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ニッポンのゆる~い日常

危機の時代に日本を取り戻す

2014-02-10 12:33:06 | 正論より
2月10日付     産経新聞【正論】より


危機の時代に日本を取り戻す   東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏


http://sankei.jp.msn.com/life/news/140210/art14021003420001-n1.htm



 今月は待望の立春・寒明けにすぐ続いて7日に北方領土の日といふ政治的に甚だ重要な記念日があつた。だがそれに又近接して11日の建国記念の日がくるのだから、多くの人の関心がこの国民の祝日の方により強く向ひがちであるのは致し方のないことだらう。


 まして本年は、昨年の出雲大社での60年ぶりの御遷宮、伊勢の神宮での第62回式年遷宮の重儀を無事に斎行し了(を)へた、その大きな節目の年を送つて後の初めての建国記念の日である。昨年末には神宮への参拝者が遂に史上空前の1400万人を超え、これは平成のおかげ参りだとの観測が諸方で語られてゐた。国民の関心は1300年の歴史を遡(さかのぼ)つて一際熱烈に神宮御創建の昔に寄せられた。そんな国民の共同体感情復活の延長線上に、神武天皇肇国(てうこく)の意味に改めて思ひを致すこの記念日が来る。





 ≪建国記念の日に考えたい≫


 今更言ふまでもないことだが、この日は元来神武天皇が御即位の式を挙げられた日だと古代の人々が考へた、皇紀元年正月元日を明治6年採用の太陽暦に換算してわりだした日付である。故に、制定時から昭和23年に米軍の占領政策の一環として廢止を余儀なくされるまでは紀元節と呼ばれてゐた。

 さうであるからには建国を記念するといふ祝日の意味に別段拡大解釈を施すまでもなく、この日は国民が挙(こぞ)つて祖国の歴史の長い歳月を顧み、いはゆる「歴史に学ぶ」ことの重要さを考へる日だと意味づけることは至當である。つまり單に式典を挙げて言祝(ことほ)ぐだけではなく国の歴史を真剣に考へ直す日としよう、との提案になる。


 念の為に記しておくが、考へたいのは国の歴史、国家と国民の歴史である。日本人の歴史好きは言ふまでもない周知の現象であり、書店には硬軟様々の歴史書や史伝の物語が堆(うずたか)く積まれ、旧劇の人氣演目はその殆(ほとん)どが歴史劇と呼ぶべきものであらう。国民の史癖に應へる情報の供給量は実際驚くほどに豊かで且(か)つ多彩である。





 ≪歴史を奪われた後遺症≫


 然(しか)しながら国民に光栄ある自国の歴史についての誇りと愛着を持たせるに足る古典的正統的な史書の普及の程を見渡してみると、依然としてかなり憂慮すべき状況にある。この様に言ふのは昭和20年の敗戦後7年近く続いた米軍の占領期に我々は自国の歴史を旧敵国の手に奪はれるといふ事態に陥つたわけだが、その後遺症を未だなほ克服できてゐないからである。


 その原因が我々に自虐史観の毒を植ゑつけ、撒(ま)きちらした占領軍の罪業にあるとは、今はもう言へない。その毒素を自分達の利権を揮(ふる)ふための方便として利用し続けた、国内の占領利得権相続人達にこの病弊の責任はある。


 占領利得者達の既得権濫用は、政治の領域に於(お)いては安倍晋三氏の政権への復帰、「日本を取り戻す」政策の始動以来漸(ようや)く抑制がかかり始めてゐる。その醜行が国益の毀傷(きしやう)としてさすがに輿論(よろん)の顰蹙(ひんしゆく)を買ひ、政治力としても力を失ひつつあるからであらう。


 故に、現政権に対しては、その掲げた標語通りに、占領によつて奪はれた我が国の歴史を再び我が手に奪ひ返すために、現に総理が確立しつつある路線を、揺るぎなく堅固に歩み通して頂きたいとの期待を表明しさへすればよい。問題は学界・司法界・経済界、そして報道・言論界である。





 ≪目に見えぬ規制基準の呪縛≫


 筆者の身近の学界で言へば、現今の国史学界にはなほ占領時代そのままのグローバリズム(世界諸国民に共通の普遍的価値ありとする迷信)とインターナショナリズム(国際協調主義といふよりむしろ国際共産主義革命への見果てぬ夢)が目に見えぬ規制基準として若い研究者達の自由な考察を呪縛してゐる。そのため我が国の歴史を万世一系の皇室を戴(いただ)く世界に比類の無い国体として把握する学説は暗黙の抑圧を受け、又歴史に学ぶといふことは即ち古来の国体を守り現実の国益と国防とを考へるための教訓だとする学問観は危険思想視され、排除されてきた。


 然し又一方、ここ数年の短い間に、この言論空間の閉塞(へいそく)状況を果敢に打破せんとする若い歴史家達が登場してきたことも紛れもない現実である。本欄は書評の欄ではないのでそれらのたのもしい著作家達の個人名を挙げることを控へるが、自ら戦争を体験してゐるわけではない戦後生れの世代の中から、安政の開国以後、さきの大戦での苦闘と敗北に至るまでの我が国の現代史の真実を、実に的確に公正に考察し、表現し得る若い歴史家が複数出現してゐる。


 考へてみれば、日本の正しい国史は鎌倉時代から幕末に至る迄、結局は民間の志士といふ型の逞(たくま)しい学者達によつて担はれ、書かれて来た。その伝統がこの危機の時代に見事に復活した観がある。

 本年の建国記念の日は、その様な、国家のため国民のための歴史を考へる潮流が復活したことを喜んで認識し、この新しい流(ながれ)を国民全般が支持し、蘇(よみがえ)つた国史観を軸に結束を固める記念日として祝ひたい。それが「日本を取り戻す」運動の王道である。(こぼり けいいちろう)












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ヒトラーと東条を同列視する愚

2014-01-30 09:04:41 | 正論より
1月30日付    産経新聞【正論】より



ヒトラーと東条を同列視する愚    防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140130/plc14013003110001-n1.htm



 いささか旧聞に属するが、昨年12月上旬、ドイツ・バイエルン州はヒトラーの『わが闘争』をめぐる騒動で揺れた。この独裁者は、ナチス・ドイツの無条件降伏直前の1945年4月末に総統官邸地下壕(ごう)で愛人とともに死を選んだ。出版元はミュンヘンにあったので戦勝4カ国はその著作権をバイエルン州政府に与えた。2015年末、この著作権期間が終わる。




≪発禁が解ける『わが闘争』≫


 ナチスの聖典は戦前、何百万部も発行された。が、戦後は一転、1冊も刷られていない。同州が禁じたからだ。ただ、著作権期間終了後は、法的に禁じられている悪意の宣伝を伴わない限り、誰でも出版できる。自由流通時代!?

