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ニッポンのゆる~い日常

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2016-08-03 18:31:55 | 正論より
8月3日付    産経新聞【正論】より


戦後71年に思う 


国民の殉難を想起し、今日の戒めとする試み 靖國の英霊の大前が適しい 東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏


http://www.sankei.com/column/news/160803/clm1608030006-n1.html



 昨年の8月1日に靖國神社で戦後初めての「済南・通州両事件殉難者慰霊祭」といふ祭事が民間有志の発案により行なはれてゐる。

 ごくささやかな内輪の催しであつたし、特に広報にも努めなかつたので、参列者も多くはなく、こんな行事があつた事を知つてゐる人も少ないだらう。



≪無辜の戦争殉難者の慰霊≫


 それでも本年もその第2回の慰霊祭を8月6日の土曜日に斎行する予定である。偶々(たまたま)その日は広島に原爆が投下された記念日に当つてゐる。これは沖縄の地上戦終結の日、長崎の原爆被害の日、又東京の下町が大空襲を受けた日等と並んで過ぐる大戦で非戦闘員である一般市民が大量殺戮(さつりく)の悲運を蒙つた殉難の象徴的な日付と考へてよいと思ふ。本年は殊に広島の大虐殺の実行責任者である米合衆国大統領の、その70年後の後任者が現役の身を以(もつ)て原爆被害者の慰霊碑に詣で来り、謂(い)はばその罪責を自ら認めたのであるから、此(こ)の日を無辜(むこ)の戦争殉難者の慰霊を斎行し、その悲痛の記憶を新たにする日とするのは適切であらう。


 ところで昭和12年7月29日に発生した北京東郊通州での邦人居留民(内地人117名、朝鮮人106名)大量虐殺事件の惨劇について、筆者には別種の或(あ)る感慨がある。昭和61年夏の高校用国史教科書外圧検定事件の記憶である。



 あの時、原書房から刊行予定の『新編日本史』の監修者の一人として、筆者は文部省教科書調査官の検定意見を拝聴する立場に在つたのだが、この教科書に記述してあつた通州事件の悲劇については57年の検定虚報事件の跡始末として宮沢喜一官房長官の定めた近隣諸国条項の壁は何とか突破したものの、検定合格後に更に加へられたいはゆる外圧修正として遂に削除を命ぜられた記憶を持つ。その外圧とは、文部省は「向こう側」の要求だとしか言はず、それは何者かとの私共の反問に、只(ただ)、察してくれ、といふだけだつたが、本紙61年7月5日号は第1面に、それは北京政府と外務省内の親中派の事だ、と判然と認める体の記事を作つてくれてゐる。



 
 ≪常に国民意識の根柢に蔵し≫


 あれから本年で丁度30年が経過した。この間平成2年には故中村粲(あきら)氏の労作『大東亜戦争への道』が刊行になつて、済南事件、通州事件共に、漸(やうや)くその実相が具体的に記述されるに至つたが、それ以前は例へば『國史大辭典』の如き斯界の権威たるべき基本的文献に於いてさへも、中華民国側の虚偽宣伝をそのまま批判も加へずに引用したかの如き筆法によつて他人事の様に記してゐるだけである。



 通州事件については最近、藤岡信勝氏が、数少ない生存者からの証言の直接取材によつて極めて具体的な現場検証に近い研究を発表してをられる。この事件を歴史の教科書に記載するといふ懸案も、氏が執筆者の一人である中学校用の教科書で実現した由である。


 そればかりでなく氏と同氣同憂の方々は、この事件をユネスコの世界記憶遺産に登録を申請する事にまで踏み込まれた。首尾よく申請が承認される事を祈るばかりである。只、肝腎なのは我々日本国民各自が、この悲惨な事件を、謂はば国民共有の記憶遺産として、日本国の直面する国際関係の諸問題に対処するに当つて常に意識の根柢(こんてい)に蔵しておく事である。




 ≪今日現在の戒めとする≫


 同じ文脈で頭記の殉難者慰霊祭実行委員会代表の現代史研究家、水間政憲氏の「ひと目でわかる」との冠をつけたグラフ形式の近現代史再検証の連作が回を重ねて第9冊に達してゐる事の意味も大きい。重要なのは〈歴史を奪はれた民族は滅びる〉との有名な命題の裏返しとして、今我々は民族として生き延びるための条件である、忘却を強ひられた歴史の記憶を我が手に取り戻す事業を推進しなければならない、この一事である。


 念の為に注記しておくならば、靖國神社は嘉永6年の黒船来航以来、国事に身を捧(ささ)げて斃(たふ)れた人の霊を祀(まつ)るお社である。従つて済南事件、通州事件についても、日本居留民及び在外権益の保護といふ官命を受けての公務遂行途上で落命した軍の兵士達の霊は合祀されてあるが、外地で商工業に従事してゐた一般居留民の殉難者の霊は合祀されてはゐない。

 それは、戦闘員ではないが最後まで職場で公務についてゐて自決した樺太真岡の電話交換手達や、官命による学童集団疎開の途上で敵国からも安全を保障されてゐた乗船阿波丸を撃沈されて全員海没してしまつた一般乗客が合祀の対象になつてゐるのに、全国六十余都市に向けての米軍の戦略爆撃の犠牲者は、各自の生業の場での遭難である故に公務死以外は合祀されてゐないのと同じである。

 さうした宗教学上の問題はさて措いて、近現代に於ける対外関係の中での国民の殉難の歴史を想起し、改めて記憶に刻み、以て今日現在の戒めとするといふ試みは、やはり国民の守護神である靖國の英霊の大前でが適(ふさは)しいと思ふ。(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼりけいいちろう)











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世界の秩序崩壊に日本は耐えうる国家に

2016-07-08 16:42:45 | 正論より
7月8日付     産経新聞【正論】より


中露連携、テロの大波…世界の秩序崩壊に日本は耐えうる国家に  京都大学名誉教授・中西輝政氏


http://www.sankei.com/column/news/160708/clm1607080007-n1.html


「世界秩序の崩壊」といえるような事態が進んでいる。この1カ月間だけでも、内外から伝えられるニュースに多くの日本国民は驚きを禁じ得なかったはずだ。


 ≪各地に広がる衝撃と懸念≫

 6月9日からの1週間の間に、まずロシアと中国の海軍艦艇が、時を同じくして、尖閣諸島の領海のすぐ外側の日本の接続水域に侵入した。ついに尖閣周辺に中国海軍が「出てきたか」との思いとともに、「中露連携」の可能性は当然ながら大いに気になるところだ。しかもその数日後、中国海軍の軍艦が今度は鹿児島県の口永良部島の領海を通過し、さらに16日には沖縄県北大東島の接続水域にも侵入した。もはや、その「メッセージ」は明らかで、恐れられていた事態がついに現実になったのである。

