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安倍首相の「危険な発想」 領土を武力で奪われた過去を無視するのか 関心は露との「共栄」?

2016-12-21 17:44:40 | 正論より
12月21日付     産経新聞【正論】より



安倍首相の「危険な発想」 領土を武力で奪われた過去を無視するのか 関心は露との「共栄」? 

北海道大学名誉教授・木村汎氏


http://www.sankei.com/column/news/161221/clm1612210004-n1.html



≪G7の「結束」を乱した日本≫


 安倍晋三首相の対露交渉に賭ける情熱は、半端ではない。ロシアのプーチン大統領との間で16回もの首脳会談を行った。2014年以来、先進7カ国(G7)は、ロシアに制裁を科している。北方四島を軍事占拠されている日本は、最も厳しい制裁をロシアに加えるべき筋合いだろう。ところが日本は、事実上“制裁破り”さえしている。


 G7による制裁は、ロシア高官たちの海外資産を凍結するばかりか、彼らのG7諸国への渡航を禁じている筈(はず)だ。にもかかわらず、ロシア安全保障会議書記、上下両院議長、第1副首相、「ロスネフチ」社長らが大手を振って来日、時には首相に面会さえしている。

 G7諸国の首脳たちはロシア訪問を手控えている。ところが、安倍首相は、ソチ五輪開会式やウラジオストクでの東方経済フォーラムへ気軽に足を運ぶ。このような態度を見兼ねて、オバマ米大統領は首相にプーチン大統領を日本へ招くことだけは慎むようにとの苦言を呈した。


 やむなく首相が思いついたのは、米国の大統領選が終了し、任期満了前のオバマ氏が「レームダック化」した今年12月に、ロシア大統領を招待するというスケジュールだった。このような苦肉の策の結果、ロシア大統領のG7メンバー国への訪問が実現した。しかもそれはG7議長国の重責をになうはずの日本だった。





 ≪首相が情熱注ぐ平和条約締結≫


 首相は一体なぜそこまでして、ロシアとの平和条約締結に情熱を注ぐのか。


 1つには安倍政権は「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」という素晴らしいキャッチフレーズを掲げているにもかかわらず、近隣アジア諸国との関係は疎遠状態のままにとどまっている事情がある。習近平国家主席下の中国、朴槿恵大統領下の韓国との間で首脳間交流は停滞したままで、北朝鮮の拉致問題解決の目途も立っていない。


 2つは岸-安倍家の遺訓だ。祖父・岸信介氏は、憲法改正とソ連との平和条約締結の2つを悲願として掲げつつも、自らは実現しえなかった。父・晋太郎氏は、がんの病をおしてモスクワを訪問。ゴルバチョフ大統領に対ソ交渉を打開するための「8項目提案」を手渡した。そのとき、車椅子に乗りながら日ソ関係打開に賭ける父の執念を見ていたのが、晋三氏に他ならなかった。


 3つ目には安倍首相には北方領土から強制的に引き揚げさせられた日本人元島民に対する共感がある。彼ら約1万7千人の過半数が既に他界し、残っている者も平均年齢81歳と高齢化している。ペルーでプーチン大統領から冷水を浴びせかけられて以来、安倍首相は元島民と頻繁に会い、彼らの訴えをロシア大統領に伝達することにとりわけ熱心になった。


 以上、3つの事情は、すべて安倍首相が平和条約締結に傾ける熱意の原動力になっている。このことを認めた上で、私個人の重大な観察を記そう。あえて大胆に述べると、安倍首相にとって北方領土返還にたいする関心は、二の次のように見受けられる。同首相の主要関心は、島の返還よりも平和条約の締結なのである。


 さらにいうならば、隣り合う日本とロシアの共存共栄なのである。このような大胆な仮説を立てさせたのは12月16日、プーチン大統領との共同記者会見中の安倍首相の態度や言辞だった。





 ≪過去の決着なしに友好はない≫


 首相は一気に流れるような名調子で述べた。日本の政治家はあらかじめ官僚が準備したペーパーを読む。ところが安倍首相の様子は違った。

 このとき首相が口にしたことこそ首相の本音であり、おそらく彼が何度もプーチン大統領との2人だけの会合でこれまで繰り返し語った中身そのものではなかったか。


 私にとりもっと大事なのは、その驚くべき発想だった。首相は述べた。「過去にばかりとらわれるのではなく、北方四島の未来像を描き、未来志向の発想が必要だ。この新たなアプローチに基づき、云々(うんぬん)」(太字、木村)。さらに言葉を継いで、講道館柔道の創始者・嘉納治五郎の「自他共栄」の言葉も引いた。

 要約すれば〈過去よりも未来が大事〉。つまり過去のいざこざ、すなわち北方領土問題を横において、四島での日露共存共栄を図ることが肝要である。これこそが、安倍首相の「新しいアプローチ」の骨子なのではないか。


 首相の右の発言は一見、大衆受けするように聞こえるものの、危険な発想である。なぜならば、一般的にいって人間であれ、国家の関係であれ、好むと好まざるとにかかわらず、過去の上に立って現在や未来がはじめて築かれるからである。

 日露関係に関していえば、ソ連が固有の領土を武力で奪った過去を納得ゆく形で決着させないでいくら未来を構築しようと欲しても、両国は決して真の友好関係へと発展しえないのだ。(北海道大学名誉教授・木村汎 きむら ひろし)










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ロシアとの領土交渉、これが日本「完敗」の背景だ

2016-12-20 12:01:34 | 正論より
12月20日付    産経新聞【正論】より


ロシアとの領土交渉、これが日本「完敗」の背景だ 新潟県立大学教授・袴田茂樹氏


http://www.sankei.com/column/news/161220/clm1612200007-n1.html



 12月15日には、欧州連合(EU)がシリア情勢に関連して対露非難声明を採択し、ウクライナ問題以来の対露経済制裁を来年7月まで半年延長することで合意した。またオバマ米大統領は、露によるサイバー攻撃への報復意思を表明した。この日、安倍晋三首相はプーチン露大統領を「クリミア併合」以来、先進7カ国(G7)諸国としては初めて-しかもG7議長国として-公式的に招き、「ウラジーミル、君」と一方的に親密関係を演出し、欧米と日本の対露姿勢の差を浮き彫りにした。




≪明らかに後退した平和条約≫


 首脳会談の日本側の主たる目的は、日露の領土交渉を進展させること、そのための経済協力の具体化だった。結果は領土交渉の進展はゼロ、露が望む経済協力では8項目提案など政府、民間合わせて82件の成果文書を交わした。英紙フィナンシャル・タイムズも認めるように、露側の完勝である。

