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ニッポンのゆる~い日常

戦後70年に思う 謝罪にけじめをつけた安倍談話

2015-08-19 18:56:41 | 正論より
8月19日付    産経新聞【正論】より


戦後70年に思う 謝罪にけじめをつけた安倍談話 杏林大学名誉教授・田久保忠衛氏


http://www.sankei.com/column/news/150819/clm1508190001-n1.html


 ≪侵略戦争と断罪する不自然さ≫


 考案者は孫子を愛したトウ小平だったか。長年にわたって、最も安上がりで効果的な魔術にかけられた日本にもようやく覚醒の機会が訪れた。「歴史認識」、と一言、北京が示唆しただけで日本の世論はばらばらになり、政府は審議会をつくって日本の侵略はいつから行われたかなど、今頃になって短時間で怪しげな検討を始める。



 ニュースの報道者は居丈高になって「お詫(わ)び」などのキーワードが入っているかと政府に迫る。迫られた方は知恵者が寄って各方面をなるべく刺激しないような語法をひねり出す。お笑いではないか。どこの国も要求しないのに10年ごとに首相談話を出し、旧連合国に詫び状を提出する義務が日本にあるわけがない。自縄自縛に陥ってしまっているのだ。


 謝罪御免!と安倍晋三首相は啖呵(たんか)を切ってくれた。戦後70年談話の核心は「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」で、けじめはついたと思う。国が明確な非を詫びるのは当然だが、一時期騒がれた「土下座外交」は勘弁してほしい。



 日本が卑屈になっていた根本には、東京裁判による満州事変以降の侵略戦争史観がある。首相の「戦後70年談話」の内容を検討した有識者懇談会「21世紀構想懇談会」の報告書で気になるのは、「日本は、満州事変以後、大陸への侵略を拡大し」云々(うんぬん)の「向こう側」に立った表現である。


 歴史観は統一できないので「こちら側」の解釈があって然(しか)るべきだ。歴史には複雑な要素が絡み合って因果関係が形成されていくのであって、満州事変の少し前に定規を当て剃刀(かみそり)で切り取って1945年までの15年間を日本の侵略戦争と決めて断罪する不自然さに、学問的な疑問を感じないのか。

 この間の事情を実態的に調べ上げたリットン報告書以上の詳細な調査結果はない。日本陸軍の暴走を正当化する理由は全く存在しないが、満州問題の複雑性は一言で片付けるにはあまりにも重い。




 ≪「こちら側」の立場を貫く≫


 東京裁判の弁護副団長だった清瀬一郎氏は冒頭陳述第2部の最初に「本紛争に包含せられる諸問題は、往往称されるごとき簡単なものにあらざること明白なるべし。問題は極度に複雑なり。いっさいの事実およびその史的背景に関する徹底せる知識ある者のみ、事態に関する確定的意見を表示し得る者ありというべきなり」とのリットン報告書の表現を引用した。


 安倍首相は有識者会議の報告書を尊重すると述べながら、満州事変に関しては「こちら側」の立場を貫いた。「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」は国際連盟規約、不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)、国連憲章、日本国憲法第9条第1項に貫かれている一貫した原則だ。



 「向こう側」の論理と日本の歴史学界を覆っていたマルクス主義史観の合作は歴史教科書だった。この是正を求めて発足した「新しい歴史教科書をつくる会」が直面したのは、中学校の歴史教科書全てに「侵略」の二文字が躍っている異常な事態だった。しかし、いま「侵略」を変えていないのは、中学歴史教科書8社中3社にすぎない。安倍談話はこのキーワードなるものを取り入れたが、違う文脈で使用した。賢明だと思う。




 ≪戦後日本の不戦条約の精神≫


 安倍談話は「植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と当然の常識を述べたが、チベット、ウイグルなど事実上の植民地を持っている国はどう反応するか。「痛切な反省」が入っているかどうかは「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」を読めば一目瞭然だ。時制は現在完了だ。


 今回の談話に限らず、政府関係の文書に「先の大戦」との曖昧な言葉が無神経に使われているのに辟易(へきえき)している。戦争は日中、日米、日ソのそれぞれ性格の異なる戦いから成っている。日中、日米については触れている紙幅がないが、当時の日ソ関係の凄惨(せいさん)さに目を背けるわけにはいかない。



 戦いの仲介を愚かにもソ連に依頼し、日本の意図を確認したあと日ソ中立条約が1年残っていたのにも拘(かか)わらず、旧満州、樺太、千島列島にソ連の大軍が侵入した。その結果生じた悲劇は、北方四島の強制編入、60万人の関連軍の強制抑留、在満邦人150万人のうちの老幼婦女子が被った凄(すさ)まじい被害など涙なしでは語れない。談話は被害者日本に触れていない。

 戦後の日本が貫いてきたのは不戦条約の精神尊重の一点だと思う。これを犯している国々から歴史戦を挑まれてきたのに対し、穏やかに応じたのが安倍談話だと私は理解している。(たくぼ ただえ)







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戦後70年に思う 無知を生む歴史教育を再考せよ

2015-08-14 12:22:03 | 正論より
8月14日付    産経新聞【正論】より


戦後70年に思う 無知を生む歴史教育を再考せよ 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏


http://www.sankei.com/column/news/150814/clm1508140001-n1.html


 佐伯啓思・京大名誉教授の「ポツダム宣言の呪縛」が、8月7日付の朝日新聞に載っています。表題どおりの問題が論じられていて、そこに「われわれは、われわれの『戦後』の初発に対して無関心」(傍点引用者)とあります。一読、ハタと膝を打ちました。

 佐伯氏は、日本は敗戦によって米国的歴史観を受容したといっています。その上で、「しかし、本当に、われわれはその歴史観に納得し、同調できるのだろうか」との自問が続きます。それは善しあしの問題ではない。国が違えば歴史観が違って当然ということなのでしょう。私は共鳴します。




 《激動期に敷かれるレール》


 先の大戦で日本が敗れたとき、私は国民学校5年生。奈良に住んでいたので空襲は免れましたが、当時の「少国民」は誰もが軍国少年で、私も征空鍛錬班なるものに属して、お国のために死ぬのだと自分に言い聞かせました。わが家の前を集団疎開中の学童が、軍歌を高唱しつつ登校していました。