 参院選公示の翌々日の6月24日、英国の欧州連合(EU)離脱を決定した国民投票のニュースが日本をはじめとする世界のマーケットに激震を走らせた。

 しかしそれ以上に、この出来事は「戦後世界の秩序の支柱」であったEUの「終わりの始まり」と目され、それと表裏一体の存在である北大西洋条約機構(NATO)の安定も大きく揺るがすことになるのでは、との懸念が今、世界中に広がっている。アメリカを中心とする戦後世界の代表的な安全保障の枠組みであるNATOが動揺すれば、日米安保体制にも影響するのは必至だ。こうしてEU離脱は、地球の裏側にまで歴史的な波紋を及ぼす、という声まで聞かれ始めた。しかし、さきの中国海軍の動きを見れば、それはあってはならない事態である。


 そして7月1日の夜、突如としてバングラデシュの首都ダッカでのイスラム過激派によるテロで日本人7人の貴い命が奪われた、という衝撃的なニュースが飛び込んできた。これほどの日本人の犠牲者を出したのは、2013年1月のアルジェリアのガス田施設でイスラム武装勢力によって10人の日本人を含む多数の犠牲者を出したテロ事件以来だ。しかしこの翌々日にはイラクのバグダッドでも、過激派組織「イスラム国」(IS)の仕業とみられる爆弾テロが起こり、5日までに250人に上る死者を出している。




 ≪秩序は崩壊のプロセスに入った≫


 まさに4月8日の本欄でも書いたように「テロの大波」が地球を覆い始め(「『妖怪』生んだ米国の戦略的過ち」)、ついに本格的にアジアにまで波及し、日本人にも繰り返し悲惨な犠牲者を出すようになったのである。

 「冷戦後の世界秩序」と称されたものが、今や本格的な崩壊のプロセスに入っていることは明らかだ。

 実は、今から20年余り前の1990年代半ば、国際政治の担当教員として京都大学に赴任したときから、私は毎年4月の学年はじめに「冷戦後の国際政治の動向」と題し次の5つの趨勢(すうせい)を列挙して講義をスタートさせた。いわく、(1)中東秩序の崩壊とテロの蔓延(2)ロシア民主化の反転(3)中国の膨張と軍事大国化(4)EU統合の挫折(5)唯一の超大国アメリカの衰退と「孤立主義」化-である。


 このように話し出すと、はじめは神妙に聞き入っていた学生たちも(3)から(4)に及んでくると、「この先生は教授とのことだが、果たして大丈夫か」と心配げになり、そして(5)に至ると、もう腰を浮かせ「他の授業を見にいこう」と教室を出ていく。はじめの内はなぜだか分からなかったが、考えてみると当時、日本のメディアや学界・経済界で広く大勢になっていた見方とこれはあまりに違いすぎる。さすがに京都大学の学生は優秀で、世間に流布している情報はよくフォローしているな、と妙に感心したものだ。




 ≪回避し続けた憲法9条改正≫


 しかし、これは学者としての確信に基づく持説だから、如何(いかん)ともしがたく2012年の定年退職まで一貫して私はそう論じてきた。そして、とりあえず今のところ(5)を除くと、これらの私の予測は大筋で的中しているのではないか。

 これは何も、自らの予測の正しさを誇示して言うのではない。むしろ私自身、他のだれよりもこうした事態の到来を何とか避けることができれば、と心から願っていた。どれ一つとして、この日本という国にとって耐えうる事態ではないからだ。


 それにもかかわらず、この二十数年間、日本は「眠り続けた」のである。日本にはなぜ、かくも先見の明が欠けていたのか。それは安全保障、外交の自立、とりわけその大前提である憲法9条の改正に真剣に取り組むことをひたすら回避し続けてきたからである。

 しかも他の国ならいざ知らず、日本だけはこうした世界情勢の悪化にことのほか耐えられない国であるにもかかわらず、この全く初歩的かつ自明な課題にすら解決の努力を怠り続けてきたのである。世界の変化を見落としたのも当然のことだった。

 今こそ、憲法9条の改正に正面から取り組めるような参院選の結果を心から望んでいる。

(京都大学名誉教授・中西輝政 なかにし てるまさ)









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憲法改正反対派はすでに緊急事態条項の阻止に狙いを定め、再びデマを流し始めた 

2016-04-26 15:06:20 | 正論より
4月26日付     産経新聞【正論】より


憲法改正反対派はすでに緊急事態条項の阻止に狙いを定め、再びデマを流し始めた 

日本大学教授・百地章氏


http://www.sankei.com/column/news/160426/clm1604260010-n1.html



 安倍晋三首相が憲法改正を「在任中に成し遂げたい」と発言して以来、憲法改正論議が過熱化してきた。改正反対派はすでに緊急事態条項の阻止に狙いを定め、ネガティブ・キャンペーンを展開している。このまま手をこまねいていたら、憲法96条(改正条項)のときと同じ轍(てつ)を踏みかねない。




 ≪国民の不安を煽り立てる反対派≫


 96条改正論議が盛り上がったのは平成24年12月、第2次安倍内閣が登場した頃からだった。世界で一、二を争うほど厳しい改正手続きをフランス憲法並みに緩和し、憲法を主権者国民の手に取り戻そうというだけなのに、反対派はデマやレッテル貼りを行い、改正の動きを止めてしまった。

 「九六条の会」(代表・樋口陽一東大名誉教授)は「96条改正は憲法の破壊」と主張(東京、平成25年5月24日)、石川健治東大教授も「立憲国家への反逆」であり「革命」であると述べている(朝日、同年5月3日)。また小林節慶応大名誉教授も96条改正は「裏口入学」(朝日、同年5月4日)「憲法の本質を無視した暴挙」(毎日、同年4月9日)と訳の分からない理屈を展開した。


 
 しかし憲法に定められた改正手続きに従って96条を改正することは「憲法の破壊」でも「裏口入学」でもない。大石眞京大教授の言うとおり「96条を見直すとどうして立憲主義が破壊されてしまうのか」(読売、同年7月2日)。にもかかわらず、96条改正の可能性は遠のいてしまった。


 反対派は緊急事態条項についても、再びデマを流し始めた。そして先の安保法制と同様、国民の不安を煽(あお)り立てている。インターネットは反対派の記事のオンパレードだ。それ故、早急に反論を展開していく必要がある。


 朝日新聞は戦前のドイツで「ヒトラー独裁に道を開いた苦い歴史もある」(平成27年4月3日)といい、サンデー毎日も「『緊急事態条項』は国家総動員法そのものだ!」と決めつけた鼎談(ていだん)を載せている(2016年2月21日号)。




