5月12日付 産経新聞より
4島譲歩では上坂さんも泣く 杏林大学客員教授・田久保忠衛氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090512/plc0905120334001-n1.htm
≪何よりもロシアの不道徳≫
亡くなった上坂冬子さんはとにかく怒っていた。2006年に第31吉進丸の船長坂下登氏が、北方領土周辺海域でロシアの監視船に一方的に銃撃されて甲板員を殺され、国後島(くなしりとう)に連行され、有罪判決を受け根室に戻ってきた。即座に彼女は行動を起こす。坂下船長にインタビューし、抗議デモに参加した。すでに本籍を国後島に移していた上坂さんは、モスクワでのシンポジウムに出席し、言いたいだけの抗議をぶちまけてきた。
私は上坂さんと月刊『正論』で対談し、それは産経新聞から出された『北方領土は泣いている-国を売る平成の「国賊」を糺(ただ)す』の一書に収められている。
領土問題にかぎらず、何ごとも力を基準に発言し、行動するロシアには、その弱点が現れてくるのを待って対応しなければならないと私は述べた。すると即座に「田久保先生は思ったより楽観主義者ですね。見通しが明るすぎる。私は気分的にもうこれ以上、『待つ』ことに耐えられません」とお叱(しか)りを被った。
彼女の立腹の対象はロシアの不道徳だった。石油・天然ガス開発事業「サハリン2」にクレムリンが横車を押して経営権を強奪したり、反体制ジャーナリストを次から次へと殺す。近代国家ではとうてい考えられない蛮行を平気で繰り返す異常さへの痛憤だった。
≪スターリンの暴挙改めよ≫
この対談後、私はたまたま『フォーリン・アフェアーズ』誌に載った前ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ氏の一文を読んだ。当時のジュリアーニ氏は共和党大統領候補の一人としてキャンペーンを展開中で、同じ共和党ながらブッシュ政権第2期の外交に不満を抱いていたらしい。外交には「力」が結びついていなければ役に立たぬと当然の主張をしていたのだが、その「力」の内容はズバリ「軍事力、経済力、道徳」の3つだと明言していた。
いまさら砲艦外交でもあるまいが、ロシアや中国は明らかに軍事力を外交に直接投影し、それを隠そうともしない。が、日本には自衛力の強化が外交力の強化につながることを理解する政治家が何人いるのか。シーファー前駐日米大使は離任にあたって外国人特派員協会で講演し、過去10年間、米国、中国、ロシア、韓国が軍事費を増やしたにもかかわらず、日本の防衛費だけがGDP(国内総生産)比で減っているのはどういうわけかと首をかしげていた。
日本の外交上の切り札は、経済あるいはそれに関連する技術くらいのものであろう。だが、私はロシアが北方領土問題の原点でもある道徳的に劣った国であるとの指摘をやめてはいけないと考えている。ジュリアーニ氏は決して外交の専門家とはいえないけれども、道徳を欠いた「力」の外交がいかなるものかも知っている。上坂さんは「力」の重要な要素である道徳を最も問題にし、「北方領土問題の解決の道は、民主ロシアがスターリンの暴挙を“実績”と認めるのか、それとも暴挙を一新して先進国の態(てい)をとるのかにかかっているというのに、日本は一向に事件の核心に触れずにいる」と力説していた。
≪主権の切り売りは許せぬ≫
日本の外交官の中でも私が尊敬する一人、谷内正太郎政府代表が北方領土問題で、3・5島でもいいのではないかと毎日新聞紙上で発言したニュースは、私はワシントンで聴いた。その直後に空港で帰国の便を待っていた私は谷内氏と偶然会った。「自分の真意は毎日に正確に伝わらず、欧州など外国との関係が悪化し、天然ガスや石油価格の下落に見舞われたロシアをして日本を必要とする方向に持っていく戦略的外交が必要だ」と説く谷内氏の説明にさしたる違和感を覚えることなく帰国した。
家に着くや否や私は、谷内発言をめぐる議論に巻き込まれた。よく調べてみたら、発言記録の中に「私は3・5でもいいのではないかと考えている」が含まれていた。政府高官の発言としては国会における全党一致の決議を踏みにじるものでジャーナリズムが騒いで当然だろう。私は躊躇(ちゅうちょ)なく日本国際フォーラムの「対露交渉の基本的立場を崩してはならない」とする新聞用意見広告の代表署名者の一人に名を連ねた。
北方四島の面積を2分の1に分割する考え方は、麻生太郎首相が2006年の外相当時、毎日新聞のインタビューで述べ、さらに衆院での質疑応答で内容を明らかにした。当時、外務次官だった谷内氏に直接会って私は同志とともに抗議した。今年の2月に麻生首相はメドベージェフ大統領と樺太で会い、「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」で解決することに合意した。そのうえでの谷内発言である。地下で何かが動いているのであろうか。
当初は「返せ」の要求が「返してほしい」の要請になり、実力者に来日してもらえないかのお願いになった。あげくの果てに主権を切り売りするところまで日本外交は落ちていくのだろうか。道徳すら引っ込めたら日本は国家と言えるのか。(たくぼ ただえ)