 世間ではヤミがはびこり、私も母の言いつけで幾度も農家へ闇米を買いに行き、庭ではサツマイモをつくり、空腹を満たしました。ところが敗戦ですべてが一変。進駐してきた米軍にチューインガムをせがむ始末。教科書には墨を塗り、連合国軍総司令部(GHQ)推薦の「くにのあゆみ」が歴史教科書となりました。すべてが逆転、社会の価値観もまた、おおむねひっくり返りました。


 特攻志願で予科練帰りの叔父がわが家に同居したものの、いくつもの戦後小説の題材よろしくグレました。無理もない。はたち前に人生の目標が崩れたとあっては。 叔父とは7つしか年が違いません。が、時代の急旋回のせいで、体験は決定的に違います。私は受益者、叔父は被害者。時代が安定的に推移するなら考えられません。重要なのはむしろ、短い激動期の中に長い政治安定期のレールが敷かれてしまうことです。

 わが国の憲法問題ひとつをとってもそうでしょう。ならば、必要なのは急旋回期、しかも直近のそれを凝視することであり、結局、歴史教育の問題に帰着します。




《時代を逆転させた講義》


 かつて防衛大学校で国際政治史を講じていた時期、私は人が聞いたらあきれるような方法をとりました。歴史の講義は普通、古い時代から現代へと向かいます。私はあえてそれを逆転、まず第二次大戦末期のヤルタ、ポツダム両会談から始めて戦後政治史を先に扱い、しかるのち、国際政治に主権国家が登場した17世紀中葉のウェストファリア条約に戻り、時代を下ることにしました。


 学生は面食らったでしょうが、これが効果的だと私は確信しています。エピソードを紹介します。

 横須賀には日露戦争の日本海海戦で旗艦だった「三笠」が陸上保存されています。あるとき防大生が見学に行きました。一学生いわく。「これじゃあアメリカに負けるよなあ」


 こんな経験もしました。社会人研修団に同行して旅順に行ったとき。二〇三高地で一人が「どうして乃木将軍はこんな爾霊(にれい)山争奪のために多くの将兵を犠牲にしたのでしょう」と話しかけてきました。この高地からは眼下の要衝・旅順港が一望できます。そう説明すると、「そんなこと、機上からやればいいではないですか」と異論。正直、驚きました。航空機が第一次大戦で登場したことを知らなかったらしいのです。




《歴史学の本質を教えよ》


 わが国の歴史教育には問題がありすぎます。通常、古代から現代へと下るため、一つは時間不足から、もう一つは大学入試には出題されない傾向があるため、現代は冷遇されます。その結果、佐伯氏が言うように、各時代の「初発に対して無関心」、いや決定的な無知が生まれるのでしょう。


 先ごろ、文部科学省が7年後をめどに、高校課程での日本史と世界史とを融合した上で、それを必修の「歴史総合」科目とし、加えてその際、近現代史を重視するよう考慮中と新聞が一斉に報じました。私はこの文科省構想に賛成です。しかし、いくつかのコメントを加えたい衝動に駆られます。


 本当に必要な歴史教育とは、まず歴史には法則性がないと教えること。換言すれば、あるのは個別事象の記述のみと言うべきです。左翼史観の影響でわが国では逆に人間も自然の一部だとし、発展法則の説明、つまり偶然に横道にそれるはずはないと説くのが歴史学の役割だとされました。これを否定し、歴史の推移には非均質性と緩急性があると学ぶ者に納得させることです。歩みは国ごとに違い、時代、時代で急流化したり緩慢に流れたりするのですから。これが最重要ポイントでしょう。


 換言すると、歴史事象の個性記述こそが歴史学の本質だと教えなければなりません。高校教育の経験のない人間の書生論であることを承知の上で、問題提起する次第です。(させ まさもり)
















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戦後70年に思う 先の戦争にどんな評価を下すか

2015-08-14 12:17:47 | 正論より
8月13日付     産経新聞【正論】より


戦後70年に思う 先の戦争にどんな評価を下すか 東京大学名誉教授・平川祐弘氏


http://www.sankei.com/column/news/150813/clm1508130001-n1.html



 ≪「日本よりいい国があるか」≫


 ダンテの『神曲』が専門の私だが、個人と国家の体験を織り交ぜて『日本人に生まれて、まあよかった』(新潮新書)を出したら意外に読まれた。戦前戦中戦後を知る私が、本音を語ったのがよかったらしい。米国の旧知が「Born in Japan,it’s nice! あれは本当だ。今の日本くらいいい国がほかにあるものか。謝罪などせず、きちんと自己評価しろ」という。それでやや先だが西暦2045年、日本人が100年前の戦争に対しどんな歴史評価を下すべきか、今から巨視的に考えておく。



 まず微視的に私のことを述べると、中国でも何回も教えて親しい人もいる私だが、今の大陸の体制は御免蒙(こうむ)る。私は自由を尊ぶ親米派だ。戦争中も熱心に英語を勉強した。父は洋行から帰るや昭和15年、小学3年の私に米国婦人に英語を習わせた。その父が米国ロングビーチの油田を写した写真の裏に「全ク林ノ如クヤグラヲ立チ居リ壮観ヲ極ム。吾等石炭ヨリ液化セント努力スルモ此ヤグラ一基カ二基ノ能力ヨリナシ。此石油産出状況ヲ見テ米ト戦ハン等、疾(はや)ル人ノ夢タルノミ、在外武官ハ何ヲ視察シ調査、研究、報告シタルヤ」と書いてあった。「石炭から液化できなくはないがコストが高過ぎる」といった。わが家は理系の合理主義で精神主義に批判的である。8月15日、玉音放送に引き続き「万斛(ばんこく)ノ涙ヲ呑ミ」と内閣告諭が読み上げられるや理科少年の私は「180万リットルも飲めるものか」と悪態をついた。


 そんな家庭での歴史評価はどうか。「五・一五や二・二六で重臣を殺した軍部が悪い」と父。「大欲ハ無欲ニ似タリ。満洲国で止めておけばよかった」と兄。「大きな声で言えないけれど、こうして空襲がなくて夜眠れるのは有難いね」と母。それが敗戦1週間後の会話だった。黙っていた中学2年の私も同感した。




 ≪原爆投下で立場が逆転した≫


 戦災を免れたわが家は接収と決まる。すると父はおなかの大きな姉を嫁ぎ先から呼び戻し「妊婦がいる」と占領軍の接収を延期させた。しかし甥(おい)が生まれ姉が秋田へ戻ると一家は立ち退かざるを得ない。和風の家にペンキを塗る足場が組まれる。しかし「相手が米国だからお産がすむまで待ってくれたのだ。これがソ連ならそうはいかん」と父は言った。