 ≪導入だけで独裁に繋がるのか≫


 しかし戦前のドイツの場合は、大統領の緊急措置権が乱用されたためだ。だからこそ、西ドイツはその反省に立って、より周到な緊急権を定めたことは、本欄でも指摘した(拙稿「緊急事態条項で改憲の発議を」平成27年5月4日)。それに緊急事態条項を導入しただけで独裁に繋(つな)がるのならば、世界の先進国はすべて独裁国家になっているはずである。


 反対派は、災害対策基本法などの法律を使いこなせば十分としている。しかしその法律が現実に役立たなかったことや、法律万能主義こそ立憲主義の否定につながることも、先に本欄で批判した(拙稿「国民の生命守る緊急事態条項を」平成28年2月11日)。何もかも法律でやってしまおうというのは、国家総動員法と変わらない。


 そこで新たに出てきたのが、東日本大震災の折も「ガソリン不足で緊急車両が走れない事例などなかった」と強弁する弁護士や、所有者の了解なしにガレキを処分すれば財産権の侵害に当たると考えたため処分が進まなかった自治体など本当に存在するのか、といった批判である。



 ならばいくつかの具体例をあげよう。ガソリン不足により緊急車両に支障を来した例として、青森県庁のウェブサイトには「東日本大震災時は、石油燃料の供給が不足し、病院での救急対応や支援物資運搬車両の運行に支障を来すなど、県民生活に大きな影響が生じました」とある。

 また、福島県いわき市消防本部総務課の大平公規氏も「活動で一番困ったのが燃料の不足である。消防隊用はもちろんのこと、避難所の連絡用や食料配達用の公用車の燃料にも事欠く有様であった」(消防防災科学センター)と述べている。




 ≪大切なのは命より改憲阻止?≫


 ガレキ処理については、枝野幸男官房長官が「緊急立法」に言及、津波で流された家財や自動車にはそれぞれ所有権があり、勝手に処分すれば財産権の侵害になりかねないため、と朝日の記事は説明している(平成23年3月23日)。同記事には、村井嘉浩宮城県知事も「流された大量の家屋や車をどう処分するのか。やっかいなのは柱一本でも私有財産ということだ」と発言したとある。


 さらに樋高剛環境大臣政務官が宮城県の被災地を訪問した際に、多賀城市長と市議会議長から「私有地における廃棄物も含めて処理するためには、財産権の問題に関する制度的解決が必要であり、国として早急に結論を出してもらいたい」旨の要請があったという(www.env.go.jp/jishin/attach/110320-21_sendai.pdf)。

 反対派は現行法だけで首都直下型大地震などに対処できると本気で考えているのだろうか。彼らにとって大切なのは、実は国民の命より「改憲阻止」ではないのか。熊本地震で国民の関心も高まっている折、堂々と緊急事態条項の必要性を訴えていくべきである。(ももち あきら)












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安倍首相は「日本を取り戻す」を放棄した…だが草莽は屈せず 我等は独立主権国家の民なり

2016-04-25 17:48:48 | 正論より
4月25日付    産経新聞【正論】より


安倍首相は「日本を取り戻す」を放棄した…だが草莽は屈せず 我等は独立主権国家の民なり 

東大名誉教授・小堀桂一郎氏


http://www.sankei.com/column/news/160425/clm1604250005-n1.html


 本年、我が国が當面してゐる国際政治の環境は、心ある国民の一人として、到底黙つて見てゐるわけにはゆかない嶮(けわ)しいものになりつつある。


 直接に我が安全保障体制に関はる事項だけを考へてみても、中国共産党政府は南支那(シナ)海での人工島の建設といふ無法な手段を通じて同海域での覇権的野心を露骨に顕示してをり、東支那海では我が尖閣諸島周辺に於(お)いて相変らず挑戦的な領海侵犯を日常的に繰返し、我が監視体制の倦厭(けんえん)から来る緩怠を狙つてゐるが如(ごと)くである。




◇自主憲法制定の遅滞ぶり


 其(それ)のみならず北朝鮮の新年早々4回目の核実験、我が沖縄県の領空を通過してルソン島の近海に着弾したとされる長距離ミサイルの試射等は、直接我が国へ向けた脅迫を意図したものではないとしても、近隣にその様な攻撃力の所有を誇示したがる専制独裁国家が存在し且(か)つそれが我に敵意を抱いてゐる事が既に十分の脅威である。


 折から米国は自ら世界の警察官を以て任ずる強大国の矜恃(きょうじ)を放棄する退嬰(たいえい)的な姿勢を公言し、話題の的の共和党大統領候補は日本を米国の「核の傘」に入れて守つてやる氣はないとの意志を表明してゐる。その言分は我が国の自主的国防努力への決断を促す主張として元来歓迎に値する警告なのではあるが、如何(いかん)せん我が自主憲法制定の歩みの遅滞ぶりを見れば、現在日米軍事同盟の絆無くしては我が国の安全はとても保障できない、法的に脆弱(ぜいじゃく)な状況にある事は否定し難い。これは我が自衛隊三軍の世界に誇るに足る精強と、感嘆すべき士氣の旺盛にも拘(かかは)らず、残念ながら法制上の欠陥である。


 その様な目下の国際政治上の諸種の不利な条件に更に加へて、我が国は昨年8月の安倍晋三総理の停戦70年記念談話に於いてあの忌はしい20年前の村山談話を否定する最後の機会を生かす事無く、肝腎(かんじん)の点であれを踏襲してしまつた。つまり又しても東京裁判史観への屈服を公言したことになる。




◇「日本を取り戻す」を放棄


 あの日以来、安倍氏を支持し、氏の元来の政治目標とされてゐた「日本を取り戻す」との標語に期待を繋(つな)ぎ、応援の論陣を張つてゐた言論人達は、あの談話を何とか安倍氏の功業の方向に向け、つまりは自分達の期待を満たす方向に読み繕ふべく苦心した。談話の本文は、韓国の大統領府が出したといふ〈高度な設計によつて作成された談話だ〉との巧妙な評語の通り、読む人の立場や思ひ入れによつて様々の解釈ができる体のものであつたから、元々安倍氏に好意と期待を抱いてゐた人達には、先づは此でよしとの安心感を与へることもできたのだつた。


 然(しか)し年末の12月28日に日韓両国外相の合意の結果だといふ共同発表の中で日本国総理大臣の意向なるものが伝へられると、支持者達の受取り方に微妙な翳(かげ)りが出て来た。これでは、確信犯としての村山談話よりも更に悪質な平成5年8月の河野談話さへも、結果として肯定し、趣旨を生かしてしまつたことになるではないか、との大いなる失望が広がり始めた。単に日韓関係に就いてのみではない、この合意は結局のところ、所謂(いわゆる)歴史戦に於ける日本の敗北宣言に等しい重大な意味を持つ。つまり日本は再度東京裁判史観を肯定し、そこから生ずる反日敵性諸国からの過去の戦争に関はる罪責への非難を、日本国民の次の世代が永く受け続けるであらうことを容認したことになる。





