10月5日付 産経新聞より
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091005/plc0910050228001-n1.htm
新政権は国益の定義を 東京大学教授・山内昌之氏
西ドイツの民主化に貢献したアデナウアー元首相は、今後の現代史の展開について近現代史の教授に予測を求めた。すると、彼から「それは自分の仕事でなく、歴史家は予言者でない」という返事を受けた逸話を、皮肉たっぷりに回顧したことがある。アデナウアーは、いやしくも歴史家なら歴史がどの方向に進むのかを知るべきではないかというのだ。
歴史家はアデナウアーが期待したように、予想される展開を指し示し、時によっては「警告を発する」必要があるのかもしれない(ティモシー・アッシュ『ヨーロッパに架ける橋』)。
いずれにせよ、鳩山由紀夫首相と岡田克也外相による民主党外交には、歴史の新たな進路を切り開きたいと願うあまり、外交で重視すべき“国益とは何か”という観点の確認がともすれば希薄な印象を受ける。
このコンビの抱負に期待しながらも、歴史感覚の弱さに一抹の不安を感じるのは歴史学に携わる私の杞憂(きゆう)であろうか。新政権は、まず外交と安保をめぐる日本の国益をきちんと整理したほうがよい。
鳩山政権の外交は、日米同盟と日中韓の東アジア共同体を交差させながら、21世紀日本の進路を構築しようとしている。
確かに、在留米軍再編や核持ち込みの問題などで日米関係には、国益の再定義に向けた動きが見られる。しかし、中国に対しては、日本の国益を正しく定義する動きはまだ出ていない。尖閣諸島付近の領海侵犯や東シナ海中間線におけるガス田開発は、中国の国益そのものの反映であり、東アジア共同体の提案という“善意”の表明で問題が解決するわけではない。東京都の沖ノ鳥島周辺の西太平洋水域でも演習や調査を繰り返し、日本の安全に脅威を与えている。
日本の領土や領海を侵す不法行為に抗議もせずに東アジア共同体の理想を語っても、中国は“善意”の枠組みづくりを利用しながら既成事実を積み重ねるだけにすぎない。東アジア共同体構想を議論する前になすべきは、日中の2国間ベースで目下の懸案について相互の国益をすり合わせ、必要なら妥協を模索しながら、解決する覚悟や勇気を中国に抱かせる努力にほかならない。そのうえで、初めて東シナ海は“友愛の海”に変貌(へんぼう)し始めるにすぎない。
民主党も政権与党として日本の国益を改めて定義しないと、北沢俊美防衛相が沖縄県の与那国島など離島への陸上自衛隊の部隊配備計画を進めなかったような行為がこれからも繰り返されるだろう。北沢防衛相は、配備しない理由として「いたずらに近隣諸国に懸念を抱かせることはしない」からだとした。
しかし、九州から南西諸島に至る東シナ海で日本の安全に“十分な懸念”を抱かせる中国の態度を問題にしない国防政策とは何なのだろうか。外交・安保では過度に主観的な理想主義は禁物である。 新政権がこの切所にほとんど触れず、外交の相互主義やパリティを無視しがちなのは、守るべき国益の内容で十分に合意ができていないからだ。鳩山首相と岡田外相は、アメリカだけでなく、中国に対しても守るべき国益とは何かを国民に説明する義務がある。2人に期待されるのは、アデナウアーが評されたように「したたかな理想主義者」になることだろう。(やまうち まさゆき)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091005/plc0910050228001-n1.htm
新政権は国益の定義を 東京大学教授・山内昌之氏
西ドイツの民主化に貢献したアデナウアー元首相は、今後の現代史の展開について近現代史の教授に予測を求めた。すると、彼から「それは自分の仕事でなく、歴史家は予言者でない」という返事を受けた逸話を、皮肉たっぷりに回顧したことがある。アデナウアーは、いやしくも歴史家なら歴史がどの方向に進むのかを知るべきではないかというのだ。
歴史家はアデナウアーが期待したように、予想される展開を指し示し、時によっては「警告を発する」必要があるのかもしれない(ティモシー・アッシュ『ヨーロッパに架ける橋』)。
いずれにせよ、鳩山由紀夫首相と岡田克也外相による民主党外交には、歴史の新たな進路を切り開きたいと願うあまり、外交で重視すべき“国益とは何か”という観点の確認がともすれば希薄な印象を受ける。
このコンビの抱負に期待しながらも、歴史感覚の弱さに一抹の不安を感じるのは歴史学に携わる私の杞憂(きゆう)であろうか。新政権は、まず外交と安保をめぐる日本の国益をきちんと整理したほうがよい。
鳩山政権の外交は、日米同盟と日中韓の東アジア共同体を交差させながら、21世紀日本の進路を構築しようとしている。
確かに、在留米軍再編や核持ち込みの問題などで日米関係には、国益の再定義に向けた動きが見られる。しかし、中国に対しては、日本の国益を正しく定義する動きはまだ出ていない。尖閣諸島付近の領海侵犯や東シナ海中間線におけるガス田開発は、中国の国益そのものの反映であり、東アジア共同体の提案という“善意”の表明で問題が解決するわけではない。東京都の沖ノ鳥島周辺の西太平洋水域でも演習や調査を繰り返し、日本の安全に脅威を与えている。
日本の領土や領海を侵す不法行為に抗議もせずに東アジア共同体の理想を語っても、中国は“善意”の枠組みづくりを利用しながら既成事実を積み重ねるだけにすぎない。東アジア共同体構想を議論する前になすべきは、日中の2国間ベースで目下の懸案について相互の国益をすり合わせ、必要なら妥協を模索しながら、解決する覚悟や勇気を中国に抱かせる努力にほかならない。そのうえで、初めて東シナ海は“友愛の海”に変貌(へんぼう)し始めるにすぎない。
民主党も政権与党として日本の国益を改めて定義しないと、北沢俊美防衛相が沖縄県の与那国島など離島への陸上自衛隊の部隊配備計画を進めなかったような行為がこれからも繰り返されるだろう。北沢防衛相は、配備しない理由として「いたずらに近隣諸国に懸念を抱かせることはしない」からだとした。
しかし、九州から南西諸島に至る東シナ海で日本の安全に“十分な懸念”を抱かせる中国の態度を問題にしない国防政策とは何なのだろうか。外交・安保では過度に主観的な理想主義は禁物である。 新政権がこの切所にほとんど触れず、外交の相互主義やパリティを無視しがちなのは、守るべき国益の内容で十分に合意ができていないからだ。鳩山首相と岡田外相は、アメリカだけでなく、中国に対しても守るべき国益とは何かを国民に説明する義務がある。2人に期待されるのは、アデナウアーが評されたように「したたかな理想主義者」になることだろう。(やまうち まさゆき)