 時刻表は既定なので、同州政府は令名高い「現代史研究所」に巨額の出版助成を提供し、厳密かつ詳細な学術的注釈つきで同書を出版するはずだった。興味本位の商業出版への対抗策として。ところが、州政府の態度が急変した。州学術相がイスラエルを訪問、意見交換の結果、いかなる形であれ公権力が同書出版に関与すべきでないと方針転換したのだ。かくなっては、現代史研究所は経費自弁ででも出版計画を進めるという。

 現実は複雑だ。これまでも外国では同書は出版されてきた。日本でも邦訳が文庫本で手に入る。古書の国外流通は止めようがない。私は昔、スイスの古書店で入手した。ネット検索してみる。出版ではないので、ドイツ語全文が難なくダウンロードできる。で、議論は混沌(こんとん)としてくる。どうせ、あと2年で『わが闘争』は自由流通する。学術出版なる良貨で悪貨を駆逐できるものか。いや、ネオナチの増殖が心配だ。馬鹿な、おつむの弱いあの連中がこんな分厚い本まで読むものか…。いずれにせよ、ドイツは頭が痛い。


 ここで話は一転する。

 昨年末の安倍晋三首相の靖国参拝には、中韓が、いや米国までもが敏感に反応した。年が明けると、北京の猛烈な反安倍キャンペーンが国際的に始まった。最も激越なのは、イスラエルの英字紙、エルサレム・ポストへの高燕平・現地駐在中国大使の1月21日付の寄稿、「ホロコーストを二度と繰り返させるな」だろう。





≪嘘も百回言えば真実の世界≫


 表題からはヒトラーのユダヤ殲滅(せんめつ)策を断罪したかのような予断が生まれるが、違う。同稿は本稿の倍近くの長文で、6割以上が日本非難だ。靖国に合祀(ごうし)されている東条英機を「アジアのヒトラー」と呼んだ旨は産経新聞が短く報じたが、その原文全体を読むと非難の執拗(しつよう)さに多くの日本人は驚倒しよう。あの世の東条もヒトラーも、これを読めばやはり呆(あき)れ、「奴(やつ)と一緒にされたのではかなわんな」と苦笑いするだろう。

 東条を弁護する必要はないが、両人は大きく違う。『わが闘争』とヒトラーの独裁は、この人物が天才的な悪魔だったことを物語る。東条は天才的軍人でも頭抜(ずぬ)けた悪党でもなかった。敢(あ)えていえば凡庸。魔書の著述もない。時代の弾みで戦時内閣を率いたが、戦争末期には交代、戦後、絞首台に消えた。その程度のことは、普通に歴史書に親しめば誰にでも分かる。問題は、中国のプロパガンダ機構の史実クソ喰(く)らえ姿勢だ。

 北京は怒るだろうが、中国のプロパガンダ戦法は何となくナチスのそれに似ている。ドイツ第三帝国プロパガンダの天才、ゲッベルス宣伝相が「嘘は百回も繰り返すと真実になる」と豪語したとか伝えられるが、よもや北京もそう思っているのではないでしょうね。




≪中国宣伝戦ゲッベルスばり≫


 ゲッベルスの嘘は主に国内向けだったが、北京の史実無視プロパガンダは、専ら国際社会向けである。この狡猾(こうかつ)さの意味は重要だ。今日、往時のドイツのナチズムと日本軍国主義の相違なぞ、日独以外の国の普通の市民には分からない。ナチズムとは何かは、勝利した米国さえ理解しなかった。戦後初期の米国のドイツ非ナチ化政策は噴飯物だった。米国はやがてそれに気付いたが、時の経過に連れて、戦前の歴史的体験も歴史的知識も摩耗している。嘘のような本当の話だが、イスラエルにもネオナチがいて政府は悩んでいる。だから真実とは無縁の政治宣伝がよく効く。このことに心すべきだ。

 中国は共産党一党支配国家だから、史実クソ喰らえの政治宣伝に国内からブレーキはかからない。国際的には良識ある歴史家以外には、日独両国民だけが事の当否を判断できるにすぎない。が、「東条はアジアのヒトラー」論でドイツが日本擁護の中国批判に立ち上がるはずはない。北京の宣伝で自国が損をするわけではないし、そのうえ、ドイツ国内には他国にはない『わが闘争』自由流通時代の到来という頭痛の種があるからだ。この問題では、われわれには自力対応しかない。

 いずれ駐イスラエル日本大使が前掲紙に反論を書くだろう。紳士の外務省では無理だから、私が尋ねる。中国の主張を裏返すと「ヒトラーは欧州の東条」だ。それでよいか。答えが然(しか)りなら、世界から対中ブーイングが起こる。(させ まさもり)














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今日の南シナ海は明日の尖閣だ 

2014-01-27 09:01:43 | 正論より
1月27日付 産経新聞【正論】より



今日の南シナ海は明日の尖閣だ  東海大学教授・山田吉彦氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140127/plc14012703190001-n1.htm



中国の海南省政府が1月1日、「中華人民共和国漁業法」に基づき、南シナ海の管轄海域内で操業する外国漁船は中国当局による許可を必要とするなど、漁業規制を強化する規則を施行した。「偉大なる中華民族の復興」を目指し、支配海域を着実に拡大するという中国の戦略の一環である。





 ≪漁業規制は既成事実化狙い≫


 中国は、領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせて300万平方キロ有するとしている。今回の規制強化海域はそのうち約200万平方キロに及び、1950年以降、南シナ海の海上境界線としている「九段線」の内側にある。

 だが、この海域はベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ブルネイ、台湾も管轄権を唱えていて、その範囲は154万平方キロにわたる。係争のない海域は44万平方キロにすぎない。


 中国の海洋進出の常套(じょうとう)手段は、まず獲得したい島々の領有を宣言して、領有の根拠となる国内法を整備するとともに周辺海域の調査を行い、次に中国海警局の警備船を使ってその法律を執行するというものだ。今回の南シナ海での漁業規制は、この法執行の既成事実作りが狙いだとみていい。

 法執行に当たっては、当初は警察権を前面に出すものの、次の段階では海軍や空軍を展開させてプレゼンスを高め、支配を既成事実化していき、領土もしくは管轄海域を手に入れるのである。


 南シナ海ではすでに、ベトナムやフィリピンが、歴史的に領有権を主張してきた島々を中国に占拠されている。1974年、ベトナムは中国の武力行使によりパラセル(西沙)諸島を失った。


 フィリピンが管轄下に置いてきたスプラトリー(南沙)諸島のミスティーフ礁は95年に、初めは中国の漁船が台風避難と称して入り込み、次にその漁民の保護という名目で中国海軍が侵入してきて、軍事拠点を構築している。

 2012年4月には、フィリピンのルソン島の約180キロ沖にあるスカボロー礁で、フィリピン海軍が中国の密漁船を拿捕(だほ)したところ、中国の警備船が現れて睨(にら)み合いとなり、その状況が2カ月間にわたって続いた。フィリピン海軍が荒天のため現場海域を離れたとたん、中国に占拠された。





 ≪「遠い所の出来事」に非ず≫


 フィリピンが国際海洋法裁判所に仲裁を仰ぐ提案をしたのに中国は拒絶し、現在は中国による拠点化が進む。中国はもとより和解など望んでいないのである。


 日本人の多くは南シナ海での動きを、どこか遠い所の出来事のように眺めているかもしれないが、そうではなく、東シナ海の近未来の姿になりかねないと捉えておくべきだろう。今日の南シナ海は明日の東シナ海ということだ。

 中国は、南シナ海で成功した手法を東シナ海でも適用してくるだろうからだ。日本は、南シナ海での動向を注視して事例に学び、東シナ海での備えを怠らないようにしなければならない。フィリピンやベトナムなどと協力して中国の南シナ海進出に効果的に対抗できれば、その東シナ海進出の出端(ではな)をくじくことも可能になる。


 東南アジア諸国連合(ASEAN)はこの17日に、ミャンマーで非公式外相会議を開き、名指しこそ避けながらも、国連海洋法条約を無視した、中国による力ずくの南シナ海進出に懸念を表明した。今こそ東南アジア諸国としっかり手を結ぶときではないか。

 現実に、東シナ海に浮かぶ尖閣諸島はすでに南シナ海の島々と同じ道をたどり始めている。

 中国はまず領海法を制定して尖閣を領土に組み入れ、周辺海域の調査を実施した。さらに、この海域に近づく日本漁船に対し、「ここは中国の領海内だ」と警告し、排除する姿勢を取っている。中国の法を執行している、つまり主権を行使しているという実績を積み重ねようとしているのだ。





 ≪生まれ育った国思う心を≫


 いずれ日本の漁船が拿捕される可能性も、逆に、日本が尖閣海域で不法操業する中国漁船を拿捕して、中国海警局の船が奪還に来る可能性も否定できない。中国が東シナ海に防空識別圏を一方的に設定したのは、いつでも空軍を展開できる、という意思表示だと心得ておかなければならない。


 尖閣周辺では、海上保安庁の巡視船が中国公船による接続水域侵入や領海侵犯に常時、対応している。中国が一線を越える日も想定しておくべきだろう。

 防衛省、海上保安庁は当然、準備を怠っていない。問題は国民の心構えである。中国での反日暴動や対日経済圧力を恐れてはいけない。毅然(きぜん)と対処することが重要である。厄介な問題をめぐるその場凌(しの)ぎの棚上げや譲歩が事態を悪化させてきたことを忘れてはなるまい。国家を信じ、中国の突きつける無理難題を克服する-。

 そして、その国家を最前線で守っている人々を孤立させないように、指導者は国民に現状を正しく伝え、理解してもらうことが肝要だ。今、日本の海を侵略から守るには、生まれ育った国を思う愛国心こそが必要なのである。(やまだ よしひこ)
















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米国は中韓にこそ「失望」すべし

2014-01-16 10:05:34 | 正論より
1月16日付     産経新聞【正論】より


米国は中韓にこそ「失望」すべし  

ヴァンダービルト大学 日米研究協力センター所長 ジェームス・E・アワー氏


http://sankei.jp.msn.com/world/news/140116/amr14011603130002-n1.htm


 安倍晋三首相が昨年12月26日、靖国神社に参拝したのを受けて、東京の米大使館はほぼ確実に国務省の指示で、「日本の指導部が近隣諸国との緊張を悪化させる行動を取ったことに米国は失望している」との声明を出した。



 ≪緊張悪化の張本人は誰か?≫


 日本のメディアの一部報道に反し、米国が日本指導層の行動を批判するのはさほど異例ではない。筆者が米国防総省にいた1979年から88年にかけて、米国は、ソ連の軍事的脅威の深刻度への日本の認識不足が防衛予算の不十分な増額などに反映されているととらえ、たびたび批判した。

 加えて、米行政府とともに特に一部の米連邦議会議員は、日本の「不公平」な通商政策と米国が称したものをしばしば厳しく(「失望」より強い言葉で)批判した。それはほとんど、日本政府のあるレベルが、米国民に米国製の車やテレビを買うより日本の自動車や家電製品を購入することを強要しているといわんばかりだった。

 これらの批判は二、三十年、そうした頻度で聞かれなくなっているがゆえに、首相の靖国参拝への米国の失望に関する声明は今や本当に異例だというのだろうか。

 むろん日中、日韓間の緊張に失望するという点で異存はない。だが、これらの緊張の原因は何かを慎重に考察することが極めて重要だ。以下を提示したい。



 ■安倍首相は衷心からであれ緊張を確実に増す行動は取るべきでないとする向きがある。


 この論評は一見、もっともらしい。しかしながら、誰が緊張を持続または増大させようとしているのか、そして誰が緊張を克服しようとしているのかという論点を巧みにはぐらかしている。


 日韓そして日中の間の緊張緩和は、安倍首相と大方の日本国民にとって歓迎するところだ。首相が12月26日に靖国に行っていなければ、韓国の朴槿恵大統領や中国の習近平国家主席は、今ごろは日本との関係を大いに改善する用意があっただろう、と本気で信じている者などいるだろうか?





 ≪日本という敵必要な共産党≫


 靖国神社に参拝しないことだけではない。韓国の指導者たちの多くが今日、竹島への領有権を放棄することはもちろん、慰安婦として中国に送られた韓国女性たちにもっと真摯(しんし)に何がしかの謝罪をすることに対しても、日本は不本意なのだと決めつけて、異を唱えている。日本人が竹島への主権の主張の合法性には説得力があると考えているのに、である。


 中国の対日関与の意思はさらに疑わしい。めざましい経済的台頭と相応する軍事能力増大にもかかわらず、中国は今なお中国共産党により支配されているというのが過酷な現実である。共産党は腐敗した権威主義的な振る舞いから人目をそらすべく、日本という敵を「必要」とする。その振る舞いこそが近隣諸国を脅かし、中国国民のために礼節あれと望む全ての人を「失望」させている。



 ■安倍首相は靖国神社に行くことで合祀されているA級戦犯を崇拝しその栄誉を称(たた)える。


 12月26日の首相の発言にも、神社内の鎮霊社も訪れた当日の行動にも、日本国天皇や幾多の首相、他の幹部指導者たちが謝罪を重ねてきたA級戦犯や他のあらゆる兵士たちの行為を、いささかでも称えるようなものは表れていない。米国のアーリントン国立墓地には米指導者たちが後に謝罪した奴隷制やその他の行動に関わった兵士たちの遺骸(靖国にそれはない)も収められているのだ。



 ■韓国や中国の指導者には、安倍政権の行動は1930年代の軍国主義への危険な回帰を映しているとまで言う者もいる。




 ≪「積極的平和主義」評価を≫


 これらの指導者のうち、安倍首相がどんなに長く在職しようと、自国領土の1センチでも日本に攻撃される可能性があると現実に恐れている者は一人でもいるだろうか。北朝鮮指導者は心配していると言うかもしれないが、私は、ソウルや北京の責任ある指導者がそうした懸念を抱くことなど本気で疑うし、ワシントンでは誰もそう感じていないと確信している。



 米国政府は安倍首相に失望の念を表すべきだろうか。米国は独立国としてそうする権利がある。しかし、慎重に考察すれば、1952年から2014年までの平和愛好国としての日本の実績を認めたがらない姿勢を示す韓国に、そして、とりわけ中国の声明や行動に対して、最低でも同等の(言わせてもらえれば、もっと大きな)失望感が向けられる必要がある、ということが見えてくる。


 そして、米国が東京に失望感を表明するのであれば、米国の指導者たちには少なくとも安倍首相の試みを高く評価してもらいたい。首相は、腰が引けて時に非現実的である日本の反戦平和主義を、もっと積極的な形に変えようとしている。それは、米国が60年以上にわたって日本に採用するよう奨励してきたことでもある。









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今こそ、福澤の「脱亜論」に学べ

2014-01-10 11:03:55 | 正論より
1月10日付     産経新聞【正論】より


今こそ、福澤の「脱亜論」に学べ  拓殖大学総長・渡辺利夫氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140110/plc14011003060002-n1.htm



 歴史は循環するものだとつくづく思う。現下の極東アジア情勢は、開国・維新から日清・日露戦争にいたるあの時代の「生き写し」ではないかと思わされるほどである。往時の極東アジア地政学を慧眼(けいがん)のオピニオンリーダーがどう捉えていたのか、その言説が現時点から振り返っても正鵠(せいこく)を射たものであれば、現在のわれわれがどう立ち居振る舞うべきかをその中に読み解く、そういう知的営為を欠かすことができない。



 ≪亡国の危機背に書いた言説≫


 国際情勢判断に寸分の狂いでもあれば亡国につながるという緊迫の状況下で書かれた言説こそが、危機の時代にあってなお幻想的なポストモダニズム気分を拭うことのできない日本の世論をまっとうなものとする唯一の方法にちがいない。日本の領域を侵犯し、日本人の歴史認識に刃向かう中国、韓国を眼前にしていると、明治18年、福澤諭吉がみずから創刊した『時事新報』に「脱亜論」を執筆したときの気分が私にもわかるような気がする。


 アヘン戦争以来の列強による「西力東漸(せいりょくとうぜん)」の危機が迫る中にあって、李朝末期の朝鮮は政争と内乱に明け暮れ、文字通りの「末期」的症状を呈していた。始末の悪いことに朝鮮は清国との服属関係(清韓宗属関係)にあり、内乱に際しては宗主国清に派兵を要請して事を収めるという体たらくであった。清国はといえば、もう一つの属邦ベトナムをフランスによって侵犯されながらも、大量の兵を朝鮮に派することを辞さない。


 ここで、福澤は朝鮮の自主独立をめざす開化派への支援の思いを深める。多数の朝鮮留学生を慶應義塾に受け入れ、門下生を朝鮮に派遣してハングル紙『漢城周報』を刊行。密(ひそ)かに開化派への武器供与をも企てた。朝鮮が清国との服属関係を断ち日本の明治維新にならう近代化を成し遂げねば、列強の餌食となることは火を見るより明らかだと語り、そうなれば日本も危うい。「我(わが)ためには恰(あたか)も火災の火元を隣家に招きたるものにして、極度の不祥を云(い)えば日本国の独立も疑(うたがい)なきに非(あら)ず」。脱亜論に先だつ明治14年に福澤はそう予言していた(『時事小言』)。




《開化派敗れ清と朝鮮に憤激》


 しかし、開化派による守旧派打倒のクーデターが清兵の介入によって「三日天下」に終わり、首謀者が日本に亡命するという惨たる事実が明らかとなった。ここで福澤は脱亜論をもって清国と朝鮮に対する憤怒を露(あら)わにしたのである。「我輩を以(もっ)てこの二国を視(み)れば、今の文明東漸の風潮に際し、迚(とて)もその独立を維持するの道あるべからず」といい、ならばわが国は「寧(むし)ろその伍(ご)を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之(これ)に接するの風に従て処分すべきのみ」と断じた。


 清韓宗属関係の切断を狙って日本が清国に挑んだ戦争が日清戦争であり、これに勝利して日本は朝鮮と大陸への地歩を得る。しかし、日本が清国から遼東半島の割譲を受けたことに反撥(はんぱつ)したロシアが独仏を巻き込んで三国干渉の挙に出た。このロシアの南下政策に抗する日露戦争に日本は国運を賭して戦い、これにも勝利して列強の一角を占めたのである。


 日本の近代史の序幕に福澤という言論人を得たことの意味はまことに大きいといわねばならない。福澤の脱亜論が日本のアジア侵略の理論的先達であるかのごとき愚論がいまなお語られているのは、驚くべきことである。自国の存亡を賭して血を吐くように絞り出された脱亜論の文章を、後世のイデオロギーで断罪しようというのは、ただの知的退嬰(たいえい)である。




 《中華帝国と韓国の事大主義》


 中国の海洋への膨張が著しい。防空識別圏なるものが尖閣諸島を巻き込む形で設定された。「中華民族の偉大なる復興」が近年の中国のスローガンである。史上最高の栄華を極め、最大の版図を築いた清(大清帝国)への回帰願望の表出である。現在の中国は新帝国主義国家へと変貌した。

 この事実を目の当たりにした韓国が、朝鮮に伝統的な「事大主義」(大に事(つか)える思想)への先祖返りを鮮明にしつつある。中国に寄り添いつつ日本を貶(おとし)める反日シンドローム国家へと韓国は変じてしまったのであろう。アヘン戦争以来の「失われた歴史」を回収して新帝国を築かんとする中国の意図、朝鮮の事大主義への強い傾斜は、いずれも伝統への回帰であって、そのベクトルは強靱(きょうじん)である。

 支那、朝鮮への対応は「正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ」と福澤はいうのだが、現在の文脈でいえば、抑止力を背後に擁して外交に臨むのでなければ何ごとも解決しない、という意味に他ならない。日米同盟における集団的自衛権行使容認は喫緊の課題である。福澤の「生存リアリズム」の再興、これこそが今年の日本の最大のテーマでなければならないと思うのである。(わたなべ としお)









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首相は今後も堂々と参拝重ねよ

2013-12-27 08:49:50 | 正論より
12月27日付      産経新聞【正論】より



首相は今後も堂々と参拝重ねよ    国学院大学名誉教授・大原康男氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131227/plc13122703090002-n1.htm



 ≪政権発足後1年の“壮挙”≫


 正月まで1週間足らずというところで、驚きのニュースが飛び込んできた。安倍晋三首相が靖国神社に参拝したのである。平成18年8月に小泉純一郎首相が参拝して以来、実に7年ぶりであり、第2次安倍政権の発足からちょうど1年という節目である。


 つらつら思い起こせば、平成8年7月の橋本龍太郎首相の例外的参拝を除いて18年間も途絶えていた首相の靖国神社参拝の再開を、小泉首相は目指し、その意を体して再開への道筋を苦労して整えたのが当時、官房副長官の安倍氏だった。そして、小泉氏の後継者となりながら、参拝を中断してしまったことを「痛恨の極み」と嘆いた安倍首相である。第1次政権からの懸案をようやく果たしたことで安倍氏が味わっている安堵(あんど)感もひとしおではないか。


 安倍首相は、今年の春季例大祭には靖国神社に真榊(まさかき)を奉納し、終戦の日の8月15日には、萩生田光一・自民党総裁特別補佐を名代として参拝させて玉串料を奉納するなど着々と参拝への布石を打ってきたにもかかわらず、多くの期待が寄せられた秋季例大祭では、参拝を見送って再び真榊を奉納するにとどまっている。それだけに、年末ぎりぎりになっての参拝には確かに多少の違和感を覚える向きもあるかもしれない。

 しかし、真榊や玉串料の奉納程度のことに対しても、中韓両国からはお定まりの批判が寄せられてきた。しかも、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)加盟交渉や特定秘密保護法の制定といった難題を背負ったりこなしたりして、あれほど高かった内閣支持率が低下しつつある中での参拝である。秋の例大祭直前の本欄(10月11日付)でも、首相の参拝を求める一文を草していた筆者としては、遅ればせながらとはいえ、今回の参拝を“壮挙”として評価することにやぶさかではない。

 ところで、第2次安倍政権を、発足以来一貫して「極右政権」と罵倒してきた近隣2カ国のうち、韓国では朴槿恵大統領の非礼・不見識な反日言動にようやく批判的な声が出始めているという。そうした空気の変化を反映してか、有力紙の1つ、朝鮮日報の日本語版(12月8日付)には次のような注目すべき一節がある。





 ≪中韓はアジアの「仲間外れ」≫


 〈韓国・中国と同じく第二次大戦で日本の侵略を受け、かつ現在進行形の「従軍慰安婦」問題を抱え「反・集団的自衛権戦線」に加わって当然のフィリピン、タイ、マレーシア、インドネシアなど東南アジア諸国が集団的自衛権を言い換えた「積極的平和主義」を支持しているのは、ショッキングだ。これらの国々すら日本の肩を持っていることから、集団的自衛権の問題で韓国と中国はアジアの「仲間外れ」になった〉


 中国はともかく、韓国が「第二次世界大戦で日本の侵略を受け」たというのは、お得意の歴史の歪曲(わいきょく)といわねばなるまいが、何よりも興味深いのは、戦後に靖国神社に参拝した外国人の中に、フィリピンをはじめ4カ国の人々がそろって入っていることである。



 このほかにも、インド、パキスタン、スリランカ、ミャンマー、さらにはイラン、トルコなど中東諸国からの参拝者もいる。靖国神社参拝の問題でも、「韓国と中国はアジアの『仲間外れ』になっ」ているのだ(ちなみに外国人による靖国神社参拝の歴史で記録上、最も古いのは、明治20年9月のタイ国王の弟、デヴァウォングセ外相の参拝であるという)。






 ≪「A級戦犯」合祀批判に反論≫


 周知のように、今日、首相や閣僚らによる靖国神社参拝の最大の障害になっているのは、憲法の政教分離問題(最高裁判決で決着ずみ)ではなく、いわゆる「A級戦犯」合祀(ごうし)問題である。これに対する中国の言い分については繰り返し反駁(はんばく)してきたので、これ以上は触れないが、韓国の主張に関しては少し補足しておく。


 韓国が「A級戦犯」合祀を材料に靖国参拝に反対しだしたのは、中国がこの問題を取り上げた昭和60年の中曽根康弘首相の参拝からかなり時間がたってのことだ。そのころだったと思うが、韓国のテレビ局から、この点でコメントを求められたときに、次のように答えたと記憶している。


 「先の大戦で韓国の人々は私たち日本人とともに、後に東京裁判を設ける連合国と戦ったのではないですか。戦時下の朝鮮総督であった小磯国昭元首相はともかく、『A級戦犯』合祀を一括(くく)りに批判するのは納得できませんが…」


 これには一言も返ってこなかった。ささやかな反論だが、政治家の方々は、靖国参拝についてその都度、それ以上にきちんと対応すべきであろう。かつて王毅駐日中国大使にこの点を糺(ただ)されて、安倍氏が、元「A級戦犯」の重光葵外相が復権し国連総会で演説した事実を紹介したところ、大使は絶句してしまったと聞く。

 「痛恨の極み」を晴らした首相に切に望む。どうか今回の参拝を貴重な出発点に今後も堂々と参拝を重ねられんことを。(おおはら やすお)

















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秘密保護法への不安煽った朝日

2013-12-26 22:52:29 | 正論より
12月26日付     産経新聞【正論】より


秘密保護法への不安煽った朝日   高崎経済大学教授・八木秀次氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131226/plc13122603440004-n1.htm




 ≪常軌を逸しプロパガンダに≫


 特定秘密保護法への根拠のない不安が広がっている。内閣支持率も10ポイント以上下がった。先日もテレビのワイドショーが、東京・巣鴨の街頭で70代女性の「特定何とかという法律、怖いわ」と答える映像を流していた。内容を知っているとは思えないこの女性を含め国民が同法に不安を覚えるのは、一部の新聞が反対の大キャンペーンを張ったからだ。代表格、朝日新聞の報道は常軌を逸していた。



 同法が国会で成立した翌日の7日付同紙朝刊は、1面が「秘密保護法が成立」の白抜き横の大見出し、2面も「数の力 強行突破」の白抜き横見出し。第1社会面は「反対あきらめぬ」の白抜き横大見出し、「『廃止する活動 始めよう』」の縦見出しに、「怒り 列島包む」として全国5カ所の反対運動の写真を掲載している。大勢集まったようには見えないのに…。第2社会面に至っては「戦中に戻すな」の白抜き横大見出しに「『国民同士監視 怖いんだ』」の縦見出しといった構成。異様な紙面づくりである。



