goo blog サービス終了のお知らせ 

lurking place

ニッポンのゆる~い日常

国の名誉に禍根残す慰安婦合意

2016-01-06 23:18:46 | 正論より
1月6日付   産経新聞【正論】より


国の名誉に禍根残す慰安婦合意   東京基督教大学教授・西岡力氏


http://www.sankei.com/column/news/160106/clm1601060004-n1.html



 日韓両国政府が慰安婦問題で合意した。外交という側面からは肯定的に評価できる部分もあるが、国と国民の名誉を守るという側面では大きな禍根を残した。後者をどのようにリカバーするのかを早急に考えなければならない。



 ≪予断を許さない慰安婦像撤去≫


 ともに米国と軍事同盟を結ぶ韓国との関係改善は日本にとって国益にかなう。特に北朝鮮独裁政権が核武装をほぼ完成させる一方、大物要人の亡命があいつぐなど不安定さを増している現時点において、日韓関係の改善は日米韓3国同盟強化のために不可欠だ。

 朴槿恵大統領も昨年7月に「2016年にも(北朝鮮が崩壊して)統一が来るかもしれない。影響力ある要人が亡命しているのは事実だ」と述べている。同じく昨年、ハワイに根拠をおく米太平洋軍司令部が北朝鮮有事に備えて作戦計画の再整備に取りかかっているという情報もある。

 日本側からの要求を韓国が受け入れたという点も、これまでの対韓歴史外交にない新しさがあり、一定程度評価できる。これまでは韓国側からの要求を受け、まず謝罪した後、国際法上の立場から韓国の要求を値切るだけだった。それと比べると今回は日本側からも、(1)「最終的かつ不可逆的な解決」であることを韓国政府が確認すること(2)在韓日本大使館前の慰安婦像の撤去-を要求した。


 前者は実現したが、すでに韓国第1野党が「合意に拘束されない」と公言しており予断を許さない。ただ、少なくとも一国の外相が公開の席で述べた国際約束を、政権交代したからといって無視するなら韓国の国際的信頼度は急降下するだろう。


 後者は韓国政府が「努力する」と約束したが、そもそも公道に無許可で建造された像の撤去をなぜ民間団体と折衝する必要があるのか、韓国の「法治」が揺らいでいるとしか言いようがない。もし、日本が10億円を払った後も像の撤去が実現しないなら日本世論では反韓感情がより拡散するだろう。




 ≪日韓関係歪めた盧政権の見解≫


 一方、日本にとっての慰安婦問題の解決は、虚偽によって傷つけられた日本国の名誉回復なしには実現しない。この点で今回の合意は禍根を残した。


 盧武鉉政権は05年8月に「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」(李海●国務総理主催)を開催して、慰安婦問題についての次のような驚くべき法的立場を明らかにした。

 〈日本軍慰安婦問題等、日本政府・軍等の国家権力が関与した反人道的不法行為については、請求権協定により解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っている。サハリン同胞、原爆被害者問題も韓日請求権協定の対象に含まれていない。〉



 ここから、日韓関係はおかしくなっていく。11年8月、韓国憲法裁判所が、韓国政府が慰安婦への補償について日本政府と外交交渉しない不作為は「憲法違反」だと決定したが、それもこの盧武鉉政権の見解に基づいている。


 一方、日本政府は繰り返し慰安婦問題で謝罪をしてきたが、それはあくまでも売買春が非合法化された現在の価値観からの道義的なもので、当時の法秩序の中での「不法性」を認めていないし、「請求権協定で解決済み」という立場を崩していない。今回、岸田文雄外相も「責任の問題を含め、日韓間の財産および請求権に関する日本政府の(解決済みという)法的立場は従来と何ら変わりありません」と確認している。




 ≪事実に基づく反論を自制するな≫


 しかし、安倍晋三首相までもが謝罪して国庫から10億円もの資金を支出することを見て、国際社会では「日本政府が、第二次大戦中に20万人のアジア人女性を性奴隷として強制連行し、人権を蹂躙(じゅうりん)した事実を認め、韓国政府に10億円を支払うことに合意した」という虚偽が広がっているのだ。


 1月4日、合意に抗議して日本大使館前に座り込んでいた女子学生らは私に「20万人が強制連行され性奴隷となり、うち18万人が日本軍に虐殺された」と説明した。


 安倍首相は14年12月の総選挙で掲げた政権公約で「虚偽に基づくいわれなき非難に対しては断固として反論し、国際社会への対外発信などを通じて、日本の名誉・国益を回復するために行動します」と約束した。



 しかし、今回の合意で国際社会での相互批判を自制するとしたことにより、今後「断固たる反論」が事実上、できなくなるのではないかと憂慮される。



 そもそも外務省は、吉田清治証言が事実無根であることさえ積極的に広報していない。安倍政権が外務省主導の下、慰安婦問題をはじめとする歴史問題で「事実に基づく反論」を控えてきたことからすると、政府の国際広報をどのように再建するか真剣な検討が必要になる。私は繰り返し「外務省とは独立した専門部署を設置し、わが国の立場を正当に打ち出す国際広報を継続して行うこと」を提言してきた。日本国の名誉回復ぬきの慰安婦合意は評価できない。(にしおか つとむ)



●=王へんに賛





















  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「テレビ局は公平を破る勇気を持て」という一部識者の煽動は浅薄なヒロイズムにすぎぬ

2015-11-30 12:40:22 | 正論より
11月30日付    産経新聞【正論】より


「テレビ局は公平を破る勇気を持て」という一部識者の煽動は浅薄なヒロイズムにすぎぬ 

 東工大名誉教授・芳賀綏氏

http://www.sankei.com/column/news/151130/clm1511300001-n1.html


 ≪不偏不党を無視した報道≫


 自民党単独の宮沢喜一政権から多党連立の細川護煕政権へ-大転換の平成5年の総選挙を振り返り、“久米・田原連立政権”の実現として深い感慨を覚える、と小さな会で発言した放送人がいた。

 久米宏キャスターの「ニュースステーション」と、評論家・田原総一朗氏司会の討論番組と、この人気番組コンビで政権交代への世論誘導に奮闘した効果で、劇的な大転換が実現したのだと豪語したらしかった。それはひどい、不偏不党を無視した報道姿勢を誇示するとは、と非難が起き、テレビ局の要職にあった人物が、発言の主として国会に招致され、陳謝する一幕もあった。