 露が1990年代に日本に求めた北方四島での共同経済活動が、平和条約締結の前提の如(ごと)き合意もなされた。しかし露側は、共同経済活動は首相の言う「特別な制度」下でなく、露の法律下でという立場を譲っておらず、合意の実施は困難で、新たなハードルを設けたも同然だ。さらにプーチン氏は日米安保条約への懸念も新たに表明した。平和条約交渉は一歩前進どころか、明らかに後退した。


 ただ、このことで野党は「領土交渉失敗」として安倍首相を非難できるか。安倍氏は、北方領土問題すなわち主権侵害問題を解決して平和条約を締結するために並々ならぬ情熱を傾けているが、この熱意自体は高く評価すべきだ。近年野党が政権についたときも、この問題に安倍氏ほど熱意をもって努力した政治家はいない。野党政治家の多くは、日本の国家主権や安全保障の問題に真剣な関心を向けていない。観念的な安保法制・憲法論議や沖縄米軍基地問題への対応が、そのことを示している。





≪情緒的で現実認識を欠いた≫


 では、今回の日本側「完敗」の背景は何か。最大の原因は、日本のメディアや多くのロシア専門家、政治家たちが、プーチンを含む露指導部の国家主権というものに対する厳しい論理と心理を-さらに広く国際社会における主権問題の厳しい本質を-リアルに認識していないことにある。

 換言すれば、「露は日本を必要としており、露側の要望に従って経済協力を進展させ、日本側の善意と信頼を示せば、また元島民の気持ちを伝えれば、プーチン氏も小さな島の3つ4つは、少なくとも面積僅か7%の色丹島、歯舞群島は譲歩する」と、ナイーブかつ楽天的に考えたことだ。つまり、わが国の対露政策はリアルな現実認識を欠いた性善説に基づく「お人よし」的で情緒的なものだったのである。これに対し、露側ははるかに冷徹かつ強(したた)かで、交渉術は日本側より数段上であった。


 ではなぜ安倍氏は、甘いロシア認識に傾いたのか。彼は日本の政治家の中では、国家主権の問題が戦争と同次元の厳しい事柄だということを最もよく理解していたリアリストのはずだ。その理由は恐らく、官邸やその周辺の政治家さらに経済省庁の関係者たちの大部分が、国家主権問題やプーチン氏に甘い認識を持っていたためだろう。プーチン氏は大変信頼できると公言する元首相もいる。それ故に平和条約締結後日本に色丹島、歯舞群島を引き渡すと合意した1956年の日ソ共同宣言を重視する、露側に好都合な政略に乗ったのではないか。




≪プーチン氏は豹変していない≫


 プーチン氏は2005年9月以後、「四島は第二次世界大戦の結果露領になり、国際法的にも認められている」との強硬姿勢を貫いている。それ以前は彼も1993年の「四島の帰属問題(〈日本への帰属〉ではなく中立的表現)を解決して平和条約を締結する」と合意した東京宣言を、つまり未解決の領土問題の存在を、認めていた。しかし、2005年に前言を翻した。ウクライナ問題を見ても、彼を本当に信頼できるのか。


 12年3月にプーチン氏は「ヒキワケ」発言をして日本側の期待値を高めた。しかし、それを大きく報じたわが国のメディアは、彼が同時に述べた「56年宣言には、2島の引き渡し後両島の主権がどちらの国のものになるか書かれていない」という、驚くべき強硬発言を報じなかった。これは領土問題の存在を否定する論に繋(つな)がる。その後も、プーチン氏はこの強硬論を幾度も繰り返したが、わが国のメディアも専門家も無視した。つまり、プーチン氏は最近強硬姿勢に豹変(ひょうへん)したのでも、親露的なトランプ氏の米大統領選当選が彼の対日姿勢を強硬化したのでもない。


 今後の対露政策だが、当然、東京宣言が「四島一括返還」の原理論ではないことをしっかり説いて認めさせ、G7諸国との関係も調整しながら、粘り強く領土交渉と経済協力を並行的に進めるべきである。領土交渉を脇に置いた経済協力だけの「前のめり」はやめるべきだ。それで困るのは日本側ではない。(新潟県立大学教授・袴田茂樹 はかまだしげき)












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奄美・石垣・宮古など日本の安保に重要離島の「防人」配備を急げ

2016-12-16 17:16:22 | 正論より
12月15日付    産経新聞【正論】より



奄美・石垣・宮古など日本の安保に重要離島の「防人」配備を急げ 東海大学教授・山田吉彦氏


http://www.sankei.com/column/news/161216/clm1612160004-n1.html



≪海と空で加速する中国の進出≫


 今年、中国の南シナ海での人工島の建設が国際的な問題となり注目を集めたが、東シナ海への進出も海と空の両面から加速しており、危機的な状況になっている。

 8月、尖閣諸島周辺海域に約300隻の中国漁船団が現れ、同時に15隻の中国公船が接続水域に侵入した。また、上空でも中国軍の戦闘機による領空への接近が繰り返されている。

 日本政府は東シナ海での偶発的な衝突を避けるために、中国と「海空連絡メカニズム」の早期運用開始に向けた議論を急ぐことで一致した。しかし、中国との協議にどれだけの意味があるかは、甚だ疑問である。



 東シナ海ガス田では、日中共同開発を目指し、一方的な開発は行わないとしたが、中国はその合意を「見解の相違」だとし、単独で軍事転用も可能なプラットホームを16基も設置している。

 12月10日には、沖縄本島と宮古島間の上空を中国の戦闘機などが通過したため、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)を実施した。平成26年度に航空自衛隊が行ったスクランブルの回数は943回に達する。27年度は873回だったが、中国機に対しての発進は571回と過去最高で、28年度も9月末時点で計594回。そのうち約70%が中国機に対するものである。


 また海洋進出においても、尖閣諸島周辺の日本の領海内に12月11日、中国海警局の警備船3隻が侵入し、今年で35回目となった。中国の東シナ海への進出は海と空が一体となって進められており、南シナ海では陸軍も加わった離島奪取の訓練が展開されているのである。





≪難しい「非武装漁民」への対処≫


 わが国でもようやく「島を守る」総合的な訓練が開始された。11月に奄美諸島の江仁屋離島において海上保安庁、警察、海上自衛隊が連携して、武装漁民による離島への不法上陸を想定した対処訓練が実施された。

 まず、離島に接近する武装漁船に海保が対処し、海保の規制をかいくぐり上陸した漁民の捕捉を警察が試みる。最後は武器を使い始めた漁民に対して、治安出動の発令を受けた自衛隊が制圧する-という流れである。