 私の歴史評価は当時も今も同じだ。軍部が政府に従わず、解決の目途も立たぬまま中国で戦線を拡大した責任は大きい、また軍部に追随した新聞も悪い。私は日米同盟の支持者だから左翼に悪用されても困ると大声では言わなかったが、先の大戦で軍国日本が悪玉だったとしても、1945年8月6日にその立場は逆転した-そう判定している。


 降伏交渉中の日本に原爆を投下した米国は極悪非道の悪玉で、米国の原罪は末永く記録されるだろう-ダンテがいま『神曲』を書くならトルーマン大統領は、死ぬ前に原爆投下を命じた前非を悔いていないかぎり、地獄で焼かれているはずだ。その罪を帳消しにするために「慰安婦20万」とか日本側の大虐殺とか誇大に主張する輩(やから)もいるらしいが、よし見ていろ、そうした良心面した連中の赤い舌は必ずや『神曲』未来篇で抜いてやる、と私は考えている。


 そこでヒトラーは地獄のガス室に詰め込まれ、スターリンはさらに下層で氷漬けなのは、それだけ殺した人数が多いからだ。だがさらに下に一人黄色い顔をした大物の主席が「こちらの方がもっと多いぞ」と居丈高である。それが誰か皆わかるが、恐ろしくて名前を口にすることもできない。




 ≪大失策だったドイツとの同盟≫


 ここで日本国家の行動を反省したい。連合国は軍国日本についてまるで知らなかった。日本が極東のドイツに擬せられたのは、日本がナチス・ドイツと同盟したからだ。先の大戦でわが国の大失策は、ユダヤ人全滅を図った国と同盟を結んだことだ。


 しかし日本はドイツがそんな是非を弁(わきま)えぬ人種政策を実行するとは、同盟を結んだ近衛文麿も松岡洋右も知らなかった。ドイツで日夜精勤していた父もわからなかった。それはいま大陸に勤務する日本人技術者や商社マンがチベット人弾圧の詳細を知らないのと同じだろう-。そんな平川家は親独派で、一族は父も兄も義兄も私も旧制高等学校は理科でドイツ語を学んだ。和独辞典を擦り切れるほど使ったのは父だ。戦争末期にドイツから潜水艦で運ばれたというロケットの設計図の青写真が父のもとへ届けられた。敗戦後、屋根裏に隠したが後で焼却した。



 朝鮮についてはどうか。「本国にもない大工場を植民地に建設した国が日本の他にあるか。あるなら言うてみい」と父は怒って言った。鄭大均編『日韓併合期ベストエッセイ集』(ちくま文庫)はいい本で、そこに父も建設に参画したらしい硫安の工場の話が出ている。(ひらかわ すけひろ)



















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戦後70年に思う 安保法制論議で甦る「曲学阿世

2015-08-07 17:29:31 | 正論より
8月7日付    産経新聞【正論】より


戦後70年に思う 安保法制論議で甦る「曲学阿世」   評論家・屋山太郎氏


http://www.sankei.com/column/news/150807/clm1508070001-n1.html


 原爆の遺物を見せたり、戦火の犠牲者にインタビューして戦争の悲惨さを語らせる。先日、テレビでコメンテーターが「この語り部たちが戦火を防ぎ、平和を永続させてくれる」というのにはあぜんとした。

 私も昭和20年5月25日、東京で大規模な空襲に遭って、妹の手を引きながら、猛火の中を逃げ回った。両親とはぐれて一家はちりぢりとなった。明朝、焼け跡に集まれたのは奇跡だったが、父は顔面を焼いて重傷だった。だが私は戦争を語ることのみや、あるいは武装しないことによって平和が保たれるとは思えない。




 ≪「平和と全面講和」の虚構≫


 国会で憲法学者が与党推薦も含めて「集団的自衛権の行使は憲法に抵触する」と語ったというので、安倍晋三内閣の支持率が急速に下がった。この様をみながら、私が高校生だったころの吉田茂首相を思い出した。


 当時は米軍占領下で、占領が終われば、各国と講和条約を結んで独立することになる。吉田首相は「米国と単独講和条約を結ぶ」と表明していた。一方で「社会主義のほうがよい国がつくれる」との考え方も多く、学者たちは「中ソとの講和」をしたかったのだが、それでは米国を敵視することになる。そこで米中ソなど全員との「全面講和」を主張した。


 吉田首相の単独講和論に対して、学者の総代ともいえる南原繁東大総長は「『全面講和』は国民の何人もが欲するところ。これを論ずるは政治学者の責務である」と食らいついた。昭和25年3月の東大卒業式でも「平和と全面講和論」を説いた。

 これに怒った吉田首相は「南原総長などが政治家の領域に立ちいって、かれこれいうことは、曲学阿世の徒にほかならない」と批判した。曲学阿世とは史記に出てくる言葉で、時代におもねる学者のことだ。




 ≪訓詁学に陥った一部の憲法学者≫


 現在、日本は中国の脅威に直面している。中国は米国に太平洋を半分ずつ管理しようとか、米中だけの「新型大国関係」をつくろうと言っているが、半分ずつに分けられたら日本はどちらの側に入るのか。学者の多くが集団的自衛権行使に反対しているのは、かつての「全面講和」論に通底しているのではないか。


 吉田首相は単独講和に踏み切ったが、日本は米国の保護国のような立場だった。これに先立って朝鮮戦争が勃発する。戦力ではないといいながらも警察予備隊を創設せざるを得なかった。岸信介首相は保護国の地位から脱するため、日米安保条約を改定する。


 しかし、創設された自衛隊は所詮、警察体系の行動原理しか与えられない。これを安倍首相は第1次内閣で防衛庁から防衛省に昇格させ、防衛に有効な姿にする目的で安保法制を整備しようという。

 憲法に書いていなくてもどの国も自衛権を持つ。日本の場合の歯止めは9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」である。殴られなければ殴ってはいけない。殴られたら防衛することはできる。その防衛のために集団的自衛権がある。日本では長い間、集団的自衛権について「権利はあるが、行使はできない」と解釈してきた。権利があって行使ができない“定義”はどこの国の辞書に載っているのか。

 国連憲章は集団的自衛権を認めている。新安保法制は敵からの攻撃により、「自国の存立を危うくする」なら、必要最小限の武力の行使を集団的自衛権の下で行ってもよいとする。