 右のキャンペーンの中では、有力な政治家2人を悪役に仕立て、反復「ツー・ショットで映せ」と演出したのも話題になったが、似た手法はその後も続き、平成17年の“小泉劇場”選挙では、郵政民営化反対の候補者を悪玉か無能者に見立て、つぶしてしまえと煽る類いの民放番組がいくつもあった。投票行動に影響しただろう。


 選挙関係の放送に限らない。政治がテーマの放送で不偏不党が無視された例は珍しくない。近くは今年の安保法制関係の放送にも数多くの批判があった。


 放送倫理・番組向上機構(BPO)にとどく視聴者意見を、月々発表の「BPO報告」で見ると「安保法制に関する放送は明らかに異常だった。意見が対立しているような事案に対して、一方的な放送を行うことは、放送法に違反しているのではないか」(5月)という指摘をはじめ、与野党それぞれに近い立場からの不満が寄せられていたが、国会審議最終局面の9月になると、次のような傾向の不満が多数になった。




 ≪多くの人が誤解している通念≫


 「野党寄りの偏向報道ばかりだ。公平・公正な報道ができない姿勢に疑問を感じる」「まるで日本国民全てが法案に反対しているかのように報道している。『SEALDs』の学生の主張を長時間にわたって紹介するなど、最たる例だ。まさに世論誘導に等しい」「(反対派を主に取り上げていて)本来の安全保障法案の中身に関して視聴者に提供する様子が全く見られない。(中略)私は安全保障法案賛成と言っているわけではないが、マスメディアとは視聴者に公平な目で考えさせることが本来のあり方だと思う」「男性司会者が『メディアとして法案廃案を訴え続けるべきだ』と発言した。メディアがそんなことを言っていいのか」「『説明不足』などと報じているが、メディアが安保法案について詳しく説明したことがあったのか」…。


 たしかに、安倍晋三首相を生出演させて説明させながら、キャスターと一部のゲストの「反安倍」ばかり印象づけた夕方の民放ニュースもあった。かつて、新設の消費税について政治家が説明するのを「聞く耳持たぬ」と芸能人らがまぜっ返した某局の演出も思い出す。この8月の「戦後70年安倍談話」にも「はじめから批判ありきの放送姿勢」を指摘する声がBPOに寄せられたという。


 放送界の内外で相当多くの人が誤解している。NHKは政治的公平を厳守すべきだが民放局は偏向に構わず編集し主張してもよい、という通念だ。そんな区別はどこにも存在しない。「放送法」第4条には、守るべき義務が4項あるが、その第2項には「政治的に公平であること」と明示してあり、民放には厳格に適用されないなどとは書いてない。


 放送事業者側も、約20年前、日本民間放送連盟(民放連)とNHKが共同で定めた「放送倫理基本綱領」に「多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持」「事実を客観的かつ正確、公平に伝え」などの文言を明記した。




 ≪浅薄なヒロイズムは論外≫


 日本では、昭和26年以来、かなりの民放局が新聞社主導で誕生し育成された歴史的由来もあり、新聞の類推で民放のあり方を考える趣があるが、新聞には“新聞法”などはなく、開業から発行も「社論」の明示も一切、自由だ。放送は、有限の電波資源の割り当てを受けて開局を免許され放送法を適用される事業だ。


 そこでまた放送人には誤解が生まれる。法を守って仕事したら萎縮して放送の活力が減ずる、と。放送人らしいセンスを欠き、個性的な工夫の楽しみを知らないことを告白した言だ。公平な両論併記でかえって放送は立体化し、厚みを増して盛り上がるのだ。一方のプロパガンダだけを取り次ぐのは最も安易、手抜きでしかない。


 公平を破る勇気を持て、と一部識者が煽動するのは浅薄なヒロイズムと一笑に付せばよい。はねあがりからは情も理も生まれない。重心の低い、骨太な記者や制作陣が、確かな「自律の感覚」をもって生み出す放送こそ、国民の信頼を得、政治的教養を深めるためにも貢献できる。


 日本の放送90年、民放65年。民放連の「報道指針」にも言う「節度と品位」を具えた電波へ。再出発する節目が訪れている。(はが やすし)










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国が企てる統一への反日戦略

2015-11-18 17:18:42 | 正論より
11月18日付   産経新聞【正論】より


韓国が企てる統一への反日戦略   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/151118/clm1511180002-n1.html


 今から25年前、盧泰愚大統領時に韓国の歴史教育の過度に反日的な側面を批判したところ、学者たちはこう答えた。「韓国は負けてばかりの歴史です。今は少しだけ勇気を出せという歴史教育をしている。その過程で反日的な側面が出てくるのです。分かってください」と。その低姿勢に同情し、われわれは矛を収めたものである。

 ところがその後、金泳三大統領の「歴史の立て直し」政策が始まり、自尊史観と反日の暴走が始まった。韓国は「歴史に学ぼう」と唱えるだけあって、李朝の「●塞(とうそく)」(ごまかし・逃げ口上)の歴史を民族の行動パターンとして濃厚に引き継いでいる。



 《同情は次の攻勢の準備段階》


 満州族の清が馬をよこせといえば、分割払いにしてもらい、総頭数をごまかしたり、婚姻するから良家の子女を送れといわれれば、こっそり酒場女を集めて送ったりした。シナにやられてばかりの歴史ではないのだ。


 李朝は国内では民族差別の朱子学で理論武装し、満州族の清を「禽獣(きんじゅう)以下の夷狄(いてき)」(獣以下の野蛮人)だと徹底侮蔑する教育をし、清からの文明流入を悉(ことごと)く防遏(ぼうあつ)した。同情を買うのは次の攻勢の準備段階である。


 最近の報道によれば、日韓の国際会議で日本側が韓国の中国傾斜を指摘すると「事実ではないのでその言葉は使わないでほしい」といい、中国に苦汁をなめさせられた歴史からくる警戒や恐怖心を日本人に喚起するという。また、外務省の元高官が「韓国人には中国から家畜のようにひどい扱いをされた屈辱感がある」と話すそうである。当然心優しい市民派新聞の記者たちは同情し、韓国の中国傾斜論はよそうという記事を書く。


 だが、これを放置すればやがて、「韓国を中国に追いやったのは日本のせいだ」という論に成長することは、当然予測されるところである。そしてこれを欧米中に広める。朝鮮民族は日本人が考えるような甘い民族ではない。




 《否定できない中国傾斜論》


 朝鮮はシナの子分で、シナが朝鮮を操る歴史だと思っている人が多いがそうではない。ごまかしや逃げ口上でいつの間にか攻勢に出てくるので、どう扱ってよいのかよく分からないというのが中国の本音なのだ。今の中国は韓国と北朝鮮を手玉に取っているわけではない。できるだけ深く関わらないようにし、絶えず微調整しているのである。南北問わず朝鮮民族の「卑劣」に付き合うのは、日本も中国もロシアも苦手である。