 しかし、この訓練が有効に機能するのは、あくまでも「武装漁民」が押し寄せた場合においてである。実際に五島列島や小笠原諸島に現れ、沿岸住民に脅威を与えているのは「非武装の漁民」だ。現実的な問題は、非武装の漁民が押し寄せて上陸した場合への対応だが、多くの離島では住民の高齢化が進み、屈強な漁民が上陸すれば、彼らが火器を持たなくとも島の占拠はたやすいだろう。


 現行法では、非武装漁民の不法上陸に対処するのは、海保と警察の任務である。しかし仮に100隻の漁船に乗った1千人が離島への上陸を目指した場合、海保や警察では人員や装備が足りずに対応不能となるだろう。陸上自衛隊については、現在の法解釈では行動が制約されている。


 このため相手が非武装であっても、国民の生活に危害を加える動きを阻止できる迅速な治安出動が必要となる。離島への侵略を防ぐためには警備力、防衛力を持つこととあわせ、島民が安定して暮らす社会作りも重要である。

 3月に陸上自衛隊の与那国沿岸監視隊の駐屯地が開設され、離島防衛施設が配備された。中国が海と空からしのび寄る現状において、日本最西端の与那国島でレーダーなどを用いた情報収集活動をすることの意味は大きい。中国の東シナ海での軍事動向を把握するためにも重要である。





≪国土脅かす既存制度を見直せ≫


 同監視隊は、国境警備の任務のひとつである地域住民の生活の安定にも寄与している。与那国島では、自衛隊員とその家族が学校教育や地域活動に不可欠な存在となり、国境の島の社会を活性化する役割を担っている。まさに「現代の防人」といえる。今後、奄美大島や石垣島、宮古島など、日本の安全保障上、重要な離島での配備が急がれる。


 半面、現行制度の中には、島の人々の生活を脅かすものも存在する。例えば、2000年に発効した日中漁業協定に定められた暫定措置水域だ。暫定措置水域では日中両国の漁獲目標が定められ、それぞれの国が自国の漁船を管理することになっている。


 しかしこの協定によって、1万隻を超える中国漁船が東シナ海でわが物顔で乱獲を続けるため、沖縄や五島列島の漁師らは、中国漁船に圧迫されて漁場の放棄を余儀なくされている。

 また、1997年に小渕恵三外相名で中国大使に出された書簡では、暫定措置対象外の北緯27度以南の尖閣諸島水域においても、中国漁船の不法操業を取り締まらないとしている。これらの制度が沿岸漁民の生活や、国土を脅かしているのである。

 中国の海洋の脅威に対応するため、早急な制度の見直しが不可欠である。(東海大学教授・山田吉彦 やまだよしひこ)













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東西両端の半島に起こった「さざ波」が「世界大乱」につながる予感

2016-12-13 10:27:46 | 正論より
12月13日付    産経新聞【正論】より


東西両端の半島に起こった「さざ波」が「世界大乱」につながる予感 京都大学名誉教授・中西輝政氏


http://www.sankei.com/column/news/161213/clm1612130007-n1.html



 2016年の世界はいくつもの「かつてない大変動」を重ねた年として暮れようとしている。アメリカの大統領選挙でのトランプ氏の勝利やイギリスの国民投票における欧州連合(EU)離脱の選択は人々を驚かせたが、その余波といえる潮流はさらに多くの波及を伴って来年へと持ち越されることになり、世界と日本を一層揺さぶることになるだろう。




≪東西で起きた秩序の地殻変動≫


 現に東西2つの半島国家で起きた出来事は、ともに世界秩序の地殻変動を明瞭に示すものである。

 1つは12月4日のイタリアでの国民投票の結果である。争点だった憲法改正はイタリア経済の一層の「グローバル化」推進のための構造改革を進めやすくするため、議会制度に手をつけようとするものであったが、大差で否決されたため、今や「古い(グローバリズムの)改革派」とされた若いレンツィ首相は辞表を提出した。

 他方、共通通貨ユーロからのイタリアの脱退を訴えるポピュリズム政党「五つ星運動」が勢いを増しているが、この結果は直ちに2つの危機をもたらすだろう。


 1つはかねて膨大な不良債権の存在が指摘されていたイタリアの銀行危機が浮上し、欧州さらにはグローバルな金融システムのリスクにつながる懸念であり、もう1つはこの結果が来年予定されているフランスの大統領選やドイツの国政選挙に及ぼす影響である。ユーラシア大陸の西端に生じた今回の波動が全欧州あるいは世界に波及することになるかもしれない。


 もう1つ別の「半島危機」は言うまでもなく韓国のいわゆる“朴槿恵危機”である。今の大きな流れは野党の一層の勢力増大と韓国政治の“再左傾化”であろう。その結果、半島の安全保障やこの間の日米韓の連携強化の流れに大きく水を差す、あるいは頓挫させかねない事態ともなりうる。そうなれば脅威を増す北朝鮮情勢の深刻化が再び懸念されるとともに、昨年12月の「日韓慰安婦合意」が存在意義を失うことになる。

 わずか1年前、「安保問題をより重視し日米韓の連携強化のため」との理由で、慰安婦問題をめぐる従来の安倍晋三政権の主張を大幅に譲歩してまで結んだ「あの日韓合意は一体、何のためだったのか」ということになる。





≪歴史や領土で安易に妥協するな≫


 こういうことになるから、本来100年(ないしそれ以上の)単位で考え対処しなければならない歴史問題を、猫の目のように変わる政策問題や政局的考慮から、いじくってはならないのである。


 この点で、間近に控えたプーチン露大統領訪日の際の歴史問題としての北方領土問題交渉や、年末に予定される首相の真珠湾訪問で日本側が国家としての原則的な姿勢をとることの大切さについて、特に注意を喚起しておきたい。

 いずれにせよ、東西2つの半島国家の激震は、より大きな世界秩序の変動の余波、または予兆としてみる視点も失ってはならないだろう。イタリア半島(あるいはバルカン半島)に発する政治変動は、しばしばアルプスやドナウ川を越えて中欧すなわちドイツを経て東ヨーロッパ諸国にまで波及する(ヒトラーもビスマルクもイタリアからの波及によって浮上し、全欧州の覇権に手を伸ばした)。

 現在、既に生じているEUの大きな揺らぎの中で、今やロシアの影が欧州大陸により大きく及んできたが、アメリカのトランプ次期政権が言われているように「米露接近」という誤った外交戦略をとれば、欧州でのロシアの優位が一層際立ち、EUだけでなく北大西洋条約機構(NATO)の結束にも深刻な影響を及ぼすだろう。




≪せり出すランドパワーの脅威≫


 他方、韓国を襲っている今回の激震は、いずれにしても中国の朝鮮半島への影響力をより大きなものとしよう。すでにトランプ氏による環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)からの脱退宣言によって、アジアの貿易圏をめぐる主導権だけではなく安保・国際政治においても中国の影が大きく東アジアに及ぼされようとしている。


