goo blog サービス終了のお知らせ 

lurking place

ニッポンのゆる~い日常

「棚ぼた式独立」の傷うずく韓国 

2013-11-08 11:37:27 | 正論より
11月8日付    産経新聞【正論】より



「棚ぼた式独立」の傷うずく韓国    筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://sankei.jp.msn.com/world/news/131108/kor13110803060000-n1.htm



 つい最近まで日本人の多くが、日本が植民地時代に悪いことをしたので韓国人が怒り続けるのも無理はないと思っていた。左派メディアもこの基本線で報道をしていた。どうも違うようだ、とようやく気づき始めたのが今である。




 ≪「戦争勝利」抜きの劣等感≫


 韓国の反日は、日本が何をしようがしまいが激化していく。領土問題では奪われた方が騒ぐのが普通だが、奪った方が大騒ぎしている。李明博前大統領は「聖地」に降り立ち、日本を侮辱する大見得(おおみえ)を切った。いくら謝罪しても無駄なことは、朴槿恵大統領が「被害者と加害者の関係は千年変わらない」と宣言し明らかになった。


 盗んだ仏像の返還拒否、条約破りの高裁判決、慰安婦像設置など米国での反日活動、靖国神社に対する狼藉(ろうぜき)と放火未遂、「原爆は神の罰」の新聞報道、朴氏の米国反日行脚、東京五輪開催決定間際の汚染水問題に伴う日本水産物禁輸処置と、挙げればきりがない。


 全国民が集団催眠にかかったように反日にいそしむ姿は異常を超えて戯画的ですらある。では問題の核心はどこにあるのか。日本の贖罪(しょくざい)や償いとは一切関係ない。

 それはひとえに韓国が独立戦争で勝ち取った国でないという韓国人自らの「脛(すね)の大傷」にある。米軍進駐により棚ぼた式に独立を得た韓国には、そもそも国家の正当性というものがないのである。


 その正当性をひねり出し、脛の傷に絆創膏(ばんそうこう)を貼る必要があった。韓国の歴史認識という「正しさ」の捏造(ねつぞう)である。韓国のいわゆる民族主義観は次の4点から成る。


 (1)高度な文明国だった朝鮮が野蛮人とみなされていた日本人に侵略され侮辱された

 (2)朝鮮統治における「改善」は、朝鮮人を効率的に搾取し支配し同化するため日本が朝鮮近代化を必要    としたにすぎない

 (3)統治時代、朝鮮人民による解放闘争が継続的に行われた

 (4)日本人が朝鮮人に対する非人道的方策を推し進め一方的かつ高圧的に臨んだため、抵抗運動は活発化    し同化政策は失敗した-である。




 ≪外では崩れた民族主義史観≫


 今日では、韓国の経済史学者、修正主義史観の米学者、日本の地道な少数の学者たちの努力によって、韓国の民族主義史観は韓国以外の地ではすでに崩れている。


 まず李氏朝鮮に高度な文明などなかった。李朝五百年は中国から学んだ朱子学の儒礼の実践、消化に費やされ、経世済民を思わぬ李朝政権により朝鮮は貧窮に閉ざされていた。日韓の保護条約は高宗王が大臣5人に丸投げして生まれた。「そちたち良きにはからえ」と王が言った史料が3カ所から出ている。よって不法ではない。不法なら時の列強がそれを盾にたちまち襲いかかったことだろう。


 収奪史観は日本のマルクス主義者たちが教えた方法である。が、貧窮の朝鮮には収奪するものがそもそもなかった。インカ帝国のように金でも採れれば収奪しようもあったろうが、何もなかったので他の植民地支配のように過酷にはなり得なかった。労働を知らない彼らにその価値や意義から教えなければならなかったことが日本による「改善」其(そ)の一であった。


 別に私は韓国が憎くて書いているのではない。このままでは日本の植民地統治が世界一残酷だったと教えられ、テロリストや爆弾魔を解放運動の雄だと刷り込まれた韓国の若者が、海を渡り過激な行動に走る危険性があると指摘せざるを得ないから書くのである。



 植民地統治は一応の成功を収めた。巨額の投資が行われ、朝鮮は年々経済成長し、近代教育は一般化し、1945年以降の教育制度の前提を成した。コメを収奪する必要もさらさらなかった。年々豊かにとれるコメは、民法で保証された農民の土地で収穫され、経済原理により日本に輸出された。





 ≪せめては日本も他山の石に≫


 軍が直接、暴力的に農村から女性を連行した事実を裏づける公文書は発見されていない。都市では戦後の企業を立ち上げる有能な経営者が総督府や銀行と協力し、民族資本家として育っていった。

 だが、これらが実証されたからといって韓国の民族主義史観が放棄される兆しは残念ながらない。それを認めれば、国家の正当性が崩れてしまうからである。したがって韓国人の考えは変わらない。それどころか、目や耳をふさぐ集団催眠状態が続いて、日本人が怒っていることにも気づくまい。



 加えて、韓国人は日本は地震・津波・原発事故でもう落ち目だと信じ、代わりに中国が助けてくれると思い込んでいる。戦後約70年間、38度線で韓国が島化し、中国に直接国境で触れることがなかった幸いに思い至らないからだ。


 解決策はもはやない。植民地統治が合法的に自然に始まり、独立戦争のないまま米軍の進駐で自然に終わったという、朝鮮近代化の真実を韓国人が認めることはあり得ないだろう。近代国家が国家理性に傷を持つとは、かくも大きな結果をもたらすのである。一国の指導者が国内に行けない所があるという、わが国の靖国神社問題も国家理性の傷であり、韓国をもって他山の石となすべきだろう。(ふるた ひろし)












  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津軽海峡を全面領海にして守れ

2013-11-05 11:53:55 | 正論より
11月5日付     産経新聞【正論】より



津軽海峡を全面領海にして守れ    東海大学教授・山田吉彦氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131105/plc13110503330002-n1.htm



 尖閣諸島をはじめとする東シナ海は目下、日本の海洋安全保障の上で最大の焦点である。だが、北方海域および日本海の情勢も予断を許さない。今年7月、中国とロシアは日本海で共同軍事演習を行った。中国の北海艦隊はその後、日本海を縦断し宗谷海峡を経由して太平洋へと向かい、日本を牽制(けんせい)するように本国へ帰航している。防衛省関係者によると、ロシア海軍の動きも激しく、今年は北方海域に姿を現す艦艇数が昨年の2倍に増加しているという。




