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ニッポンのゆる~い日常

中国攻勢への抵抗が新時代開く

2012-10-31 08:49:04 | 正論より
10月31日付       産経新聞【正論】より


中国攻勢への抵抗が新時代開く    大阪大学大学院教授・坂元一哉氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121031/plc12103103330002-n1.htm



 尖閣諸島をめぐる中国の言動について、ある気鋭の中国研究者が、文化大革命時代を思い出しますね、と言っていた。すなわち「文攻武嚇」。狙った相手を文章で攻め、武力で嚇(おど)す、その激しさが文革の際の中国によく似ている、というのである。



 ≪文で攻め武で嚇す文革の手法≫


 文革時代は毛沢東主席に逆らう「反革命分子」が相手。だが、いまは、尖閣諸島を国有化し、胡錦濤主席が「絶対に許さない」と言ったという、日本(政府)が相手である。

 「文攻武嚇」だけでは足りないとばかり、日本製品不買など、経済でも圧力をかけるいわば「経圧」もいれて、なんとか日本を屈服させたいようだ。

 もし日本が屈服しないと、中国政府は国民から外交無能を批判される。そのことは、貧富の格差や汚職の蔓延(まんえん)に批判が高まるなか、国内を、それこそ文革の時のように混乱させる引き金になるかもしれない。そういう危惧が中国政府の激しい態度の背景になっているとの指摘もあるが、それはここではおく。

 ともかく中国政府の激高ぶりと、暴徒化した反日デモの凄(すさ)まじさは野田佳彦首相も「想定外」だったらしい。事態の展開を見て、日本国内には、国有化は間違いだったとか、タイミングが悪かったとかいう批判が出た。


 だが、そうした批判は、正しいかどうかは別にして、もはやあまり意味のない批判だと思う。こうした事態になってしまえば、仮に日本政府が国有化を取り消しても、それで日中関係がうまくいくはずがないからである。覆水盆に返らず。もう後戻りはできないとの覚悟で臨むべきだろう。

 後戻り、つまり日本の譲歩を中国に期待させてしまうような「棚上げ」に戻るのではなく、尖閣の主権と実効支配では譲歩できないことを明確にしつつ、問題を沈静化させる。そのうえで東アジア国際政治の大局に立って、新たな日中関係を切り開く。そういう道を探るしかない。

 「文攻武嚇」と「経圧」に日本が負けないことは、その大前提になるだろう。





 ≪米国は世界戦略のために戦う≫


 まず「武嚇」には日米同盟の抑止力で対抗する。中国はこれまで、海空軍力を大増強してきたが、日米同盟に勝てる力はまだない。同盟がしっかりしていれば、嚇しようがないだろう。

 米国が尖閣のような小さな島のために中国と戦うかどうかを疑問視する声もある。

 しかし、もし尖閣で日中の軍事衝突が起これば、米国は小さな島のためではなく、米国の世界戦略のために戦うだろう。戦わねば日米同盟は壊れる。そして日米同盟が壊れれば、米国の世界戦略も保てないからだ。


 むろん大事なのは抑止である。実際に戦わなくてすむよう、同盟の相互協力をさらに強化する必要がある。とくに、これは日本の主権の問題だから、日本自身の努力が大切である。


 「経圧」は、経済的相互依存が進んだ日中関係において相互に痛みをもたらす。中国進出企業をはじめ、日本企業のなかには死活問題になる場合があるかもしれない。だが中国も、日系企業の雇用だけでなく、日本との経済関係が生む雇用を奪われるし、日本企業からの投資も減少しよう。

 日本企業はいらない。他国の企業が代わりになるとの見方が中国にはある。

 だが、日本製品がないと困る中国企業は少なくないし、なにより、政治的主張を「経圧」で押し通そうとする中国の「リスク」を、他国と他国の企業がどう見るかという問題がある。政治の安定を経済成長に頼る中国にとっては危険な手段ではないか。





 ≪大声と宣伝に理屈で反論を≫


 もう一つの「文攻」はどうだろう。

 中国政府は、「文」にまともな理屈がたたないところを大声と宣伝で補いたいようだ。たとえば米国の新聞に広告を出し、日本が「尖閣を強奪した」と喧伝(けんでん)する。だが「強奪された」のに、なぜその後、75年間も黙っていたのかにはまともな説明がない。


 しかし、相手がまともでないから、こちらは反論しないというのはまずいだろう。国際社会の風向きがいつなんどき、中国がそこまで言うのなら、日本も少し譲歩が必要では、とならないとも限らないからである。

 それを防ぐためにも日本は、中国の主張がまったくの無理筋であることを国際社会にきちんと説明しなければならない。同時に、中国には、もし主張に自信があるのなら国際社会のルールにのっとり、国際司法裁判所に提訴してはどうかと奨めるのがよい。

 文革時代を想起させるいまの中国の対日攻勢に抵抗することが、日本の国家としての存立に欠かせないことはいうまでもない。だがそれとともに、この抵抗は、21世紀の日中関係を平和、互恵、国際法重視で結んでいくのに不可欠の抵抗にもなると思う。(さかもと かずや)












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「開かれた海」かけて尖閣守ろう

2012-10-30 09:27:19 | 正論より
10月30日付     産経新聞【正論】より


「開かれた海」かけて尖閣守ろう    東洋学園大学教授・櫻田淳氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121030/plc12103003170008-n1.htm


 英誌エコノミスト(2012年9月22日号)は、「アジアは本当に『これ』で戦争を始めるのか?」と題された記事を掲載した。「これ」とは、尖閣諸島のことである。尖閣諸島のような狭小な島々のために、日中両国は本当に干戈(かんか)を交えるのかという懸念が、この記事には反映されている。ただし、この記事は、日中摩擦の本質を理解できていない。



 ≪中国の海は排他的、恣意的に≫


 そもそも、中国の海洋進出の論理とは、「第一列島線」や「第二列島線」の概念が暗示するように、グアム以西を自らにとっての「われわれの海」にすることである。「中国の海」は、中国共産党政府の統治の実態を踏まえる限りは、他国に対する姿勢における「排他性」と「恣意(しい)性」とが優越する空間となろう。こうした中国の論理は、当然のことながら、太平洋全域が実質上、米国にとっての「われわれの海」である現状に対する挑戦を意味する。そして、太平洋が米国にとっての「われわれの海」であることは、それが「開放性」と「法の支配」を旨とする空間であることを意味している。