 韓国の中国傾斜論は、今日否定しようのない事実である。アメリカの促す高高度防衛ミサイル(THAAD)の設置を引き延ばす。これを李朝時代では「遷延(せんえん)」策といった。大国が難題を持ちかけるたびに臣下たちは「王様、遷延でよろしく」と願い出たものである。引き延ばして状況が変わり、相手が諦めるのを待つのである。


 中国の南シナ海進出への批判も巧妙に避けている。韓民求国防相に東南アジア諸国連合(ASEAN)拡大国防相会議で航行の自由の保障を明言させたが、政府は何も言っていない。中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に積極参加し、朴槿恵大統領は中国の抗日記念行事に出席し、軍事パレードの雛(ひな)壇で席次2位だったことを朝貢国のように喜んだ。


 アメリカよりも中国の影響下の方が、南北で取引ができ統一がしやすいという思惑があるのである。ただそれを日本に追いやられたからという形に持っていき、アメリカの非難を自国に向けないようにしたいのである。実はこのような面倒なことをしなくとも、南北には統一の機が熟している。




 《二度と朝鮮戦争は起きない》


 哨戒(しょうかい)艦「天安」沈没事件(2010年3月)のときも、延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件(同年11月)のときも、緊張が高まると必ず韓国が折れる。北朝鮮が謝罪したような折衷案を作ってくれと、韓国が非公開会議において金銭で懇請したと、11年6月1日には北朝鮮の国防委員会に暴露されたこともあった。

 今年8月に韓国と北朝鮮の軍事境界線で起きた地雷爆発事件では、北朝鮮が「準戦時状態」を宣言し、南北高官による会談が開かれたが、韓国側の代表2人は北朝鮮シンパだった。加えて協議の映像が青瓦台に中継された。

 国家安保戦略研究院の劉性玉院長は朝鮮日報8月24日付で、事件のたびにケーブルテレビによるボス交渉が行われていたことを暴露し、10月には盧武鉉時代の国家情報院の院長だった金万福氏が北との直通電話があったと発言した。

 すなわち北朝鮮の核保有と歩調を合わせるように、韓国側が譲歩を重ねていったことが分かるのである。結論として、二度と朝鮮戦争は起きないであろう。

 ならば、なぜすぐに南北統一へと向かわないのか。理由は、弱者の方の韓国が統一を主導したいからである。第2に、急に動けばアメリカ軍が撤退の速度を早め、韓国の主導が崩れるからである。第3に、今の生活を手放したくないという、気概のない民族性が統一の意志を妨げているからである。(ふるた ひろし)

●=てへんに唐













  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫婦別姓、慎重な最高裁判断を

2015-11-17 09:15:54 | 正論より
11月17日付   産経新聞【正論】より


夫婦別姓、慎重な最高裁判断を   麗澤大学教授・八木秀次氏


http://www.sankei.com/column/news/151117/clm1511170001-n1.html


 結婚すると夫婦が同じ姓を名乗るとする民法750条と、女性は離婚後6カ月経過しなければ再婚できないとする同733条を、「法の下の平等」を保障した憲法に違反するとした2つの訴訟について、最高裁大法廷は先頃、当事者の意見を聞く弁論を開いた。2つの裁判はともに1審、2審と憲法に違反しないとして原告が敗訴している。

 弁論を行うのはこれまでの判例の変更や憲法判断する場合だ。12月の最高裁の判断で、わが国の家族制度が大きく揺らぐ事態とならないことを願いたい。



 ≪「姓」は家族共同体の名称≫


 夫婦別姓の主張は3種類ある。(1)結婚により夫婦の一方が姓を変更するのは多くの手続きが必要で、仕事上の連続性もなくなる(2)結婚で一方の家名がなくなる(3)姓を変えることで自分が失われてしまう気がする-というものだ。

 別姓の主張の大部分は(1)だが、今日では職場などでの旧姓の通称使用が普及している。女性の政治家の多くは旧姓を通称使用し、現在ではパスポートでも旧姓の併記が可能になった。民法を改正する必要はない。(2)は子供が娘1人といった場合に強く主張されたが、さらに次の世代(孫)を養子にして家名を継がせればよく、どのみち孫が複数生まれなければ家名の継承者はいなくなる。別姓での解決は不可能だ。(3)は少数だが根強く、裁判の原告の主張もこれだ。

 夫婦同姓の制度は戸籍制度と一体不可分だ。結婚すると夫婦は同じ戸籍に登載される。その間に生まれた子供も同様だ。つまり、姓(法律上は氏)は夫婦とその間に生まれた子供からなる家族共同体の名称という意味を持つ。別姓になれば、姓は共同体の名称ではなくなる。




 ≪軽視すべきでない精神的一体感≫


 同姓にしたい人は同姓に、別姓にしたい人は別姓に、すなわち選択制にしたらよいという主張もある。しかし、選択制であれ、制度として別姓を認めると氏名の性格が根本的に変わる。氏名は家族共同体の名称(姓・氏)に個人の名称(名)を加えたものだが、別姓を認めると、家族の呼称を持たない存在を認めることになり、氏名は純然たる個人の呼称となる。

 選択的夫婦別姓制を認めた平成8年の法制審議会答申に法務省民事局参事官として関わった小池信行氏は「結局、制度としての家族の氏は廃止せざるを得ないことになる。つまり、氏というのは純然たる個人をあらわすもの、というふうに変質する」と問題点を指摘している(『法の苑』第50号、2009年春)。当然、戸籍制度にも影響は及ぶ。


 家族の呼称が廃止されることから夫婦の間に生まれた子供の姓(氏)をどうするのかという問題も生じる。夫と妻のどちらの姓を名乗るのか、どの時点で決めるのか、複数生まれた場合はどうするのか、さまざまな問題が生じてくる。そこに双方の祖父母が関わる。慎重な検討が必要となる。

 家族が同じ姓を名乗る、すなわち家族の呼称を持つことで家族としての精神的な一体感が生ずるという点も軽視してはならない。多くの人が自らは別姓を選ばない理由はここにある。別姓の容認は家族の呼称の廃止を意味し、家族の一体感をも損なうことになる。




 ≪合理性ある女性の再婚禁止期間≫


 女性の再婚禁止期間は生まれた子供の父が誰かの判断を混乱させないための措置だ。民法は「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」(772条1項)、「婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する」(同2項)と規定する。