◇草莽は屈せず、初心に帰る


 事態の深刻さに直面して、我々の思念は以下の如くに動いてゆくより他ない。即(すなわ)ち我が日本国の歴史の名誉を守る使命は、遂に政府に托(たく)することはできないと判明した。期待を担つて登場した現政権とても、所詮は敗戦=占領利権亡者の最強の根城である外務省が操る木偶(でく)と化してしまつてゐる。国家と国民の名誉を守るのは民間の志士・草莽(そうもう)の崛起(くっき)に依る他無い。



 今年も亦4月28日の国家主権回復記念日には、第20回の記念国民集会が開催される。昨年初回以来の代表世話人であつた井尻千男氏の他界といふ不幸に遭つたが、残る同志の者には老いてもなほ、所期の目的を訴へ続けてゆく力が辛うじて存してゐる。政府は歴史戦の敗北を自認してゐる以上、戦線から脱落するであらうが、草莽は屈しない。むしろここで初心に帰り、我等は独立主権国家の民なりとの自覚を基軸として、具体的には以下の如き主張を訴へてゆく。



 即ち、日本は絶対に侵略戦争を起したのではない。曽てマッカーサーが米国議会で証言し、ビーアド博士が論証し、フーバー回顧録が述べてゐる如く、20世紀の大動乱を惹起(じゃっき)したのは少くとも日本に対してはルーズヴェルトとスターリンの政治的野望と謀略であり、日本はそれに対して自存自衛の鉾(ほこ)を執つて立ち上つた迄である。そして日本の自衛の戦ひが結局A(アジア・)A(アフリカ)諸国の独立願望を覚醒させ、白人による世界の植民地的支配に終止符を打ち、今日の四海平等の秩序の前提迄は達成し得た。世界史の検証にはこの事実の承認が不可欠である。全てはそこから始まる。 


(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼり けいいちろう)
















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突然浮上した女系女子条項 危うく「改正」を逃れた皇室典範 

2016-04-12 13:20:54 | 正論より
4月12日付     産経新聞【正論】より


突然浮上した女系女子条項 危うく「改正」を逃れた皇室典範   現代史家・秦郁彦氏


http://www.sankei.com/column/news/160412/clm1604120010-n1.html





 4月1日に女性活躍推進法という耳慣れぬ法律が発効したらしい。「女だって活躍したい」というポスターも見かけた。何にせよ女権の拡張、女子力の向上ぶりは目を見張るものがある。「男に追いつけ」から「男を追い越せ」の段階に入ったのかもしれない




◇圧力を増す「差別」撤廃運動


 しかし女性弁護士や非政府組織(NGO)の急進的フェミニスト運動家たちが満足する気配はない。法的・形式的差別がほぼ解消したので、彼らは標的を実質的差別の是正、例えば女性議員・大臣の比率、民法の夫婦同姓条項など、機会は均等に見えても結果的に格差が残っている分野へ移した。一方では「弱者」に入る女性の保護規定を強化せよ、とも主張する。

 さらに政府や裁判所を正面から攻めても、もはや見込み薄と判断してか、国連の人権部門、なかでも女子差別撤廃委員会(以後は撤廃委と略称)を通じ日本政府に圧力をかけ、呼応して国内でも押す迂回(うかい)戦術に訴えた。その成果は目覚ましいものがある。


 最近まで、女子差別撤廃条約に関心を持つ人は少なかったが、日本がこの条約に批准したのは1985年である。ただし司法の判決に不服な個人が、直接、撤廃委に持ち込める個人通報制には加入を見合わせた。

 

 2008年、外務省は林陽子弁護士を撤廃委の委員に任命し、3選を重ねている。政府の信頼が厚かったとみえるが、見当違いだったことは後述のハプニングで露見した。林氏は任命時の挨拶(あいさつ)で「自国の政府から独立して行動する」と表明し、委員の間でもそれを公言して出身国の意向に沿わざるを得ない委員たちの羨望と期待を集め、15年に23人の委員の互選で委員長に選出された。

 彼女は11年に刊行した著書のなかで、撤廃委の勧告は日本の国内法より優越するので夫婦別姓の勧告に従い民法改正は義務だとか、個人通報制に加入すべきだと主張しているが、委員就任後は国内活動は自粛し、国連を通じての活動に専念したようだ。




◇NGO路線に乗った撤廃委


 そもそも北朝鮮の制裁問題が空回りしているように、国連には主権国家に対する法的拘束力はない。アメリカは撤廃委に加入せず、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の分担金を払っていないし、加入国の多くは内政干渉めいた勧告は無視している。


 ところが国連信仰が根強く、優等生の定評があるわが国は撤廃委の勧告に過敏で、国内法の改正に向け律義に取り組み、実現しないときも努力した経過を低姿勢で言い訳してきた。

 今年も撤廃委の勧告に先立つ対日審査に、日本政府は関係省庁が30人近い大代表団をジュネーブの国連欧州本部に送り込んだ。日本の人権NGOも大挙して乗り込み、撤廃委へのロビー活動に駆け回った。

 撤廃委の判定である「最終見解」が公表されたのは3月7日である。57項目にのぼる勧告の多くは前回(2009年)のダメ押しで、夫婦別姓の実現、セクハラ、女子高生の援助交際まで多岐に及んだ。もっとも注目されたのは慰安婦問題であったが、日本政府の言い分はほとんど無視され、昨年末の日韓合意は「被害者中心のアプローチが不十分だ」とばっさり斬り捨てられた。


 10日の人権理事会でもトップのザイド高等弁務官が同調する声明を出している。総括すると、撤廃委は、韓国のNGO(挺身隊問題対策協議会)や、共闘する日本NGOの路線に乗ったと評せよう。





◇記者会見を開き事情説明を


 そのうえ、最終段階で想定外のハプニングが起きた。最終見解(案)に前兆もなしに、皇位継承権が男系男子の皇族だけなのは女性差別だから、女系女子(男系女子である愛子内親王の長女を想定?)にも継承権を与えるよう皇室典範を改正すべきだという条項が入ったのである。

 数日前にこの案を示されて仰天した政府は、現地の公使を通じ撤廃委の鄒暁巧副委員長へ削除するよう申し入れた。産経新聞の報道によると、内容は変更できないが伝えておくとの返事だったところ、3月7日の最終見解では消えていた。ではこの条項を入れ込もうと発案したのは誰か。