 一部の憲法学者たちは「訓詁(くんこ)学」をしているがごとくである。訓詁とは漢字の意味を確かめる学問の遊びに陥って、文章をわきまえないことをいう。




 ≪中国の脅威の現実を語れ≫


 憲法学者に問う。現憲法では「国会は国権の最高機関」だと定めている(41条)。その国会が選んだ首班が内閣を組閣し、指揮をとる。内閣法制局などは行政機関の一部であって、ここに憲法解釈の最高権威を持たせることはあり得ない。


 武器がなければ、戦争は起こらないという信仰は捨てた方がよい。攻める側に「手痛い反撃を食うかもしれない」と思わせるに勝る抑止力はない。英国のチェンバレン首相は「ヒトラーは戦争をするつもりはない」と相手の意図を見損ない、軍備増強策を怠ったため、ヒトラーの増長を招いた。


 日本が米国との戦争に踏み切ったのは、官僚内閣制の大失敗だった。内閣の実権を軍部に取られて戦争回避策がことごとく潰された。現代はその時代とは基本的に異なる。議会で選ばれた首相が自衛隊の最高指揮官だ。軍事についてもっと国民は理解すべきだ。


 安保法制を理解させようと安倍首相は家屋の火事のたとえ話をしているが、適切ではない。中国が軍事費を毎年拡大し脅威が増す一方で、米国が軍事費を減らしている現実を語ったほうがよい。(ややま たろう)












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戦後70年に思う 歴史認識問題で反転攻勢かけよ

2015-08-05 12:12:52 | 正論より
8月5日付    産経新聞【正論】より


戦後70年に思う 歴史認識問題で反転攻勢かけよ  拓殖大学総長・渡辺利夫氏


http://www.sankei.com/column/news/150805/clm1508050001-n1.html


《朝日が造作したプロパガンダ》


 被害者の記憶は加害者のそれよりはるかに強く、容易には没却できないものだと人はよくいう。そういう人がとかく語りたがるのは中国と韓国のことである。中韓と日本との間には戦後70年を経てもなお解決をみない問題が残されているといい、中韓から提起される歴史問題への日本人の自省が不十分なために和解の道が容易に開かれないともいう。日本のジャーナリズムの常套(じょうとう)句である。


 しかし、この常套句には人々を欺く嘘が含まれている。1951年に始まり65年に決着した日韓国交正常化交渉で慰安婦問題が議論になったことはない。国交樹立後も、朝日新聞による旧日本軍の慰安婦強制連行報道が開始される90年代初期までは慰安婦問題が日韓の外交課題となることもなかった。問題の出発点は、92年1月12日付の社説「歴史から目をそむけまい」によって原型が定まり、その後大規模に展開された朝日のプロパガンダであった。


 慰安婦問題が戦後70年の長きにわたって日韓の和解を妨げてきた問題だという主張は作為(さくい)である。日本人が日本を貶(おとし)めるために90年代に入って造作した話なのである。韓国の指導者にとってもこの造作は、少なくとも当初は迷惑なものであった可能性がある。

 「実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、わが国の国民の反日感情を焚(た)き付け、国民を憤激させてしまいました」というのが当時の盧泰愚大統領の発言である。何か戸惑いのようなものが感じられないか。


 しかし、世論を自らにひき付けて日本に臨む絶好の外交カードとしてこれを用いようと韓国の指導者が意を転じたとして何の不思議もない。実際、「歴史問題の政治化」は功を奏し、93年には河野談話、95年には村山談話という韓国の対日糾弾に有力な論拠となる政府見解を日本側から引き出すことに成功したのである。





 《欧米に浸透した日本糾弾》


 朝日報道は、後に秦郁彦氏や西岡力氏の精力的な実証分析により誤報であることが判明した。朝日自身が昨年8月の検証記事により吉田清治証言を虚偽として記事を取り消し、慰安婦と挺身(ていしん)隊との混同についての検証が不十分であったことを明らかにして、後に社長の謝罪となった。


しかしこの間、韓国は日本糾弾のキャンペーンを欧米で活発に展開、旧日本軍の「悪」は欧米のジャーナリズムとアカデミズムに深く浸透してしまった。日本人の油断に慚愧(ざんき)の思いが深い。



 米国マグロウヒル社の高校生用の歴史教科書には、20万人が強制徴用、彼女らは「天皇からの贈り物」(a gift from the emperor)として兵士に供され、戦争が終わった後は証拠隠滅のために殺害されたという、まったく根拠のない、それに非礼この上ない記述が平然となされるにいたった。日本外務省も黙認することはできず、昨年末に訂正を同社に求めたものの記述に変更はない。



 あまつさえ、今年2月には米国の歴史学者19人が「われわれはマグロウヒル社を応援するとともに、いかなる政府も歴史を検閲する権利をもたない」と逆襲に出たのである。


 今年5月には欧米の日本研究者ら187人が連名で声明文を発表し、日本の「慰安婦」制度は、その規模、軍による組織的管理、植民地・占領地の女性搾取などの点からみて、20世紀の戦時性暴力の中でも特筆すべきものだと難じた。根拠資料は何も示してはいない。連名者の中にエズラ・ボーゲル氏やロナルド・ドーア氏といった名前があって驚かされる。





 《真実は事実の中にのみ宿る》


 戦後の日本の自由と民主主義は祝福に値するものだが、真の祝福を妨げているのは日本の「歴史解釈の問題」だという。「特定の用語に焦点を当てた狭い法律的議論」や「被害者の証言に反論するためのきわめて限定された資料」にこだわってはならないと諭し、「過去の過ちについて可能な限り全体的、かつできる限り偏見なき清算をこの時代の成果としてともに残そうではないか」と結ばれる。


 国家や民族による「歴史解釈」の相違を許さない傲慢を私は強く感じる。無数の民間非戦闘員を殺戮(さつりく)した広島、長崎への原爆投下や東京大空襲について、日米の歴史解釈が異なって当然のことであろう。自分の解釈に従えというのなら、国家関係は成り立たない。96年のクマラスワミ報告として知られる国連人権委員会報告、2007年の米国下院外交委員会での慰安婦決議などの「権威」には逆らうなということか。


 慰安婦問題は日本国内では大方の決着が付いたものの、肝心の国際社会では日本は無援の孤立を余儀なくされている。ことは日本自身の歴史解釈に関わる。真実は事実の中にのみ宿ると考えるまっとうな日本の歴史学者を糾合、反転攻勢に出ようと臍(ほぞ)を固めている。(わたなべ としお)







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日本挑発する北方領土訪問計画 

2015-07-29 11:35:28 | 正論より
7月29日付      産経新聞【正論】より


日本挑発する北方領土訪問計画    新潟県立大学教授・袴田茂樹氏


http://www.sankei.com/column/news/150729/clm1507290001-n1.html


 7月23日の露閣僚会議でメドベージェフ首相が、北方領土訪問の意向と国境防備のための島の軍備強化方針を打ち出し、他の閣僚たちにも訪問を強く誘った。日本への挑発的な言動である。この報道に接して、私は3年前の深刻な事態を想起せざるを得なかった。



 《韓国、中国へも“飛び火”》


 2012年7月末に、民主党の玄葉光一郎外相とラブロフ外相の会談がロシアで予定されていた。しかし7月初めに突然メドベージェフ首相が国後島を訪問し、しかも日本に対してきわめて侮辱的な発言をした。外交常識から見て当然、日本は外相会談をキャンセルするか延期すべきだった。


 しかし日本政府は抗議したが行動では逆に、玄葉外相は予定通り訪露し、しかもプーチンへの秋田犬のプレゼントまで持参した。


 これを注視していたのが韓国の李明博大統領だ。専門家によると、李大統領は領土問題に関し日本は真剣勝負ではないと見て、直後の竹島訪問(8月)を決断したという。これが転回点となって、日韓関係が一挙に悪化した。

 さらに翌9月、尖閣諸島が国有化されると、私有地の国有化は主権問題とは無関係にもかかわらず、中国が主権問題だと大騒ぎをし中国各地で反日暴動が起きた。



 北方領土問題は主権侵害の問題だが、日本が真剣な対応をしないと、他の外交、安全保障さらには経済問題にも大きな影響が及ぶという具体例である。

 先日の露閣僚会議では、来年から10年間の新クリール発展計画も採択した。これは軍事と民生を結合した島の総合開発計画で(予算700億ルーブル)、島の人口も25%増の2万4千人にする計画だ。6月にはショイグ国防相が択捉、国後の軍事拠点建設などの2倍加速を命じ、露国内ではこれは日本の領土返還要求への対応と報じられた。クリール発展計画も軍備強化も、島を日本に返還するつもりはないとの意思表示でもある。




 《なぜいま対日強硬策なのか》


 筆者は露屈指の日本専門家と日露関係について3月から5月にかけて往復7回の公開論争を続けた。露側の結論は、日本は数十年か無期限、領土問題は一切提起せず、露との協力関係を推進すべしというものだ。今回のメドベージェフの島訪問に関する露側報道でも、「露は島の共同開発を提案しているが、条件は日本側が領土要求を忘れて経済協力に集中すること」としている(『RIAノーボスチ』2015年7月25日)。



 わが国では、プーチン大統領の年内訪日が検討され領土交渉進展が期待されている。それに配慮し、欧米諸国が6月以後、対露批判を強めているにもかかわらず、対露制裁も控えめにしてきた。従って、なぜいま対日強硬姿勢なのか、との戸惑いの声が政府などからも出ている。「大統領は北方領土問題解決に強い意欲を示しているのに、首相がそれを阻害する言動を繰り返している」といった報道さえある(朝日新聞 7月24日)。しかしこの認識は間違いだ。

 4島の発展計画や軍備増強も、プーチンの意に反して首相や国防相が進めることはあり得ず、当然、大統領の指示で推進されている。北方領土問題でも大統領自身が強硬姿勢なのだが、わが国ではほとんど報じられていないので、説明しよう。




 《露大統領招聘は正しい行動か》


 北方四島の帰属(主権)は未定と両国が公式に認めていたのに、平和条約交渉に関連して「4島が露領であるのは第二次大戦の結果だ」と初めて述べたのはプーチンだ(2005年9月27日 露国営テレビ)。彼は2012年3月に、朝日新聞の若宮啓文主筆に領土問題で「ヒキワケ」と述べ注目された。その時彼は、日ソ共同宣言に従って歯舞、色丹を日本に引き渡しても、「その後それらの島がどちらの国の主権下に置かれるのか、宣言には書いてありませんよ」との強硬発言をしたが(昨年5月にも同じ発言をしている)、朝日や他の日本メディアはこの強硬部分を報じなかった。


 またその時、彼は「両国外務省に(交渉)ハジメの指令を出そう」とも述べたが、その後、露外務省は日本外務省との領土交渉を拒否してきた。もちろん、反大統領ゆえではなく、彼の指令がないからだ。プーチンが外務省に話し合いをさせようなどと人ごとのように言うこと自体、解決の意思がない証拠だ。両外務省は何十年も議論をし尽くしているが決定権はなく、いま残されているのは両国首脳の決断だけだからだ。


 ではこの状況で日本として露にどう対応すべきか。わが国は北方領土問題に関して、しばしば露側に抗議し言葉で批判するが、行動が伴わず、時には逆の行動さえとる。従って、日本の抗議は単なる「儀式」だと、露首脳たちにも揶揄(やゆ)される。結局いま問われているのは、今年プーチン大統領を招くのは国家として正しい行動なのか、国家主権の問題でまた誤解を招くことにならないか、ということである。露との良好な関係構築は必要だが、それと個々の問題への対応ははっきり区別すべきだ。(はかまだ しげき)














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世界遺産でゴネた強制性の意味

2015-07-09 15:59:25 | 正論より
7月9日付    産経新聞【正論】より


世界遺産でゴネた強制性の意味   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/150709/clm1507090001-n1.html


 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産に登録することを決めた。これまでご努力なさってきた方々に祝賀と慰労の言葉を贈りたい。


 ≪繰り返される韓国の要求≫


 だが6月29日付の「正論」欄で、私は次のように予告しておいた。「今回の世界遺産申請抱き合わせでもわかるように、韓国の自律行動は、ゴネ、イチャモン、タカリという至極低劣な『民族の最終独立兵器』によって全うされるのが常」「この点に関しての彼らの『恥』意識は存在しない」「むしろ今後、さまざまな要求を抱き合わせてくる可能性がある。わが国が注意しなければならないことはむしろこちらの方」だ、と。


 佐藤地ユネスコ政府代表部大使は「1940年代に一部の施設で大勢の朝鮮半島の人々などが意に反して連れてこられ厳しい環境下で労働を強いられた」「この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、適切な措置を取る用意がある」と述べたという。だが気を付けなければならない。韓国は「明治日本の産業革命遺産」の標榜や情報センター表示の文言に、確実に「強制性」を盛り込むように、ゴネとイチャモンを国内外のさまざまな団体を使って繰り返すことであろう。