 重要なのは「推定」という文言で、国(法律)としてはあくまで夫の子と推定するにとどまり、真実に夫の子であるかどうかには関与しない。結婚している間に妻が宿した子供は夫の子であるだろうと推定し、夫に父親としての責任を負わせるのが法の趣旨だ。


女性にだけ再婚禁止期間があるのは女性しか妊娠できないからだ。再婚禁止期間の廃止や短縮も主張されているが、そうなれば、子の父が誰であるかについての紛争が増える。DNA鑑定すればよいとの指摘もあるが、法は真実は詮索せず、法律上の父親を早めに決めて監護養育の責任を負わせるのが趣旨だ。

 DNA鑑定により数代前からの親子関係、親族関係がひっくり返る可能性もあり、影響は相続関係にも及ぶ。再婚禁止期間中に現在の夫との間で妊娠した子も前夫の子と推定されることから、出生届を出さずに無戸籍となる子供の救済は再婚禁止期間の見直しとは別に行えばよく、民法の問題ではない。

 憲法は合理的な根拠のある差別は許容する、とするのが最高裁の判例の立場でもある。夫婦同姓も女性の再婚禁止期間も十分な合理性がある。最高裁には国会の立法権を脅かす越権行為は慎み、国民の大多数が納得する賢明な判断を求めたい。(やぎ ひでつぐ)







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いま「明治の日」制定すべき意義

2015-11-10 18:35:55 | 正論より
11月10日付    産経新聞【正論】より


いま「明治の日」制定すべき意義  国学院大学名誉教授・大原康男氏


http://www.sankei.com/column/news/151110/clm1511100004-n1.html


 去る11月3日、玄関先にマンション用として少し小ぶりに作られた国旗を揚げながら、この日をなぜ「文化の日」と謂(い)うのだろうかとの疑問があらためて頭を過(よぎ)った。

 たしかに「国民の祝日に関する法律」(昭和23年)は11月3日を「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日と規定し、この日には宮中で文化勲章の親授式が行われている。また、この日を中心にして文化庁芸術祭が催されることもあって、今日ではほとんどの人が何のこだわりもなく受け入れているかに見える。




 ≪元は明治の天長節だった≫


 しかし、昭和12年に制定された文化勲章の受章者の発令日は一定してはいなかった。当初は4月29日前後が多く、それが11月3日に固定され、受章者に対する宮中伝達式(平成9年からは宮中親授式)が行われるようになったのは「文化の日」という祝日が誕生してからのこと。したがってこの祝日の趣旨と11月3日という日づけの間には何の必然性もない。なぜこんなことになったのか。

 そのためには近代以降のわが国の祝祭日の中で11月3日にはどのような由来と履歴があるのか、振り返ってみる必要がある。明治6年、政府は「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(太政官布告第344号)を発し、これまで久しくシナ風の五節句を中心に据えてきた祝祭日をわが国の歴史や伝統に沿って抜本的に改めたが、新たに祝日とされた中に紀元節とともに天長節があった。言うまでもなく、明治天皇のご誕生日である。その日が11月3日だった。


 明治天皇が崩御されて大正天皇が践祚(せんそ)されると天長節は8月31日に移った。一方、先の太政官布告は廃止され、それに代わって制定された「休日ニ関スル件」(大正元年勅令第19号)に基づいて、先代の天皇の崩御日を祭日とする先帝祭は孝明天皇祭(1月30日)から明治天皇祭(7月30日)に移る。したがって御代替わりがあっても明治天皇に関わる祝祭日は依然として存在し続けたのである。




 ≪激動の世の苦楽を忘れず≫


 ところが、大正から昭和へとさらに時代が変わると、天長節が昭和天皇のご誕生日である4月29日に移ったのは当然としても、先帝祭が明治天皇祭から大正天皇祭(12月25日)に移行したことによって、激動の世に苦楽を共にした明治天皇に因(ちな)む祝祭日が皆無となったことに、当時の人々は一抹の寂しさを禁じ得なかった。

 かくして明治天皇に由縁(ゆかり)のある日を何か残してほしいという声が全国各地から澎湃(ほうはい)として起こったため、政府は昭和2年に、先記した「休日ニ関スル件」を改正、11月3日を「永ク天皇ノ遺徳ヲ仰キ明治ノ昭代ヲ追憶」する日とし、「明治節」という名の新しい祝日を追加したのである。


 しかるに、先の大戦の敗北によって状況は一変した。連合国軍総司令部(GHQ)は占領政策の一つとして祝祭日の全面的改正を日本政府に命じたからである。その詳細を述べる余裕はないが、かつて本欄でも略述したように、元始(げんし)祭(1月3日)・神嘗(かんなめ)祭(10月17日)のように完全に廃止されたものもあれば、「天長節」改め「天皇誕生日」のように、趣旨はほぼ同じだが、名称が変わったものもある。

 この両者の中間に、国民の愛着が強かったために、日にち自体は辛うじて残ったものの、その趣旨が全く変えられてしまったのが「勤労感謝の日」(元の新嘗(にいなめ)祭、11月23日)と同じくこの「文化の日」なのだ。




 ≪憲法公布日が選ばれたわけ≫


 周知のように、現憲法は昭和21年11月3日に公布された。なぜこの日が選ばれたのか、当時の内閣法制局の幹部はこう説明する。

 GHQは新憲法の制定をひどく急がせたが、どうしても11月初旬になってしまう。公布から施行まで6カ月の周知期間が必要だから、11月1日にすれば、施行は翌年5月1日になってメーデーと重なってまずい。5日にすれば、5月5日の端午の節句に当たり、男女平等を謳(うた)う憲法の精神にそぐわない。そこでその中間をとって11月3日とした-。


 果たしてそうであろうか。時の首相は皇室尊崇の念の篤(あつ)い吉田茂。新しい憲法は国の大変革をもたらすものではあったが、明治憲法の改正手続きに忠実に則(のっと)り、天皇のご裁可を経て公布された欽定憲法であるとの信念を持していた吉田としては、アジアで初めて近代的立憲国家を建設された明治天皇のご誕生日を敢(あ)えて選んだと思えてならない。


 近代日本の興隆をもたらした明治の御代を想起する日-「明治の日」を「文化の日」に替えて新定する所以(ゆえん)について、これ以上多言を弄するまでもあるまい。

 時あたかも11月11日に「明治の日推進協議会」が主催する国民集会が開かれ、田久保忠衛杏林大名誉教授の講演が予定されている。4月29日を「みどりの日」から「昭和の日」に改めた過去の成果を顧みつつ、この運動のさらなる進展を切に望みたい。(おおはら やすお)