 日本は第二次大戦後、そうした現状を承認し、そして半ば乗じながら、経済発展を実現したのである。故に、尖閣諸島は、日本や米国が奉じる「開放性」や「法の支配」の論理と中国共産党政府が体現する「排他性」と「恣意性」の論理が衝突する最前線である。日本にとっては、尖閣諸島に絡む政策対応は、ただ単に領土や眼前の海洋権益を護持することだけではなく、日米両国を含む大勢の国々の常識としての「開放性」と「法の支配」の価値を尊重することへの考慮に結び付いている。そうした説明は、内外に対して熱心に示されるべきなのではないか。





 ≪南西諸島に対中防衛線を敷け≫


 故に、尖閣諸島を含む南西諸島全域の護持は、日米同盟の枠組みというよりは、日本の責任において手掛けられなければなるまい。たとえば、先刻、陸上自衛隊と米海兵隊との「離島奪還」を想定した演習が、11月に予定されながら、諸々の事情により中止されると報じられたけれども、何よりも意を用いるべきは、「島々を絶対に奪われないようにする」ための態勢の構築であろう。南西諸島は、「開放性」と「法の支配」の防衛線なのである。


 振り返れば、日米開戦前、井上成美(当時、海軍中将)は、「対米戦争では、日本は、勝てないけれども、仕方によっては負けないことは可能だ」という認識の下、一つの国防構想を練った。井上の構想は、「西太平洋上にある日本統治下の島々を徹底して堅牢(けんろう)な『要塞』にした上で、そこを拠点に配備された航空兵力を主軸にする」というものであった。要するに、対米開戦後、米海軍太平洋艦隊が西太平洋に進出してきたら、その都度、基地所属の航空兵力で叩くという仕方である。

 こうした仕方で戦況を膠着(こうちゃく)させれば、米国の戦争継続の意志は次第に萎えてくるから、その局面を見計らって対米講和に持ち込む。それが井上の構想の「肝」であった。この構想に従えば、海上兵力の主軸と考えられた戦艦や巡洋艦のごときは不要の存在になる。「不沈空母」としての島々を維持することが、対米戦略の基本であるからである。だが、井上の構想は、結局は採用されなかった。往時の海軍部内では、「戦艦同士の決戦で片を付ける」という発想が依然、根強かったからである。





 ≪中国に「外洋海軍」持たすな≫


 井上の構想を現下の対中戦略に援用するならば、次のような議論になるであろう。第一に、南西諸島の島々が占領される事態を防ぐという考慮の下、南西諸島の然(しか)るべき島々に先々には「12式地対艦誘導弾」を含む装備を持つ陸上自衛隊部隊を配置することによって、この辺りの海域を徘徊(はいかい)する中国海軍部隊を牽制(けんせい)する。第二に、戦闘機を軸にした航空優勢を維持しつつ、空対艦誘導弾を備えた航空部隊も相応の規模で配置する。日本の海上防衛戦略が「外に進出する」性格を持たない防御的なものである限りは、井上の構想は現在でも充分に参考に値するのではないか。


 要するに、日本の対中戦略の基調は、中国海軍を「外洋海軍」ではなく「沿岸海軍」のままにさせておくということである。これに関していえば、陸上自衛隊部隊を与那国島に配置する方針は、実現に向けて、どの程度まで進捗(しんちょく)しているのか。この方針を表明したのは、鳩山由紀夫内閣時の北沢俊美防衛大臣であった。それは、民主党主導内閣下の安全保障政策対応では、数少ない「首肯できる対応」であったのであるから、進捗の度合を速めるべきであろう。

 早晩、現下の日中「摩擦」は、緩和に向けた模索が始まるのであろうけれども、こうした対中戦略の要請に沿った施策は、着実に進めなければなるまい。その施策の色合いが強硬であろうと柔軟であろうと、「一つの方向で物事を考える」姿勢ぐらい、実際の安全保障政策で有害なものはない。(さくらだ じゅん)











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日本軍と戦わない屈折が反日に

2012-10-17 09:25:42 | 正論より

10月17日付   産経新聞【正論】より




日本軍と戦わない屈折が反日に   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://sankei.jp.msn.com/world/news/121017/kor12101703180000-n1.htm



 中国の野蛮と韓国の野蛮が世界を騒がせている。彼らは日本人が面子(めんつ)をけがしたと言っているが、彼らはウソをつくことを恥と思わない。ウソや虚構が後戻りできないほど否定されたときに初めて恥を感じ、元の面子を取り返そうと怒りだし躍起になるのである。




 ≪韓国の近代史に対日戦なし≫


 近代史上、韓国は日本軍と戦ったことがない。韓国が主張する戦いは1920年の青山里戦闘1回きりで、敵は朝鮮人匪賊だった。当時の満州には、このようなアウトサイダーがあちこちにいた。対日戦争を独立戦争として戦ったのは北朝鮮の故金日成国家主席と仲間たちだけだ。青山里の戦闘で勝ったというウソを定着させようと韓国は骨を折ってきたが、戦場に残ったのは日本軍であった。敗けた方が戦場に残る道理はない。


 韓国が英雄として誇るのは、あとは爆弾魔のテロリストだけだ。有能な人材は全て日本の近代化に参画したから、放浪者しか残らない。その放浪者の爆弾テロリストを英雄に仕立てなければならないのは、今の韓国の悲哀である。


 長く英国支配に抗してきたアイルランドでは、このような卑劣を正義とは見なさない。ダブリンにある旧英総督府は、1916年の「イースター(復活祭)蜂起」の記念館になっているが、掲げられている英雄たちはみな蜂起の指導者で処刑された者たちである。





 ≪中共軍は延安に敗走しただけ≫


 中国人で日本軍に正面戦を挑んだのは、国民党軍であり、共産党軍ではない。中国研究者たちは1990年代後半から、戦いを主導したのは共産党だという恥ずべきウソに加担したが、今では正常心に戻っている。中国にいた日本軍を勝者として武装解除したのは、国民党軍であり、満州の方を武装解除したのは、旧ソ連軍である。共産党軍は日本軍の武器をソ連軍から供与され、この火力で戦後、国民党軍を台湾にたたき出した。


 共産党軍が主張する戦いは、40年の百団大戦ぐらいのものだ。国共合作で国民党の援助を受けながら大敗し、その後、執拗(しつよう)な日本軍の追撃を受け、党内でも批判された。中共の主力部隊が延安の山に逃げたことを、彼らは「長征」というが、征服した地はない。「長遯(ちょうとん)」がふさわしいだろう。満州にいた中共軍は44年までに、日本軍によって全滅した。第二軍の一司令官だった金日成氏は40年頃、国境を越えソ連領に逃れている。

 日本が敗戦したのは国民党の中華民国であって、共産党の中華人民共和国ではない。私は東京裁判自体は正しいものだとは思わないが、戦勝国として戦犯たちに臨んだことは、台湾住民に勝利の記憶を残したことであろう。この記憶が、台湾人の心をすっきりさせている。だから、彼らは反日である必要性を持たない。今日に至るまで親日だ。日本軍と正面切って戦わなかった者たちが、今も反日でしこっているのである。