 撤廃委は取材を拒否しているので推測するしかない。ただ、中国の鄒委員か林委員長以外には、日本人でも理解困難な女系女性に思い及ぶ委員は見当たらない。


 いずれにせよ、日本国憲法第1章と下位法の皇室典範に土足で踏み入る内政、家庭内干渉だから、委員長は職権で事前に排除できたはずだ。



 さすがに林氏への不満は各界から噴出した。3月17日、片山さつき議員は参議院の委員会で過去の反政府的言動に触れ、彼女を撤廃委の委員に推した外務省の責任を追及した。複数の民間団体は林氏の国会喚問、即時リコールを決議している。彼女は沈黙を守ったままだが、記者会見を開き、事情説明するよう望みたい。(現代史家・秦郁彦 はた いくひこ)











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韓国が重ねる歴史研究の「虚偽」 自分たちが作った「韓国史」という偶像を崇め奉る韓国人

2016-03-17 12:41:14 | 正論より
3月17日付     産経新聞【正論】より


韓国が重ねる歴史研究の「虚偽」 自分たちが作った「韓国史」という偶像を崇め奉る韓国人


筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/160317/clm1603170007-n1.html



 最近、第2期日韓歴史共同研究委員会(2007~10年)日本側委員たちに、当時の韓国側総幹事である鄭在貞氏(ソウル市立大教授)から、著書が送られてきた。『日韓〈歴史対立〉と〈歴史対話〉』(新泉社)という本で、日韓歴史共同研究について多くのページを割いている。


 同研究委員会は日韓両国首脳が合意して始められ、日韓の歴史を両国学者が共同で研究する事業である。特に第2期は古代、中近世、近現代に加えて、「教科書小グループ」を新しく設け、両国の歴史教科書の記述ぶりについても検証し、共通認識は教科書編集過程で参考にし、おのおのの教科書制度の枠内で努力することとしたものである。筆者が教科書小グループの日本側のチーフだった。




 ≪政争の材料とされた歴史教科書≫

 ところが著作では、「今回の共同研究の目標の重要な一つは、歴史教科書の記述を支援することであった」(249ページ)と、参考程度の教科書記述ぶりの結果が、重要な目標にされてしまった。それならば「日韓歴史共同研究委員会」は「日韓歴史教科書共同研究委員会」になってしまうだろう。


 驚愕(きょうがく)するのは、第2期は「安倍政権に移行し、自身と同じ傾向の歴史認識をもつ委員を委嘱しようとし、人選が難航した」(251ページ)と、虚偽を重ねていくことだ。委嘱をしたのは外務省で、ゆえにコリア史専門でないが、歴史全体を見わたせる著名な歴史学者も入っているのである。


 以上から分かることは、韓国側がこの共同研究を歴史教科書を巡(めぐ)る政争と、当初より位置づけていたということである。だからこそ「二回の共同研究がそれほど成功しなかったのは研究委員の構成に問題があったからである。(中略)日韓両国が互いに協議して委員を選任すれば、共同研究の過程で無用な摩擦と対決を減らすことができる」(258ページ)と、自己に都合のよい委員を引き入れることまで提言する。





 ≪親北左翼政権を見越した提案?≫


 そもそも韓国が歴史教科書を巡る政争を日本に仕掛けてくるのは、親北左翼政権下の時に限られている。過去2回は01年の金大中氏と05年の盧武鉉氏の政権時であった。北朝鮮に国家支援や秘密支援を送り、韓国が北の経済を支える時代である。その時代には北に同調する分、国内の不満を積極的に日本へと向けてくるのである。


 総幹事・鄭在貞氏は、次が親北左翼政権になることを見越して、第3期日韓歴史共同研究委員会を提言しているのであろうか。政争が起こるたびに関わり、政治的なポジションを高めていくというのは、コリアの学者の行動パターンの一つである。これには李氏朝鮮の儒学者・張維(1587~1638年)の自己批判がある。


 「中国には学者がいるが、わが国にはいない。蓋(けだ)し中国の人材は志が頗(すこぶ)る並みでない。志のある士大夫であれば心から学問に向かい、好むところ学ぶところも同じではない。そこで各々(おのおの)が往々にして実を得るのだが、わが国は違う。齷齪(あくせく)と縛られ、未(いま)だにみな志がない」(『谿谷漫筆』巻之一)



 李朝の宮廷では、朱子学の諸説を巡って士大夫(官僚)たちが偉くなろうと政争を繰り返していた。今は植民統治の研究を巡り、政争を繰り返しているのである。





 ≪自ら作った偶像を崇め奉る≫


 『帝国の慰安婦』の著作により、韓国憲法で保障されているはずの学問の自由を奪われた朴裕河氏もこのケースだ。第2期の教科書小グループの委員である重村智計・早稲田大学教授は、報告書の論文に朴裕河氏の著作を引用したところ、「引用するならば論文として認めない」という韓国側の主張により引用を削除された。先の鄭在貞氏の著書で「日本側は自国の歴史教科書はいっさい扱わずに韓国史教科書だけを検討した」(246~247ページ)というのも虚偽であり、「日本歴史教科書の現代韓国記述ぶり」を書いた重村氏に対して失礼である。



 最後に、「ある日本側の委員が約束を破って、右派の大衆雑誌に委員会の進捗(しんちょく)状況を公表して物議を醸した。しかも韓国史と韓国側の委員を批判する内容であった」(249ページ)というのは、私のことらしい。約束というのは、本研究と直接関係のある内容を予(あらかじ)め公表しないというものだった。ゆえに最終報告書とは関係のない「韓国『正しい歴史認識の虚構と戦略』」を毎日新聞社のアジア調査会『アジア時報』に掲載した。


 右派ではないし、委員会の進捗状況など書かれていない。「韓国史を批判した」というが、鄭東愈(てい・とうゆ)という儒者の『晝永編(ちゅうえいへん)』(1805年)を紹介し、李朝には針がなくシナ針がなければ衣も縫えない、舟はあるのになぜ車はないのかと嘆いていると、コリアの技術水準の低さを示しただけだ。


 韓国人は自分たちが作った「韓国史」という偶像を崇(あが)め奉る。まるで旧約聖書でモーセが打ち砕いた異教徒の「金の子牛」崇拝のようだ。最後に、日本の実証研究の遺産は韓国よりもむしろ台湾で育っていることを付言しておこう。(ふるた ひろし)















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「脅威」の北朝鮮 「裏金」の韓国 茶番劇にだまされるな

2016-02-10 09:58:50 | 正論より
2月10日付     産経新聞【正論】より




「脅威」の北朝鮮 「裏金」の韓国 茶番劇にだまされるな   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/160210/clm1602100004-n1.html