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中華の「ストーリー」に打ち勝て 

2015-10-29 10:15:02 | 正論より
10月29日付     産経新聞【正論】より


中華の「ストーリー」に打ち勝て   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/151029/clm1510290001-n1.html


 私はいつも庶民の「常識」をもって語りかけねばならないと考えている。歴史には実はストーリーなどないというのが、常識である。出来事の連鎖があるだけだ。ストーリーはインテリたちが後づけでひねり出すのである。



 ≪出来事の連鎖にすぎない≫


 「人間は原因から始めることはできない。必ず結果から遡(さかのぼ)らなければならない」というのはカントだが、今ここにある死体からわれわれは死の時を予想するのであり、いつ死ぬかは生きているうちはわからない。この死体は病死だとしよう。そこからタバコの害という原因をひねり出したいインテリは、肺がん、肺気腫、心筋梗塞などさまざまなストーリーを案出する。だが本当は「何年何月にここに死体があった」としか言えない。ゆえに、あるのは出来事であり、歴史はその連鎖にすぎない。

 歴史にストーリー性があると信じているのは、一部の国の人たちの個性によるのである。日本人はこれが強くて、同じく強い中国人やドイツ人から学んでしまったものだから、一層強化された。

 英米人などは信じない。E・H・カーという英歴史学者の本など、ただ事実の羅列が続くだけで、あくびが出るほど退屈だ。では何が彼の腕の見せどころかと言えば、どの歴史的事実をもってきて説明するかという、その史料選択の妥当性にあるのである。遺跡の発掘と復元の手腕に似ている。


 ドイツ人はヨーロッパの方で、歴史認識を独り相撲のようにしている。ナチスのホロコーストで、旧約の神の民を滅ぼし神に戦いを挑んだり、戦後は欧州の国家統合をリードし、次は東欧の人口を労働力として吸収し、欧州連合(EU)の盟主のようになり、今度はユダヤ人を難民にした歴史を悔いて大勢の中東難民を自ら引き受けたりしている。

 何年も経(た)ってみれば、ドイツの歴史はイギリスの歴史よりずっと面白いものになるだろう。だが、面白いのは、負け続けているからである。ナポレオン戦争から、第一次、第二次大戦、冷戦下の東西分断など勝ったことがない。普仏戦争に一度勝っただけだが、そのプロシアも今はない。




 ≪反発を買った「中華の夢」≫


 アメリカはストーリー性をもたず、行動は臨機応変というか自分勝手である。戦前は、急に排日移民法(1924年)を可決し、ワシントン会議の協調体制を2年で自ら壊してしまう。今は逆で、大勢の中東難民を受け入れるという。どのみち難民は下層階級におかれるが、経済力があるので問題ない。歴史好きならば、他方ドイツは自らのストーリーでまた頭から落下するだろうと予知するのは、至極当然のことではないか。


 アメリカにはその代わりに思想がある。すでに福沢諭吉が「夜陰に人を突倒してその足を挫き、翌朝これを尋問して膏薬を与るが如し。仁徳の事とするに足らず」(『通俗国権論』)と、言っている。このアメリカン・ヒューマニズムで、ジョン・ウェインはインディアンの娘や日本の敗戦孤児を抱きしめ、ブラッド・ピットは占領した町のドイツ人姉妹に優しくする。日本も戦後、連合国軍総司令部(GHQ)にタガをはめられ、代わりにずいぶんと経済的に優しくしてもらった。



 中国には、中国共産党も認めているように古代と近代しかない。世界史では、隋・唐・宋・元・明・清と並んだ中華正統史のストーリーを習う。だが、隋・唐は鮮卑族、元はモンゴル族、清は満州族の王朝で、漢民族の王朝など宋と明の2つしかない。おまけに各王朝の間は、異民族入り乱れる乱立王朝の時代で、結局のところ、中国の歴史は侵入者だらけの歴史的事実の羅列にすぎないのだ。

 ところがまたしても「中華の夢」というストーリーを語りだした。習近平国家主席はアメリカまで首脳会談に出かけ「南シナ海は古代から中国の領海だ」と語り、反発を買って戻ったのであった。




 ≪「有用性のある擬制」を≫


 日本はもちろんストーリーを持つべきではない。歴史的なストーリーを持つと現実を次々と外し窮地に陥る。思想で十分だ。

 安倍晋三内閣の「積極的平和主義」は有用性のある擬制で、中国に米中G2の「新型大国関係」をぶつけられても、微動だにしなかった。これが庶民の常識だ。

 「有用性のある擬制」とは、社会契約説のように、契約書1枚なくても庶民が安心し、国家の共同性を高めることのできる一種のマヤカシのことである。

 これに比して、「1億総活躍社会」はマヤカシではない。庶民が見てもウソだとわかる。こういうのを哲学的には「虚構」というのである。日本経済新聞10月9日付によれば、「1億総活躍社会」「国内総生産600兆円」という旗印は、安倍首相がひと夏かけてひねり出したそうだ。

 だが、これでは、1億総活躍相は一体何をすればよいのか分からないだろう。当該大臣は「国民総活性化」などと、ひそかに中身を読み替えて行動を開始すればよいと思われる。(ふるた ひろし)









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍談話は日本人の「必読文献」となるであろう

2015-10-16 14:31:22 | 正論より
10月16日付    産経新聞【正論】より


安倍談話は日本人の「必読文献」となるであろう 東京大学名誉教授・平川祐弘氏


http://www.sankei.com/column/news/151016/clm1510160001-n1.html


 安倍晋三首相の『戦後70年談話』は日本人の過半の賛成を得たが、反対もいる。「『戦後70年談話』は日本人がこれから先、何度も丁寧に読むに値する文献だ」と私が言ったら、「どの程度重要か」と問い返すから「明治以来の公的文献で『五箇条ノ御誓文』には及ばぬが『終戦ノ詔勅』と並べて読むがよい。これから日本の高校・大学の試験に必ず日英両文とも出題されるだろう」と答えた。 「『教育勅語』と比べてどうか」と尋ねるから「文体の質が違うが、これからの必読文献は『戦後70年談話』の方だ」と答えた。すると早速講義するよう、ある大学に招かれた。そこでこう話した。安倍談話は歴史への言及で始まる。




 ≪悪と化した明治以来の日本≫


 「…百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」

 これからの若者にはこれが共通知識となるだろう。もっともロシア側の見方は異なる。レーニンは日露戦争に際し日本の正義を支持したが、スターリンはそれとは逆の歴史観を述べた。