 半島の変動は、古くマッキンダー以来の地政学の理論を引くまでもなく、しばしばランドパワーつまり中露というユーラシア大陸の中心部を押さえる勢力が外へとせり出すきっかけをもたらすことになる。それゆえ、ユーラシア大陸の東西両端の半島に起こる「さざ波」が“世界大乱”的な、一層のグローバルな秩序変動へとつながってくるのである。

 このユーラシア・ランドパワーの「うごめき」に対処しうるはずの海洋(シー)パワー・アメリカの行方が気になるところだが、トランプ次期政権の関係者から聞こえてくるのは、「アメリカ(の安全が)第一」の発想から唱えられる中東での「対(過激)イスラムの戦い」のための大規模な軍事介入の話ばかりである。それは必ず、すでに進行している「世界の多極化」の流れを加速させることになる。

 21世紀の必然ともいえるこの世界秩序の多極化の中で、2017年の日本はいよいよ正念場を迎えることになろう。(京都大学名誉教授・中西輝政 なかにしてるまさ)








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韓国宗教家の国政介入事件 今も尾を引く「古代性」

2016-11-09 13:18:46 | 正論より
11月9日付     産経新聞【正論】より



韓国宗教家の国政介入事件 今も尾を引く「古代性」   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/161109/clm1611090005-n1.html



 韓国が女性実業家にして宗教家、崔順実容疑者の国政介入疑惑で揺れている。これは簡単に言えば、李氏朝鮮が朱子学を国教とする儒教国家だったにも関わらず、宮中に巫術師が出入りしていた伝統の回帰である。口寄せや占いを専業とする巫女(ふじょ)は王朝としては禁令だったが、宮中がこの密儀の誘惑に勝てたことはなかった。

 また、朴槿恵大統領と一宗教人との関係がこれほどずぶずぶになってしまうのは、コリアという不信社会で「チョン・トゥルダ(情が入る)」の間柄になると、このような結末に終わることが多いということで、これは後述しよう。




 ≪不信社会が生んだ強権政治≫


 不信社会なのは南のみならず北も同様である。朝鮮半島は東部には山地があるが、西側は平坦(へいたん)で、17世紀に侵攻した満洲軍は、奉天(瀋陽)を出発してソウルを陥落させるまで2週間しかかからなかった。地政学的に「行き止まりの廊下」なので国を守ることができない。契丹族、モンゴル、豊臣秀吉、満洲族いずれの侵攻のときも王は真っ先に逃げた。朝鮮戦争では南も北も為政者が遁走(とんそう)した。

 致命的な地形であり、日本の隣にあるのは、イタリア半島やバルカン半島ではなく、少しましなパレスチナと思ったほうが良いだろう。ましというのは、南北からしか侵攻できず、すそが海で切れて行き止まりになっているからである。そこに溜(た)まった民衆は伝統的に為政者に不信感を持っているので言うことを聞かない。支配するには強権政治しかないのである。


 李朝時代では刑政の官以外にも各役所に牢獄(ろうごく)があり、不服従だとみなされるとその場で獄に繋(つな)がれた。これを「濫囚の弊」という。みだりに捕らえる伝統があり、産経新聞ソウル支局長の名誉毀損(きそん)起訴事件でも、私はこの伝統を指摘しておいたのだ。




 ≪伝統だった告げ口と威嚇≫


 朴槿恵大統領の告げ口外交は、コリアの宮廷のイガンヂル(離間策)が起源である。王は朝から晩まで臣下たち相互のイガンヂルを聞かなければならない。史料を読むと、役人の嫁の不倫まで王の裁定を仰ぐ形で言いつけている。王と臣下同士もすべて不信の関係である。ゆえに朝鮮政治は王権と官僚群のシーソーゲームとしてあらわれ、後者は武人と組んで、王を廃することもあった。



 今の北朝鮮で一番これを恐れているのが金正恩氏であり、家臣団に排除される恐怖からの威嚇と、国威発揚による人気獲得のため、すでに父を超える2倍のミサイルを日本海に発射したのである。

 このイガンヂルは東洋の国際関係にも有用だった。明の時代を例にとれば、朝鮮も満洲族もモンゴル族も互いに相手の悪口を明に言いつけるのだ。内容は突然、李朝が攻めてきて大量虐殺されたとか、満洲族が国境を越えて民を奴隷として拉致したとか、そういう文書による告げ口なのである。


 明の裁定で埒(らち)があかないと、満洲族は李朝に朝貢して臣下になってしまうこともする。そうすると、明が礼の違反だとして李朝を叱責する。汝は明の東藩(東の王侯)ではないか、満洲族はあくまで「外の人」だと牽制(けんせい)する。つまり華夷秩序とは、王国内の日々の君臣関係を国同士の関係にまで拡大したものなのである。

 忠貞の厚い臣下と薄い臣下、臣下同士の告げ口と引きずり落とし、王の牽制と威嚇。伝統的にこのような関係しかなかったので、中国は今も威嚇と牽制の国際政治しか知らないのである。





 ≪進歩史観では歴史を被えない≫


 コリアに戻れば、前述の不信社会なので、韓国ではひとたび「情が入る」関係になると、すべてを許し合う魅惑の信頼関係へと変ずるのである。朴槿恵氏と崔容疑者の関係がこれであり、こうなると底がない関係になることはすべての韓国人が知っている。この関係を築くために、崔容疑者の父の宗教団体の創設者、崔太敏氏が朴槿恵氏の家族関係を故意に破壊したというのはあり得る話である。



 要するに、日本以外の東洋諸国は、ほんの100年前は古代王朝だったのであり、その古代性がいまも尾を引いている。その伝統の桎梏(しっこく)はあまりに強力で、中国や北朝鮮は過去を反芻(はんすう)し、韓国まで先祖返りを起こしているということなのである。


 われわれは明治以来、ドイツ渡来の進歩史観に支えられ、古代・中世・近代へ直線的に発展する自己像を描いてきた。それでうまくゆけたのは、ヨーロッパと同じ中世があったからだ。全土が王土で所有権などなく、商業活動も自由でなく、貧しく非衛生な古代が近代まで続いた国があったことは歴史の「例外」ではないのである。

 のみならず、古代がいつ始まるかもわからない。古代エジプトは前40世紀、古代ギリシアの都市国家ができてくるのは前9世紀、古代インカ帝国の前身のクスコ王国ができるのは後13世紀である。歴史には遅速がありジグザグしている。まずは、進歩史観では歴史を被(おお)いきれないという認識と反省から始めないと、これからの世界はますます分からなくなるだろう。(ふるた ひろし)