 なにしろ会場の外に来ていた反日団体と、韓国の代表団を率いる趙兌烈外務第2次官が、手を取って激励し合う姿をNHKの報道で見てしまった。この趙氏が日本側の言及した措置について、世界遺産委員会に対し確実に実行されるか検証するよう求めたのだった。



 米軍進駐により棚ぼた式に独立を手に入れた韓国には、もとより国家の正統性がない。少なくとも独立運動で戦った生き残りは北朝鮮の故金日成主席の方で、こちらに正統性がある。そこで韓国ではさまざまな歴史の捏造(ねつぞう)を繰り返し、ドロップアウターやテロリストを英雄にせざるを得なかった。


 日韓併合は不法であり、彼らが日本の不法と戦い続けたという物語を作成し、日本人に同化して生き続けた統治時代のコリアンの生を無化しようとしたのである。だが、朴槿恵大統領の父、朴正煕氏が満州国軍の将校、高木正雄だったことや、結局、世界を魅了し得なかった韓国近代文学の祖、李光洙が香山光郎と名乗ったことを否定することはできなかった。




 ≪残るは「徴用工」問題≫


 否定するには、強制されてやむなくそうしたのだという口実が必要なのである。「強制性」さえあれば、不法だったと言い訳ができる。日韓併合自体を不法だとする主張は、既に2001年11月に米ハーバード大学、アジアセンター主催の日・米・英・韓の学者による国際学術会議で退けられた。今回「強制性」から不法を導くというのはいわばからめ手である。


 「慰安婦」「徴用工」も「強制性」を剥奪されれば、ただの同化日本人にすぎない。朝日新聞が「従軍慰安婦」の誤報を認めたことで「強制性」の大半は剥奪された。残るは「徴用工」で、韓国は必死に挑んでくることだろう。



 問題はそもそも国初をめぐるボタンのかけ違いにあった。たとえ棚ぼた式独立だとしても、民主主義、法治主義、基本的人権の尊重などが満たされれば、韓国は立派な近代国家としての正統性を得ることができ、北朝鮮のような無法国家を凌駕(りょうが)できたのである。しかし、そうはならなかった。

 法治主義は、司法の為政者に対する「忠誠競争」により劣化し崩壊した。人権の尊重は、セウォル号沈没やMERS(マーズ)感染拡大に見られるように停滞し、さらに恐ろしい半災害・人為的事件が引き起こされることが予測される。




 ≪「反日」めぐる危険な共闘≫


 内政は破綻し、外政で追い詰められる朴槿恵大統領は、政治家としてはいたく素人である。すでに政府や軍の中に北朝鮮シンパがたくさんいるのだ。外相の尹炳世氏からしてそうである。


 彼は盧武鉉大統領(03年2月~08年2月)の左翼政権時代に国家安全保障会議(NSC)室長、外務省次官補、大統領府外交安保首席秘書官など外交分野の実務や重要ポストを歴任し、盧武鉉・金正日氏による南北首脳会談実現の立役者となった。尹氏は政権が代わると09年からは西江大学(朴槿恵大統領の出身大学)の招聘(しょうへい)教授となり、10年末に発足した朴氏のシンクタンク「国家未来研究院」で外交・安保分野を担当し、朴政権で外相になった。「国家未来研究院」時代の同僚を洗うと、北朝鮮シンパがゴロゴロと出てくる。

 今回の世界遺産登録で、反日団体と趙兌烈外務第2次官が手を取って激励し合っている姿に、私は従北勢力の市民団体と政権内部の北朝鮮シンパとの「反日」をめぐる危険な共闘を見るのである。

 恐らくアメリカは、政府内部、軍内部のリストアップをより着実に行い、韓国が南ベトナムにならないための担保として、高高度防衛ミサイル(THAAD)設置を踏ませようとしているのであろう。絵踏みしなければ米軍撤退はより確実なものになるだろう。(ふるた ひろし)













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韓国の歴史認識に潜む尚古主義

2015-06-29 09:04:00 | 正論より
6月29日付    産経新聞【正論】より


韓国の歴史認識に潜む尚古主義   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/150629/clm1506290001-n1.html


 ≪過激化する「衛正斥邪」≫


 反日の国家的扇動により戦後最悪の日韓関係を醸成した朴槿恵政権は6月21日、尹炳世外相を日本に送り、日韓外相会談をもった。会談では「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録をめぐり、韓国の「百済の歴史地区」とともに登録されるよう、日韓両国が協力していくことで一致した。

 「百済の歴史地区」とは5月4日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)が、韓国の公州・扶餘・益山の百済時代を代表する遺産を網羅する「百済歴史遺跡地区」を世界遺産に登録するようユネスコに勧告したもので、ドイツで開催される世界遺産委員会で登録決定の可能性を探っていた。つまり、今回の両遺産申請抱き合わせは韓国が日本に妥協するための苦肉の策だった。


 さらに、日韓の国交正常化から50年となる6月22日、東京とソウルでおのおの開かれる記念行事について、東京の行事には安倍晋三首相が、ソウルの行事には朴槿恵大統領が出席した。すなわち、韓国は事ここに至り、日韓基本条約の基本線にもどり、日米の協力のもとに築き上げた、戦後自由経済と自律との並立への回帰を余儀なくされたのである。以後韓国は、唯一の自律の表現であった「反日」のトーンを下げざるを得ず、日米という外国勢力の下で逆に一層他律的になることだろう。



 北朝鮮のような外国無視の「自律」を正統性の表現と見る韓国の従北勢力は、3月に「生麦事件」のごときリッパート駐韓大使襲撃事件を起こし、「反日」から「攘夷」へ外勢排撃へのトーンを上げている。外資占有率が50%を超える企業が、毎年4月期に外国人投資家に行う配当が、韓国の国民生産の国内消費を無化してしまう。

 彼らにとって経済植民地と化した「南朝鮮」は他律そのものであり、韓国を自律の道へと導くべく、行動はさらに過激化するものと思われる。民族の行動パターンとしてはこれを「衛正斥邪(えいせいせきじゃ)」(正道を衛(まも)り邪道を撃退する)という。




 ≪憤怒が向けられる可能性≫


 彼らの自律と他律をめぐる悲哀は、行き止まりの「廊下国家」という不運にある。自律を取れば李朝や北朝鮮のように国境を閉ざし防衛経済に転ずるしかない。その代わりに国内は貧窮化する。国を開き、外資を呼び込めばやがてはのみ込まれ他律的になる。