 ここ最近の韓国と北朝鮮のドタバタ劇を見ていて、日本の国民はうんざりしているのではないだろうか。その庶民の常識は正しい。庶民から遊離した一部のマスコミですら、「北朝鮮のネライは」とは、あまり言わなくなった。以上は朝鮮半島問題が、もはや分析段階ではなく、周りの諸国がどうすべきかという、政略段階に入ったことを意味している。




◇北朝鮮経済を支え続けた韓国


 1月6日の北朝鮮の核実験は水爆ではなく、強化型の原爆だった可能性が高い。今回のミサイル発射実験は、2012年12月の弾道とほぼ同じで、飛距離が少し伸びただけだ。ということは、北朝鮮はアメリカに脅威のメッセージを送っているわけではないのである。脅威になるほどの進捗を見せれば、1月10日の米軍機の示威飛行は、韓国領内にとどまることはなかったであろう。


 これまでの経過を見れば明らかなように、韓国は北朝鮮の経済を支えてきた。

 金大中政権時では、引退後の処遇を恐怖する金大中氏が、当時5億ドルの秘密支援を北に行い、南北首脳会談を実現してノーベル賞の権威付けによってこの恐怖を逃れた。秘密支援は3年後に暴露された。この時北は10億ドルを要求したという。


 続く盧武鉉政権時では、北に国家支援を行うとともに、秘密支援も行ったものとみられ、06年10月に北が初の核実験を実施した翌年に、盧氏は南北会談を実現する。この時、南北間に直通電話があったことを、昨年10月に元国家情報院長・金万福氏が暴露している。


 08年からの李明博政権時には、北とのパイプは一時途絶したため、当時連続して事件が起こった。09年5月に2回目の核実験が行われ、翌10年3月には哨戒艇「天安」沈没事件、同11月には延坪島砲撃事件が起こる。翌11年6月には、事件の際に、北朝鮮が謝罪したような折衷案を作ってくれと、韓国が非公開会議において金銭で懇請したことが、北朝鮮の国防委員会により暴露された。裏金の支払い方で問題が生じたものと思われる。





◇繰り返される「脅威」の演出


 これまでの弾道ミサイル実験は核実験の数カ月前に予告のように行われた。06年7月と09年4月であった。3回目は、失敗した4月を除けば、12年12月に行われ、3回目の核実験は2カ月後の13年2月12日に行われた。反北の朴槿恵政権が発足する約2週間前である。

 ここまでたどれば、北朝鮮のネライは明らかだろう。金大中・盧武鉉政権時代の国家支援と秘密支援の蜜食いが体質化し、その後もオドシとタカリを繰り返すようになったのである。


 昨年の8月4日、朴槿恵政権下で起きた軍事境界線の地雷爆発事件では北朝鮮が「準戦時状態」を宣言し、南北高官による会談が開かれたが、会場は韓国領内、韓国側の代表者2人は北朝鮮シンパで、加えて協議の映像が青瓦台に中継された。国家安保戦略研究院の劉性玉院長は朝鮮日報8月24日付で、事件のたびにケーブルテレビによる「トップ交渉」が行われていたことを暴露した。


 このような南北間の事件と裏取引のたびに、周りの諸国は「脅威」の演出に振り回され、中国は北朝鮮の核抑止に努力しなければ高高度防衛ミサイル(THAAD)を設置するぞと、朴槿恵大統領に言われ、日本は安保理決議の音頭を取らされ、“裏金の値踏み”に一役買わされているのである。真に迷惑千万な話だ。





◇韓国の巻き込みを警戒せよ


 では、この状況を打開するにはどうすればよいか。彼らに知恵がない限り、周りの諸国は政略的にならざるを得ない。ここまで両者が歩み寄る交渉の積み重ねがあるのだから、南北統一ができないはずはないのである。

 1980年10月に故金日成主席による「高麗民主連邦共和国」構想の提唱があった。周りの諸国は、この構想を生かすべく促すのが最善の策だと思われる。ただし、統一と引き換えに、核放棄をさせることが前提でなければならない。さもなければ、日本の対岸の東アジア地域は、すべて核保有国となり、深刻な脅威が日本国家に及ぶことであろう。


 庶民である日本国民は、あくまでも「助けず、教えず、関わらず」の非韓3原則で対応し、彼らの騒ぎに巻き込まれないように、対岸の火事を見るがごとくにし、「『自衛的核武装』を強調し、米中を引っ張らねば、北朝鮮の核問題は打開できない」などという、日本からの援護を求める韓国内の声に耳を貸してはならない。



 なにしろコリアは、豊臣秀吉軍の災禍いまだ覚めやらぬ頃、満州軍の侵攻を受けるや、「日本に助けてもらおう」という声が平然かつ澎湃(ほうはい)として起こる国である。

 「士大夫間に亦た行言あり、倭に請うて来るを欲するに至る」(『仁祖実録』仁祖17年7月22日丁丑条)。歴史に学ぶとは、このような民族の行動パターンに学ぶことを言うのであろうか。(ふるた ひろし)


















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「慰安婦」申請は取りやめず? ユネスコ記憶遺産は制度改革を

2016-01-25 13:59:24 | 正論より
1月25日付     産経新聞【正論】より



「慰安婦」申請は取りやめず? ユネスコ記憶遺産は制度改革を   現代史家・秦郁彦氏


http://www.sankei.com/column/news/160125/clm1601250005-n1.html



 年の瀬も押しせまった昨年12月28日、日韓両国の外相は、こじれてきた慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決される」こと、「今後、国連等国際社会において…互いに非難・批判することは控える」ことを確認しあった。


 細部について不透明な部分は残るが、岸田文雄外相が日本人記者団の質疑に応じ、韓国が3月に中国などと共同で旧日本軍の慰安婦資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に世界記憶遺産として申請する件について、「申請することはないと認識している」と語ったのをテレビ中継で見て、胸をなで下ろしたのは筆者だけではあるまい。



 ところが翌日、韓国外務省の報道官は記者会見で、岸田外相の認識は「事実無根」と断じ、さらに「記憶遺産の申請は民間団体の主導」だと付け加えた。一応は「合意」に達した相手国の外相を嘘つき呼ばわりするにひとしい非礼さに呆(あき)れるとともに、記憶遺産申請と1年後の登録を目指す決意のほどを思い知らされた。


 韓国政府が女性家族省を中心に200人を超える元慰安婦の証言集を英訳し、欧米の出版社から刊行する大規模なプロジェクトを立ち上げたのは3年前である。関係資料とあわせ「慰安婦白書」と銘打って昨年末には完成したと聞く。その過程で記憶遺産に申請する構想が固まったようだ。