 韓国は日韓併合は強制であり、不当だと言った。だが、当時の李朝の国庫は空であり、どうしようもなくなった王が日本の提案に妥協し5人の大臣に丸投げしたという史料が、3カ所から出てきてしまった。国権強奪はなかった。


 土地収奪はソウル大の経済史教授が否定した。日本時代は、韓国に年率3・7%の経済成長をもたらし、民法典を与え所有権を確定した。確定した側が所有権を無視し、土地を奪うはずがない。朝鮮で取れたコメは経済原理に則(のっと)って日本に輸出されたのだと、教授は主張した。台湾の植民地統治は成功だったが、朝鮮のは失敗だったという、日本の左派学者たちの韓国の反日擁護の構図は崩れた。





 ≪自らの正義の記憶ない悲哀≫


 日本の植民地統治は成功し、朝鮮を近代化させた。米ハーバード大教授がさもなければ、どうして戦後韓国の企業家が順調に育つことができただろうか、と疑問を投げかけて、日本時代の民族資本家たちの活躍を本に描いた。この本は今も、韓国では禁書である。


 日本軍と戦わなかった者たちは自らの正義の記憶がない。中国は南京事件を捏造(ねつぞう)する日本の市民派新聞に飛びつき、韓国は従軍慰安婦のウソに搦(から)め捕られた。日本の左派知識人やマスコミは結局、彼らの卑劣さを助長したのである。


 南京事件の被害者数は年々増加する。戦闘1週間で30万人も殺せたならば、戦争はすぐに終わってしまうだろう。中国軍はそれほど惰弱だったのだと侮蔑することもできる。だが、戦ったのは共産党軍ではない。国民党軍だった。


 歴史共同研究で話し合えば共通認識が得られると思い込んでいる人々がいる。だが、事実を明らかにする資料を示すと彼らは怒る。その時に初めて恥を感じ、面子を取り戻そうとするからである。日本側はウソ自体を恥じる。だから研究して会議に臨む。「恥と面子の平行線」である。第二期日韓歴史共同研究委員会では、日本側が韓国の歴史教科書の元ネタが日本であることを実証した。その時、韓国側が「こんなこと、韓国の学界に知れたら大事になるぞ」と叫んだ。面子ゆえに、彼らはいつも戦わずして屈折するのである。(ふるた ひろし)













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自国民救出する気概と手段持て

2012-10-16 09:28:45 | 正論より
10月16日付   産経新聞【正論】より


自国民救出する気概と手段持て   拓殖大学総長・学長 渡辺利夫氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121016/plc12101603100004-n1.htm



 1979年のイラン革命の最中、追放されたパーレビ国王の入国を米国が認めたことに激怒した革命派学生が、テヘランの米大使館を占拠、米外交官を含む53人を人質に取り、444日後に解放に至った事件のことが思い起こされる。当時、私はイスラム研究に携わる親友から、人質たちはこの間、憔悴(しょうすい)することなく、むしろ意気は軒高であったと聞かされた。「米国がわれわれを見捨てるはずがない」と、国家に対する信頼を失った者が誰もいなかったからだという。





 ≪国、我見捨てずの信頼ありや≫


 事実、カーター米大統領は陸海空軍、海兵隊4軍の力を結集して救出作戦を展開、これが失敗に帰するや第2の救出作戦に打って出ようとした。その矢先に国王が死去し、占拠の論拠を失った反体制派が米国と合意して人質解放となったというのが顛末(てんまつ)であった。

 77年9月に起こった日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件に遭遇した日本人乗客、96年12月に発生し4カ月余続いたペルー日本大使公邸占拠事件で人質となった多数の日本人のうち、「日本政府が事件解決のために全力を尽くしてくれるに違いない」、そう考えた人が何人いたであろうか。

 前者では、福田赳夫首相が「人命は地球より重い」と言い犯人の要求を丸飲みして事を収め、後者では、橋本龍太郎首相が「平和的解決」を求めてフジモリ大統領の支援を訴えるのみ、結局は大統領の果断により特殊部隊の公邸突入をもってようやく人質は解放となった。卑劣な犯罪に対しては屈辱的な対応を余儀なくされ、さもなくば他国の救出作戦に全面的に頼るしか、日本という国家には自国民を救出する術がない。国家というものの存在のありようが最も鮮明に表出されるのは、そういう劇的な状況においてである。


 北朝鮮による拉致被害者は、日本政府の認定によれば、17人である。北朝鮮側は、拉致は13人、うち5人が帰国、残りの8人は死亡としており、これで「拉致はすべて解決済み」という立場を崩す気配はまったくない。私の同僚の荒木和博教授を代表とする特定失踪者問題調査会によれば、拉致の可能性のある失踪者は約470人に及ぶというではないか。





 ≪国民運動で腰を上げた政府≫


 大韓航空機爆破事件が起こって、金正日総書記の指令により115人の乗客をミャンマー上空で爆死させたという事実が、逮捕された北朝鮮の金賢姫(キム・ヒョンヒ)・特殊工作員によって語られ、2カ月後の88年3月26日に当時の国家公安委員長の梶山静六氏が参院予算委員会で「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」だと公言した。それ以前のことは問わないにせよ、少なくとも日本政府の責任者によるこの公式発言以降に行われた、断固たる意思を欠いた微温的な制裁措置発動、供与の理由に乏しいコメ支援など、日本政府には外交的瑕疵(かし)が多々あったといわねばならない。

 唯一の進展が2002年9月17日の小泉純一郎首相の訪朝により日朝首脳会談が行われ、この会談を通じて金正日氏が13人の拉致を認め謝罪、生存者5人が同年10月15日、一時帰国を条件に日本への帰朝が可能になったことである。凄惨(せいさん)な拉致の事実の重大性に気づかされて湧き起こった国民運動に、政府も重い腰を上げざるをえなかったのであろう、ここでは強い意思をみせて、一時帰国だから5人を帰せという北朝鮮の要求をはねのけた。04年5月22日、再度の小泉訪朝により、同日中に蓮池・地村夫妻の子供、7月18日には曽我ひとみさんの家族の帰国も叶(かな)った。しかし、8人死亡の論拠は不自然な捏造以外の何ものでもない。真実はいまなお不明のままである





 ≪友よ、全員解放へ心を繋ごう≫


 小泉訪朝により事態が進展したのは、被害者家族、横田滋、早紀江夫妻や飯塚繁雄氏たちの、悲劇の事態を知らされて震えるほどの怒りを満身にこめ、なお静かに訥々訴えるあの語りと所作の中に、自国民を救うことのできない日本という国家への不信を国民が共有し、国民運動が大きく盛り上がったからであろう。運動の昂揚(こうよう)に北朝鮮と朝鮮総連が怯(ひる)み、日本政府の前進に道を開いたのである。