 だが、同情してはならない。今回の世界遺産申請抱き合わせでもわかるように、その自律行動は、ゴネ、イチャモン、タカリという至極低劣な「民族の最終独立兵器」によって全うされるのが常だからである。だからこの点に関しての彼らの「恥」意識は存在しないのだ。むしろ今後、さまざまな要求を抱き合わせてくる可能性がある。わが国が注意しなければならないことはむしろこちらの方で、他律的にされたとして嫉妬と憤怒を向けてくるかもしれない。



 現在、世界政治を俯瞰(ふかん)するに、「尚古主義」が華やかである。中国の「中華の夢」、ロシアの「ソ連復興」、ムスリムの「カリフ制再興」、これらは単なる戦略ではなく、本当に昔は良かったと思い込んで行動に移されているのである。「漢代には南シナ海も東シナ海も中国のものだった」と、本当に思い込んでスプラトリーに人工島や軍事拠点を造っている。ロシアも同じ尚古主義でウクライナからクリミア半島をもぎ取った。

 「イスラム国」に至っては悲願の「カリフ制再興」を実践に移し、イラク・シリア国境を廃棄させ、国境画定のサイクス・ピコ協定を無化しようとしている。




 ≪示された人権意識の停滞≫


 尚古主義とは、江戸末期を生きた祖父が、明治生まれの孫に「昔は食べ物がもっとうまかった」といい、「ライスカレーも?」と孫に問われると、「そうだ。オムレツもだ」と、さらに過激化していくような主義のことである。


 孫はそう思い込んで仮想の復興に邁進(まいしん)する。日本で「歴史認識問題」とか「歴史戦」とかいわれている国際問題の根底にあるのは、実は前近代エトスたちのもつ「尚古主義」との戦いなのである。



 現在ではこれが主権国家の領域を破壊するほど危険になっていることを、われわれは中国・ロシア・「イスラム国」の現在から透視しなければならないだろう。



 さて、韓国である。日本統治時代の対日協力者子孫の財産没収を求める法案の国会成立から、加藤達也産経新聞前ソウル支局長の在宅起訴に至るまでの法治主義の崩壊、セウォル号沈没やMERS(マーズ)感染拡大は自然災害ではなく人為的な事件であり、韓国人の人権意識の停滞を明示している。


 近代化に失敗した韓国には、大国のごとき危険な尚古主義は果たせないまでも、歴史認識に名を借りた卑劣な尚古主義による攻撃がこれからも繰り返されることになろう。わが国では先般、参院予算委員会で三原じゅん子参院議員が「八紘一宇」という古式ゆかしい言葉を用いたが盛り上がりもしなかった。これが健全なる近代の成熟と近代化の終了である。(ふるた ひろし)












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安保法案あげつらう余裕はない

2015-06-17 13:23:59 | 正論より
6月17日付     産経新聞【正論】より


安保法案あげつらう余裕はない   麗澤大学教授・八木秀次氏


http://www.sankei.com/column/news/150617/clm1506170001-n1.html


 ある憲法学者に「『憲法の先生』と名のると笑われること」と題するエッセーがある。久しぶりの同窓会などで、「何を教えているの?」と聞かれ、「法律だ」と答えると、「ほう」と恐れ入ったような顔をする。「専門は?」と深入りされて「憲法だ」と答えると、どういうわけか「アッハッハ」と笑われるというのだ。もちろん嘲笑だが、著者は理由を「ひょっとしたら、憲法を楯(たて)にとって、笑われても仕方のないような非常識なことをいう人が少なくない上、憲法学者までそれにまじっているのではないか、と思われてきた」と分析している(尾吹善人著『憲法徒然草』三嶺書房)。




 ≪ポツダム体制下での現行憲法≫


 現在、国会で審議が行われている安保法制関連法案について、今月4日の衆院憲法審査会で3人の憲法学者がそろって「憲法違反」と指摘したことで、野党や一部のメディアが鬼の首をとったように騒いでいる。同日の憲法審査会のテーマは「立憲主義」で安保法制関連法案ではなかった。直接関係のないテーマについて民主党の議員が質問し、3人の憲法学者が応じた形だ。政治的意図を感じる。


 現行憲法は、わが国がポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦に敗れ、連合国の軍事占領を受けている中で制定された。戦後の国際秩序は連合国が中心になったもので、一般に「ポツダム体制」と呼んでいる。そこにおける日本の位置付けは、連合国の旧敵国で、「米国及び世界の平和の脅威」(米国の初期対日方針)というものだった。そしてそれを固定するものが現行憲法であり、とりわけその9条2項だった。


 憲法の原案を起草した連合国軍総司令部(GHQ)民政局の次長だったチャールズ・ケーディスは憲法制定の目的は「日本を永久に非武装のままにすることだった」と後に語っている(古森義久著『憲法が日本を亡ぼす』海竜社)。9条2項が戦力の不保持や交戦権の否認を規定したのは日本にそのようなものを持たすと悪事を働き、世界平和の脅威になるという認識に基づいていたからであり、そのために「非武装」にしようとしたのだった。憲法改正の要件を世界有数の厳しいものにしたのも非武装を「永久」のものにするための措置だった。




 ≪サンフランシスコ体制へ≫


 しかし、「ポツダム体制」は長くは続かなかった。連合国が内部分裂し、東西冷戦すなわち自由主義対共産主義の激しい対立が発生した。東アジアではそれが朝鮮戦争として現れ、これによって米国の対日認識も大幅に変わった。


 日本は世界の平和を脅かす旧敵国ではなく、自由主義陣営の一員として共産主義と闘う同志であり、共産主義への防波堤となることが期待された。朝鮮戦争が始まったのは昭和25年6月だが、GHQは日本政府に命じて警察予備隊を8月に発足させた。再軍備の始まりだ。警察予備隊は保安隊を経て自衛隊へと発展していった。


 昭和26年9月、日本は自由主義諸国とサンフランシスコ講和条約を結び、同27年4月に同条約が発効し、主権を回復した。講和条約締結と同時に日米安保条約も結ばれ、日米は同盟関係になった。「ポツダム体制」が崩壊した後に日本が属している国際秩序を「サンフランシスコ体制」と呼ぶ。

 日本国憲法は「ポツダム体制」における日本の立場を固定するために制定された。しかし、前提となる「ポツダム体制」は崩壊し、代わって誕生した新しい国際秩序「サンフランシスコ体制」に基づいて安全保障体制は築かれた。




 ≪「憲法残って国滅ぶ」の愚≫


 憲法の規定と実際の安全保障とがその立脚する体制・原理を異にするのであるから、その矛盾を解消しなければならない。

 矛盾解消の動きは昭和29年の鳩山一郎内閣から始まった。3度の国政選挙を憲法改正の是非を争点に戦ったが、改憲の発議に必要な議席は得られず、改憲は棚上げされ、一度の改正もなされず今日に至っている。96条の改正要件があまりに厳しいためだ。


 憲法の規定と実際の安全保障体制との間に齟齬(そご)・矛盾があることは誰にもわかる。しかし、憲法を楯にとって安保法制関連法案の非を論(あげつら)っている余裕が今のわが国にあるだろうか。中国は南シナ海の岩礁を次々に埋め立て、軍事目的で使用することを公言している。米国何するものぞという勢いであり、余波が東シナ海に及ぶ可能性は高い。


 安全保障のリアリズムの考えによれば、力と力がぶつかるときに均衡が生じ、平和は訪れる。わが国が主権を維持し、中国との戦闘を避けるためには日米関係の強化が不可欠だ。それが戦争を避ける抑止力になるからだ。そのための措置が安保法制関連法案だ。


 憲法との矛盾は誰にでも指摘できる。しかし、わが国は生き残らなければならない。「憲法残って国滅ぶ」では困るのだ。矛盾を矛盾と知りつつ、知恵を出すのが常識ある憲法学者の役割ではないのか。世の嘲笑の対象になることは避けなければならない。(やぎ ひでつぐ)











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安保法案は日本存立の切り札だ

2015-06-10 16:53:31 | 正論より
6月10日付     産経新聞【正論】より


安保法案は日本存立の切り札だ   京都大学名誉教授・中西輝政氏


http://www.sankei.com/column/news/150610/clm1506100001-n1.html


 現在、国会で審議中のいわゆる安全保障関連法案の一日も早い成立が望まれる。これは間違いなく日本にとって、またアジアと世界の平和にとって、きわめて重要な意義を持つものだからである。



 ≪「護憲派」の的外れな批判≫


 周知の通り、同法案は5月26日に衆院特別委員会で審議入りし、目下、序盤戦とも言える段階で与野党の論戦は早くも熱を帯び始めている。例によってと言うべきか、「この法案が通れば日本が戦争に巻き込まれる」とか「徴兵制に道を開くことになる」あるいは何だかよくわからないが「とにかく違憲だ」といった声がまたぞろ出始めている。

 これらは、従来の安保政策に重要な変化をもたらすとみられた法案や政策が問題になると、それに反対する陣営からつねに喧伝(けんでん)されてきた常套(じょうとう)句と言ってもよいが、この法案の重要性と日本周辺の危機の切迫に鑑みれば、こうした声に対して単に「またいつものことか」とばかりは言っておれないのである。


 「好事魔多し」というべきか。たとえば年金情報の流出問題などによって今国会後半のスケジュールが見通せなくなったり、声高な反対メディアの喧伝のせいか現時点での各種世論調査など気がかりな要素も見られたりしている。また、6月4日の衆院憲法審査会で自民推薦の参考人がこの法案を「憲法違反」と断じたことが波紋を引き起こした。


 しかしこの参考人は、いわゆる「護憲派」として以前からこの法案に反対する団体の活動に従事しており、またこの10日前の新聞紙上で安倍晋三首相のポツダム宣言をめぐる発言に対しても的外れな批判をしていた人物だった。

 単純な「人選ミス」ともいえるが、従来日本の保守政党や保守陣営は学者の世界の事情にことのほか疎く、およそ学界というものに対し危ういくらい無知なことが多かった。他方、野党や一部メディアはこれを鬼の首でもとったかのように「痛快」がって見せたが、裏を返せば正面からの攻め手に事欠いていたということだろう。




 ≪限定的集団的自衛権に余地≫


 この参考人は「(同法案は)従来の政府見解の基本的論理では説明できないし、法的安定性を大きく揺るがす」とするが、これはまさに昨年7月の閣議決定の際の論議の蒸し返しである。この法案では、いわゆる集団的自衛権の行使には「新三要件」として、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」など、きわめて厳しい限定条件が付されている。


 これは1959年の最高裁判所の出した「砂川判決」がつとに認めた、主権国家としての「固有の自衛権」(個別的自衛権ではない)に収まるものである。また60年3月に当時の岸信介首相が参議院予算委員会で答弁しているように「一切の集団的自衛権を(憲法上)持たないというのは言い過ぎ」で、集団的自衛権というのは「他国にまで出かけていって(その国を)守る、ということに尽きるものではない」として、現憲法の枠内での限定的な集団的自衛権の成立する余地を認めてきたのである。この法理は、もとより安倍首相が岸元首相の孫にあたるということとは何の関係もない普遍的なものである。


 また昨年5月15日に出された安保法制懇(第2次)の最終報告書が言う通り、一般に集団的自衛権の行使を禁じたとされる内閣法制局の見解に対しては、我が国の存立と国民の生命を守る上で不可欠な必要最小限の自衛権とは必ずしも個別的自衛権のみを意味するとはかぎらない、という論点にも再度注意を払う必要があろう。




 ≪急速に悪化する国際情勢≫


 そしてこの「必要最小限」について具体的に考えるとき、現下の国際情勢とりわけ日本を取り巻く安全保障環境の激変というか、その急速な悪化にこそ目が向けられるべきだろう。もちろん理想的には憲法の改正によって議論の余地ない体制を整えてやるのがよいに決まっている。


 しかし憲法の改正に必要な発議を行う当の国会の憲法審査会の開催を長年阻んできたのは、まさに現在この法案に反対している人々だったのである。とすれば、今日の急迫する東シナ海や南シナ海をめぐる情勢と中国の軍事的脅威の増大、進行する米軍の抑止力の低下傾向を見たとき、この法案はまさに法治国家としての国是を踏まえ、ギリギリで折り合いをつけた日本存立のための「切り札」と言わなければならないのである。


 今や尖閣諸島の安全が日々、脅かされている状態が続いており、この4月27日には日米間でようやく新ガイドライン(防衛協力のための指針)が調印され、日米同盟による対中抑止力は格段に高まろうとしている。しかし、それにはこの安保法案の成立が大前提になっているのである。

 南シナ海の情勢は一層緊迫の度を増している。この法案にアジアと世界の平和がかかっているといっても決して大げさではない。(なかにし てるまさ)











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