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ロシアの「対日戦術」を見極めよ 

2016-11-08 12:34:40 | 正論より
11月8日付    産経新聞【正論】より


安倍晋三首相がいま博打に出る必要は少しもない ロシアの「対日戦術」を見極めよ 


北海道大学名誉教授・木村汎氏


http://www.sankei.com/column/news/161108/clm1611080009-n1.html


 ロシアのプーチン大統領の訪日が近づくにつれて、ロシア側の対日交渉戦術が明らかになってきた。“領土”では少しも譲ることなく、しかも“経済”支援はなるべく多くを獲得したい-この基本戦略に基づく矢が次々に放たれるようになった。交渉の前哨戦は既に始まっているのだ。




≪ジャブを飛ばす「悪い警官」≫


 国際交渉学の第一人者、W・ザートマン(ジョンズ・ホプキンス大学名誉教授)は交渉の過程を3つの段階に分ける。(1)交渉に入るまでの予備折衝(2)交渉本番(3)文書による合意の詰め。交渉当事者がテーブルを挟んで直接向き合い、討議する(2)の前に、既に広義の交渉は(1)の形で始まっていることを決して看過してはならぬ。教授はこう力説してやまないのである。


 (1)の段階でジャブを飛ばすのはいわゆる「悪い警官」(もしくは「悪玉」)とあだ名されるプーチン大統領の側近や部下たちである。その典型例は国後島や択捉島にあえて上陸したメドベージェフ大統領(その後、首相)。また、口を開けば「(日露間の)領土問題は第二次世界大戦の結果、既に解決済み」との強硬論を吐くラブロフ外相。直近の例ではマトビエンコ上院議長。山口県での日露首脳会談では「“島”の交渉は行われず、ただロシア法の枠組み内での北方領土での日露共同経済活動のみが討論の主題になる」と、日本側の期待にクギを刺した。


 ちなみに言うならば、日本側にこのような「悪玉」役を買って出る人物が皆無なのは、腑(ふ)に落ちない。例えば岸田文雄外相。国会での審議で「北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結することに努力する」とは述べる一方で、四島の「日本への」帰属を明言することに逡巡(しゅんじゅん)した。安倍晋三首相を「善玉」に見せかけるためにも、この際、思い切って「悪玉」役を買って出る勇気が望まれる。


 大抵の場合は、プーチン大統領が「善玉」の得な役回りを演じる。「メドベージェフ、ラブロフ、マトビエンコ氏らに代表されるロシア国内の強硬派の声を抑えて、日本に対し可能な限りの好意を示すのは柔道愛好家の自分ならばこそ。支持率80%台を誇る自分が政権の座にいる今を除いては、日本が対露平和条約を結ぶ好機は永遠に訪れないであろう」-と。




≪狙いは日本からの半永久的支援≫


 最終段階になると「良い警官」役を演じるプーチン氏自身も訪日前は当然の如(ごと)く強硬論を唱える。10月27日の発言がそうである。

 同大統領は「日本との平和条約締結の期限を設定するのは良くない。有害でさえある」と述べた。大統領はさらに続けた。「確かにロシアは2004年に中国との間で国境画定に合意した。が、それは中露関係が戦略パートナーシップ関係に到達していたからだった」。日本が類似のことを望むのならば、特定の期限を区切ることなく経済協力などを先行させるべきであることを示唆した。

 
 このプーチン発言は、改めて解説するまでもなく、同大統領の訪日前の揺さぶりである。安倍首相下の日本がまずなすべきことは、日露関係を中露間の戦略パートナーシップ関係の水準にまで引き上げるための努力を示すことだ。その誠意を見定めるのはあくまでロシア側であり、その程度に応じる形ではじめて日露間の平和条約交渉は進捗(しんちょく)するであろう-。このように説くことによって、モスクワは歯舞、色丹の2島の引き渡しですら、いまだ既定の路線ではないことを思い起こさせ、東京から半永久的に対露支援を引き出そうと狙っているのだ。




≪期限設定は敗北につながる≫


 ところが、物事は100%悪いということは少なく、プラスの側面も伴う。今回のプーチン発言は、明らかに日本に対するブラフであるが、受け取り方次第では安倍政権に対する貴重な教訓がある。それは「平和条約締結の期限を設定するのは、有害でさえある」という点に他ならない。


 民主党政権時代に鳩山由紀夫首相は口癖のように「就任後半年か1年以内に、私は日露間の領土問題を解決する」と述べた。ところがその民主党のアンチテーゼとして華々しく再登場したはずの安倍首相もまた、鳩山元首相と似たようなせりふを口にするようになった。両人の間には政治思想上の違いはあるものの、ともに己こそソ連/ロシア問題の本家であるとの自負心の呪縛にとらわれている。


 交渉ごとで期限設定することは、それだけで自らに敗北を導く愚行だと評さねばならない。相手側は当方が交渉の早期妥結を欲していることを知って、故意に焦(じ)らしや引き延ばし戦術に出ることが必定だからである。その結果、当方は自らが敷いた土俵で「独り相撲」をとる羽目になりかねない。

 総裁任期を3期9年に延長した安倍首相には十分な時間が残されているはずである。またプーチン氏も18年の大統領選挙に勝利することがほぼ確実視される。その間ロシア、とりわけ極東部の経済情勢が好転する気配はない。安倍首相がいま博打(ばくち)に出て全ての有り金をかける必要は少しもないのだ。

(北海道大学名誉教授・木村汎 きむらひろし) 






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中国と北朝鮮に国際法を順守を求めるのは“蛙の面に水” 国民の身を守る「殻」こそ重要だ

2016-09-26 20:02:29 | 正論より
9月26日付    産経新聞【正論】より



中国と北朝鮮に国際法を順守を求めるのは“蛙の面に水” 国民の身を守る「殻」こそ重要だ 

拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏


http://www.sankei.com/column/news/160926/clm1609260006-n1.html


 明治維新が成り、ようやく新政権が軌道に乗ろうとしていた。しかし、政権の主導権は薩長人士が握り、その専制政治(「有司専制」)に対する国民の批判には根強いものがあった。この批判を背に板垣退助らは「民撰議院設立建白書」を政府に提出した。明治13年には「国会期成同盟」が結成され、自由民権運動として知られる改革主義的なセンチメントが朝野を覆い、「国権論」と「民権論」を軸とする激しい論争が展開されるにいたった。




≪民権論はナイーブ過ぎる≫


 国権論とは、国家権力が強ければこそ国民の権利・自由が保障されるという考えを基本とし、対するに民権論は、国民の権利・自由が保障され初めて国権も強化されるというものであった。民権論は内治派とも呼ばれた。

 幼い論争のようにも思われようが、昨年9月に成立した安保関連法をめぐる与野党間の論戦や、法案に反対する憲法学者のいかにも生硬で猛々(たけだけ)しい「立憲主義論」を聞かされていると、日本の政治思想は明治の初年以来まるで成熟することなく、むしろ劣化の様相を呈している感さえ抱かされる。