●中国艦船の示威になす術なし 


 日本海の入り口に当たる宗谷、津軽、対馬の3海峡を通過する外国船の数も増えている。とりわけ津軽海峡は気がかりだ。

 津軽海峡を東西に通航する船舶は多い。2009年にここを経由した国際航路のコンテナ船の数だけでも1798隻に上る。韓国の釜山、中国の青島、ロシアのウラジオストクなどの港から北米へと至る最短航路だからだ。


 日本は1977年に定めた領海法で、沿岸から12カイリ(約22キロ)の領海幅を設けている。しかし、宗谷海峡、津軽海峡、大隅海峡、対馬海峡東水道、対馬海峡西水道の5海峡だけは、領海幅を3カイリ(約5・6キロ)に設定して、海峡の中央部を公海としている。


 公海では日本の国家主権が適用されない。航行中の船で起きた犯罪は、船籍が置かれている国が管轄することになる。他国の海軍の行動を制限することもできない。艦船が示威行為に及んだとしても抗議すらできないのだ。

 2000年、中国海軍の艦船がわが国を挑発するように津軽海峡を一往復半して通り過ぎ、08年にも4隻の艦船が通過した。公海上であることから、わが国はこうした行動になす術もなく、黙って眺めているほかなかった。

 外務省は、「国際交通の自由を保護するため」これらの海峡の中央部を公海としている、としている。だが、他国の海峡の例を見ると、どうも様子が違う。





●マラッカは3カ国が領海に


 インドネシア、マレーシア、シンガポールに挟まれたマラッカ海峡は、年間9万隻余の船舶が通る海上交通路(シーレーン)の要ながら、沿岸3カ国は領海に組み入れている。国際的に重要だからこそ、沿岸国が責任を持って管理する必要があるとの判断である。国際海事機関(IMO)のルールにも則って分離通航帯を設け、通航する船舶を守っている。


 日本が5海峡の領海幅を3カイリとする理由は、領海内を他国の核兵器搭載艦船が通過した場合、非核三原則(核兵器の持ち込み禁止)に抵触するという厄介な問題が生じるからだといわれる。

 だが、領海法制定から40年近い歳月が流れ、津軽海峡を取り巻く状況も変化している。国内船舶では、北海道と青森を結ぶフェリーが1日約20往復するほか、函館のイカ釣り船、大間のマグロ船などの漁船が縦横に走り、もともと海難事故が後を絶たない。


 加えてロシアは近年、サハリンのガス田を中心に極東地域開発を進め、それらの物資の輸送に利用している。最近では外国貨物船絡みの事故も起きている。


 昨年12月、海峡内でマグロのはえ縄漁船と外国貨物船が衝突する事故が起きた。同じ時期に、荒天避難のため陸奥湾に進入した外国貨物船がホタテの養殖施設を損壊し、3億円の被害をもたらした。津軽海峡を通過する船が陸奥湾に避難してくるケースも年間数百隻にも上るという。

 青函フェリーの船員は、船舶無線から中国語、ロシア語の会話が頻繁に聞こえるようになって、最近は航行の安全にも不安を覚えだしていると話していた。





●北極海航路で通過船が急増?


 海峡の将来に最大の影響を与えそうなのは、「北極海」であろう。今後、北極海航路と北極海の海底資源の開発が進むと、津軽海峡の船舶通過数は飛躍的に増大する可能性が高い。


 仮に津軽海峡の全海域を領海に組み入れたとしても、国連海洋法条約により船舶の通過通航権が保証される「国際海峡」となり、潜水艦の潜航を含む外国の軍艦の通過も認められる。ただし、外国艦船による海域の調査は拒絶でき、示威行為も禁止できる。


 わが国が津軽海峡の安全確保のためにまずなすべきは、領海法を改正し他海域と同様に領海幅を12カイリとし、国家として責任ある管理体制を構築することだ。具体的には、船舶事故を防ぐために分離通航帯を設け、航行管制を行うとともに速度規制などのルールを定めることを検討すべきだ。



 津軽海峡での領海幅を12カイリとすることは、日本海と太平洋を結ぶ重要航路を監視下に置いて、ロシア、中国、韓国にとり主要な国際航路を制御する権限を持つことになる。併せて宗谷海峡、対馬海峡でも領海幅を12カイリに拡大して管理体制を築ければ、わが国が東アジアの海洋安全保障の主導権を握ることにつながるだろう。

 沿岸域管理を徹底することは、海洋国家、日本として当然の義務であると筆者は考える。(やまだ よしひこ)










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慰安婦で寝た子起こしたのは誰

2013-10-23 08:42:59 | 正論より
10月23日付     産経新聞【正論】より



慰安婦で寝た子起こしたのは誰     現代史家・秦郁彦氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131023/plc13102303250002-n1.htm



 慰安婦問題が米国や国連を巻き込み、こじれにこじれた禍根は、いわゆる河野談話(1993年8月)にあると言ってよい。



 ≪「冤罪」演出した河野談話≫


 日本語特有の曖昧な表現を英訳に際し「整形」したこともあって、国際社会には「官憲等が直接これ(甘言、強圧による募集)に加担したことも」のくだりは強制連行を、「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいもの」の部分は性奴隷状態を、日本政府が認めたものと受け取られてしまった。


 後に河野洋平元官房長官は「軍や官憲が慰安婦を強制連行したことを示す」公文書や証言は見つからなかったが、直前にソウルへ派遣した調査団による元慰安婦16人の聞き取りが主な根拠だと弁明した(97年3月31日付朝日新聞)。


 この聴取記録は20年にわたり非公開とされてきたが、10月16日付産経新聞がスクープ報道した。「ずさん調査」「氏名含め証言曖昧」「河野談話 根拠崩れる」のような見出しでおよその中身が知れよう。通読した私は「すでに強制性を認め謝罪に徹する気になっていた河野氏にとって、聞き取り調査は国民向けの形式行事にすぎなかった」とコメントした。

 つまり、河野氏はやってもいない犯行をやりましたと自白する冤罪(えんざい)事件を演出したわけである。


 だが、河野氏や宮沢喜一内閣が卑屈なまでの弱気に陥ったのには、それなりの要因もあった。傍証は少なくとも2つある。1つは孔魯明駐日韓国大使が直前の7月14日の記者会見で、「元慰安婦の名誉回復のために、強制連行だったと日本政府が認めることが第一条件」と牽制(けんせい)したことだろう。


 もう1つは来日した当時の盧泰愚大統領が浅利慶太氏との対談で「(慰安婦問題は)実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚(た)きつけ、国民を憤激させてしまいました」(『文芸春秋』93年3月号)と語った背景事情である。