 昭和20年、戦争に負けるや日本は悪い国だと私たちは教育された。占領軍の手で新聞ラジオを通して宣伝というか洗脳が行われた。それで明治以来の日本がすべて悪と化し、歴史の洗脳も行われた。大山巌満州軍総司令官が揮毫(きごう)した忠魂碑を取り壊すことはさすがにしない。だが私が通った都会の学校の講堂からは東郷平八郎の書も乃木希典の書も撤去された。


 日本人の変わりざまは早かった。昭和23年、東大教養学部の前身の一高で「大東亜戦争やシナ事変を戦った日本が悪かったからと言って日露戦争まで悪かったのでしょうか」と全寮晩餐(ばんさん)会の席で発言した卒業生がいた。それは当時としては言ってはいけないタブーにふれたから、数百人の一高生がシーンとしている。いちはやく拍手した私は間が悪く、彼は「私は酔っております」と断りを入れて降壇した。

 しかしその頃の私は夜な夜な「胸に義憤の浪湛(たた)へ 腰に自由の太刀佩(は)きて 我等起(た)たずば東洋の 傾く悲運を如何(いか)にせむ 出でずば亡ぶ人道の 此世に絶ゆるを如何にせん」と大声で寮歌をうたっていた。日露戦争前夜の青年の気持ちは戦後にも底流していた。



 ≪日露戦争に寄せた思い≫


 それだから私たちは平和主義を奉ずるが、それでも1960年代になるや、島田謹二『ロシヤにおける広瀬武夫』や司馬遼太郎『坂の上の雲』を愛読したのである。それは若き日の和辻哲郎や柳田国男が「黄禍」は「白禍」であると言った作家アナトール・フランスに共感したと同じようなものだろう。私が日本フランス文学会で最初に発表したのも日露戦争に際してのアナトール・フランスの発言についてであった。


 そんな私が定年で駒場を去って23年、その昔大学で教えた学生もまた定年を迎えつつある。私はそんな老骨だが、年配の男女でも賛否両論、議論に花が咲く。

 外国人研究員は「『朝日』は日本の良心」で、慰安婦報道で『朝日』が謝罪したのは安倍政権が圧力をかけたからだという程度の日本理解である。教え子の女性も配偶者の職業やキャリアによって賛否が異なる。極端に安倍首相を嫌う人は、本人か配偶者に学校づとめや弁護士が多かった。




 ≪悪態をつく私への賛意≫


 『朝日』は「この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった」と8月15日の社説に書いた。そんな新聞を半世紀以上読んできた夫婦が反対を口にするのは当然だろう。しかし周辺の名誉教授連は「『朝日』があれだけけちをつけるのだから安倍談話はきっといいのだろう」とシニカルな口を利く。

 ただ皆さんお利口さんで、私のようにはっきりと意見を活字にしない。根が正直な私は「ろくに歴史も知らないくせにどこぞの論説主幹は偉そうな口を利く」と心中で感じたことをすぐ口にする。口にするばかりかこのように「正論」欄に書く。

 すると意外やそんな私に賛同する教え子の女性がいたりする。本人がたとえ教師でも、配偶者が官僚や商社とかで外国も長く社交も広いと「日本人に生まれて、まあよかった」と思うらしい。そこは大新聞中毒となった人たちの井の中の大合唱と違って面白い。

 そんな悪態をつく私になんと朝日の元記者が大賛成の手紙をよこした。その永栄潔氏が『ブンヤ暮らし三十六年』(草思社)を書いて慰安婦報道で大きく躓(つまず)いた朝日新聞の実態を回想して新潮ドキュメント賞をとった。日本の言論自由のために祝賀したい。(ひらかわ すけひろ)











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抗日70年パレードにより中韓の「古代」がよみがえった… 

2015-09-29 11:10:15 | 正論より
9月29日付    産経新聞【正論】より


抗日70年パレードにより中韓の「古代」がよみがえった… 筑波大学大学院教授・古田博司氏

http://www.sankei.com/column/news/150929/clm1509290001-n1.html


 もっと庶民の常識で歴史や世界を見よう。歴史がまっしぐらなわけがないだろう。横道にそれるから、中世スペインの騎士だったピサロやコルテスは、古代のインカ帝国やアステカ王国に攻め込んだ。16世紀には、古代と中世が併存していたのだ。

 20世紀初頭には、近代日本が朝鮮を併合した。時の李氏朝鮮は古代だった。全土が王土なので所有権がない。山も所有権がないので皆が木を切ってはげ山になった。


 朝鮮半島は地政学上の「廊下」なので、国境を閉じて防衛経済をしないと、大国に呑み込まれてコリアンでなくなる。高麗時代にはモンゴルに呑み込まれ、王様はミスキャブドルジとか、朝青龍のような名前になった。




 ≪抗日パレードで噴き出した古代≫


 植民統治時代には朴槿恵大統領の父は将校の高木正雄だった。自由経済で呑み込まれるとこうなる。だから自律性がほしいと、北朝鮮のように国を閉じて主体思想で武装する。李朝は無許可の商人の交易を許さず朱子学で武装した。「廊下」ではこちらの体制の方が安定感があり長く続くのだ。李朝はなんと500年間も続いた。


 シナも150年前は古代だった。これは中国共産党も認めている。だから今でも古代が噴き出す。戦後70年の抗日パレードには、漢の武帝の閲兵の虚構が混じっていた。韓国の新聞は“朝貢”した朴大統領が席次第2位だったので大喜びで報じた。古代の朝貢意識が韓国で噴き出していた。


 東洋は古代が深すぎるというのが常識である。中国では土地の所有権がない。だから資本主義をやっても公正な売買が成立しない。

 韓国は植民統治時代に日本の民法典を移植したので、これらを何とかこなした。でも、宗族以外の地縁を信じないので分業がうまくいかない。セウォル号の事故対策本部が何カ所も乱立してしまう。最高裁判所と憲法裁判所が判決を争ってしまうし、政府が日韓基本条約を守ろうとすると、司法が無視する。法治主義や民主主義がうまくいかなくなると、民衆はますます専制者に権利をほうり投げるだろう。これを私は「東洋的専制主義」と呼んでいる。




 ≪規格に弱いインテリエリート≫


 さて今度は日本の番だ。徳川時代の中世を終え、西洋近代化の諸要件をこなして先進国にキャッチアップした。学問は次々に「規格化」されてスピードアップした。歴史には緩急性があるのだ。