 福澤諭吉は自由民権運動をめぐる論争をみつめて、明治14年に『時事小言』なる警告の書を刊行した。天賦人権説や社会契約説の主唱者の福澤はとかく民権論者だと捉えられがちであり、そんなふうに記している概説書が今もあるほどだが、不勉強も甚だしい。

 私(福澤)は民権論に反対する者ではない。国会開設も必要なことだ。しかし、民権の伸長を図っていかなる「国柄」の国家を創るべきかを論じない民権論などには与(くみ)するわけにはいかない。「民権伸暢(しんちょう)するを得たり、甚だ愉快にして安堵(あんど)したらんと雖(いえ)ども、外面より国権を圧制するものあり、甚だ愉快ならず」という。

 国権そのものが外国によって屈服させられかねない帝国主義的な国際環境にあって、これに顧慮することのない内治重視の民権論はナイーブに過ぎて、到底ついていけないといっているのである。





≪正道を顧みるいとまはない≫


 ここで福澤は「正道(しょうどう)」と「権道(けんどう)」という用語法をもって自らの論理を鮮明に示す。民権論は純理においては正しい天然の正道であり、国権論は人為を加えて造られた便宜上の概念である。つまり国権論は権道である。権道とは“手段や方法は道義から外れてはいるものの、結果からみれば正道に適(かな)う政治選択である”といった意味合いの概念である。


 帝国主義勢力がアジアに着々と勢力拡大を謀るこの「西力東漸」の時代にあって、正道を顧みるいとまは日本にはない。権道というべき人為の国権論に「我輩は従う者なり」と福澤は宣言する。そして「眼を海外に転じて国権を振起するの方略なかるべからず。我輩畢生(ひっせい)の目的は唯(ただ)この一点に在るのみ」と喝破するのである。


 “青螺(さざえ)が殻の中に収まりすっかり安堵していたのだが、急に外の方が騒がしくなったのでこっそり頭を殻から出して周辺をうかがえば、思いがけないことに何と自分の身は殻と一緒に魚市場の俎(まないた)の上に乗せられているではないか”という例え話を引き合いに、福澤はこういう。「国は人民の殻なり。その維持保護を忘却して可(か)ならんや。近時の文明、世界の喧嘩(けんか)、誠に異常なり。或(あるい)は青螺の禍(わざわい)なきを期すべからず」





≪外交に不可欠な気力と兵力≫


 現在の中国は国際法秩序を無視して、力による海洋の現状変更に強硬な態度を崩さない。ハーグの仲裁裁判所の裁定には国連安保理常任理事国にあるまじき野卑な言動をもってこれを難じている。中国が信奉するものは力のみであり、力によって新勢力圏を創出しようというのがその真意である。


 北朝鮮が5回目の核実験を敢行し、続いて6回目の実験の挙に出る蓋然性が高い。かくして積み上げられた技術的成熟により、核兵器の小型化・弾頭化の可能性が高まり、核搭載弾道ミサイルを北朝鮮が掌中にするのはもはや時間の問題だと専門家はみなす。


 明治11年の『通俗国権論』において福澤は「大砲弾薬は以(もっ)て有る道理を主張するの備(そなえ)に非ずして無き道理を造るの器械なり」という。「無き道理を造」ろうとしている中国と北朝鮮に国際法を順守せよといっても所詮は“蛙の面に水”である。「苟(いやしく)も独立の一国として、徹頭徹尾、外国と兵を交ゆべからざるものとせば、猶(なお)一個人が畳の上の病死を覚悟したるが如(ごと)く、即日より独立の名は下(く)だすべからざるなり」という。

 外交が重要であるのはいうまでもないが、弓を「引て放たず満を持するの勢を張」る国民の気力と兵力を後ろ盾にもたない政府が、交渉を通じて外交を決することなどできはしないと福澤はいう。


 極東アジアの地政学的リスクが、開国・維新期のそれに酷似する極度の緊迫状況にあることに思いをいたし、往時の最高の知識人が何をもって国を守ろうと語ったのか、真剣に振り返る必要がある。私が『士魂-福澤諭吉の真実』を著した理由でもある。(拓殖大学学事顧問・渡辺利夫 わたなべとしお)









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「正史」とは歴代中国王朝の自己正当化の手段にすぎない 「歴史修正主義」の罵倒に臆するな!

2016-08-25 18:03:56 | 正論より
8月25日付     産経新聞【正論】より


「正史」とは歴代中国王朝の自己正当化の手段にすぎない 「歴史修正主義」の罵倒に臆するな! 加地伸行氏


http://www.sankei.com/column/news/160825/clm1608250009-n1.html


≪使用者で変化する用語の意味≫


 歴史上、長く使われてきた言葉の場合、その概念が定まっているので、意味が動かない。

 例えば摂政。その意味は「政(まつりごと)(政事)を摂(と)る(執行する・担当する)」ということで、かつて中国では「輔(ほ)政」とか「議政」とかとも言い、そうした官職が臨時的であったが存在していた。

 ただし、それらは皇帝親政(皇帝親(みず)から政(まつりごと)す)や天皇親政の時代のもので、今日のような国民主権そして立憲君主制の近代国家における摂政とは異なる。

 もっとも、共通するものがある。摂政は、あくまでも一定期間の代理として任命されたのであるから、時機をみてその任を解く。すなわち摂政は官職なのである。


 一方、例えば皇后は「冊立(さくりつ)」と称し「立皇后」(皇后に立つ)を表す。皇族なので交代はなく、除くときは「廃」となる。



 さて現代。上述のような例と異なり、用語の概念が絶対的でなく、使用者によって、その意味が変化してしまうことがある。


 例えば「福祉」。これは幸福という意味で西暦前の中国で生まれた言葉であり、わが国の民法第1条「私権は、公共の福祉に…」、日本国憲法第12条「…常に公共の福祉のために…」など5カ所にその意味として使われている。


 しかし、現代では「福祉」といえば、ほとんど「社会福祉」という意味に使われている。


 この例のように、抽象的な意味の場合、漢字熟語を使って表すことが多いが、その作成後、漢字熟語の字面(じづら)だけが一人歩きする宿命がある。その例が「歴史修正主義」という言葉である。




 ≪最高実力者を正統とする中国≫


 歴史修正主義-この言葉自体は、文字通り当たり前のことを示している。すなわち、歴史を研究する際、客観的証拠に基づいて事実を明らかにし、従来の観点や定説の不備を修正し、より正確な歴史を明らかにするということであるから。