 そして2015年10月、「南京虐殺事件」の記憶遺産登録に成功したが、日本軍慰安婦のほうは却下された中国がユネスコの示唆もあって、中韓共同、さらに他のアジア諸国も加える構想が進みつつある。こうした経緯からみても、韓国が申請を取りやめる可能性は低いと判断せざるをえない。それではユネスコ本部と交渉して、日本政府が撤回ないし修正を申し入れる余地があるかといえば、残念ながら現行制度の下では打つ手がない。





 ≪政治的色彩を帯びるテーマ≫


 少し説明すると、ユネスコの文化遺産事業には、(1)世界遺産…富士山、原爆ドーム、ピラミッドのような自然遺産や歴史的建造物(2)無形文化遺産…歌舞伎、和食、アリランなど(3)記憶遺産-の3種がある。(1)と(2)は条約的根拠があり、関係国は選定に参加できるが、1997年に新設された(3)は、真正性、世界的重要性という一応の基準はあるが、国、団体、個人を問わず申請ができる。採否は事務局内の非公開審査で決められ、提出資料の内容を事前に公開する必要もない。ただし、申請は2年ごと、1国2件に限るとされる(ただし共同申請は別枠)。いわばフリーパスに近い。



 当初はマグナカルタ(英)、グリム童話(独)、朝鮮王朝実録(韓国)など無難な古典に限られていたが、09年のアンネの日記あたりから政治的色彩を帯びた近現代のテーマが増え始めた。「光州事件の記録」(韓国)「ポル・ポト虐殺の資料」(カンボジア)のように第二次大戦後のテーマまで加わるようになる。


 日本の場合は関心が薄かったせいもあり、山本作兵衛の炭鉱画(11年)を第1号として、御堂関白記、支倉常長の訪欧使節(スペインと共同)から、15年のシベリア抑留、東寺文書の5例にすぎない。15年には中国が南京虐殺を登録したが、事前に内容を開示してくれという日本政府の申し入れは拒否され、今も公開されていない。

 そこで馳(はせ)浩文部科学相は11月6日にユネスコのボコバ事務局長に会い、制度改正を申し入れた。「加害」国と「被害」国が同じようなトラブルを引き起こしては困ると痛感したのか、事務局長はすでに改正案を検討していると答えたらしい。そうだとしても、次の申請と登録に間に合うかどうかは微妙なところだ。





 ≪19世紀以降は対象外に≫


 今のところ16年春に申請が予想されている案件は上野(こうづけ)三碑、杉原千畝(ちうね)のビザ(昨年9月に内定)、韓国が日本軍慰安婦(中国などと共同)、朝鮮通信使(日韓NPOによる共同申請)、中国が上海のユダヤ人ゲットーなど日本が加害者にまわるテーマが少なくない。もし反論の機会を与えられたとしても、阻止するのはかなり困難だろう。


 通例だと毎回100件に近い審査をこなさねばならぬユネスコ事務局は、局内の諮問委員会(14人)、アジア太平洋小委員会(10人のうち5人は中韓人)で審査するが、日本人は1人も入っていない。


 筆者は制度改正の重点を論議の種になりやすい19世紀以降を登録の対象から外すよう、政府がユネスコ事務局に要請するのが賢明な策だと確信する。G7に代表される先進大国は19世紀の帝国主義全盛期にはいずれも「スネに傷持つ」身だから、無益なたたき合いは好まないはずだし、ユネスコも巻き込まれたくはないだろう。

今年4月のユネスコ執行委員会が、3分の2の多数決でこの制度改正案を採択する可能性は大きいと判断する。 

 現代史家・秦郁彦(はた いくひこ)






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日本的な「気配り外交」は国益を損ねる 

2016-01-18 18:26:08 | 正論より
1月18日付      産経新聞【正論】より




日本的な「気配り外交」は国益を損ねる    袴田茂樹氏(新潟県立大教授)


http://www.sankei.com/column/news/160118/clm1601180008-n1.html



 日本と諸外国の関係を見て、そして日本の対外発信のあり方を見て、歯がゆい思いをすることが少なくない。日本文化を前提にしたわれわれの行動や発言は、外国人には通じないことが多いからだ。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産問題、日中・日韓の歴史問題、北方領土問題、その他多くの問題でそれを痛感する。

 


◇10伝えたい時は15の説明を


 日本は、和歌や俳句がその典型だが、日常会話においても、相手に10伝えたい時、2か3話して残りは相手の推測に委ねるという洗練された文化を有している。10伝えたい時、10話すのは野暮(やぼ)というものだ。わが国民はほぼ同じ心理・文化を共有しているのでそれが可能となるのだが、しかし世界の大部分の国では、10伝えたい時は15言わないと伝わらない。というのは、欧米でも中国やインドでも、宗教や価値観、言語などが異なる多様な人々が混住しており、日本人から見ると野暮なアプローチをしないと、言いたいことは伝わらないのである。


 だから、正宗白鳥が述べたように、日本人でさえ原文よりもウェイリー訳の英文源氏物語のほうが、「サクリサクリと歯切れがよく、糸のもつれのほぐれるように」分かりやすいということになる。ウェイリーは原文では婉曲(えんきょく)表現や省略の部分を直接表現にしたり補ったりしているからだ。源氏物語の中国語訳についても、専門家は次のように言う。「和歌の情緒や含みを中国語に置き換えようとする場合、明言しなければ意を成さないという文化的相違を改めて感じさせられる」(胡秀敏)


 また、日本人の人間関係には独特の「気配り文化」がある。相手の気分を害することはストレートに言わないという配慮だ。時には言いたいことの正反対の表現がなされ、聞き手が相手の意を忖度(そんたく)しなくてはならないのである。例えば、何か提案や頼みごとをしたとき、相手が「考えさせて下さい」と言ったら、断りの言葉と理解しなくてはならない。





◇理解できない日本側の主張


 このような控えめの表現や気配りは、国際的には通用しないどころか、しばしば誤解を生む。つまり、相手の気分を害さないようにという「気配り外交」は、国益を損ねる場合が少なくない。具体例を、日露関係で挙げてみたい。

 ラブロフ露外相はしばしば公に「日本は大戦の結果を認めない世界唯一の国だ」と対日批判を行っている。モルグロフ露外務次官も、世界に発信されるインタファクス通信のインタビューで次のように述べた。「日本とは領土問題でいかなる交渉も行っていない。この問題は70年前に解決されており、北方四島は第二次大戦の結果、合法的にわが国に移った。日本はこの客観的な歴史的事実を認めるのを拒否している」

 
 この発言は、2005年9月のプーチン大統領による「南クリル(北方領土)は第二次世界大戦の結果ロシア領となり、国際法でも認められている」という発言を基礎にしたものだ。これは北方四島の帰属問題が未解決という両国の基本合意を否定するものだが、日本政府はなぜロシア側の言い分が間違っているのか、自国民や国際社会が理解できるような懇切な説明を発信していない。