 ≪大騒ぎにした元凶の面々は≫


 特に後者は、寝た子を起こして大騒ぎに仕立てたのは、韓国側ではなく日本側だったと率直に指摘したもので、当時の空気を知る日本の識者で「その通り」と賛同する人は少なくないだろう。私が「ビッグバン」と呼ぶ92年1月の発端までさかのぼり、日本人が要所を狙って仕掛けた策動の例を挙げてみる。



 〈朝日の「虚報」〉

 92年1月11日付朝日新聞は1面トップで、吉見義明中央大学教授が慰安所に軍が関与していたことを示す旧軍資料を見つけたと報じる。国会答弁で厚生省は関与していないので資料がないと答えたのを国が「偽証」したとこじつけ、他の大新聞も巻き込み、大騒動に発展させたのである。翌日付朝日の社説は、挺身隊の名で強制連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた、過ちを率直に償おうとの趣旨を主張、吉見教授は「謝罪と補償を」と呼びかけた。5日後に訪韓した宮沢首相はデモ隊に囲まれ動転したのか、盧大統領に8回も謝罪を繰り返す。



〈「被害者」捜し〉


 91年12月、慰安婦第1号とされる金学順氏らを立てて、東京地裁に提訴した高木健一弁護士を筆頭に、日本人弁護士グループは韓国、中国、フィリピン、インドネシアなどで慰安婦を捜し出し、次々に提訴させたが、すべて敗訴となった。支援運動を盛り上げるのが目的なので、勝敗を気にする様子はない。




 〈吉田清治氏の詐話〉


 戦時中に下関で労務調達に従事していた吉田清治氏が軍命令による済州島での慰安婦狩りの体験を書いた著書(83年刊)は、韓国語にも訳された。著者の吉田氏は、強制連行の「生き証人」として国連の報告書にも紹介され、朝日は5回も紙面に登場させている。間もなく、慰安婦狩りは彼の作り話と判明したが、本人は「事実を隠し自分の主張を混ぜて書くのは新聞だってやる」と開き直った。



 〈「性奴隷」の売り込み〉


 日弁連の戸塚悦朗弁護士(後に神戸大学教授)は92年から国連人権委員会に張り付く形で活動して、同年2月には慰安婦を性奴隷(sex slave)と呼ぶよう働きかけ、国際社会にこのオドロオドロしい呼称を定着させたと広言している。





 ≪河野氏は自ら談話の撤回を≫


 こう見てくると、慰安婦問題で日本を現在のような窮地に追い込んだ責任は先に例示した活動家とその支援組織、朝日などのマスコミ、そして、彼らが連携して加える圧力に屈服した河野氏という政治家にあることは明らかだ。


 まさに「捕らえてみればわが子なり」だから、国民の怒りは持って行き場がないのだが、愉快犯と見えなくもない「わが子」たちの動機を解明するのが先決だろう。


 差し当たり河野氏に、自ら河野談話を見直し撤回してもらうのが望ましいが、今になっても「アメリカは見直しには納得しない…という警告を発している」(『中央公論』8月号)と逃げ腰だから、見込みはないのかもしれない。(はた いくひこ)













  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首相、秋の例大祭が待ってます

2013-10-11 08:48:48 | 正論より
10月11日付     産経新聞【正論】より


首相、秋の例大祭が待ってます    国学院大学名誉教授・大原康男氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131011/plc13101103360002-n1.htm



 第2次安倍晋三政権が発足して早くも9カ月余りが過ぎた。懸案を一挙に処理しようとして味わった第1次政権での蹉跌(さてつ)を苦い教訓として、まずアベノミクスと称される経済政策に全力を傾注し、一定の成果を挙げた。それでもたらされた高い内閣支持率を背景に、慎重な目配りをしながら、いよいよ本格的保守政権としての“安倍色”を出そうとしている。





 ≪問題化しなかった靖国参拝≫



 その一つとすべきが自らの靖国神社参拝の再開であろう。

 思い起こせば、昭和60年の中曽根康弘首相の参拝、次いで平成8年の橋本龍太郎首相の参拝を経て、小泉純一郎首相が平成13年8月13日に詣で、在任5年間で6回も参拝を重ねた。しかし、後任者たちはことごとく見送って今日に至っている。この2度目の休止期間のきっかけを作ったのが、他ならぬ第1次安倍政権なのである。

 周知のように、首相の靖国参拝は、占領末期に吉田茂氏が行って以来、四半世紀にわたり何ら問題とされずに続けられてきた。激しく論議されるようになったのは、昭和50年の三木武夫首相の参拝からである。論点は専ら、憲法が定める政教分離原則に抵触するか否かという国内問題にあった。

 三木首相が、それまで当たり前のこととされてきた「公式参拝」を「私的参拝」に切り替えて憲法論議を避けようという、姑息(こそく)な手段を弄したのが発端である。このため、以後の首相は(恐らく)心ならずも「私的参拝」を踏襲せざるを得なくなった。これが最初のボタンの掛け違えである。





 ≪憲法、そしてA級戦犯問題≫


 対照的に、「公式参拝」合憲の論理を正面から提示してこれを克服し、10年の時を経て公式参拝を再開したのが中曽根首相だった。だが、直後に、中国が靖国神社にいわゆる「A級戦犯」が合祀(ごうし)されていることを理由として反発したのに屈し、参拝を取りやめた。その後、平成の首相は在任中には靖国神社の境内に入ることができないという異常な状態が続く(後に韓国も追随する)。これが第2のボタンの掛け違えである。

 そんな閉塞(へいそく)状況が16年に及び、それを打ち破って参拝したのが、小泉首相であり、公人であるか私人であるかは必ずしも明確にしなかったものの、中韓両国の反対にも膝を折ることがなかった。小泉氏の執念ともいってよいこの参拝実現のため、内外の圧力に抗しながら裏方として尽力したのが、小泉内閣の官房副長官であり後に官房長官にもなった安倍氏である。その安倍氏が小泉首相の後継者になったとき、参拝継続を強く望んだのは当然のことである。

 しかるに、中韓両国の執拗(しつよう)な反対が続き、小泉参拝で日中、日韓首脳会談が途絶えて北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議にも暗雲が垂れこめたことに懸念を抱いた米国の圧力も加わって、安倍首相は遂(つい)に参拝ができずに終わった。爾後(じご)の首相参拝の途絶にも少なからぬ責任を感じているとみられる首相が後に「痛恨の極み」と嘆じたのも宜(むべ)なるかな、である。

 それから雌伏6年、昨年12月の衆議院選挙で大勝して再び首相の印綬を帯び、この7月の参議院選挙でも圧勝して政権基盤を確固たるものとした今日、年来の悲願を果たすべき政治的環境は十分に整っている、といってよい。