4島譲歩では上坂さんも泣く 杏林大学客員教授・田久保忠衛氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090512/plc0905120334001-n1.htm
≪何よりもロシアの不道徳≫
亡くなった上坂冬子さんはとにかく怒っていた。2006年に第31吉進丸の船長坂下登氏が、北方領土周辺海域でロシアの監視船に一方的に銃撃されて甲板員を殺され、国後島(くなしりとう)に連行され、有罪判決を受け根室に戻ってきた。即座に彼女は行動を起こす。坂下船長にインタビューし、抗議デモに参加した。すでに本籍を国後島に移していた上坂さんは、モスクワでのシンポジウムに出席し、言いたいだけの抗議をぶちまけてきた。
私は上坂さんと月刊『正論』で対談し、それは産経新聞から出された『北方領土は泣いている-国を売る平成の「国賊」を糺(ただ)す』の一書に収められている。
領土問題にかぎらず、何ごとも力を基準に発言し、行動するロシアには、その弱点が現れてくるのを待って対応しなければならないと私は述べた。すると即座に「田久保先生は思ったより楽観主義者ですね。見通しが明るすぎる。私は気分的にもうこれ以上、『待つ』ことに耐えられません」とお叱(しか)りを被った。
彼女の立腹の対象はロシアの不道徳だった。石油・天然ガス開発事業「サハリン2」にクレムリンが横車を押して経営権を強奪したり、反体制ジャーナリストを次から次へと殺す。近代国家ではとうてい考えられない蛮行を平気で繰り返す異常さへの痛憤だった。
≪スターリンの暴挙改めよ≫
この対談後、私はたまたま『フォーリン・アフェアーズ』誌に載った前ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ氏の一文を読んだ。当時のジュリアーニ氏は共和党大統領候補の一人としてキャンペーンを展開中で、同じ共和党ながらブッシュ政権第2期の外交に不満を抱いていたらしい。外交には「力」が結びついていなければ役に立たぬと当然の主張をしていたのだが、その「力」の内容はズバリ「軍事力、経済力、道徳」の3つだと明言していた。
いまさら砲艦外交でもあるまいが、ロシアや中国は明らかに軍事力を外交に直接投影し、それを隠そうともしない。が、日本には自衛力の強化が外交力の強化につながることを理解する政治家が何人いるのか。シーファー前駐日米大使は離任にあたって外国人特派員協会で講演し、過去10年間、米国、中国、ロシア、韓国が軍事費を増やしたにもかかわらず、日本の防衛費だけがGDP(国内総生産)比で減っているのはどういうわけかと首をかしげていた。
日本の外交上の切り札は、経済あるいはそれに関連する技術くらいのものであろう。だが、私はロシアが北方領土問題の原点でもある道徳的に劣った国であるとの指摘をやめてはいけないと考えている。ジュリアーニ氏は決して外交の専門家とはいえないけれども、道徳を欠いた「力」の外交がいかなるものかも知っている。上坂さんは「力」の重要な要素である道徳を最も問題にし、「北方領土問題の解決の道は、民主ロシアがスターリンの暴挙を“実績”と認めるのか、それとも暴挙を一新して先進国の態(てい)をとるのかにかかっているというのに、日本は一向に事件の核心に触れずにいる」と力説していた。
≪主権の切り売りは許せぬ≫
日本の外交官の中でも私が尊敬する一人、谷内正太郎政府代表が北方領土問題で、3・5島でもいいのではないかと毎日新聞紙上で発言したニュースは、私はワシントンで聴いた。その直後に空港で帰国の便を待っていた私は谷内氏と偶然会った。「自分の真意は毎日に正確に伝わらず、欧州など外国との関係が悪化し、天然ガスや石油価格の下落に見舞われたロシアをして日本を必要とする方向に持っていく戦略的外交が必要だ」と説く谷内氏の説明にさしたる違和感を覚えることなく帰国した。
家に着くや否や私は、谷内発言をめぐる議論に巻き込まれた。よく調べてみたら、発言記録の中に「私は3・5でもいいのではないかと考えている」が含まれていた。政府高官の発言としては国会における全党一致の決議を踏みにじるものでジャーナリズムが騒いで当然だろう。私は躊躇(ちゅうちょ)なく日本国際フォーラムの「対露交渉の基本的立場を崩してはならない」とする新聞用意見広告の代表署名者の一人に名を連ねた。
北方四島の面積を2分の1に分割する考え方は、麻生太郎首相が2006年の外相当時、毎日新聞のインタビューで述べ、さらに衆院での質疑応答で内容を明らかにした。当時、外務次官だった谷内氏に直接会って私は同志とともに抗議した。今年の2月に麻生首相はメドベージェフ大統領と樺太で会い、「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」で解決することに合意した。そのうえでの谷内発言である。地下で何かが動いているのであろうか。
当初は「返せ」の要求が「返してほしい」の要請になり、実力者に来日してもらえないかのお願いになった。あげくの果てに主権を切り売りするところまで日本外交は落ちていくのだろうか。道徳すら引っ込めたら日本は国家と言えるのか。(たくぼ ただえ)