 立憲君主制の輝かしい近代の幕開けに、隣国に古代を見た。時は帝国主義時代、ロシアの南下から国を守り、安全保障するには朝鮮半島を必要とした。格差がありすぎるので、植民者が民間の生活で現地人と交流した痕跡はほとんどない。法的経済的に近代化を促すことにした。ピサロやコルテスのようなことはしなかった。常識で考えてほしい。同じ顔をしたものにひどいことができるだろうか。


 戦争の失敗は「規格化」だろう。艦船攻撃とか突撃攻撃の日露戦争勝利の「規格化」が、現実を見えなくした。時のインテリエリートは陸軍大学や海軍兵学校出の軍幹部である。インテリエリートは規格に弱い。「規格」試験を次々にクリアして出世は早いが現実が見えなくなる。


 戦後の成功は、インテリエリートの核心を学者身分に閉じ込め、権力を剥奪したことだ。当時は資本主義と社会主義のどちらの近代化が勝つか分からなかった。インテリエリートたちはドイツ式の歴史直線史観と社会主義を選んだ。




 ≪形成される反日トライアングル≫


 「曲学阿世」の東大総長・南原繁は、全面講和で国際警察軍の駐留を望んだ。その孫弟子の坂本義和は米軍を追い出して非核武装の国連軍に替えろと主張した。いわゆる「非武装中立論」である。戦後の日本は知識人が二分された唯一の国である。実務家エリートは常識があったので、日米安保条約で国を社会主義国から守った。だが、インテリエリートたちは米軍駐留の現実からさらに中立性を志向するものだから、ソ連側に転がっていった。結局、非武装中立論は「闇夜の稜線(りょうせん)」だったのだ。


 1968年、ソ連がチェコに戦車で侵略する不安を先取りし、平田清明・名古屋大助教授(当時)は、ソ連は市民社会が欠如していたのであり、社会主義が悪いのではないと、社会主義の「規格」を守った。91年、ソ連邦は崩壊した。


 安保法制に反対していたインテリエリートとその政党は、社会主義経済の近代化が失敗し、「闇夜の稜線」の向こう側に大義がなくなってからも、冷戦期の「規格」を守ろうとした。今ある稜線の向こう側は、東洋的専制主義の軍拡大国とその朝貢国たちである。


 韓国は政府・軍部・マスコミに至るまで北シンパが入り込み反日が常態化した。北朝鮮は韓国の支援を待っている。「東アジア反日トライアングル」は完成しつつある。安保法制と日米ガイドラインで一層堅く日本を守らなければならない。もちろん主役はわれわれ庶民である。市民派のインテリや運動家は滅びの歴史を刻み続けることであろう。(ふるた ひろし)








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国の安保危うくする歴史の譲歩

2015-09-15 16:59:23 | 正論より
9月15日付     産経新聞【正論】より


国の安保危うくする歴史の譲歩    京都大学名誉教授・中西輝政氏


http://www.sankei.com/column/news/150915/clm1509150001-n1.html


 これだけ見せつけられれば、もはや国会で審議中の安全保障関連法案の成立に反対する人はいなくなるだろう。9月3日の中国・北京での「抗日戦争勝利70年」を記念した軍事パレードを見て強くそう思った。



 ≪メディアの際立った二面性≫


 実際、日本のテレビ各局の報道も、中国のこの「戦後70年」記念行事の本質をこぞって、膨張する中国による「強大な軍事力の誇示」と大々的に報じた。特に軍事パレードで登場した、米海軍の空母、日本列島やグアムにある米軍基地さらには米本土を直撃する中国軍の最新鋭のミサイル戦力が、日本の安全保障やアメリカによる日本への「核の傘」に与える深刻な脅威を、各メディアは専門家の解説入りで詳しく報道していた。


 当然、こうした認識を踏まえれば、現行の日本の安全保障体制は根底から揺らいでいることがわかり、安保法案は最低限の必要を満たすもの、ということもわかるだろうと思ったのである。


 ところが、あれほど差し迫った調子で膨張する中国の「軍事的脅威」を報じていた当の同じメディアが、安保法案の報道になると、まるで手のひらを返したように旧態依然の非武装的平和主義の議論を繰り返している。あたかも「あれはあれ、これはこれ」とまったく無関係の話題として扱っているかのようだ。この際立った二面性は一体、どこから来るのか。


 それには大略、2つの理由があろう。1つは「世界認識の誤り」である。


 現代の世界では、国民の安全を守るための最も重要な手段は依然として軍事力をはじめとする国家のもつ力(パワー)に依存せざるを得ず、今のところその各国家の力を互いに均衡させることによってしか平和は保てない。しかしこの認識が戦後日本では極端に希薄なのであり、その根底に2つ目の理由、すなわち「歴史認識の誤り」がある。

 つまり、かつてのあの「邪悪な侵略戦争」をしたこの日本の軍隊(自衛隊のこと)は、他のどの国の軍隊よりも「悪い存在」「特に警戒すべき存在」と日本人自身がとらえてしまうのである。




 ≪終わっていない東アジアの冷戦≫


 そうすると、たとえ外界にどれほど深刻な変化があっても、それに対して日本が軍事的な抑止力を高めようとすると、むしろそれこそが平和を壊す「異次元の悪」として忌避すべきものとなる。ここに、いつまでも自虐史観に囚(とら)われることの恐ろしさがあるのである。

 あの日、天安門の上に並んで軍事パレードを閲兵していたのは、クリミアの侵略者となったロシアのプーチン大統領と、南シナ海と東シナ海で現に侵略を進める中国の習近平主席の両首脳であり、この巨頭たちの姿は、かつて多くの衛星国の首脳を従えクレムリンの台上に並んでいたスターリンと毛沢東の姿にまさに二重写しであった。


 それゆえ9月3日付の本欄で西岡力氏は、今こそ「冷戦は終わっていなかった」という認識の大切さを強調しておられた。

 氏はそこで私も委員の一人として関係した安倍晋三首相の戦後70年談話のための「21世紀構想懇談会」の報告書を取り上げ、「安倍談話とは違って(同報告書には)納得できない部分が多い」と指摘している。(実は私も同意見だが)その理由の一つとして、同報告書がこの東アジアの冷戦も含め、過去100年間の共産主義による大規模な虐殺や主権・人権侵害をまったく捨象している点を挙げ、報告書を厳しく批判する。




 ≪問題多い有識者懇談会の報告書≫


 正鵠(せいこく)を射た意見と思うが、関係者の一人として(すでに多くの委員が私の名前も含め懇談会での議論の内容を明らかにしておられるので)信義則に反しない範囲で言及すれば、実は私は西岡氏の指摘する諸点についても懇談会で繰り返し提起したが、中国共産党への迎合からか、報告書では取り上げられることはなかった。