 ≪着々と布石を打っている?≫


 いや、それどころか、安倍首相はすでに着々とその布石を打っているのかもしれない。7年余に及ぶ首相参拝のブランクという現実を厳しく受け止め、時間をかけて辛抱強く地ならしをしてきているようにも思えるからだ。

 すなわち、昨年末の組閣直後にも参拝するのではないかとの臆測が一部で流れたが、まず今年4月の春季例大祭では靖国神社に真榊(まさかき)を奉納した。安倍氏が首相として初めて真榊の奉納を行ったのは、第1次政権時代の平成19年4月である。中曽根首相が中断して以来だから、実に22年ぶりの再開だった。麻生太郎首相がこれに続いたものの、民主党政権では沙汰やみとなっていた。したがって、今回の奉納は再々開に当たる。

 次いで、内外の注目を集めたこの8月15日には、参拝を見送ることをあらかじめ公表し、萩生田光一・自民党総裁特別補佐を名代に立てて参拝させ、ポケットマネーから支出した玉串料を奉納した。その際、首相は萩生田補佐に対して「先の大戦で亡くなった先人の御霊(みたま)に尊崇の念を持って哀悼の誠を捧(ささ)げてほしい。本日は参拝できないことをおわびしてほしい」と語ったと報じられている。

 新聞各紙はこれを、「参拝に代わる玉串料奉納」と簡単に位置付けたが、単なる金員の奉納ではなく、正確には、現首相の地位にある自民党総裁による代理参拝と称すべき方式であって、その意義は決して軽いものではない。

 こう見てくると、次のステップは、首相自らが靖国神社に参拝することにならざるを得まい。そして、その機会は、この10月17日から始まる秋季例大祭であろう。7年ぶりの靖国神社参拝を心より願い、期待する所以(ゆえん)である。(おおはら やすお)












  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史の善悪に拘泥してはならぬ

2013-09-23 12:55:51 | 正論より
9月23日付    産経新聞【正論】より


歴史の善悪に拘泥してはならぬ   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://sankei.jp.msn.com/life/news/130923/art13092303310003-n1.htm



 ≪ドイツ観念論の悪しき影響≫


 わが日本国では明治以来、大学の哲学科はドイツ中心なので、あまり役に立たないドイツ哲学ばかりを究めてきた。具体的なものより抽象的なものの方がえらいと思い込んでいるのも、全部ドイツ観念論の影響である。人間の快と苦とか有用性のあるなしとか、具体的なものの方が実生活では大事なのに、人類普遍の倫理とか世界史の普遍の法則とか、そういう大仰なまやかしばかりを大学で教えてきた。だから、大学で習ったことが全然役に立たないのである。


 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が日本経済を改変してくれるのは当たり前なのに、まずそれがどれほど悪か善かばかり議論しようとする。原発再稼働も同様だ。原発の有用性と危険性は誰にも認識できるのに、市民派新聞は原発を端(はな)から悪と決めてかかる。事故前は有用だったのだから、コペルニクス的転回だといえる。


 最近は世の中が大きく変わってきた。前は善だったものも気がつくと悪になっていることが頻繁にある。NHKドラマ「八重の桜」で、京都を守護し民生の安定を図ろうとする会津の殿様の善意がどんどん悪になり、追い詰められていくのを日本人は初めて見た。あれを戦前・戦中の日本に重ねてみていた人も多かっただろう。白人からのアジアの解放とか東亜新秩序をつくり、アジアの盟主になって貧しいアジア諸国を引っ張っていこうとした、多くの善意のアジア主義者たちもいたのだった。それが戦後はすべて悪になった。


 人間の動機に善悪はない。小麦を作りパンを得る人もコンビニでパンを買う人もパンを盗む人も、動機はただの食欲だ。それが善になるか悪になるかは、その人の見通し次第である。一生懸命小麦を作っても、災害で畑が全滅して一家離散となれば、それだって悪になる。盗んだ一かけのパンでも餓死寸前の子供を救えば、少し複雑な気分になる分、善だろう。





 ≪ベンサム説く紙一重の善悪≫


 以上は、英国のジェレミー・ベンサムの功利主義哲学を少し噛(か)み砕いて書いてみただけなのだが、意外に新鮮に見えるのは、日本人の主に文系の知識がドイツにばかり頼ってきたからではないか。



 最近のマスコミ報道を見ていても、初めから善悪を決めてかかろうとすることが実に多い。少し前の話だが、大阪府議会選で維新の会が圧勝し、君が代の起立斉唱を教職員に義務づける全国初の「君が代条例案」を可決した。戦前の軍国主義教育で多くの若者が一つの思想に染められ戦争へ駆り出されたという過去の問題を基準に、条例は戦後民主主義への真正面からの挑戦状だと受け取った朝日新聞社は大々的な反対キャンペーンを張る。が、街中に出てインタビューをすると、9割の人々が賛成で、朝日社内の良心的な人々に、「自分たちは善ではなかったのか?」と大いに首を傾(かし)げさせた。


 善悪は初めからあるのではなく未来の見通しに過ぎない。最初に善悪を決めつけて取材してはいけないのである。決めつければ、所詮は反感と共感の原理になり、好・不快感とか趣味の違い、ひどい場合、党派性が丸出しになる。これが新聞記事やニュースキャスターの解説が読者、視聴者の信頼を損ねている最大の理由だろう。

 首相の靖国参拝問題の解説も然(しか)りだ。「八重の桜」も、勝者の明治政府の歴史ではなく、敗者の会津藩の歴史だったので耳目を引いた。もっとも、よく言われるように、歴史とは勝者の歴史である。第二次大戦後の世界秩序も、日独伊のファシズム国家を連合国が打ち負かして作り上げた勝者の国際秩序だ。そんな言論空間に歴史問題を放り込んでも日本に勝ち目はない、靖国参拝はやめた方が賢明だと言わんばかりの人がいた。




 ≪有用性ある未来を選択せよ≫


 ただ、時代は刻々と移り、むしろ、その言論空間が維持困難だということが次第に明らかになっていく。勝者の歴史が説得力を失いつつあるからこそ、「八重の桜」が新鮮に映るのではないのか。


 そもそも一国の首相が行けない場所があり、それが外交カードに使われること自体が異常なのである。これは歴史問題というより哲学問題である。現在韓国も中国も指導者の政権基盤が弱く、政策も確固としていない。中国は毛沢東時代の継承に、韓国は植民地時代の否定にと、ともに徒(いたずら)に歴史の中に未来を求めようとしている。



 歴史問題に関しては、伊藤博文を暗殺した韓国の「テロリスト英雄」の安重根を、異民族を抱える中国としては、認めるわけにはいかず、共闘体制が取れていない。前回の中韓首脳会談は、日本外しではなく、北朝鮮外しであった。未来ビジョン共同声明には、「日本」という言葉すらなかった。

 人類普遍の倫理をつかさどる審判者が歴史の中にいて、善悪を決めているのではない。戦後の国際秩序に便乗し、過去に呪縛され、どんどん悪になっているのは、むしろ中韓なのだ。われわれは、彼らの政治的混乱を見極め、決然として有用性のある未来を選択すべきときである。(ふるた ひろし)














  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

離島の民生安定で国の安全守れ

2013-09-19 12:27:54 | 正論より
9月19日付    産経新聞【正論】より


離島の民生安定で国の安全守れ   東海大学教授・山田吉彦氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130919/plc13091903290002-n1.htm


《対馬の自衛隊周辺地また買収》


 国境の街、対馬ではこの6月、また自衛隊施設の近隣の土地が韓国資本に買収された。海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接して建設され、かねて問題になっている韓国人向けホテル「対馬リゾート」と地続きの土地である。購入した韓国企業は、対馬リゾートと同様のホテルを建設する計画だ。水源地や国防に関係する土地の外国人による買収は、社会問題になっている。しかし、現行法でそうした売買を制約するのは難しく、今も自由に売買されている。自衛隊施設を囲むような韓国人リゾートの形成は、有事の際の不安要因となるにもかかわらず、である。


 絶滅危惧種である「ツシマヤマネコ」が生息する対馬市上県(かみあがた)町の森林が売りに出され、外国資本が買うという噂が立った。森林は、生態系の保全のみならず、周辺地の水源の役割も果たす重要な土地である。市は購入を検討したものの金額が折り合わず、一時は購入を断念した。が、乱開発されては取り返しがつかなくなるという財部能成(たからべ・やすなり)市長の決断で、最終的に市が買収する方向となった。税収が少ない市の負担は大きく、国としても対応を考慮すべきだ。


 昨年1年間に、対馬(長崎県)を訪れた韓国人観光客は約15万人に上る。対馬の人口は約3万2千人。年間でだが、その5倍ほどの韓国人観光客が流入しているわけだ。今年は、さらに19万人にまで増加する見込みという。


 過疎化や経済の不振に悩む対馬は、韓国との交流に活路を見出そうとしてきた。今年、韓国人が現地にもたらす経済効果は30億円に達すると予測される。半面で、悪しき影響も無視できない。

 第一、韓国人旅行者の急増に、受け入れ態勢の整備が追いつかない。韓国と日本との習慣の違いや韓国人旅行者のマナーの悪さが問題視され、韓国人のこれ以上の流入に否定的な住民も多い。韓国人窃盗団によって対馬の寺社から盗まれた2体の仏像が、韓国当局から返還されないことも、住民の嫌韓意識を増幅させている。





 《嫌韓ムードで祭りも様変わり》


 30年余続いてきた「厳原(いずはら)みなと対馬アリラン祭り」が、「対馬厳原みなと祭り」に改名され、祭りの中心だった「朝鮮通信使行列」の再現も中止され、親韓色を消して実施されたのも、そのためだ。友好と経済効果だけでは市民の暮らしは守れず、独自の文化の維持に弊害をもたらすという危機感が住民に芽生えているのだ。


 対馬での韓国資本による土地購入、無秩序な旅行者受け入れの問題が指摘されて5年余が経つ。しかし、日本の政府は、何ら対応策を取ってこなかった。韓国系のホテルや飲食店が開業されるようになるに及んで、肝心の経済利益すら韓国に吸い上げられだしたことに、住民は落胆している。

 

歴史的に国境を守り続けてきたという自負を持つ対馬の住民の目は、国の無策に向けられている。窃盗の常習者が自由に入国して、重要文化財を簡単に持ち出せるといった、出入国管理および税関の体制のあり方に対する不満の声が強い。対馬にある厳原港や比田勝(ひたかつ)港の入管、税関の人手不足は、これまでも指摘されてきたところである。今回、仏像が持ち出された博多港の状況も同様である。

 民主党政権は平成21年、「海洋管理のための離島の保全、管理の基本方針」を定め、離島対策の方向性を示した、しかし、期限を迎えていた「離島振興法」の改正継続にとどまり、国境を意識した具体策は施されてはいない。

 


 《急げ「特定国境離島振興法」》


 自民党政権は、「国境離島の保全、管理および振興に関する有識者懇談会」を開き、6月に中間提言を発表した。政権交代でようやく動き出したというところだ。この提言はしかし、国境離島という言葉の定義や管理指針に関するもので、施策の具体化には至っていない。外国人による土地売買の規制についても、国際条約上、難しいという見解が示されているだけで対応策への言及はない。


 対馬だけではない。与那国島、五島列島など国境離島では、外国人参政権導入の議論、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に伴う農産品の競争力低下などの問題に危機感を募らせる。


 今、早急に求められるのは、国境離島の人々の生活を経済的、精神的に安定させる政策である。それは地方自治体だけでなく、国が率先して行うべきだ。環境を守る公共投資や出入国管理、税関および自衛隊、海上保安庁などの公務員を重点的に配備することなどが有効だ。それは、ひいては国の安全を守ることにつながる。

 広大な管轄海域の基線となり、隣国との交流の接点となる国境離島の公共性に鑑みて、そこでの土地取引は「許可制」「事前届け出制」「国による買い取り収用」などにする法整備が必要だ。

 その施策の基盤となる「特定国境離島振興法」の制定を急ぎ、速やかに具体的行動に移らなければならない。すでに不法占拠されている竹島、脅かされ続ける尖閣の教訓を忘れてはいけない。(やまだ よしひこ)













  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「不都合な歴史」書き換える韓国

2013-08-20 10:29:28 | 正論より
8月20日付      産経新聞【正論】より


「不都合な歴史」書き換える韓国      筑波大学大学院教授・古田博司氏 


http://sankei.jp.msn.com/world/news/130820/kor13082003180001-n1.htm



 言うまでもないことだが、歴史の中に未来はない。もしあれば、将来の得を取ろうとしてみなが歴史学者になってしまう。そんなことにはならないので、「歴史の中に未来はない」のである。




 ≪歴史の中に未来ありと信じ…≫


 そうではなく、「歴史は乗り越えるもの」としてある。歴史を研究するには史料を読む。すると出てくるのは、これまでの経緯説明と、民族の行動パターンだけである。この経緯を知り、パターンがまずければ変更し、別の方向へと超え出ていく。知らなければ未来へと進む方向すら分からないから過去を研究するのである。