 ところが、この用語が戦後70年において政治性を帯びていった。事の起こりは、ナチスのユダヤ人に対する非人道的行為という〈歴史〉に対して、そのようなことはなかったと〈修正〉する説が出たからである。これに対し、そのような〈修正〉が歴史的事実に反するにも拘(かか)わらず登場したのは、政治的発言であり、歴史研究の成果ではないとの批判が出た。


 以来、「歴史修正主義」という用語は、政治性の有無に対する評価を表すようになり、本来の歴史研究上の意味が不幸にも崩れてしまった。


 しかも、崩れた意味での〈歴史修正主義〉を強く前面に出してきたのが、特に中国であった。


 もともと中国には〈正史〉という観念がある。司馬遷の『史記』に始まり歴代王朝の大半に対して、各正史が作られてきた。官製の歴史であり、これを軸とした。その他の歴史は野史であった。


 飛んで現代。中国共産党では、時の最高実力者のすることが正統であり〈正史〉的であり、それと異なる思想や行動は〈修正主義〉として否定してきた。近くの好例は文化大革命。

 政治的失策で失脚していた毛沢東が権力奪回闘争をしたのが文化大革命であったが、最大対象の劉少奇国家主席を〈修正主義〉と攻撃し、その打倒に成功した。その間、修正主義者と罵倒された人々の運命は悲惨であった。どれほど多くの人々が追放され、殺害されていったことであろうか。




 ≪〈正史〉にしがみつくのは過誤だ≫


 このように、中国では、「修正主義」、延(ひ)いては「歴史修正主義」という用語は、非常に強い政治性を帯びている。現政権担当者の自己保身のための〈正史〉を守り、それに反する考えを〈歴史修正主義〉として力で排除する。



 例えば南京大虐殺は、中国の正史としては存在している、いや存在しなければならないという悲鳴なのである。


 その正史を否定するなどという主張や研究は歴史修正主義であり、許さない。それは、歴史研究という学問的立場ではなく、政治的立場からの批判なのである。


 評論と研究とは異なる。評論の世界とは自己の理解に基づく主張である。政治性もあるだろうし、時には反社会的性格も帯びよう。要は、その主張の独自性と説得力との問題である。それに拠(よ)っての歴史修正説が出ることもあろう。


 一方、研究の世界とは、資料を根底にした客観的事実に基づき、既存の研究(正史に相当)に対して批判を加え、説得力のある妥当な真実を提起すること(それを修正と笑わば笑え)なのである。特に文系の研究の世界では〈修正〉は当然のことであり、常のことである。〈正史〉として従来の説にしがみつくのは、過誤である。

 歴史修正主義-それは文系学問研究の態度として本来正しい。修正主義者という政治的罵倒に臆することなく、学問研究が絶えざる修正であることに自信をもって、特に近現代について研究してほしく、それを日本の若い研究者に期待している。(大阪大学名誉教授・加地伸行 かじ・のぶゆき)












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経済と違って外交は今も「戦後」のまま 「法の支配」に胸を張って終わりにしよう

2016-08-09 18:29:18 | 正論より
8月9日付     産経新聞【正論】より


戦後71年に思う 

経済と違って外交は今も「戦後」のまま 「法の支配」に胸を張って終わりにしよう 



拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏


http://www.sankei.com/column/news/160809/clm1608090007-n1.html


「もはや戦後ではない」。日本の1人当たり所得が戦前期の最高水準を超えた年の翌昭和31年の経済白書の結びである。対照的に政治外交においては日本の戦後はいまなお終わっていない。中韓が日本の歴史問題を繰り返し提起し、日本を過去に引き戻そうと躍起だからである。中韓の反日が収まる気配はない。しかし、私は日本が戦後を終えることのできない根因は、何より日本にあると考える。



 ◇精神をへし曲げられた日本人


 敗戦後の日本を実に6年8カ月にもわたり占領下においた連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の戦前・戦中期の制度や思想を徹底的に排斥し、その時期の指導者のほとんどを追放した。占領期に開かれた東京裁判は日本を非道な「侵略国家」と断罪して結審した。GHQと東京裁判という強力なプレス機械の加圧により日本人はその精神をへし曲げられ、米国製の憲法を押し付けられて国家意識と国家自衛の観念までを剥奪されてしまった。


 この時代に青少年期を送った日本人の多くが否定的な自我形成を余儀なくされ、彼らが社会の指導層となるに伴い、自虐史観と呼ばれる思想を全土に蔓延(まんえん)させることになった。自虐史観を胸中に深く刻みつけ、日本を貶(おとし)める一大勢力となった人々が左翼リベラリストである。ジャーナリズムやアカデミズムの主流を占め、教育界や労働団体でもなお陰ることのない勢力をもつ人々である。日本を糺弾(きゅうだん)する主体がGHQや中韓ではなく、日本人自身となったというのが戦後日本の悲劇の淵源(えんげん)である。


 昭和30年を前後して発生した三井三池争議、砂川基地闘争、60年安保という反米運動、きわめつきのラディカリスト全共闘の破壊活動など、国家の根幹を揺るがす反体制運動が日本を苦しめた。しかし、日本の左翼反体制運動は、昭和44年の東大安田講堂事件で演じられた狂態のあたりから衰退期に入り、同年末の総選挙では自民党が圧勝、左右対立の国内政治は終焉(しゅうえん)したかに思われた。だが、そういかなかった。




 ◇中枢部に浸潤した自虐史観


 そうはいかなかった理由は2つある。1つは、この間、国内では影響力を発揮できなくなった左翼が、中国や韓国に向けて日本の悪を言い募り、中韓の反日攻勢に火を付け、そうして自虐の欲望を満たそうといういかにも屈折した運動を準備していたからである。歴史認識問題とは、左翼リベラリストが偽造して日本のジャーナリズムを沸き立たせ、これを中韓に「輸出」し、中韓の反日を誘発して日本を苦境に陥れるという怪異なる反体制運動である。


 もう1つの理由は、左翼リベラリズムに固有なものだと思われていた自虐史観が、あろうことか日本の自立自存を守護すべき政府や保守政党の中枢部にまで深く浸潤していたことにある。



 中韓の発する対日批判に諾々と応じてきたのは他ならぬ日本の政府と保守政治家である。昭和57年の高校歴史教科書の記述についてのジャーナリズムの誤報に端を発した中韓の反日運動の帰結が、宮沢談話として出された教科書検定基準における「近隣諸国条項」であり、日本の教科書に対する中韓の介入の根拠となった。


 恒常的になされてきた首相の靖国参拝の足が滞るようなったのは、昭和60年の中曽根参拝に対する社会党・朝日新聞の反対運動に呼応した中韓の猛反撃のゆえである。慰安婦問題などは朝日新聞が捏造(ねつぞう)して韓国の反発を誘発したプロパガンダの典型である。ここでは河野談話が決定的な役割を演じた。河野談話は自虐史観の保守指導層への浸透の深さを物語る。