 8日付朝刊1面コラム「天声人語」も「戦争に駆り立てられる。何の心当たりもないまま罪をでっち上げられる。戦前の日本に逆戻りすることはないか。心配が杞憂(きゆう)に終わる保証はない。おととい、特定秘密保護法が成立した」と情緒的に読者の不安を煽(あお)る。


 しかし、よく読むと、言葉の威勢はよいが、根拠は希薄だ。


 3日付朝刊は「秘密漏らせば民間人も処罰」と題してシミュレーションを載せた。防衛省から紙ベースの記録を電子化してデータベースにしてほしいという依頼を受けた民間会社はその際、厳重な守秘義務を課せられた。記録一式が「特定秘密」に当たるという。だが、担当した航空機マニアのシステムエンジニアが、資料の中にあった研究開発中の航空機設計図や性能試験の詳細について、航空機マニアの会議でつい口を滑らせてしまう。と、仲間の一人が秘密情報をブログに書き、ネット上で瞬く間に拡散して防衛省の気づくところとなり、システムエンジニアが処罰されるという内容だ。





 ≪既存法違反の事例まで動員≫


 言うまでもないが、これは、これまでの法律でも処罰されるような案件だ。明らかに守秘義務違反だからだ。しかし、朝日は特定秘密保護法ができれば、「民間人も処罰の対象になる」と警告する。こんな社員がいるような企業に防衛省は仕事を発注できない。守秘義務を守らない企業と取引のある防衛省に、米国防総省もまた情報を提供できない。当たり前だ。


 6日付朝刊も「規制の鎖 あなたにも」「懲役10年 民間人でも厳罰」との見出しで以下のようなケースを紹介している。「防衛産業」(防衛省関係か?)の研究員が酒席で、大学の同窓生に北朝鮮のミサイル情報を漏らす。同窓生がやはりブログで書き、他の防衛マニアがそれを分析してネットで流布してしまう。そのため研究員と同窓生は捜査機関に事情聴取されるというものだ。これまた既存の法律でもアウトの案件だ。言葉は踊るが、中身に根拠はなく、プロパガンダというほかない。


 朝日は特定秘密保護法の制定を機に安倍政権批判にシフトチェンジしたように見える。第1次安倍政権では、同社幹部が「安倍の葬式はうちで出す」「安倍叩(たた)きはうちの社是」と述べたとの話もある(小川榮太郎『約束の日』=幻冬舎)ほど政権と全面対立した。



 それが、今年2月初め、朝日の記者から会ってくれとの電話があって、記者は会うなり、「朝日は安倍政権と対立しないと決めた」と言う。第1次政権で対立してお互いに何もよいことがなかった。だから今度は是々非々で行くというのだ。理由を聞くと、第1次政権で対立して部数を相当落としたとのことだった。





 ≪憲法改正反対視野の前哨戦≫


 その後の論調は、記者の言った通り、極めて穏健なものだった。ひどく責め立てる主張はなく、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)や消費税増税では歩調を合わせさえした。しかし、逆にコアな読者に、不評を買って東京新聞や共産党のしんぶん赤旗に移られるなどして、部数を落としたという話もある。


 しかし、ここに来て是々非々の姿勢さえやめたようだ。原点に戻ったのである。視野に置いているのは憲法改正だろう。


 近い将来の最大の課題が改憲であることは衆目の一致するところだ。安倍政権が続けば、改憲が実現してしまう。ならば倒せということだ。17日に閣議決定した「国家安全保障戦略」についても、18日付社説で「9条掘り崩す」「軍事力の拡大ねらう」と一方的に批判。中国の脅威を背景に改憲の是非をめぐる熾烈(しれつ)な攻防戦が始まったと見るべきだろう。


 朝日の論調を侮れないのは、テレビのワイドショーでそれに合わせた番組作りをするところが少なくなく、ワイドショーが世論を作るからだ。冒頭の女性はその象徴だ。安倍政権にはこれらに抗すべく戦略的対応が求められる。(やぎ ひでつぐ)














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首相は英霊の加護信じて参拝を 

2013-12-25 10:24:46 | 正論より
12月25日付     産経新聞【正論】より



首相は英霊の加護信じて参拝を    日本大学教授・百地章氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131225/plc13122503100002-n1.htm



 案の定、危惧した通りのニュースが目に入ってきた。「靖国参拝、年内見送りの公算=対中韓関係を考慮-安倍首相」と題する時事ドットコムの記事(12月21日)だ。それによれば、安倍晋三首相周辺は「首脳会談実現には、首相が靖国を参拝しないことが不可欠だ」と強調し、菅義偉官房長官も首相の参拝には「慎重な立場」(政府関係者)だ、とある。




 ≪戦没者慰霊と歴史認識は違う≫


 首相周辺と言っても、「体を張ってでも阻止する」と豪語している秘書官もいれば、「ぜひ参拝」をという推進派もいると伝えられるから、これが参拝阻止のための「飛ばし記事」である可能性は否定できない。それに対中韓関係配慮といっても、おのずから限度がある。いくら配慮しても中韓両国が一向に歩み寄りを見せない以上、もはや配慮など無用であろう。それに、「歴史カード」を切り続けたい中国が、この問題で簡単に引き下がるはずがない。


 首相周辺が懸念するのはむしろ米国の意向ともいう。しかし、米国の主張は中韓関係に配慮をとの趣旨だから、これも疑問だ。いうまでもなく、靖国神社はわが国における戦没者慰霊の中心施設である。それ故、首相が国民を代表して靖国神社に参拝し、国のために殉じられた戦没者に対し感謝と慰霊の誠を尽くすのは当然のことであって、本来、政治的配慮などとは無縁なはずだ。今こそ、この本義に立ち返るべきではないか。


 アーリントン米国立墓地には先の大戦やベトナム戦争の戦死者も埋葬されている。もちろん、わが国の首相はいつも同墓地に参拝しているが、仮にベトナム政府から大統領の戦没者追悼式参列に抗議があったとしても、それを理由に参列を躊躇(ちゅうちょ)する米大統領などいまい。というのは、戦没者の慰霊・追悼と戦争に対する歴史評価とは次元が異なる問題だからだ。


 また、ケビン・ドーク米ジョージタウン大教授によれば、同墓地には、南北戦争で奴隷制度を守るために戦った南軍の将校も埋葬されているという。しかし、アーリントン墓地に参拝するオバマ大統領が奴隷制度を肯定しているはずがない。わが国内法上、いわゆるA級戦犯など存在しないことはもちろんだが、もし米国から批判があれば、この例を引き合いに出して反論すれば済むことであろう。





 ≪戦前戦後通じ諸外国から参拝≫


 国際社会においては、旧敵国同士であっても、互いに自国のために戦った戦没者の勇気を称(たた)え、敬意を表する。それが国際儀礼であり、常識というものである。

 このことは、創建以来、140年以上におよぶ靖国神社の歴史を振り返ってみれば明らかだ。『靖国神社百年史事歴年表』などによれば、明治20年にシャム(現在のタイ)国王の弟である外務大臣が参拝して以降、大正から昭和にかけて、靖国には米英仏露をはじめ世界各国から元首、大使、軍隊などが毎年数多く参拝してきた。


 特に興味深いのは、満州事変の翌年(昭和7年)国際連盟のリットン調査団が来日した折、英リットン卿、クローデル仏将軍、マッコイ米将軍ら一行が揃(そろ)って同神社を参拝していることである。英武官や米軍艦の艦長ら一行などは、先の大戦の開始前、昭和14年頃になっても参拝を続けている。


 さらに、戦後も、昭和21年にはGHQ(連合国軍総司令部)の空軍士官が参拝、昭和30年代以降になると、旧連合国やアジア諸国からも多数の要人たちが参拝を行っている。昭和60年、中国による「A級戦犯」合祀(ごうし)批判が起こり、中曽根康弘首相が参拝を取りやめた後も、各国からの参拝は変わらず、米国からも空軍横田基地副司令官や海軍横須賀基地司令官など軍幹部が参拝を続けてきた。



 中韓両国についていえば、わが国の小渕恵三首相らが中国の人民英雄記念碑に献花し、2006年には安倍首相が国立ソウル顕忠院に参拝している。にもかかわらず、中韓両国は靖国神社に参拝しないのだから、これこそ国際儀礼に反する。それどころか、両国は首相の靖国神社参拝まで批判してくるのだから、内政干渉も甚だしい。なぜこのような理不尽な批判に、わが国がいつまでも甘んじ続けなければならないのか。





 ≪246万余柱の後押しあり≫


 安倍首相には、経済対策だけでなく、「戦後レジームからの脱却」の本丸「憲法改正」が控えている。そのためにも長期政権は望むところだが、それはあくまで手段ないし結果であって、長期政権自体が目的であってはなるまい。

 講和独立後の長期政権のうち、佐藤栄作首相の在任期間は8年だったが、その間に11回靖国神社を参拝している。また、中曽根首相と小泉純一郎首相の在任期間は5年だが、参拝の回数は10回と6回である。参拝回数が多かったから長期政権となったのか、その逆かは分からないが、小泉首相の後、毎年交代した首相が一度も参拝していないのは象徴的である。

 安倍首相には、246万余柱の英霊の加護と後押しがあることを信じ、年内にぜひとも参拝していただきたいと念願している。(ももち あきら)








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朱子学の影引きずる朴氏の反日

2013-12-05 11:55:02 | 正論より
12月5日付    産経新聞【正論】より


朱子学の影引きずる朴氏の反日   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://sankei.jp.msn.com/world/news/131205/kor13120503140001-n1.htm



 わが日本国では、正当性と正統性を区別するのが難しい。「これが正しい!」と、正当であることを信じるのが正当性だ。だから異端からも正当な権力は生まれる。16世紀ごろまで、カルヴァン派はキリスト旧教にとって異端だったが、ここから当時のジュネーブの新教政権が出てくる。ゆえに、今の中国の「防空識別圏」も注意しなければならない。国際的異端者による正当性の主張だからだ。




 ≪異端ではないとの証求めて≫


 正統性はそうではない。「どちらが正しいか。こちらだ!」という選択を経て、選ばれたものが正統で除かれたものが異端である。韓国の朴槿恵政権の苦悩はここにある。韓国は対日独立戦争をしていない。日本統治時代は自然に始まり自然に終わった。北朝鮮の金日成氏は負け戦だったが、日本軍警と東満州で一応戦っている。

 国家の正統性は北朝鮮にある、と韓国の左翼政党や左翼教員組合は攻撃する。朴氏は自らの正当性を確保すべく、彼らを非合法として裁判に訴えた。同時に自分が異端でないことの証として反日を連呼する。慰安婦の像や碑を米国に建て続ける韓国系移民も同様だ。自分たちは国を捨てた異端ではないと故国に弁明しているのだ。

 こういうのは日本人にとっては迷惑千万である。日本では正統とか異端とか区別しない。神道と仏教はみごとに習合し、今ではキリスト教式で結婚式をしたりする。江戸の儒者たちも寛容だった。


 朱子学は南宋の朱子が作った儒教で、本来は排他性が強い。北方民族が攻めてきているし、朱子の住む中国南方では民衆は道教を拝み、仏教で葬式していた。それらはみな異端、儒教こそ正道だ、というのが朱子学の主張である。

 朱子学が江戸時代に普及し、儒者の伊藤仁斎などはこれを消化しようと29歳で引きこもりになり、8年たって世に出て塾を開いた。出てきてもやはり日本人だった。弟子が「先生、人の道とは?」と問うと、「情けじゃ」と答えた。「天理とは?」と尋ねると、「おてんとうさまじゃ」と語った。




 ≪正統コンプレックスの極み≫


 儒教立国した李氏朝鮮は苛酷である。元々排他性の強い朱子学を厳格に実践、仏教を弾圧し仏像の首をはね寺を壊し茶園を枯らし、僧侶を山に追いやった。法事など禁止だ。儒教の祭祀(さいし)をさせ、3年の喪に服さない民を捕らえ棍棒(こんぼう)で打ちすえた。異端になれば酷(ひど)い目にあうと彼らは骨身にしみた。

 だから韓国人は自らの歴史から学び続ける。「剣道も茶道もうちが正統で日本が亜流。孔子さまも韓国人、中国人ではない」。周りの国々が唖然(あぜん)とするウリナラ起源説をとうとうと述べる。これぞ正統性コンプレックスの極みだ。


 中国はそもそも朱子学が合わなかったので、陽明学の方が広まった。王陽明先生に弟子が意見を聞く。「先生、私はぜひとも古代の音楽を復元したいと思います」。先生はおっしゃる。「うん、しなくていいよ。それは全部、君の心の中にあるのだ」。これが陽明学の「心即理」である。思っているものは実在する。防空識別圏も、中国人が思ったわけだから、実在することになりかねないのだ。


 自己中心の彼らに怒りを浴びせたのが、後に清朝を建てた満州族のヌルハチだった。満州語では中国をニカン国、朝鮮をソルホ国と呼ぶ。ニカン国は「天下の主だ」と思い、ニカン人は毎年越境して略奪する。ソルホ国はわが国の国書の受け取りを拒否し侮蔑する。満州族のハーンは二代にわたり遠征して、両国を攻め滅ぼした。竜の衣はシナの皇帝にしか着られない。清朝ではこれをすべての役人に着せ、ニカン人を侮辱した。





 ≪朝鮮の伝統「告げ口外交」≫


 李氏朝鮮は、明国は滅んで野蛮人の清朝になってしまったのだから、明の正統性を継ぐのはわれわれだと解釈した。そこで「大明国の東の壁」と自称し、清朝から流れ込む文化を悉(ことごと)くはねつけた。

 李氏朝鮮の国内では、両班たちが朱子学の正統性を争っていた。朱子学の解釈権を握り、科挙の試験官を自派で占める。合格者は官僚になって、学閥は権力を手に入れる。儒者の塾は棍棒で武装し、敵方の打ち壊しまでした。朝鮮史では、これを「党争」という。

 三年喪や祖先祭祀など、朱子学の礼の実践ばかりした李氏朝鮮では、経世済民を考える暇がない。流浪の民が居ついた地方の知事が良い知事である。土地には所有権がなく、村には村界がなかった。町には民のための商店もない。


 そこに、今度は近代化した日本がやって来た。南下するロシアに対する安全保障として朝鮮を統治し、開発する必要があった。手の施しようもない李朝の王は臣下たちに丸投げし、諸外国に日本のことを「告げ口」して回った。朴槿恵氏の「告げ口外交」のように、上位者に悪口を言いまくることを韓国語でイガンヂル(離間事)といい、離間が目的である。韓国人同士が毎日国内でやっている。

 中国人も韓国人も世界史から学ばず、確かに自国史から学んでいる。彼らには「卑劣」ということが分からないのはそのためだ。(ふるた ひろし)









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中国がつく尖閣「棚上げ」の嘘

2013-11-13 09:20:44 | 正論より
11月13日付      産経新聞【正論】より


中国がつく尖閣「棚上げ」の嘘    大阪大学大学院教授・坂元一哉氏


http://sankei.jp.msn.com/world/news/131113/chn13111303110002-n1.htm



 嘘も百回いえば、嘘ではなくなる。たぶん、それを狙っているんでしょうね。まあいちいち腹を立てても仕方ありませんが、国際政治の世界では、本当のことでも百回いわないと、本当だと思ってもらえないことがあるので、気を付けなくてはいけません。




 ≪真実語って「倍返し」せよ≫


 尖閣諸島に関する中国の執拗(しつよう)な宣伝活動について、ある外務省OBがそうコメントしていた。たしかにその通りだろう。

 先月、北京で行われた日中平和友好条約35周年を記念する有識者フォーラムでも、挨拶(あいさつ)に立った唐家セン元中国外相が、尖閣諸島をめぐる日中対立の責任は、40年間の「棚上げ」を破った日本側にある、とする中国政府お得意の主張を繰り返したそうである。明らかな嘘だが、ああまたおかしなことをいっている、と聞き流すのはよくないだろう。

 むしろ「倍返し」にするぐらいの気持ちで本当のことを繰り返し述べるべきである。尖閣諸島をめぐる日中対立の責任は、40年前の「棚上げ」を破った中国側にある、と。


 むろん、こちらからそういうときには、40年前の「棚上げ」の意味を明確にする必要がある。1972年の日中国交回復時に存在したと中国政府が主張する「棚上げ」は、尖閣の領有権を問題にしない「棚上げ」だったことを、である。

 中国政府が尖閣の領有権を問題にしないという態度をとったので、それは日中国交回復交渉の議題にならなかった。


 中国側の考えを尋ねた田中角栄首相に対して、周恩来首相は、「今回は話したくない」と述べ、さらに、これは海底に石油があるらしいから騒がれているだけだ、という趣旨のことを付け加えている。




 ≪問題にしないとした周恩来≫


 中国政府はいまでこそ、尖閣の領有権は、台湾、チベット並みの中国の「核心的利益」だといわんばかりの態度を見せている。だがそれは日中国交回復時の周恩来首相の態度とは、まったく異なる。

 尖閣を問題にしないという中国政府の態度に、日本政府はとくに異議を唱えなかった。これは政治的にはもちろん、国際法的にも賢明な態度だったと思われる。


 数年後、トウ小平の時代になってから、中国政府は日本に対し、尖閣の領有権を問題にするよう求めはじめる。領土問題の存在を認めたうえで将来世代に解決を任せる、という「棚上げ」である。日本政府がそれを受け入れるはずはなかった。

 だが中国政府は、92年に尖閣諸島をも領海に含む領海法を制定。領有権を問題にする「棚上げ」を求める姿勢を明確にした。


 それは国際法的にまったく無理な姿勢というしかない。というのも、もし中国政府が尖閣の領有権を問題にしたいのであれば、それは、日中国交回復時にすべきものだったからである。


 中国政府は、尖閣諸島は日本が日清戦争で中国から盗んだ島だと主張する。盗まれたのならなぜその後、70年代になるまで、75年間も黙っていたのか不思議だが、ともかくそう主張する。

 そしてその主張を前提に、そういうものを返すよう要求した第二次世界大戦中のカイロ宣言、そしてそのカイロ宣言の実行を求めたポツダム宣言に従って、中国に返還すべきである、という理屈を立てている。


 だが尖閣は、日本が中国から盗んだ島ではない。それが明らかだからこそ、サンフランシスコ平和条約の領土処理で尖閣諸島は、ポツダム宣言にいうところの、連合国が決定する「諸小島」の一つとして、日本に主権が残ったわけである。





 ≪復交時に求めず、いまさら…≫


 中国はサンフランシスコ平和条約に署名していない。サンフランシスコ市で講和会議が開かれていたときには、国連軍と朝鮮戦争を戦っており、国連からは侵略者の烙印(らくいん)を押されていて、会議には呼ばれなかった。中国政府がこの平和条約を認めない、と主張することは可能かもしれない。

 だが、その場合、中国政府はいつ、戦時中のカイロ宣言とポツダム宣言に基づいて、尖閣諸島を中国に返せ、と日本に要求することができただろうか。

 それは中国が日本との間で戦後処理を行い、国交を回復した72年しかあるまい。その時に要求しなかった(問題にしなかった)ものを、いまさら要求されても(問題にされても)、まじめに聞く耳を持ちようがない。

 中国政府には、72年の日中共同声明第1項をよくかみしめてもらいたいものである。そこには、こうある。

 「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する」

 中国政府の要求は、「不正常な状態」の終了を宣言するこの第1項に反し、日中間の戦後秩序を破壊することにもつながりかねないのである。(さかもと かずや)










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