 日本という国家は家族会と国民運動によって辛くも「救出」されたかのごとくであった。しかし、昂揚は一時的なものに過ぎなかったのか。政府も国民も、次々と繰り出される中国、韓国の攻勢に威圧され、拉致被害も遠い過去へと押しやられつつあるかにみえる。


 ダッカ事件、ペルー事件が起こっても、卑劣と非情においてこれ以上もない北朝鮮の明白な国家犯罪を前にしても、自国民救出のための気概と手段を持ち合わせない国家が国家といえるか。小泉訪朝によって署名された日朝平壌宣言なるものには拉致の2文字さえ書き込まれていない。日本には犯罪国家を追い込む外交手段が欠如しているのである。未(いま)だ帰還叶わぬ国人(くにびと)に頭を垂れ、深い贖罪(しょくざい)を心に秘めて非情な彼の国に抗せんとする友よ、いまひとたび、心を繋(つな)ぎ合わせようではないか。(わたなべ としお)












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「平和なき友好」の甘さを教訓に

2012-10-05 08:37:36 | 正論より
10月5日付     産経新聞【正論】より


「平和なき友好」の甘さを教訓に    防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121005/plc12100503100005-n1.htm



 34年前、私は「『尖閣諸島』への少数意見」と題する雑誌論文を書いた(「諸君」昭和53年6月号)。同年4月、百隻に上る中国漁船が忽然(こつぜん)と尖閣水域に姿を現し、わが国が大騒ぎしたのが執筆のきっかけだった。「少数意見」を自認したのは、昭和47年の日中国交正常化(共同声明)から53年8月の平和友好条約調印にかけてわが国を覆った日中友好万々歳ムードに違和感を抱いたからだ。





 ≪日中間に真の平和条約なし≫


 大連に生まれ天津で学童となった私は、昔も今も日中友好に賛成である。なのに日中友好礼賛ムードに同調できなかったのは、まさにそのころ最終的な詰めの段階にあった平和条約の名称と内容に大きなズレがある、と判断したからだった。そのひどいズレを黙許するわけにはいかなかった。

 平和友好条約ならば、平和条約要素と友好条約要素を含んでいるべきだ。平和条約要素とは、両国間の戦争に決着をつける旨の条項のこと。教科書風にいえば、領土関係の変更と賠償の取り決めがそれだ。が、全5条の新条約にはこの平和条約要素が皆無。あるのは友好条約要素のみ。おっと待った。世にも珍しい反覇権条項ならある。友好・反覇権誓約条約だ。


 それを平和友好条約と呼ぶのはおかしい。この不思議が罷(まか)り通ったのは、すでに昭和47年の田中角栄首相訪中段階で領土問題、つまり尖閣帰属につき合意できず、条約交渉でも触れないまま、調印時のトウ小平発言を借りるなら「一時棚上げ」で処理したからだ。

 爾来(じらい)34年、日中間に友好条約はあるが、平和条約は本質的にはないといえる。ならば、この条約下で尖閣問題が先鋭化するのは不思議でない。条約規定に照らしても条約違反の有無を判別する仕組みになっていないからだ。結局、日中双方がそれぞれの「固有の領土」論を振りかざす。その際、重要なのはまずは主張の質である。

 主張の質では断然、日本に軍配が上がる。中国側には、1970年代を迎えるまで領有権を主張しなかったという弱みがある。問題は、日中の主張の量だ。量の面ではとくに最近時、中国が日本を完全に圧倒している。国連総会、活字、電波、電子、広告メディアを活用して、中国は釣魚島(尖閣)の領有権を主張するプロパガンダ戦争を辞さない。





 ≪プロパガンダ戦に抗する覚悟≫


 日本にはプロパガンダ戦争の意識がない。いや、最近までなかった。「尖閣は固有の領土」「日中間に領土問題は存在せず」の主張は日本国内向け、そして中国向けにしか発信されてこなかった。存在しない問題について「存在せず」と国際的に広報する必要はないと考えたからだ。だから、日本の主張は国際場裡に届かない。


 正論は大声を出さずとも傾聴されると考えるのは、奥ゆかしい。だが国際音痴気味だ。国際場裡では、いくら正しい主張でも、周到、賢明、広範に、かつ力強く展開されるのでなければ、聴衆を獲得できない。日本はこれまでの奥ゆかしさを卒業してプロパガンダ戦にも耐えなければならない。

 中国がプロパガンダ戦で対日強硬姿勢に出ているのは、政権交代期に絡まる複雑な国内事情も働いてはいるだろうが、基本的には近年の国力、わけても軍事力への自信あってのことだろう。時代は違い背景が異なっても、中国は自分の軍事力にある種の自信を持ったとき、周辺諸国との間の国境・領土問題の武力的解決を目指すことが少なくなかった。





 ≪領土で武力使ってきた中国≫


 日中国交樹立以前の中印国境紛争(59年以降)、中ソ国境戦争(69年)、そして79年の中越戦争がそれである。「平和なき友好」条約締結に際しては、日本は前二者の戦争にもっと注意を払うべきだったのに、まるで能天気だった。ソ連とベトナムは共産主義国、つまりは兄弟国だったはずだし、ソ連との間には友好・同盟・相互援助条約までもがあった。インドは非同盟運動の旗手だった。が、いずれの場合も、中国は自国の国益貫徹のため必要とあらば武力攻撃を躊躇(ちゅうちょ)しなかった。


 日本は34年前、中国との「平和なき友好」条約を選択してしまった。いまさら「待った」はきかない。中華人民共和国は「はくズボンがなく、おかゆをすすっても、核兵器は持つ」の初期段階から、世界第2の経済大国そして自信横溢(おういつ)の軍事大国へと変貌した。ただ、領土を国益思考の中心に置く性癖だけは変わっていない。

 日本がインド、旧ソ連、ベトナムと違うのは、米国の同盟国である点だ。中国が武力で尖閣奪取を意図する場合、日米同盟を考慮外には置けない。他方、米国は尖閣が日米安保条約第5条の適用対象だとしながらも、その事態に至ることのないよう日中の冷静な対話による危機回避を求めている。

 「平和なき友好」条約下、日本の仕事はこうだ。正論をもってプロパガンダ戦に臨み、最悪事態に備える自力の軍事態勢を用意し、国民の結束を確保し、日米同盟重視が結局は米国の国益に適(かな)うとワシントンを納得させること。(させ まさもり)