 ◇「法の支配」に胸を張れ


 戦後50年の村山談話はそのきわめつきである。日本のアジア植民地支配と侵略は疑うべくもない歴史的事実であるとし、これに痛切な反省の意を表明した談話であった。村山談話の不可思議は、中韓の特段の要求があって余儀なくされたというよりは、自らの発意により日本の過去を露悪的に表明してみせたことにある。この談話に関する唯一の検証の書である和田政宗氏らによる『村山談話-20年目の真実』には、日本の指導者の性懲りもない自虐心理のありようが精細に描き込まれている。


 最近では「法の支配」という物言いが、中国の無法を難じる際の常套(じょうとう)句となっている。ならば日本は自国の行動についてもその言葉を用いたらどうか。日本は、サンフランシスコ講和条約によって連合国との、日韓基本条約を通じて韓国との、日中共同声明によって中国との過去の諸懸案は解決済みであり、条約や共同声明に記された条文と規範に則(のっと)り、つまりは「法の支配」にしたがってわれわれは粛々と生きてきたのだと胸を張って表明すればいい。それ以上は要らぬ他言である。



 戦後70年の安倍談話が出されてもう1年である。来年の8月になって私は同じような嘆息をまた吐きたくはない。


拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(わたなべ としお)

















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経済と違って外交は今も「戦後」のまま 「法の支配」に胸を張って終わりにしよう

2016-08-09 18:29:18 | 正論より
8月9日付     産経新聞【正論】より


戦後71年に思う 

経済と違って外交は今も「戦後」のまま 「法の支配」に胸を張って終わりにしよう 



拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏


http://www.sankei.com/column/news/160809/clm1608090007-n1.html


「もはや戦後ではない」。日本の1人当たり所得が戦前期の最高水準を超えた年の翌昭和31年の経済白書の結びである。対照的に政治外交においては日本の戦後はいまなお終わっていない。中韓が日本の歴史問題を繰り返し提起し、日本を過去に引き戻そうと躍起だからである。中韓の反日が収まる気配はない。しかし、私は日本が戦後を終えることのできない根因は、何より日本にあると考える。



 ◇精神をへし曲げられた日本人


 敗戦後の日本を実に6年8カ月にもわたり占領下においた連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の戦前・戦中期の制度や思想を徹底的に排斥し、その時期の指導者のほとんどを追放した。占領期に開かれた東京裁判は日本を非道な「侵略国家」と断罪して結審した。GHQと東京裁判という強力なプレス機械の加圧により日本人はその精神をへし曲げられ、米国製の憲法を押し付けられて国家意識と国家自衛の観念までを剥奪されてしまった。


 この時代に青少年期を送った日本人の多くが否定的な自我形成を余儀なくされ、彼らが社会の指導層となるに伴い、自虐史観と呼ばれる思想を全土に蔓延(まんえん)させることになった。自虐史観を胸中に深く刻みつけ、日本を貶(おとし)める一大勢力となった人々が左翼リベラリストである。ジャーナリズムやアカデミズムの主流を占め、教育界や労働団体でもなお陰ることのない勢力をもつ人々である。日本を糺弾(きゅうだん)する主体がGHQや中韓ではなく、日本人自身となったというのが戦後日本の悲劇の淵源(えんげん)である。


 昭和30年を前後して発生した三井三池争議、砂川基地闘争、60年安保という反米運動、きわめつきのラディカリスト全共闘の破壊活動など、国家の根幹を揺るがす反体制運動が日本を苦しめた。しかし、日本の左翼反体制運動は、昭和44年の東大安田講堂事件で演じられた狂態のあたりから衰退期に入り、同年末の総選挙では自民党が圧勝、左右対立の国内政治は終焉(しゅうえん)したかに思われた。だが、そういかなかった。




 ◇中枢部に浸潤した自虐史観


 そうはいかなかった理由は2つある。1つは、この間、国内では影響力を発揮できなくなった左翼が、中国や韓国に向けて日本の悪を言い募り、中韓の反日攻勢に火を付け、そうして自虐の欲望を満たそうといういかにも屈折した運動を準備していたからである。歴史認識問題とは、左翼リベラリストが偽造して日本のジャーナリズムを沸き立たせ、これを中韓に「輸出」し、中韓の反日を誘発して日本を苦境に陥れるという怪異なる反体制運動である。


 もう1つの理由は、左翼リベラリズムに固有なものだと思われていた自虐史観が、あろうことか日本の自立自存を守護すべき政府や保守政党の中枢部にまで深く浸潤していたことにある。



 中韓の発する対日批判に諾々と応じてきたのは他ならぬ日本の政府と保守政治家である。昭和57年の高校歴史教科書の記述についてのジャーナリズムの誤報に端を発した中韓の反日運動の帰結が、宮沢談話として出された教科書検定基準における「近隣諸国条項」であり、日本の教科書に対する中韓の介入の根拠となった。


 恒常的になされてきた首相の靖国参拝の足が滞るようなったのは、昭和60年の中曽根参拝に対する社会党・朝日新聞の反対運動に呼応した中韓の猛反撃のゆえである。慰安婦問題などは朝日新聞が捏造(ねつぞう)して韓国の反発を誘発したプロパガンダの典型である。ここでは河野談話が決定的な役割を演じた。河野談話は自虐史観の保守指導層への浸透の深さを物語る。




 ◇「法の支配」に胸を張れ


 戦後50年の村山談話はそのきわめつきである。日本のアジア植民地支配と侵略は疑うべくもない歴史的事実であるとし、これに痛切な反省の意を表明した談話であった。村山談話の不可思議は、中韓の特段の要求があって余儀なくされたというよりは、自らの発意により日本の過去を露悪的に表明してみせたことにある。この談話に関する唯一の検証の書である和田政宗氏らによる『村山談話-20年目の真実』には、日本の指導者の性懲りもない自虐心理のありようが精細に描き込まれている。


 最近では「法の支配」という物言いが、中国の無法を難じる際の常套(じょうとう)句となっている。ならば日本は自国の行動についてもその言葉を用いたらどうか。日本は、サンフランシスコ講和条約によって連合国との、日韓基本条約を通じて韓国との、日中共同声明によって中国との過去の諸懸案は解決済みであり、条約や共同声明に記された条文と規範に則(のっと)り、つまりは「法の支配」にしたがってわれわれは粛々と生きてきたのだと胸を張って表明すればいい。それ以上は要らぬ他言である。



 戦後70年の安倍談話が出されてもう1年である。来年の8月になって私は同じような嘆息をまた吐きたくはない。


拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(わたなべ としお)

















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