 モルグロフ発言に対しても岸田文雄外相は「非建設的で事実に反する。安倍晋三首相とプーチン大統領との合意にも反する」と反論しただけで、それ以上の説明は何も発信していない。これで日本側の主張を理解できる者がいるだろうか。これでは、国際社会はロシア側の言い分が正しいと思うようになるだろう。





◇分かりやすい言葉と論理を


 日本側の対応の背後には、相手のナンセンスで低劣な発言に対して、同じレベルで相撲をとるのは品がなく、はしたないとか、われわれはもっと大人の態度で臨む、といった気持ちがあるのではないか。また日本のこのような対応は、プーチン訪日を実現しようとして、相手の気分を害するような発言は控えようという「気配り外交」なのではないか。



 最初に述べたユネスコの世界記憶遺産に「南京大虐殺の資料」が登録され、米国各州に、慰安婦像が建設されつつある。これらも、ユネスコ関係者や米国の世論に日本側の見解が正確に、いやほとんど伝わっていないからであり、これまで述べた日本側のアプローチや発信の仕方に問題があると私は考えている。そして「売られた喧嘩(けんか)は買わない」というお高くとまった姿勢が、結果的に最近の慰安婦問題での釈然としない謝罪外交に自らを追いやったのだ。



 国際社会では、日本が10の非難を受けたら、それが嘘だらけの低劣な非難であるとしても、懇切丁寧に15の説明と反論が必要である。同じ低レベルの土俵では相撲はとらないという「大人の態度」は、国際的には通用しない。ロシアの強硬な対日政策に対しても、日本は対露政策で「気配り」ばかりを優先させないで、もっと分かりやすい言葉と論理で国際発信すべきである。

(新潟県立大教授・袴田茂樹 はかまだ しげき)











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慰安婦合意を喜ぶのは早計だ

2016-01-07 12:27:43 | 正論より
1月7日付    産経新聞【正論】より


慰安婦合意を喜ぶのは早計だ    筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/160107/clm1601070001-n1.html



 人間のすることで、持続し続けるものを挙げることは難しい。苦しみは必ず終わるときがくるが、喜びもやがてはかき消える。だから、人は希望は持っても単純に喜ばないことだ。慰安婦問題での日韓合意も然(しか)りである。



 ≪韓国の伝統的な「遷延策」≫


 昨年12月28日、岸田文雄外相と尹炳世外相は会談の後に、慰安婦問題の合意を共同記者会見で表明したが、正式な合意文書はなく記者からの質問も受け付けない異例の形となった。合意文書は世論の動向を懸念する韓国側の要請によって見送られた。ここがおそらくはこれからの外交戦略の鍵であろう。


 韓国側は、ソウルの日本大使館前の慰安婦を象徴する少女像の撤去に努力すると合意したが、韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会など元慰安婦支援6団体は「屈辱的な談合だ」と早くも反発を強めている。日本側は、努力するという合意の実行を韓国側に執拗(しつよう)に求めることで、韓国国内で政権と世論の間に大きな揺らぎを生じさせることが肝要である。


 20世紀の歴史学者マイネッケは次のように述べている。「(小国は)権力が乏しければ乏しいほど、ますます強く国家理性(=国益)の強制によって醜い手段の使用に追いやられることがある。このことによって、小国の一段と不愉快な政策は、もはや道徳的に非難されず、むしろ因果的に説明され是認されたのである」(マイネッケ『近代史における国家理性の理念』)



 日本がなすべきことは、韓国国内の「道徳的非難」を韓国政府に向け、「不愉快な因果」を徹底的に断ち切ることである。


 今回、朴槿恵政権が合意したのは、今年4月の総選挙を有利に進めるため、韓国民の嫌う安倍晋三首相からのおわびと謝罪金という、“鬼の首”を取ることが目的であるにすぎない。



 従って、4月以前に慰安婦像の撤去をまず実現しなければ、韓国側は“鬼の首”だけを取って、平然と約束を反故(ほご)にすることであろう。反故と言わなくても、彼らには伝統的な「遷延策」という引き延ばしの戦術があることを忘れてはならない。韓国にとっては、少女像撤去も、アメリカの高高度防衛ミサイル(THAAD)設置と同じ遷延戦術の要にある。





 ≪注意が必要な人道支援金≫


 ゆえに日本側としては、「おわび」をできる限り引き延ばして対抗する必要があるだろう。


 岸田外相は、共同記者会見発表で「慰安婦問題は、当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」と言及した。これはアメリカ政府向けの外務省的言辞だろうが、政府や学者、市民団体の努力により、アメリカは既に慰安婦がキャンプフォロワー(camp follower)であることを知っている。


 中国に「離間策」を取られぬよう、とりあえず日韓の不和を解消しておきたいというのが望みであるから、この言辞はここで終わりにしてよいと思われる。


 つぎに韓国政府が設置する財団に、日本政府が10億円程度を基金として一括拠出するという、元慰安婦のための人道支援についてである。これは韓国側の運営団体と関係者によって食われてしまい、気づいたときには誰も罰せられないまま、金は煙と化すことが予想される。


 朴大統領の名誉を毀損(きそん)したとして産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が起訴された事件でも明らかになったように、韓国は近代の法治に大いに瑕疵(かし)のある国家だ。

 100年前は古代だった「半古代国家」であることを再確認するときがくることだろう。加えて、人道支援金はくれぐれも国家賠償との言質を取られないように、名目と内容を工夫する必要があるだろう。





 ≪画期的な歴史的合意にあらず≫


 最後に、前出のマイネッケの著作に引用される、フリードリヒ大王の箴言(しんげん)を引いておこう。「(小国の)小君主の政策は、悪事のかたまりである。それにたいし、大君主の政策は、むしろ分別、偽装および名誉心をもっている」


 今回の日韓合意は、画期的な歴史的合意でもなければ、日韓新時代を開くものでもない。韓国は憲法で上海亡命政権の法統を継ぐと明記する限り、日本統治時代は不法な悪の時代として葬り去らなければならない無窮の動機を持つ。

 日本と戦ったことも、独立を勝ち取ったこともない、国家の正統性をもたない国である。それゆえテロリストやキャンプフォロワーを銅像にし、英雄にしなければならず、それを恥と思う感性を持たない国である。



 そのような国の「最終的・不可逆的に解決」という約束を信じる日本人がいるとすれば、それは大国としての分別も名誉心も持たないということであろう。

 まれな先見性を持ち、優れた政治家である安倍氏が、それを承知で韓国に対していることを信じたいものである。(ふるた ひろし)









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