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中国に翻弄され続けた国交40年

2012-09-28 09:14:02 | 正論より
9月28日付     産経新聞【正論】より



中国に翻弄され続けた国交40年     国際教養大学理事長・学長 中嶋嶺雄氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120928/plc12092803090003-n1.htm



 明日29日、日中国交樹立40周年を迎える。本来なら日中友好の節目を画す祝賀ムードに包まれるはずなのに、尖閣諸島問題に端を発した反日デモなどで、在留邦人は身の危険にもさらされている。進出した日本企業の工場や店舗も破壊された。中国は、10月にも予定される次期中国共産党大会の日程さえまだ発表されないという、内政上の異例の不確実性の中にあり、国民の間に潜在する様々(さまざま)な不満も鬱積している。反日デモが反体制の動きを引き起こしかねないことを恐れる中国当局は、デモを規制しつつ、国民の不満が全土の反日デモで燃え尽きてくれたなら、と期待している。




●正しい歴史的選択だったか


 この40年、日本外交はほぼ一貫して中国との友好に努めてきたにもかかわらず、その結果がこのありさまである。となると、尖閣国有化といった個別の問題を超え、日中国交樹立そのものが正しい歴史的選択だったのかが、今こそ、原点に遡(さかのぼ)って問い直されるべきだと私は考えている。

 国交が正常化された1970年代初頭は、周知のように、中国をめぐる世界情勢が雪崩を打ったように動いた時期であった。当時は米ソが世界の超大国として対立、文化大革命に揺れていた中国は、同じ社会主義陣営のソ連を、「社会帝国主義」覇権国家と見なして激しく非難していた。そうした状況下で、中国は、多数派工作の先兵として、「東欧の孤児」アルバニアを最大限に利用した。71年秋の国連総会では、中国(中華人民共和国)を加盟国とし、台湾(中華民国)を国連から追放するというアルバニア決議案が、多数の賛成で可決されたのである。

 中華人民共和国が大陸を実効支配し、台湾は亡命政権のような形で「大陸反攻」を掲げていたとはいえ、国連の原加盟国で安全保障理事会常任理事国、第二次世界大戦の主役でもあった中華民国を、数の力で国連から葬り去ることは正しいのか、アルバニアに重要決議を提案する資質があるのかも検討されずじまいで、国連は急旋回したのであった。そこに、当時の国際社会が犯した大きな誤りがあったといわねばならない。





●台湾との断交は戦後の過ち


 中国をめぐる国際社会の急激な流れは、ニクソン米政権下の71年7月のキッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当)による北京隠密訪問、そして翌72年2月のニクソン訪中による米中接近につながり、世界を驚かせた。

 そこに登場したのが、日中国交を引っ提げて人気絶頂の田中角栄政権である。わが国政財界もマスメディアも、「バスに乗り遅れるな」と中国との国交樹立に動いていった。産経新聞を例外として、マスコミによる報道は過熱し、それに乗って田中首相と大平正芳外相の訪中が実現、北京での中国ペースの「日中復交三原則」に基づく日中共同声明で、一挙に国交が樹立されたのであった。

 同時に、北京で公表された大平外相の談話によって、わが国は中華民国との間の日華平和条約を一方的に破棄し、台湾との国交を断絶したのである。国際法上も日本と台湾との歴史的に極めて深い結びつきからしても、戦後日本が犯した大きな過ちであった。


 以来、わが国はひたすら中国に跪拝(きはい)し、中国を刺激しないように低姿勢を貫いてきたにもかかわらず、いや、それがゆえに、今日の事態に立ち至ったのである。この間、中国側は、靖国、教科書、歴史認識の諸問題で常に日本側に問題を突き付け、内政干渉まがいの立場を改めなかった。わが国が供与した多額の政府開発援助(ODA)資金や超低利の円借款、様々な経済協力も、結局は、中国の経済・軍事大国化に寄与してきただけだったように思われる。





●尖閣で何もしなかったツケ


 尖閣問題はご無理ごもっとも外交の典型である。中国が領有を唱えだしたのは、68年に、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の海洋調査で尖閣海域の豊富な海底資源の存在が明らかになってからだ。中国は、国交樹立前年の71年12月30日付の「釣魚島(尖閣諸島)に関する中国外交部声明」で明確に領有を主張していた。にもかかわらず、日本政府・外務省は国交樹立への流れの中で、何ら文句を言うことなく、国交樹立時にも、尖閣問題はここでは避けようという周恩来首相の提案で一切論議しなかったのである。

 さらに、79年1月、副首相のトウ小平が来日し、「(尖閣問題は)次の世代、またその次の世代で解決すればよい」と語ったことに、日本側は安心してしまった。当時の中国は華国鋒政権だったが、その華国鋒が失脚して実権を握ったトウが改革・開放の「南巡講話」を発表した92年2月、中国は全国人民代表大会の常務委員会で「領海法」を制定、尖閣諸島を中国の領土に組み入れてしまった。

 事ここに至っても、日本政府・外務省は形式的な抗議にとどめている。秋の天皇、皇后両陛下ご訪中に賭けていたのだ。「日中友好」でいかに大きな代償を支払わされたか再確認すべき秋(とき)である。(なかじま みねお)













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安倍氏は「戦後脱却」の使命担え

2012-09-27 09:15:43 | 正論より
9月27日付     産経新聞【正論】より



安倍氏は「戦後脱却」の使命担え   杏林大学名誉教授・田久保忠衛氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120927/plc12092703280002-n1.htm




●中国は「愛国無罪」、日本は「愛国有罪」



 日本の最高指導者の地位に最も近いところに身を置いた安倍晋三自民党新総裁に、まず祝意を表したい。かねて、「戦後レジーム」からの脱却を唱えていた同氏に、時代が「アンコール」を要求したといえる。が、鬱陶(うっとう)しい梅雨が続いた後の晴れ間を見る気持ちには私はまだどうしてもなれない。このところ続いた与野党党首選挙の候補者には、今の日本が歴史的、地政学的にいかなる国難に直面しているかという認識、それにどう立ち向かったらいいのかという迫力に欠けるところがある。





 ≪ユーラシア発の危機は深刻≫


 マスコミ側の意識にも、相当、問題があり、尖閣諸島をめぐる討論会や記者会見で、この問題を、税制改正、エネルギー政策、社会保障制度の見直しなどと同列に扱って質問する。領土問題で、「相手の立場を考慮し、あくまで話し合いで」とか、「日中双方のナショナリズムは抑えなければいけない」などと答えていた民主党代表候補には、国家の浮沈にかかわる深刻な危機がユーラシア大陸から押し寄せているとの感覚は微塵(みじん)もない。日本外交は悪魔たちの哄笑(こうしょう)の前で立ちすくんでいるのだ。

 両党党首候補から、「毅然(きぜん)として」「不退転の決意で」「大局的、冷静な判断で」などの表現も一斉に飛び出した。が、中国の嫌がらせは続いている。それに、韓国も親日的だった台湾までもが悪乗りしている。口先だけの大言壮語は何もできない遁辞(とんじ)である。


 外務省には、チャイナ・スクールと称される「親中派」が今も活躍しているのか分からないが、これら外交官にも気の毒な面はある。力の裏付けのない外交は、非常時には機能しにくい。力とは、経済、政治、軍事、文化、技術、インテリジェンスを含めた情報など総合的国力プラス政治家のリーダーシップだ。日本の自衛隊の士気は一流だが、地位や体制は、他国に比べて異常に不利なように、戦後の日本は仕向けてしまった。





 ≪日本は「愛国有罪」の体たらく≫


 私は、中国と徒(いたずら)に対立を煽(あお)り立てる論調には与(くみ)さないが、日本大使館や大使、国旗などへの侮辱、日系企業の破壊、略奪を目にして、日本の国家全体を立て直さないと危ういと痛感した。中国という国は国際秩序に責任を持つ国なのか。それに対応するには、彼我の相違を見極める必要がある。

 先方は一党独裁体制下、ナショナリズムを教育し、必要な時にそれを意のままに煽り立てる。中国には存在しない言葉「地球国家」を口にする「市民運動」の指導者が責任ある座を占める日本には、そんな芸当などできもしない。中国では、法治は通用せず、反日であれば、何をしても「愛国無罪」で大目に見られる。片や、国家不在の日本では愛国者は白い目で見られてきた。「愛国有罪」だ。

 戦前の日本が標語にした「富国強兵」は今、中国が仮借なく進めている国策である。日本は対照的に「軽武装・経済大国」を目指してきた。自衛隊発足後に「富国他兵」だと茶化(ちゃか)す向きもあったが、その通りで、日米同盟がなかったら、どうするつもりか。国内で大衆迎合にかまけているときか。


 国際環境の変化は日本を変えてきた。隋・唐の対外圧力が大化改新を生み、元寇(蒙古襲来)は鎌倉幕府を衰退させ、建武中興を促した。ペリーの来航で、日本は覚醒して明治維新を成し遂げた。

 朝鮮半島の内紛を契機に日清戦争は起こり、次いでロシアの半島への影響力を拒否するために日露戦争は発生した。日露戦争後の処理は中国との対立激化の要因となり、旧満州の市場争いと人種問題が遠因で日本は米国を次第に敵に回していく。そして敗戦だ。現憲法下の日本はその結果であり、長い歴史の産物である。ロシア、朝鮮半島、中国から加えられてきた圧力は熾烈(しれつ)の度を増している。





 ≪防衛費増大と新憲法論議を≫


 国際情勢の流れは中国に不利に展開していると思う。パネッタ米国防長官は9月19日、北京での記者会見で、米国は中国を狙った「封じ込め」あるいは「包囲」を策しているのかとの質問に対し、そうではなく、太平洋への軍事力の「再均衡だ」と答えた。冷戦と異なり、経済の相互依存性を強めている今は、封じ込めなどはできないが、米軍事力は太平洋に集中させつつあるとの意味だろう。


 私が特に重視するのは、それを補うように、キャンベル米国務次官補が9月20日の上院外交委員会での冒頭声明で、日本、韓国、豪州、タイ、フィリピン5カ国との同盟関係強化とシンガポール、インド、インドネシア、ニュージーランド、マレーシア、ベトナムの6カ国との友好関係増大に加えて、「台湾との非公式関係強化措置を取りつつある」と明言したことだ。慎重発言に努める米当局者が台湾重視を唱えたのである。

 日本は何をすべきか。安倍新総裁に期待するのは、国際環境を無視して10年間、減らし続けた防衛費をとりあえず大幅に増やし、新しい憲法制定の議論を巻き起こす-の2点である。関係諸国に与える政治的含意を考えて、戦後蝉脱(せんだつ)の歴史的使命を担ってほしい。(たくぼ ただえ)
















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「ウソも通ればめっけ物」の世界

2012-09-20 10:17:36 | 正論より
9月20日付     産経新聞【正論】より



「ウソも通ればめっけ物」の世界   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120920/plc12092003140005-n1.htm




 今回、東アジア諸国の一連の政治行動により、われわれの日本が人さらい(北朝鮮)、島ドロボウ(韓国)、海盗っ人(中国)という由々しき国家群に囲まれていることが、国民にはいよいよ明らかになったことと思われる。




 ≪「対日戦勝」の幻影を求めて≫


 私は、2005年に『東アジア「反日」トライアングル』(文春新書)を上梓(じょうし)して以来、やがてそのような危機に瀕(ひん)するであろうと本欄を通じて繰り返し警告してきた。これらの諸国は、自己絶対正義の中華思想のうえに、ナショナリズムが重層的に乗っている。ゆえに、中世では彼らから見て辺境であった日本の繁栄を、中華という視点から眺めて、永遠にこころよく思わない。ナショナリズムが反日という形をとって伝統の地層から噴き上げるのである。


 戦後の独立にも問題があった。日本軍と戦わずして米国に解放してもらった国(韓国)、少しゲリラ戦をしたものの大負けして、ソ連の傀儡(かいらい)にしてもらった国(北朝鮮)、別の連中が日本軍と戦っている間に山で英気を養い、戦後、前に戦っていた人々を追い出して独立した国(中国)である。


 これら諸国は、日本に戦勝したという偽史なしには国民の物語が作れない。これからも、絶えず日本と戦っていると国民にアピールするために、日本の主権を侵し、侵略をし続けることであろうと、かつて私はここに書き記した(09年5月8日付の正論欄「恥ずかしい国に住んでいないか」)。

 韓国の李明博大統領は、島ドロボウした地に降り立ち、その後、こう言った。「日王が韓国を訪問したいのなら韓国の独立運動家たちへ謝罪せよ。痛惜の念などという言葉だけなら来なくてよい」。朝鮮の中華思想は、中国という虎の威を借りる狐(きつね)の「小中華思想」で小さなものだが、それでも日本を侮辱したいという熱意にあふれていることが分かるだろう。


 ここで謝罪を求める独立運動家というのは、昨年の9月2日にソウル駅前に銅像が建立された、姜宇奎のような人物を指す。19世紀末、李氏朝鮮は大飢饉(ききん)で、多くの流民が満州や沿海州に流れた。姜は、旧学問の人、漢方の薬材商でクリスチャン。金日成の父親と同じような経歴である。日本のもたらした新学問に乗れず、満州と沿海州を行ったり来たりした。





 ≪「独立運動家」の正体とは≫


 日韓併合後、ウラジオストク新韓村老人団吉林省支部長になり、日本の要人暗殺を決意、ロシア人から英国製の手榴(しゅりゅう)弾1つを購入して京城に潜入した。斎藤實総督の赴任時、馬車に手榴弾を投げたが暗殺に失敗、巻き込まれた新聞記者、随行員、警官など37人の死傷者を出した。中には総督府政務総監、満鉄理事、米ニューヨーク市長の娘なども含まれていた。1920年、死刑に処せられた。戦後の62年に、建国勲章、大韓民国章が追叙される。くだんの銅像は、募金活動と政府支援金を合わせ、約6000万円をかけて建てられた。韓服の外套(がいとう)姿で、手榴弾を投げようとしているところだ。


 国を捨てた爆弾魔のテロリストを英雄にするほど、この国は英雄に飢えている。「慰安婦」たちに軍の強制を絡め、銅像にして祀(まつ)り上げるウソも、「ウソも通ればめっけ物」という、彼の国の社会通念による。拉致も尖閣も竹島もしかり。ウソも突き通せばそのようになると信じられている。特定アジア諸国はこの社会通念ゆえ、近代的な信用社会の形成に失敗したと見ることができるだろう。





 ≪中韓と北の「悪」に目つぶるな≫


 戦後日本では、韓国や中国は日本の侵略のために被害を被った、だから、日本の「悪」に対し、韓国や中国は「正義」だという単純な「善悪二項対立」の構図を左派知識人たちが広めた。日本が「2メートル級の悪」ならば、中国のチベット侵略は「1メートルくらいの悪」なのだ。もっと親切に考えてやろうと、彼らは書いた。「中国が核武装したからといって、日本の対中戦争責任が相殺されるわけではない」(坂本義和「日本外交の思想的転換-日韓提携における米中対決」=『世界』66年1月号)と、後の地球市民の唱道者が言っているのも、今では彼らの企図をよく保存した資料になっている。


 その同じような人々が今また、市民派新聞で同じようなことをつぶやいている。「竹島問題で韓国が国際司法裁判所への共同提訴に応じない理由は、日本の歴史的責任感の欠如にある」「日本には、戦中のアジアへの侵略を忘れたいという社会心理がある。中国けしからん、韓国けしからんと声高に言うことで、不安を紛らわせている」などなどの論調である。

 だが、彼らの構図を借りれば、特定アジア諸国の悪はもはや2メートルを超えたのである。日本人をさらい、日本の島をかすめ、南の海も東の海も人海戦術で埋め尽くそうとする。日本の元首を侮辱し、日本大使公用車の旗を奪い、日本の工場、百貨店を官製デモで手当たり次第に破壊し、略奪する。

 「ウソも通ればめっけ物」という点では、これらの諸国は日本の左派知識人たちと大差ない。(ふるた ひろし)











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領土は歴史認識と二正面作戦で

2012-08-31 08:59:54 | 正論より
8月31日付      産経新聞【正論】より



領土は歴史認識と二正面作戦で    弁護士、衆議院議員・稲田朋美氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120831/plc12083103290002-n1.htm




 ロシアのメドベージェフ首相の北方領土訪問、韓国の李明博大統領の竹島上陸、香港の活動家たちの尖閣諸島上陸と、相次いでいる隣国からの領土侵犯行為の根底には、歴史認識の問題がある。




 ≪河野、村山、菅談話の破棄を≫


 日本はこれまで、戦後レジームの中核を成す東京裁判史観に毒されてきているせいで、歴史認識について言うべきことを言わず、なすべきことをしてこなかった。むしろ、言うべきでないことを言い、すべきでないことをしてきた。その典型が河野談話、村山談話、そして菅談話である。


 領土と歴史認識を同じ土俵で論じることには違和感がある。が、相手側が歴史認識を論じる以上、それにも冷静に反論することが必要だ。その前段として、有害無益な談話類は受け継がないと宣言する新談話を即刻出すべきだ。

 李大統領は天皇陛下が訪韓する条件として独立運動家への謝罪を求め、日本国民を怒らせた。「光復節」演説では「慰安婦」問題の解決を求めた。韓国国会も「慰安婦」賠償要求決議を出した。

 韓国の憲法裁判所は昨年8月、韓国政府が「慰安婦」の基本的人権を侵害し、憲法に違反しているという驚くべき判決を下した。李大統領が昨秋以来、異常とも思える執拗さで、野田佳彦首相に「慰安婦」への謝罪と補償を求めている背景にはこの判決がある。


 野田首相は、国際法上決着ずみだとする従来の日本の主張を繰り返している。だが、韓国にはもう通用しない。憲法裁判所は、「慰安婦」問題が昭和40年の日韓請求権協定の範囲外で、「慰安婦」の賠償請求権は消滅しておらず、それを解決できていない韓国政府の不作為が、憲法違反に当たると断じているからだ。事実関係を否定しない限り、謝罪と補償を要求され続けるということになる。






 ≪個人賠償請求権で不当判断≫


 こうした考え方は戦後補償全般に及ぶ。韓国最高裁はこの5月、戦時中の日本企業による朝鮮人強制労働に関する裁判で、日韓基本条約にもかかわらず個人賠償請求権は消滅していないという、国際法の常識に照らせば不当というほかない判決を言い渡している。


 これで、日本での戦後補償裁判では法的に解決ずみという理由で勝訴してきた日本企業が、韓国国内で再度裁判を起こされれば、敗訴することになった。在韓資産を持つ日本企業は、敗訴判決に基づいて差し押さえを受け、資産を合法的に収奪されることになる。


 しかも、日本政府は戦後補償、「慰安婦」裁判では、事実関係を争わない方針を採るので、日本での判決には証拠のない嘘が書き込まれている。裁判では、当事者が争わない事実は真実として扱われる。韓国の裁判でそんな日本の判決書が証拠として提出されれば、日本側に勝ち目はない。日本企業の財産を守る責務は国にある。政府は、戦後補償裁判でも事実関係を争う方針に転換すべきだ。


「慰安婦」問題については、日本の政府や軍が強制連行した事実はない、と明確に主張しなければならない。問題の核心にある「強制連行」がなかったのだから、謝罪も補償も必要ではない。当時は「慰安婦」業は合法だった。


 それにもかかわらず「強制性」を認めて謝った河野談話を否定し、韓国や米国で宣伝されているような、朝鮮半島の若い女性を多数、強制連行して慰安所で性奴隷にしたといった嘘でわが国の名誉を毀損することはやめていただきたいと断固、抗議すべきである。






 ≪配慮外交から主張外交へ≫


 司法だけではない。韓国は立法においても、盧武鉉前政権時代に親日反民族行為者財産調査委員会を設け、親日であった反民族行為者およびその子孫の財産を没収する法律を作っている。要するに、韓国では、歴史認識を背景に、日本に対しては何をやっても許されるという特殊な価値観で司法も立法も行政も動いているのだ。

 であるからして、韓国に向き合って日本のなすべきことは、今までのような抽象的な贖罪(しょくざい)意識に基づいた、あるいは、日本特有の寛容の精神で相手と接してきた、「配慮外交」を改め、戦後補償であれ「慰安婦」であれ、言うべきことを勇気をもって主張する外交へと方向を転換することである。そうしないと、日本の名誉も韓国国内の日本企業の財産も守れないし領土侵犯も続くのである。



 北方領土問題をめぐっても、プーチン大統領とメドベージェフ首相が「第二次世界大戦の結果であり譲歩する必要はない」と述べていることに、きちんと日本の立場を発信しなければならない。


 日ソ中立条約を一方的に破棄して、日本に原爆が投下された後に旧満州に侵攻し、わが国同胞を60万人もシベリアに強制連行し、日本が武器を置いた後に、北方四島を奪取した旧ソ連(ロシア)の行為には、一片の正義もない。

 今、求められるのは、こうした歴史認識をリーダー自らが堂々と語ることである。領土侵犯の理由に歴史認識を持ち出されれば、政治家が歴史認識をもって対抗しなければならない時代がきた。(いなだ ともみ)
















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毛沢東戦略通りの「尖閣奪取」だ 

2012-08-28 09:18:38 | 正論より
8月28日付    産経新聞【正論】より



毛沢東戦略通りの「尖閣奪取」だ    防衛大学校教授・村井友秀氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120828/plc12082803170007-n1.htm




 日中両国は1972年、尖閣諸島問題は棚上げすることで合意した。しかし、その合意にもかかわらず、最近、中国は尖閣に積極的に進出するようになってきた。

 


 ≪中国利した尖閣「棚上げ」≫

 
「棚上げ」について、中国は当初は、次のように解釈していた。(1)尖閣諸島は中国固有の領土ではあるが、中国は日本による実効支配を黙認する(2)軍事力は使用しない(当時は日本の軍事力が中国より強力だったため、中日両国がともに軍事力を使用しないという合意は中国に有利だった)-と。


 現在、中国は次のように考えている。すなわち、棚上げ当時は中国の海軍力は日本に劣っており、日本の軍事力は尖閣諸島を覆えるものの、中国のそれは及ばなかった。しかし、21世紀に入って中国の軍事力は急速に強化され、中国も尖閣諸島に手が伸ばせるようになった。「棚上げ」は日本の尖閣諸島進出を抑える上で大きな役割を果たした。中国の海軍力が尖閣諸島に投射できるようになった現在、軍事力の使用を抑止する「棚上げ」は歴史的使命を終えた。

 中国共産党の行動原則は今でも毛沢東の戦略である。毛の戦略として有名な「遊撃戦論」(38年)は、日本に対し以下のような戦略で戦うべきだと主張していた。


 すなわち、戦争は三段階に分けられる。第一段階は、日本の進攻と中国の防御の時期である。この時期の日本は強力な軍事力を有しており、中国は、強い日本との戦いをできるだけ避けて逃げることが肝心である。第二段階は、日本と中国の戦略的対峙の段階である。この段階になると、日本は兵力不足によって進攻が止まる。持久戦の中で日本軍は消耗し、中国は弱者から強者に転じることができる。第三段階は、中国の反攻と日本の退却の時期であり、中国の力の拡大と日本の内部崩壊で対日戦争に勝利する段階である。



 また、中国知識人の常識である古代の兵書、「孫子」には、「兵力が敵より少ない時はあらゆる手段を講じて戦いを避けよ。兵力が敵の五倍あれば躊躇(ちゅうちょ)なく敵を攻めよ」と書かれている。






 ≪「遊撃戦論」の第二、三段階≫


 現在、東アジアの軍事バランスは変化しつつある。かつて●(=登におおざと)小平は、中国の対外政策は「四不」(対抗せず、敵を作らず、旗を振らず、先頭に立たない)であると述べていた。しかし、中国では「30年前に比べて中国は発展し中国の要求は変化した。積極的な行動に出るべきだ」という意見が多くなっている。


 中国国家海洋局は南シナ海で「十分な軍事力を見せつけて領土問題を有利に進めるべきだ」と主張している(2010年)。中国農業省も東シナ海で尖閣諸島付近の中国漁船の護衛と巡視活動の常態化を徹底することを決定した(同年)。尖閣問題は「遊撃戦論」に照らせば、第一段階である「棚上げ」から第二段階へ、さらには第三段階へと移りつつあるのである。


 日本は、こうした中国の戦略にどのように対応すべきか。

 現在の米中関係がさまざまな問題を抱えながら破綻しない理由の一つは、米中関係が「経済的相互依存」(win-win)関係であるよりもむしろ、「経済的相互確証破壊」(lose-lose)関係にあるからであろう。経済が破壊されるという恐怖が政治的対立を抑えている。






 ≪相互確証破壊理論を援用して≫


 他方、日中間の経済関係をみると、中国は日本の経済発展に欠かせない存在であるが、中国にとって死活的に重要な経済資源は日本に存在しない。したがって、日中間に「経済的相互確証破壊」関係は成立しない。米ソ間に核兵器による軍事的「相互確証破壊」関係が成立し、ロングピースといわれた冷戦の教訓を考えると、信頼関係が成熟していない2国間において、日中関係が対等であり、平和であることを望むならば、軍事的「相互確証破壊」関係を日中間に構築することが効果的である。


 現在、中国は200発以上の核兵器を保有し、日本の生存に致命的打撃を与える軍事的能力を持っている。他方、日本は憲法の規定により外国を攻撃する軍事的能力がない。日中間に軍事的「相互確証破壊」関係は成立しないのである。

 ただし、日本の防衛力は日米同盟に支えられている。数千発の核兵器と強大な海軍を持つ米国は、中国の生存に致命的打撃を与える軍事的能力を持っている。したがって、日中間に軍事的「相互確証破壊」関係が成立し、日中関係が対等で平和であるためには、日米同盟対中国の構図が維持されなければならない。その日米同盟を活性化させるためには、日本の役割を拡大し強化する行動が肝要であることは言うまでもない。


 挑発に対して毅然(きぜん)と対応せず、国際社会から臆病者だと思われれば、多くの国が日本を軽蔑し、日本の国際的影響力は地に落ちて国益は致命的に毀損(きそん)されることになる。「大人の対応」や「冷静な対応」が何もしない口実であってはならない。(むらい ともひで)











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