 これ以外にも、同報告書の当初案には中国との和解に必要な具体策の提言として、靖国神社のいわゆる「A級戦犯」分祀(ぶんし)の推進ないし「代替施設」建設の必要性を謳(うた)った個所があり、さらに慰安婦に対する日本政府の一層の謝罪と補償ないし賠償のための新たな基金を日本政府が設けるよう求める趣旨の提言もあった。


 これらは私を含む複数の委員の反対によってかろうじて最終的には削除されたが、もはや表面上、痕跡をとどめていなくとも、こういった際どい個所が他にも多数あったのである。これ以上詳しいことは時が来るまで語れないが、歴史問題での無原則な譲歩がやがて国の安全保障を根底から危うくすることを知るべきだ。

 外国製の歴史観に則(のっと)って過去の日本を一方的に断罪し、それを誤って“歴史の教訓”とすることと、強大なミサイル戦力を見せつけられても、なお「非武装」の理想にしがみつこうとするのは、国家観の喪失という点で同根の危うさを宿しているのである。(なかにし てるまさ)









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷戦勝利の歴史観で現代史語れ

2015-09-03 18:07:06 | 正論より
9月3日付    産経新聞【正論】より


冷戦勝利の歴史観で現代史語れ    東京基督教大学教授・西岡力氏


http://www.sankei.com/column/news/150903/clm1509030001-n1.html


 この8月に多くのマスコミが行った戦後70年キャンペーンに強い違和感を覚え続けた。私は本年2月24日本欄で、なぜ、70年前の敗戦にだけこだわるのか、「第3次世界大戦」とも言うべき冷戦において、わが国は自由民主主義陣営に加わって、24年前、ソ連が崩壊したときに勝利したという観点に立つべきだと主張した。


 20世紀の世界史を回顧するとき、ナチズムとスターリニズムという「二つの怪物」によって、人類がいかに苦しめられたかを無視することはできない。




 《なぜソ連の侵略に言及しないか》


 ユダヤ人数百万人を迫害・殺戮(さつりく)したナチズムは人類史の大きな汚点だが、平時に数千万人の自国民を死亡させたスターリンのソ連、毛沢東の中国、死者は数百万人だが人口比ではむしろ多いポル・ポトのカンボジアと、金正日の北朝鮮もまた同様である。


 「侵略」を議論するなら、日ソ中立条約を一方的に破って参戦したスターリンのソ連が、北方領土を武力で強奪し、60万人のわが国軍人をシベリアに強制連行して6万人の犠牲者が出たこと、満州で150万の邦人に対して行った強姦、暴行、強盗、殺害はどれも当時の国際法に明白に違反する侵略であった。


 安倍晋三首相の戦後70年談話のための「21世紀構想懇談会」が、日本の侵略行為のみを議論しながら、日本が被害にあったソ連の侵略については、議題にもしないというおかしな姿勢をとった責任は大きい。


 同懇談会の報告書は、安倍談話とは違って納得できない部分が多い。特に、日韓関係に関して調査もせずに謝罪し、その後も事実関係に踏み込んだ反論をしないで自らゴールポストを下げた外務省の失敗を指摘しないことを、後日きちんと批判したいと思っている。


 戦後の日本の歩みについての議論でも、日本が自然に自由民主主義の側に立ったかのような見方が多くのマスコミの主流になっている点が不満だ。


 米国は当初、東アジアの秩序は「中華民国」をリーダーにして維持し、日本は非武装の弱小国にしておくという占領政策を採った。それが間違いだと分かるのがソ連をバックにして、毛沢東が1949年に共産中国を建国し、1950年に金日成が南進し、朝鮮戦争を起こしたときからだ。




 《変わらない左翼のやり口》


 ソ連をリーダーとする共産陣営こそが世界革命を目指す「力による現状変更勢力」だと分かった米国は、日本を東アジアにおける価値観を共有する同盟国として認識し、再軍備を求めた。


 日本もソ連とは講和せず、米国をはじめとする自由主義諸国とだけ講和する道を選び、その上で、米国と同盟を結んで独立回復後も米国軍の駐屯を続けさせ、冷戦を戦う一翼を担った。


 日本が独立を回復した1952年4月は、朝鮮戦争のさなかだった。翌53年7月、休戦が成立するまで、日本は米軍を中心とする国連軍の後方基地として間接的に共産軍と戦った。北朝鮮を支持する勢力は、日本国内で米軍基地に火炎瓶を投げるなど、共産軍のための闘争をつづけていた。日本の再武装は当初、国内の共産勢力の武装蜂起を抑えることを第一の目標としていた。


 これらは国内で社会党、共産党など左派勢力や朝日新聞などを拠点とするいわゆる「進歩的知識人」の大反対のなかでなされたわが国の選択だった。その選択は正しかった。彼らの多くは当初から自衛隊の存在を「違憲」だと主張し、ソ連ぬきの講和を「片面講和」だと非難し、日米安保条約を「米国の戦争に巻き込まれる」と反対した。また、自分たちの偏った主張を通すために「民主主義の否定」だという乱暴な理屈をつけて、国会にデモをかけるというやり口は、現在までも変わらない。




 《今も続く東アジアでの戦い》


 1991年にソ連が崩壊したとき、日本は冷戦勝利陣営の一員として自由と繁栄を享受していた。中国も毛沢東の死後、80年代に計画経済を捨てて市場経済を採用することにより、体制競争では敗北した。ただし、政治面では一党独裁下での抑圧政策や対外膨張主義は変わっていない。北朝鮮ではいまだに3代世襲独裁政権の下で人民への人権侵害と外国人拉致は国連によって「人道に対する罪」と規定されるに至っている。その上、日本を射程に入れた弾道ミサイルを実戦配備している。


 日本は70年前、ナチズムのドイツと同盟を結ぶという間違いを犯したが、敗戦後は自由民主主義陣営に加わり、共産主義勢力と対峙してきた。ソ連崩壊後の今も東アジアでその戦いは続いている。中国と北朝鮮の2大全体主義政権の自由化を実現することこそが、冷戦の最終勝利だ。

 この冷戦勝利の歴史観こそが、安倍首相談話に付け加えられるべき最後の部分ではなかったかと私は思っている。来年はソ連崩壊25年すなわち「第1次冷戦勝利25周年」だ。いまから、それに備えて現代史の議論を深めていきたい。(にしおか つとむ)











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする