されたため、欠陥が少なくない。非常事態条項を含む改正憲法下で、各法との関係の整合化を図るべし。(させ まさもり)
「安全神話」憲法の護持続けるか 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111103/plc11110303090000-n1.htm
日本国憲法は65年前の今日、公布された。前文には「日本国民は、…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。他方、先般の自衛隊「航空観閲式」で野田佳彦首相は「挑発的な行動を繰り返す北朝鮮の動き、軍事力を増強し続け周辺海域において活発な活動を繰り返す中国の動き、我が国を取り巻く安全保障環境は不透明さを増しております」と指摘、「天下、安らかなりといえども、戦いを忘れなば必ず危うし」なる言葉に託し、「平和時においても、有事のことを忘れないで備え」よと訓示した。
≪憲法前文に背いた?首相訓示≫
首相訓示が憲法前文に背くことは、誰にも分かる。だのに、目くじらを立てる人は少ない。憲法は憲法、訓示は訓示。世の中、そんなものさ、というわけだ。清濁併せ呑むこの奇妙な物分かりのよさが現代日本の憲法状況である。
もともと現行憲法は米国製だった。当時の米国の対日政策は非軍事化を根幹としたから、日本よ、安全と生存の保持には諸国民の公正、信義に信頼するに限るのだよ、と「安全神話」を説いた。薬は効きすぎた。国際情勢がどうあろうと日本は「安全神話」憲法を護持、改憲を忘れてきた。米国は内心、あきれているはずだ。
なぜなら、もう一つの主要敗戦国ドイツに対する戦勝国の扱いはまるで違い、峻厳を極めたからだ。ドイツ人は敗戦後4年間、国家を持てなかった。東西冷戦下、米英仏による擁立で西ドイツがやっと1949年5月に発足するが、制定された憲法相当の「基本法」では、主権が米英仏により幾重にも制限されていた。起草者の意図に反して軍備条項も欠落。55年のNATO(北大西洋条約機構)加盟で、やっと再軍備条項を盛る「基本法」改変が成った。
≪ドイツは対照的に憲法明文化≫
それでもまだ三国は西ドイツ国家主権の完全回復を認めなかった。「基本法」に非常事態規定が欠けていたからだ(非常事態権限は三国が留保)。ゆえに西ドイツは非常事態立法に心血を注ぐ。それは起草から10年、戦後初の大連立政権下で68年5月にやっと成立するが、採決では与党陣営からも多数の反対票が出たし、日本の60年安保騒動顔負けの「議会外」反対運動が荒れ狂った。非常事態法下では自由と民主主義の社会が失われる、との観念論の下に。
歳月がこの観念論の誤りを証明した。対外的、対内的および災害による非常事態への対処のため「基本法」に28条項もの新設、削除、変更を加えた往時の難作業は今日、懐かしい昔話である。かくて、憲法に対するドイツの姿勢は、日本とほぼ正反対となった。
改憲忌避の日本は、国の安危に関する問題でも憲法解釈一本槍。先掲の首相訓示と「安全神話」憲法との辻褄合わせも、明文規定はないのに自衛権が「ある」との解釈あってのこと。他方、ドイツは憲法明文規定重視。現実、または有り得べき現実と憲法規定との間に落差ありと見るや、現実尊重で憲法規定を変える。齢62歳の「基本法」には57回の改変が加えられた。非常事態立法は、その代表的な一例である。
≪独非常事態条項は出藍の誉れ≫
完全主権回復の最終条件として非常事態立法を西ドイツに求めたのだから、三国自身が非常事態対処の仕組みを持ったのは当然だ。今日、日本以外の世界主要国はいずれも憲法的非常事態規定を持つ。ただ、ドイツのそれは出藍(しゅつらん)の誉れか、注目に値する。普通、非常事態では国家指導者または政府が法定の非常時大権を行使、他面で立法府は一時的に沈黙する。が、かつて大権下、国会が機能停止し、ナチス独裁が残った苦い歴史を持つドイツでは今日、非常事態下でも立法機能休止はない。
平時下で衆参両院は議員中から有事用「合同委員会」議員を合計48人選任しておく。これはいわば有事用「小国会」だから、構成議員の日常所在は事前申告を要する。この「小国会」に許されない立法領域は、極論すると「基本法」改変だけ。かくて非常事態下でも国の立法機能は存続する。
そのうえで、非常事態の状況次第で政府と「小国会」は地下施設に入る。非常事態期間を生物学的、物理的に生き残るために。詳細は当然、機密だが、冷戦期の首都ボンの近くには総延長17キロ強の地下施設があったことが今日、判明している。同施設はベルリンから遠過ぎて今日ではお役御免だが、今日のベルリンに類似施設なしとは、誰も断言しない。
真似しろとは言わない。言いたいのは3点。第一、憲法解釈なしでは不可能な日本の「護憲」は、原理たる立憲主義(コンスティテューショナリズム)に対する冒涜(ぼうとく)である。第二、多くの国が憲法に非常事態条項を置く意味を考えよ。それが対外、対内非常事態発生の抑止作用を持つからだ。第三、日本の武力攻撃事態法など有事法制は已むなき憲法解釈をもって「安全神話」憲法に接合されたため、欠陥が少なくない。非常事態条項を含む改正憲法下で、各法との関係の整合化を図るべし。(させ まさもり)