 今の韓国の狂騒のような反日は「歴史の中に未来がある」と思い込んでいる結果、自分たちにとってまずかった歴史自体を変えたいとの意欲から起きてくる。


 この根は金泳三大統領の「歴史の立て直し」運動にある。ソウルの朝鮮総督府の建物を破壊し、竹島を政治宣伝に利用し始め、果ては日本人が植民地時代に地中に杭を打ち込み韓国人の元気の素の風水の地脈を断っていったとし、全国杭抜き運動まで始めた。


 盧武鉉大統領時代の2005年には、「真実・和解のための過去事整理基本法」という史上例をみない過去遡及法を成立させた。さらには植民地時代の親日派の子孫を弾圧すべく、彼らの財産を没収する特別法が施行された。


 最近になり、1965年の国交正常化時の日韓請求権協定で既に解決済みの問題が蒸し返され植民地時代の徴用工への賠償を日本企業に命じる判決が出されたり、盗まれた対馬の仏像の返還を拒んだり、「旭日旗バッシング」が起きたり、朴槿恵大統領が「加害者と被害者の歴史は千年変わらない」と言ったりするのも、「歴史の中に未来がある」と思い込んでいる結果、自分たちにとってまずかった歴史を変更したいという逆向きの未来を志向していることから起こるチグハグなのである。




 ≪日本による近代化移植を否定≫


 日本人なら誰でも勝手に歴史認識を変えてしまってはいけないと思うことだろう。だが、本当は日本人誰でもがそうなのではない。例えば「歴史の中に未来があるのだから過去をたどればよい」という間違った思想は、世界中の左翼には実はおなじみのものである。マルクスの「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という歴史観は、現代の階級闘争を過去にまでさかのぼらせたものであり、そうした思想を信じた歴史教科書では、日本の貴族と武士が階級闘争をしているように描かれたことがあった。


 韓国でも、李氏朝鮮時代は素晴らしい時代で、後期には資本主義の芽生えがあった、それを摘んでいったのが日本だという「資本主義萌芽論」はおなじみで、検定の世界史教科書に常識のように現れる。李朝末期は日本人も外国人も写真機を持って朝鮮に渡った。染料がないため白衣の人々が仕事もなく不潔な市場に集まっているような写真は、ネットを開けば今やどっと出てくる。近代化は日本が朝鮮に移植したのである。


 韓国人はそれを認めるのが嫌で日本時代を否定したい、歴史を変えたいという衝動が先に立つ。本当は旭日旗どころか日の丸も否定したい。自分たちのブルーとレッドの日の丸をじっと見つめた方が良い。あるいは、旭日旗が社旗の朝日新聞社に相談するか。


 法を変えて過去を断罪しようとすれば、法治国家の資格を失う。近代法も日本が韓国に与えたものだ。それが証拠に、韓国の法律用語のほとんどは日本由来のものである。せっかくもらった近代法の定着と運用で、韓国はうまくいかなかったのだ。自国に批判的だからといって、日本に帰化した女性評論家の入国を拒否するなど、盧武鉉左翼政権時代の青瓦台統一外交安保首席秘書官だった現在の外相の尹炳世氏などはどう考えるのだろうか。





 ≪中韓北では思うモノは実在≫


 もう一つの問題は韓国のみではなく北朝鮮にも中国にもある。3カ国はいわば超(ウルトラ)実念論の国々だ。これは「思っているモノは実在だ」という思想によって生じる。中国共産党の「核心的利益」がそれで、チベットもウイグルも南シナ海も東シナ海も尖閣諸島も沖縄も何百年も前から中国の「領土」だった。だから中国人のものだという。論理にも何にもなっていないので、日本人には不思議に思える思想である。


 韓国も歴史的に共有する。風水を信じ、日本人が杭を打ち込んで断脈したに違いないと思うと全国杭抜き運動が始まり、出てきたという杭が並べられ、やっぱり日本人は悪辣(あくらつ)だと結論づける。

 近代民法典を移植し、朝鮮の民衆を安堵せしめた日本が、李朝の人さらいのように暴力で徴用したり慰安婦狩りをしたりできるはずがない。それは北朝鮮の得意技だろう。だが、「思っているモノは実在だ」という思想が、彼らの近代的思考を常に阻害する。結局、中国と北朝鮮は共産主義の張り子の虎、韓国は自由主義の「はぐれ者」にしかなれなかったのだ。(ふるた ひろし)













  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「制度化」の域に至る韓国の反日

2013-08-06 12:03:50 | 正論より
8月6日付    産経新聞【正論】より



「制度化」の域に至る韓国の反日   拓殖大学総長・渡辺利夫氏


http://sankei.jp.msn.com/world/news/130806/kor13080603050000-n1.htm



 また終戦記念日がやってくる。韓国ではこの日を「光復節」と呼んで日本からの解放記念の祝日としている。70年近くも経(た)つというのに、この間、韓国が親日的であったことはない。それでも、南北朝鮮対立下の東西冷戦期においては反日は時に激しく噴出したものの、間歇(かんけつ)的であった。



 ≪事大、小中華主義へ先祖返り≫


 しかし、冷戦が終焉(しゅうえん)し、中国の強大化が露(あら)わとなり、日本の政治経済に翳(かげ)りがみえ始めるや、韓国の反日は公然たるものとなり、「制度化」の域にまで至らんとしている。強大化した中国への依存度を急速に高め、衰微する日本を見下すという、李朝時代以来、朝鮮に伝統的な「事大主義」と「小中華主義」への先祖返りを韓国は始めたのであろう。

 5月7日、朴槿恵大統領はオバマ大統領との首脳会談において「北東アジアの平和のために日本は正しい歴史認識をもつべきだ」と語り、北朝鮮問題については「米韓が連携して取り組む」と敢(あ)えて日本への言及を避けた。進退窮した政権末期に驚くべき反日的行動を繰り返したのが李明博前大統領であったが、それでも北朝鮮問題という極めつきの難題には日米韓の3国連携で対処するという一線から退(ひ)くことはなかった。

 6月27日、朴大統領は北京での中韓首脳会談に臨み、日本の歴史認識に懸念の意を表明する習近平国家主席の発言に応じて「歴史認識については韓国は原則をもって対応する」と主張した。実際、会談後に発表された「中韓未来ビジョン」と称する共同声明においては、両国の連携強化をうたいあげるとともに、「歴史認識問題はこの地域国家間の対立と不信を深刻化させており、中韓両国は共通の目標達成に努める」と記された。


 中露と国境を接し、海峡ひとつ隔てて日本に隣する朝鮮半島史が苦難に満ちたものであることを私は知っている。李氏朝鮮の開祖・李成桂は「小を以(もっ)て大に事(つか)ふるは保国の道也」と述べ、明国から自立した王朝として認められた。強大な中華王朝と君臣の関係を結んでその懐に入らねば李王朝の生存空間はなかったのであろう。この観念は明国が清国に代わり、さらに強化された(清韓宗属関係)。




 ≪明と君臣関係結んだ李王朝≫


 かといって、強大勢力に完全に同化してしまったのでは王朝の身の証しが立たない。中国の王朝と君臣の関係を保ちながらも、みずからを中華世界を構成する一部であり、さらには自身を中華世界の正統的後継者だとする自意識の涵養(かんよう)が必要であった。この微妙に屈折した自意識が朝鮮に固有の小中華主義である。

 事大主義と小中華思想は、中華世界の外方の日本を、取るに足りない、というより卑小な存在だとみなす価値観念でもある。この観念は民族的遺伝子のごときものなのであろう。清韓宗属関係を切断して朝鮮の自立を図らねば日本の生存が危ういと明治の指導者が考えたのは、極東地政学の論理からして当然の判断であった。その後の韓国併合にも往時の国際法上の瑕疵(かし)はない。


 しかし、事大主義と小中華主義の韓国からすれば、これは到底許すべからざるものであり、この情念は現在なお連綿として継承されている。いや、ますます強化されているとみなければならない。日本統治時代の対日協力者の罪を暴いてこれに量刑を科すための法律が2004年3月に成立した「親日反民族行為真相糾明法」だが、韓国憲法裁判所は今年の6月にその合憲性を認める判決を下した。





 ≪中韓にみくびられぬ力つけよ≫


 7月にはソウル高裁が、日本統治時代に戦時徴用された韓国人に賠償支払いを命じる判決書を出したばかりである。日韓間の賠償請求権は「完全かつ最終的に解決済み」だとする1965年の日韓基本条約などどこ吹く風である。反日は司法をも巻き込んでついに制度化の域に達したのである。

 中国の強大化は、韓国をして李朝時代の君臣関係への先祖返りの志向性に目覚めさせ、中韓が「共闘」して日本に歴史認識をもって迫るという時代に帰結した。これにどう抗するのか。中韓との首脳会談は安倍晋三首相の外交日程には入っていない。首相は「対話の窓はいつも開いている。主張することがあれば対話のテーブルで主張すればいい」と発言している。


 それで十分である。その間に日本の自衛力を中韓にみくびられないほどまでに拡充し、日米同盟における集団的自衛権行使容認のために可能な限りの努力を継続し、憲法改正に向けての地歩を着々と固めていかなければならない。

 参院選での圧勝によって「ねじれ」は解消され、長期安定政権への期待が久方ぶりに高まっている。国民はいつになく強い政治的凝集力をみせつけたのである。おそらくは次の国政選挙までの3年ほどが、極東アジアにおける日本の勢力圏のありようを国際的に証す最後の決定的な時間となるのではないか。(わたなべ としお)















  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「憲法改正」託せる人物を選ぼう

2013-07-19 11:03:27 | 正論より
7月19日付    産経新聞【正論】より


 「憲法改正」託せる人物を選ぼう  日本大学教授・百地章氏


 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130719/elc13071903170023-n1.htm


 参議院選挙の投票日まで、残すところわずかとなった。当初、国政選挙における初めての本格的な改憲論議を期待していたが、残念ながらさして盛り上がらないまま終盤に入ったようだ。そこで改めて、改憲論議の現状と今後の課題に触れてみたい。




 ≪先行改正慎重論に反論続々≫


 4月11、5月28両日付本欄で憲法96条改正反対論への様々な疑問や批判を述べ、『正論』8月号でも詳細な反論(「憲法を国民の手に 96条改正はその第一歩」)を加えたが、その後、96条改正反対論に有力な反論が現れた。


 一つは、京都大学の大石眞教授によるものである。教授は「96条改正は立憲主義の破壊」という批判について、「96条を見直すとどうして立憲主義が破壊されてしまうのか、その理屈がよくわからない」「憲法改正は政治の一つの仕組みに過ぎない。仕組みが存在しているのに動かしてはいけないという主張はおかしい」と反論、96条の見直しは「クーデターだ」「裏口入学だ」といった批判を、「レッテル貼りに近い」としている(7月2日付読売新聞)。


 また、北岡伸一東大名誉教授も「96条改正反対論の中には、憲法の個々の条項ではなく、手続きを先に変えるのはルール違反だという人がある。しかし、現行のルールはGHQが日本に押しつけたものであるから、この批判はナンセンスである」と一蹴している(7月1日付日本経済新聞)。


 さらに、96条改正反対の急先鋒(せんぽう)で、「絶対ダメだよ。邪道」「縛られた当事者が『やりたいことができないから』と改正ルールの緩和を言い出すなんて本末転倒、憲法の本質を無視した暴挙だよ。近代国家の否定だ」(4月9日付毎日新聞)と述べていた小林節慶応大学教授も、筆者との対談では、「9条などの改憲がなされた後なら、96条の改正をしてもいいと思います」と発言しておられる(別冊宝島『憲法大論争』)。




 ≪優先すべきテーマ絞り込め≫


 96条改正は、連合国軍総司令部(GHQ)により課せられた拘束から日本人を解放し、憲法を国会から主権者国民自身の手に取り戻すという、独自の意義を有する。それゆえ、96条の先行改正について決して姑息(こそく)などといった批判は当たらないことは、以上からも明らかであろう。ただ、96条改正後に何を変えるのか、具体的に明確な方向を示さないまま先行改正を行うことに対し疑問や批判が提起されているのも事実である。


 であれば、この際、96条と同時に、改正の中身についても優先テーマを絞ったうえで、具体的な目標をはっきりと提示していくべきではなかろうか。というのは、憲法改正の発議は、「内容において関連する事項ごとに区分して行う」ことになっており(国会法68条の3)、現実問題として全面改正は不可能だからである。

 優先テーマを決定する際の基準は、まず国家的な重要課題であることと、何よりも緊急性を要すること、になると思われる。とすれば、一刻を争うテーマとして真っ先にあげられるべきは、緊急事態対処規定と9条2項の改正による「軍隊の保持」であろう。




 ≪緊急事態対処規定と9条2項≫


 昨年7月19日に、国の中央防災会議の作業部会が、「首都直下型地震は国家の存亡にかかわるものであり、その対策は喫緊の課題である」旨の中間報告を発表した。「国家の存亡にかかわる」という警告は尋常ではない。しかも、京都大学の藤井聡教授(内閣官房参与)によれば、「首都直下型地震は、8年以内に間違いなく起きるだろう」という。だとすれば、速やかに憲法に緊急事態対処規定を盛り込む必要がある。これなら、大方の国民の賛成を得ることも決して困難ではないだろう。


 もう一つの9条2項の改正だが、新聞やテレビのほとんどの世論調査では、「9条の改正」に賛成か反対かを尋ねており、「9条1項の平和主義は維持したうえで2項を改正し軍隊を保持すること」の是非を聞こうとはしない。なぜこれを問わないのか。


 また、9条改正の目的は、自衛隊が対外的には「軍隊」とされながら、国内的には「軍隊」ではないとされている矛盾を解消するためであること、さらに現在の自衛隊が法制度上は「警察」組織にすぎず、「軍隊」にしなければ「武力攻撃」に至らない武装ゲリラなどによる領土・領海の侵犯に有効に対処できないことなど実例を挙げて、なぜ軍隊としなければならないかを分かりやすく説明していくべきである。そうすれば、中国や北朝鮮などによる軍事的脅威を前に、常識ある国民は必ずや耳を傾けてくれるはずである。


 参議院議員の任期は6年であるから、今回選出される議員の任期中に、憲法改正の発議がなされる可能性は高いと思われる。したがって、その時、参議院に憲法改正に通じた人材が確保できているかどうかは、国の命運にかかわる。候補者の政見にじっくり耳を傾けて、真に憲法改正を託すに足る人物かどうか、よくよく吟味したうえでの投票を期待したい。(ももち あきら)





















  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国よ、「歴史の真実」に目覚めよ

2013-07-17 10:48:15 | 正論より
7月17日付    産経新聞【正論】より


韓国よ、「歴史の真実」に目覚めよ   評論家・屋山太郎氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130717/plc13071703130003-n1.htm



 韓国の朴槿恵大統領は就任して以来、恒例の訪日を避けており、米国訪問の次には中国を訪れている。日本には、「歴史認識について反省がない」という理由で、殊更、背を向けているようだ。韓国報道機関の論説委員たちとの会合で、「(日韓首脳)会談後に独島(竹島=島根県隠岐の島町)、慰安婦問題が再燃するようなことになれば、関係が余計に悪化しかねない」と語ったという。



 ≪卑下の姿勢が要求招く悪循環≫


 中国政府も日本側に、「尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題で譲歩がなければ首脳会談はしない」と打診してきた。安倍晋三首相は「問題があるなら向こうから話をすべきで、条件付きの話し合いには応じられない」と断った。


 民主党の菅直人政権下、中国漁船が日本の巡視船に体当たりしたビデオを公開せずに、船長らを早々に特別便で帰国させた。これは胡錦濤国家主席の訪日を実現させるためだったことが後に判明した。菅首相がへつらうかのように「胡閣下」に口上を述べるテレビ画像は全国民が目にしただろう。この卑下した態度こそ、戦後の日本が中韓両国に取ってきた外交姿勢だった。日韓基本条約で全て解決しているにもかかわらず、文句を言われれば心付けを出す。相手は日本が非を認めたのだと見て、「もっと出せ」と言い募る。


 私は1965年の日韓基本条約締結時、外務省担当の記者をしていた。韓国側は「日帝36年」の併合時代、「酷い目に遭ったから賠償は当たり前だ」との言い分である。私は日教組教育を全身に浴びて育ったから、日本側代表が、「互いの財産を相殺すればそちら側が莫大なカネを払うのだゾ」と反論したのには仰天した。当時の外交当事者は、言うべきことは言うという腹が据わっていた。


 朴大統領は「歴史認識は千年たっても覚えている。変わらない」としばしば述べる。「日帝36年の酷い時代」の前、朝鮮(南北)は千年にわたり中国の属国だった。近年には清の軍隊が漢城(現ソウル)に駐屯し、中国領になる寸前だった。それを阻止しようと、日本が起こしたのが日清戦争だ。戦争後の講和条約はほぼ例外なく、第1条で、負けた側が支払う賠償や割譲する領土のことを記してあるものだが、下関条約第1条は、「(これにより)朝鮮の独立を確認する」と謳(うた)っている。




 ≪仏人宣教師描いた漢城の混沌≫


 しかし、朝鮮の独立は不確かで今度はロシアに傾いていく。朝鮮半島がロシアの植民地になったら、日本にとってはこの上ない脅威だ。日清戦争後、日本は富国強兵を一段と推し進め、1905年にロシアを破って後、韓国を保護国とした。伊藤博文初代統監は当初、併合には反対だったが、ハルビン駅で安重根に暗殺され、併合論が一気に勢いを増す。併合は英米仏独のほかロシアも認めた。


 漢城のフランス人宣教師、ダレ氏が帰国して後の1874年に、『朝鮮事情』という本を著している。漢城はまさに糞尿まみれで足の踏み場もなく、肺結核、ハンセン病、肺臓ジストマ、赤痢、チフスなどの疫病が流行していた。併合の前年に、日本が入って京城医専やその付属病院を設立し、医師、看護師、衛生師を養成した。併合後に取りかかったのが学校の建設で、1945年の終戦までに京城帝大のほか専門学校を約千校設置し、小学校を5200も開校した。その結果、識字率は4%から61%に上がる。100キロだった鉄道も6千キロに延伸された。


 朴氏の父親、朴正煕大統領の時代、韓国は民主主義国家としての発展を予感させた。が、在任中に汚職に手を染めて罪に問われる、後の大統領は少なくなかった。

 日本と協力して経済発展を遂げる方が容易だと思われるのに日本を脅してカネを取ろうという姿勢は、北朝鮮と同じだ。




 ≪儒教の事大主義と大衆迎合≫


 李明博前大統領は「未来志向の関係を築こう」と語り、期待を抱かせた。しかし、支持率が落ちてくるや、政権末期の2012年、竹島に強行上陸し、「天皇の謝罪」を求める暴言を吐いた。

 後任の朴槿恵氏は、それ以上の反日姿勢を示さないと地位が危うくなるとでも思っているのだろうか。朴氏は政治、経済を通じて中国にのめり込み、米国に行って日本の悪口を並べ立てた。まさに、大衆迎合の政治を繰り広げているが、この姿こそが千年にわたる朝鮮の歴史への回帰である。


 韓国に染み渡っているのは儒教思想である。日本にも儒教思想はあるが、仏教の平等思想で中和されて、それほど浸透していない。韓国の儒教は徹底して上下関係にこだわる事大主義である。大きいものには従うということだから、中国、米国には従う。日本は、中華思想からみて下の位置にいなければならないのである。


 日本が下にいることの証明の第一が「独島占拠」、第二が慰安婦への謝罪だ。司法も日韓基本条約を無視して、対馬の寺から盗んだ仏像を返さず、ユネスコ条約違反との声にも耳を貸さない。これでまともな国といえるか。(ややま たろう)










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする