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ニッポンのゆる~い日常

丸腰日本船は平和ボケの象徴だ

2013-07-15 10:45:08 | 正論より
7月15日付     産経新聞【正論】より


丸腰日本船は平和ボケの象徴だ    東海大学教授・山田吉彦氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130715/plc13071503400002-n1.htm



 アフリカ北東部のソマリア沖海域における海賊対処活動が、ひとつの転換点を迎えている。この海域で猛威を振るった海賊行為は確実に減少している。今年1月~6月末の海賊行為などの発生数は8件、乗っ取られた船舶の数は2隻で、拘束された乗組員はいない。昨年同期の発生数69件、一昨年同期の163件と比較すると、「激減」といっていいだろう。




●海自活動は海賊排除に貢献


 海上自衛隊は2009年から、護衛艦2隻を派遣して、海賊多発海域であるアデン湾を通航する民間船舶の護衛を行うとともに、P3C哨戒機2機による上空からの警戒監視に当たってきた。海自を含む各国部隊の活動はこの海域から海賊を排除することに成功したといえよう。

 だが、海賊は根絶されたわけではない。アデン湾から締め出された海賊は、インド洋という広い舞台に出ていくようになっている。海賊の行動に関する歴史的な推移を踏まえれば、犯行の手口や出没海域を変え、再び船舶を襲いだすと予想される。まだ、対処活動の手を緩める時期ではない。

 政府は先に、海賊対処活動の新方針を閣議決定した。今月23日に期限切れを迎える海自の活動を1年間延長し、今年12月からは護衛艦2隻のうち1隻を、連合海上部隊第151連合任務部隊(CTF-151)に参加させ、他国と合同で監視活動を行う。米国を中心に編成されたCTF-151は、各国艦艇がインド洋に設定された危険海域にとどまり、「ゾーンディフェンス」を展開する。

 広域に拡散するようになった海賊に対処するには、艦艇多数を投入しての「ゾーンディフェンス」が有効であり、CTF-151への参加は必然的な流れである。この枠組みの中で集団的自衛権の行使を容認するかどうかも、検討しておかなければならない。

 CTF-151が展開しているのは、北限をスエズ運河およびホルムズ海峡とし、南緯10度線と東経78度線に囲まれ、国際海事機関(IMO)が指定する海賊行為の危険度が高い海域である。





●拠点ジブチの機能を強めよ


 この海域では最近、他のリスクも高まっている。軍の介入に至ったエジプト情勢の混乱、シリア内戦、中東から北アフリカにかけて頻発するイスラム過激派によるテロは、アジアと欧州を結ぶスエズ運河経由の海上交通路の、危機的要因となっている。イランはイランで、自らの核開発への制裁強化には、ホルムズ海峡の封鎖で対抗すると脅したりしている。

 こうした状況下にあって、海上自衛隊の活動は、海賊の取り締まりのみならず、広い意味で、インド洋、アラビア湾から紅海に及ぶ海域の不安定化を抑止する作用をも果たしているといえる。

 今後、海自は他国との共同作戦において、人類共通の財産である「海」の安全を守るために、より一層の貢献を求められるだろう。その要請に応えるためには、ソマリアなどと隣接するジブチに置いた、海自の活動拠点の機能を強化することが不可欠である。



 通常国会の最終日に、参議院で安倍晋三首相に対する問責決議案の採決が優先された結果、「海賊多発海域における日本船舶の警備に関する特別措置法案」が廃案になってしまったのは、海賊対策の観点から極めて遺憾だった。



 現在、日本の民間船は、銃刀法により船内での武器携行は許されておらず、凶悪な海賊が多発する海域を航行する船舶も、自らの手で安全を守ることすらできない。そこで、海運業界は、船員と積み荷を含む船舶の安全を守るのは一義的には保有する企業の責任であることを認識し、海賊に襲われる危険がある船舶を対象に、小銃を所持した警備員の乗船を認める法の制定を求めたのである。




●武装警備員乗船は国際常識


 米国をはじめパナマ、シンガポール、ドイツなど主要海運国のほとんどは、民間の武装警備員の乗船を認めている。制度化されていないのは日本とギリシャぐらいであり、ギリシャもすでに法整備を進めている。海賊やテロリストからすると、日本籍船が掲げる「日の丸」は武装警備員が乗っていない証しであり、最も襲いやすい船となる。法案未成立は「平和ボケ」の象徴というほかない。

 「ゾーンディフェンス」によって、広域に海賊を抑止することはできる。だが、海賊がピンポイントで船を襲った場合、対応が遅れる可能性が高い。その間隙(かんげき)を埋めるには、民間船舶が自主警備態勢をとることが望ましい。海賊を撃退できずとも、救援の艦艇が到着するまでの時間を稼ぐことはできよう。日本船の警備に関する法律の制定は急務なのである。

 四方を海に囲まれた海洋国家、日本にとり、海は世界へとつながる重要な「道」である。しかし、多くの国民は、この海が海賊行為やテロなどに脅かされていることに目を向けようとしない。日本は国民の生活を守るためにも、官民一体となって海洋安全保障体制を築かなければならない。海の日の今日、改めて銘記したい。(やまだ よしひこ)







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「日本を取り戻す」政策阻む面々

2013-07-09 11:55:20 | 正論より
7月9日付   産経新聞【正論】より



「日本を取り戻す」政策阻む面々    高崎経済大学教授・八木秀次氏 


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130709/stt13070903270002-n1.htm


 安倍晋三首相が「日本を取り戻す」として、わが国を主権国家に相応(ふさわ)しい体制に整えようとすると、それを阻止しようとする勢力が決まって右傾化、軍国主義、国家主義と批判し始める。始末の悪いことに、これが一定の影響力を持っている。



 ≪子供にも戦争の恐怖を煽り≫


 昨年12月の総選挙の直前、所在地も形態も異なる高校と中学に通う娘と次男が口を揃(そろ)えて、「安倍政権になると私(僕)たちは戦争に行かなければならないんでしょ?」と尋ねてきた。学校で先生から聞いたという。当時、同種のデマが全国の学校で出回っていたようだ。私は「現代の戦争はハイテク戦だ。訓練されたプロにしかできない。素人が自衛隊に入っても足手まといになるだけだ。徴兵なぞあり得ない」と説明した。子供たちは納得したようだが、戦争の恐怖を煽(あお)って安倍政権に嫌悪感を持たせる動きは早くから始まっている。


 首相が意欲を燃やす憲法改正は占領下で制定された現行憲法を主権国家に見合ったものに整えるとともに、現在進行形の中国の露骨な領土拡張欲に対抗するために必要な措置だ。96条改正をその入り口とし、9条2項を改正して自衛隊を憲法上に位置づけ、普遍的な軍隊の実質を与え、日米同盟強化のために集団的自衛権行使を可能にする-。これらは、急速に増大する中国の脅威に対抗し、戦争を避けるために不可欠である。にもかかわらず、反対勢力は「自民党は戦争をしようとしている」と憲法改正の方を逆に危険視する。


 基本的人権の制約原理として現行憲法が「公共の福祉」と呼んでいるものを、自民党の憲法改正草案が「公益及び公の秩序」と言い換えたことについても、戦時下の国家統制を持ち出して、言論の自由を含む基本的人権が大幅に制約されると危険性を強調する。自民党案は、わが国も批准している国連の国際人権規約(A規約・B規約)の人権制約原理(「国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」)を踏まえ、一部を採ったささやかなものに過ぎないのに、である。




 ≪憲法、教育問題でデマ宣伝≫
 

 考えてもみよ。日本ほどの先進国で、既に国家として批准しているさまざまな人権条約に反する統制的な体制を築けるわけがない。国内には多くの外国人や外国メディアが存在し、彼らも対象となるからだ。国民に恐怖心を持たせて憲法改正そのものを阻止するためのデマが流されている。

 首相が経済再生と並ぶ最重要課題とする教育再生についても例えば、教育科学研究会という団体の編集する『教育』6月号(かもがわ出版)は、「『安倍教育改革』批判」とする特集を組み、「安倍首相は『愛国心』などの理念を徹底するために、教科書検定制度の見直しを迫る。過去の歴史の過ちへの反省は『自虐史観』として排除する。その行く先には『憲法改正』と新たな権力支配の構図が見えてくる。『国家主義教育』への暴走が待ち構えているだろう」と書いている。

 教育再生実行会議の委員の1人として言うが、会議では、首相を含めて「国家主義教育」を志向する者は誰一人としていない。今日の教育の実情を踏まえ、否応(いやおう)なくグローバル化する社会の中で、わが国が生き残るための方途を他の先進国の制度などを参考にしながら、教育の側面から真摯(しんし)に議論している。議論の内容も事後だが、すべて公開されている。




 ≪歴史認識めぐる誤解が障害に≫


 国際社会にも誤解がある。ボストン大学国際関係学部長のウィリアム・グライムス氏は「安倍首相は中国、そして韓国との間で、無用の緊張を生じさせている。米国からすると、彼の行動はまったく擁護しがたい」とし、首相が村山談話の撤回をもくろむならば、ナチスとの協力関係が露見した後にオーストリア大統領になったワルトハイム元国連事務総長が、大統領として米国訪問できなかった例に倣って、「米国の大統領にも国務長官にも接触できなくなるだろう」と述べている(週刊東洋経済6月29日号)。

 中国や韓国による「南京大虐殺」や「慰安婦=性奴隷」説という、事実に基づかないプロパガンダがいかに強固なものとして米国はじめ国際社会に定着しているかを物語るものだ。


 首相は、政府の歴史認識を事実に即したものに是正したいだけだが、逆に歴史を直視しない歴史修正主義と国際社会から指弾され、国内の勢力も同調して国家主義、右傾化と危険性を喧伝(けんでん)する仕組みが作られている。

 「アベノミクス」は一定の効果を上げ、安倍内閣の支持率も高い。が、安倍首相が今後、本格的に「日本を取り戻す」に当たって、最大の障害となるのは歴史認識に関する国際社会の誤解だ。誤解は日本国民全体の恥辱でもある。旺盛に展開している価値観外交とともに、誤解を解くべく、国際社会向けの情報戦に打って出るための組織の設置をはじめ、対応を急がなければならない。(やぎ ひでつぐ)










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平成の「富国強兵」路線に専念を

2013-06-03 09:04:36 | 正論より
6月3日付     産経新聞【正論】より



平成の「富国強兵」路線に専念を   東洋学園大学教授・櫻田淳氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130603/stt13060303080000-n1.htm



「歴史認識」に絡む橋下徹大阪市長の一連の発言が投げ掛けた波紋の後、韓国紙、中央日報が「原爆投下は神の懲罰である」と言い放った論評を掲載したことは、日韓両国における「ナショナリズム言説」の応酬の風景を出現させたようである。




 ≪正義語れる官軍になってこそ≫


 古来、「歴史認識」は大概、「戦争で勝った側」のものが世に流布する。「勝てば官軍、敗(ま)ければ賊軍」という言葉は、「敗れた側」にとって、どれほど理不尽にして悔しいものであっても、一つの真理を表している。故に、端的にいえば、「次の戦争」で「戦勝国」になってしまえば、「歴史認識」の案件は決着がつく。

 ここでいう「次の戦争」とは、武力行使を伴う文字通りの「戦争」という意味にとどまらず、経済、産業、技術上の優位の維持、さらには対外広報・文化・芸術・スポーツなどを通じた対外影響力の確保という意味の「競争」を含むものである。こうした「戦争」や「競争」に際して、いかに「勝ち組」に回るか。筆者は、そうしたことにこそ何よりの関心を抱いているし、そのことこそ、真剣な議論に値するものであろう。

 筆者は、突き放した物の言い方をさせてもらえれば、第二次世界大戦という「近代以降、偶々(たまたま)、敗れた一度だけの対外戦争」に係る弁明には大した意義を感じていないし、その弁明に日本の政治家が精力を尽瘁(じんすい)するのは、率直に無益なことであると考えている。


 故に、筆者が安倍晋三首相の再度の執政に期待するのは結局のところは、「次の戦争」で「戦勝国」としての立場を確実に得るために必要な態勢の整備である。

 「アベノミクス」と総称される経済再生施策から、憲法改正を含む安全保障に係る態勢の拡充、さらには安倍首相が就任直後に披露した「アジアの民主主義的な安全保障ダイヤモンド」構想に示された対外政策方針に至るまで、安倍首相が推し進める平成版「富国強兵」路線は、こうした考慮に裏付けられてこそ、意義を持つものであろう。





 ≪橋下発言は「必然性」が薄弱≫


 逆にいえば、こうした平成版「富国強兵」路線の貫徹に具体的に寄与しない政策対応は、「歴史認識」の扱いを含めて、全て棚上げにしても何ら支障はない。国際政治で問題とされるのは、結局は「力」である。安倍首相には、日本の「力」の復活に専念してもらえれば、宰相の仕事としては十分である。


 翻って、橋下市長の一連の発言において批判されるべきは、その発言の中身というよりも、それを語る「必然性」が誠に薄弱だということにある。要するに、「橋下市長は、自らの歴史認識を開陳することで、何をしようとしたのか」が、曖昧なのである。橋下市長は、一連の発言を通じて、第二次世界大戦の「敗戦国」としての日本の立場を弁護しようとしたのであろう。

 目下、特に米国、英国を含む欧州諸国、さらには豪印両国や東南アジア諸国は、日本の「次の戦争」における盟邦であると期待されているし、その故にこそ、安倍首相は、第2次内閣発足以後、これらの国々との「提携」を加速させている。しかし、橋下市長の発言のように、「従軍慰安婦」の解釈を含めて日本が「敗戦国」としての立場の弁明に走ることは、これらの国々との「提携」を進める際の妨げになる。

 というのも、これらの国々の多くは、結局は、「戦勝国」であるからである。「歴史認識」のような「互いに妥協できない」案件を不用意に持ち出し、「敗戦国」と「戦勝国」の立場の違いを結果として際立たせるような言動は、果たして賢明であるのか。橋下市長に問われているのは、その言動の当否ではなく、その言動を披露する際の「賢明さ」なのである。





 ≪中朝韓の対日批判資格を問え≫


 因(ちな)みに、中朝韓3カ国からの対日批判への対応は、そもそも「戦勝国」ですらない韓朝両国、さらには「戦勝国」の地位を継いだだけの中国が何故、あたかも自ら「戦勝国」であるかのように装って、対日批判に走っているかという「資格」を問い質(ただ)し続ければ、それで十分であろう。


 「正義」は、「戦争」や「競争」に勝ってから語るべきものである。しかし、勝ってから語られる「正義」は、大概、白々しいものでしかない。政治における「正義」とは、そうしたものである。当代日本の政界やその周辺には、「正義」、即(すなわ)ち「自らにとっての『正しいこと』」を口にしていれば、必ず受け容(い)れられると信じている「政治活動家」は、政治的スペクトラムの左右を問わず、至るところに盤踞(ばんきょ)している。

 政治家は、国家・社会にとって「必要なこと」よりも自らにとって「正しいこと」を優先させる言動に走れば、瞬時に「政治活動家」に変貌する。橋下市長の一連の発言に因(よ)る騒動の顛末(てんまつ)が示すのは、彼もまた、その「政治活動家」の一例であったという事実であろう。(さくらだ じゅん)














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橋下発言の核心は誤っていない

2013-05-23 13:12:59 | 正論より
5月23日付     産経新聞【正論】より


橋下発言の核心は誤っていない   現代史家・秦郁彦氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130523/stt13052303220000-n1.htm



《慰安婦は連行せず広告で募集》


 橋下徹大阪市長が5月13日、大阪市役所で記者団に語った慰安婦をめぐる発言は、内外に波紋を巻き起こし、その要旨はテレビや新聞などで大々的に報じられた。改めて発言の核心と思われる3カ所を、入手した速記録から抜いてみよう。草稿なしのアドリブ発言なので、こなれの悪い口語体になっているが、あえて「整形」せずに引用し、歴史家の観点から解説を加えてみたい。  


 (1)「軍自体が、日本政府自体が暴行・脅迫をして…女性を拉致をしたというそういう事実は今のところ証拠で裏付けられていない」

 (2)「当時慰安婦制度は世界各国の軍は持ってたんですよ」

 (3)「なぜ日本のいわゆる従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるのか」  


 1990年前後の発端から関わり、『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、99年)という研究書を刊行した筆者として、(1)~(3)の捉え方は引用部分に限れば、大筋は正しいと思う。


 ただし、歴史家は過去の史実を正確に復元するだけですむが、政治家はそれを踏まえたうえでの具体的提言や主張を求められるし、予期される内外の反響に対する戦略的、戦術的配慮も必要とすることは言うまでもない。



(1)は、女性たちを強制連行したか否かという争点で、橋下氏は安倍晋三内閣と同様に、今のところ強制連行の証拠は見当たらないと控えめだが、筆者は次のような理由から強制連行はなかったと断定したい。


 第1に、この20年以上にわたり数多く紹介され裁判所でも陳述された彼女たちの「身の上話」で、家族、隣人、友人など第三者の目撃証言が登場した例は皆無である。たとえ、こそ泥レベルの微罪でも「被害者」の申し立てだけで有罪と判定する例はないはずだ。


 次に戦中のソウルの新聞に「慰安婦至急大募集。月収300円以上、本人来談」のような業者の募集広告が、いくつも発見されている事実を指摘したい。日本兵の月給が10円前後の当時、この高給なら応募者は少なくなかったろうから強制連行する必要はなかった。




《朝鮮戦争でも韓国軍慰安所》


 朝鮮人捕虜が「そんなことをやれば、朝鮮人の男たちが反乱を起こすだろう」と、米軍の尋問に答えた記録も残っているぐらいで、事は朝鮮人男性のプライドに関わってくる。しかも、警察官の7割以上を朝鮮人が占めていた朝鮮総督府が、植民地統治の崩壊を招きかねないリスクを許容したとは思えない。


 橋下氏の論点の(2)と(3)については、第二次大戦中ばかりではなく朝鮮戦争やベトナム戦争中も、参戦諸国が慰安所ないし類似の施設を運営したのは、紛れもない事実だが、ここでは、最近になって明るみに出た朝鮮戦争期(50~53年)における韓国軍の慰安婦事情を紹介しよう。


 調査したのは、宋連玉編『軍隊と性暴力』(現代史料出版、2010年)の第7章を執筆した金貴玉氏(漢城大学教授)で、韓国陸軍本部で1956年に刊行された『後方戦史(人事篇)』の記述から、軍慰安所の存在を知ったという。それによると、陸軍本部が施設を設置した理由は、軍人の士気昂揚(こうよう)、性欲抑制から来る欲求不満の解消、性病対策からだったとされる。


 書類上は「第5種補給品」と呼ばれた4カ所、89人の慰安婦に対し、52年だけで延べ20万4560回(1日当たり6・5回、時には20~30回)の性サービスが「強要」されたことを示す実績統計表も付されている。




《歴史問われるべきは韓国も》


 しかし、陸軍本部が関連史料の閲覧を禁じ、ようやく見つけた2人の元慰安婦も「証言を拒み、涙と沈黙で答えるのみ」なので、金貴玉氏の調査は難航を極めたらしい。メディアも沈黙し、進歩的男性たちからさえ「身内の恥をさらし、日本の極右の弁明材料にされる」と警告されながらも、彼女はひるまなかった。


 ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に挙行される慰安婦デモに同行した学生たちは、「日本を批判すると同時に、韓国人も歴史認識について反省しなければ」と発言するようになり、「韓国軍性奴隷の問題を隠し続け、今でも反省の色を見せていない」韓国の国家権力を批判する。


 「なぜ日本だけが…」と憤慨する橋下発言の(3)と通じ合う「総ざんげ」の志向と見ることもできるが、残念ながら、当分はマイノリティーの域にとどまるだろう。

 韓国の挺対協などの支援組織、反日の韓国系米国人ロビイストたち、それと連帯して、「身内の恥」(慰安婦問題)を小学校教科書に載せるべきだと主張する日本の自虐派、「極右」の弁明かと誤認されるのを恐れて沈黙する政治家たちという裏返しの構図は、今後もマジョリティーとして変わらず、橋下バッシングに励みそうな気がする。(はた いくひこ)














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放置された「昭和の不平等条約」

2013-05-03 08:50:03 | 正論より
5月3日付      産経新聞【正論】より


放置された「昭和の不平等条約」

「国民の憲法」考    評論家、拓殖大学大学院教授・遠藤浩一氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130503/plc13050303100001-n1.htm



 ■吉田も当初は現行憲法に疑問


 幣原喜重郎内閣外相として、さらには首相(第1次内閣)として現行憲法の制定・施行作業に携わった吉田茂は、憲法草案ができるまでの過程について、「外国との条約締結の交渉と相似たものがあった」、むしろ「条約交渉の場合よりも一層“渉外的”ですらあった」と証言している。併せて、日本側が「消極的」「漸進主義的」であったのに対し、総司令部側は「積極的」「抜本的急進的」だった、とも(『回想十年』)。


 現行憲法の本質が端的に語られていると思う。


 被占領期、すなわち主権が停止した特殊な時期に、日本国憲法は勝者と敗者との渉外交渉によって成立した。「条約締結」の目的は勝者による完全かつ円滑なる敗者の支配にあり、そのためには「抜本的急進的」にわが国の精神と諸制度を解体する必要があった。

 いってみれば当時のわが国は「昭和の不平等条約」を呑(の)まされたわけである。不平等条約であればこそ、諸国民の公正と信義は信頼するけれども日本国及び日本国民は信頼に値しないと言わんばかりのいびつな思想が罷(まか)り通る。

 吉田は「新憲法た(な)のだるまも赤面し」との戯(ざ)れ句を残しているが、後に護憲派に転じる姿をみせた彼も、制定当初は恥ずかしい憲法だと思っていたらしい。

 幕末から明治維新にかけて欧米列強との間で取り交わされた不平等条約は「百弊千害日に月に滋蔓(じまん)」させる代物だった。明治の為政者たちは条約のすみやかな改正こそ「維新中興に随伴する重要問題」と考え、行動した(陸奥宗光『蹇蹇録(けんけんろく)』)。およそ40年をかけて改定にこぎつけたのだが、相手のあることだから、苦労は尋常ではなかった。

 昭和の不平等条約も「百弊千害日に月に滋蔓」しているにもかかわらずそして専ら日本人自身の決断で改定できるにもかかわらず、こちらは施行から66年になるというのに放置されたままである。






 ≪岸は改正目指して果たせず≫


 筋論からいえば、本来主権回復と時を措(お)かずに自主憲法制定に着手しなければならなかった。ところが、吉田は現行憲法を維持しつつ国際社会に復帰する道を選んだ。世論の反発を恐れたのではない。北朝鮮による韓国侵攻(朝鮮戦争)を目の当たりにすれば、さすがの日本人も、「諸国民」には信頼できそうな者とそうでない者があることに気付いた。世論は再軍備を支持し始めていた。

 他方、アメリカも日本は敵ではなく友たり得ると得心した。講和の予備交渉の過程で米国は日本に再軍備を求めたが、これはほんの4年前に自らが押しつけた憲法-すなわち不平等条約の改定をあちら側から求めてきたに等しい。

 これに対して吉田はあくまでも護憲を貫いた。少なくともそういうポーズをとった。そこで選択したのは、日米安保条約を締結して、数年前まで敵国だった米国に日本の安全保障を委ねるという奇策だった。ところが第1次安保条約には米国による日本防衛義務の不明記など重大かつ屈辱的な欠陥があった。

 全面講和論を退け、自由陣営の一員として主権を回復させたのは吉田茂の偉大な業績である。岸信介も「戦後最高、最大」の決断、と絶賛している(『岸信介回顧録』)。とはいえ、“不平等条約”を放置したままでは、独立を完成したことにはならない。そこに岸の問題意識があった。

 自由民主党結党を主導し、3代目(実質的には初代)の総理・総裁となった岸は、「真の独立」をめざした。それは結党時の自民党の党是でもあった。「親米」と「自立」を両立させようと、彼は決意した。

 具体的には、第1に経済成長策によって経済基盤を確かなものにする。第2に日米安全保障条約をより双務的なものに改定する(岸自身の表現では「日米関係の合理化」)。そして第3に憲法改正によって独立を完成する。





 ≪岸、吉田の孫に継がれた天命≫


 第1の課題は池田勇人通産相の献策を採用し、軌道に乗せた。第2についても反安保騒擾(そうじょう)の中、決死の覚悟で決着させた。しかし第3の憲法改正は実現せぬまま退陣を余儀なくされた。

 弟の佐藤栄作が首相だった頃まで、ひそかに政権復帰を考えていたと、岸は自ら述べている(『岸信介証言録』)。後任の池田内閣以降、憲法改正への意欲が急速に薄れていったことに危機感を抱いた彼は、自らの手で憲法改正方針を政府として打ち出したいと考えたのである。

 岸の政権復帰は実現しなかったが、孫の安倍晋三首相はいったん辞して、再び政権に就いた。「戦後レジームからの脱却」を実現するためである。憲法改正がそれに随伴する重要問題であることは論を俟(ま)たない。吉田の孫・麻生太郎財務相と手を携えて「昭和の不平等条約」改定を実現するのは、天命というべきであろう。(えんどう こういち)














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日本人に生まれて、まあよかった 

2013-04-03 12:49:29 | 正論より
4月3日付    産経新聞【正論】より


日本人に生まれて、まあよかった    比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130403/plc13040303080006-n1.htm


 明治42年9月2日、夏目漱石は大学予備門同窓の満鉄総裁中村是公の招きで満州に向かった。『満韓ところどころ』は大連、旅順、二〇三高地、奉天まで、満鉄を中心とする日本人の植民地経営見聞記で、10月17日に帰京するとすぐ朝日新聞に連載、年末に打ち切った。奉天まで書けば、満鉄のPRはもう十分と思ったのだろう。



 ≪漱石の見聞記『韓満所感』≫


 漱石はその先、長春、ハルビンまで北上し、次いで韓国に南下してなお見物したのだが、続きは書かずに終わった。そこが物足りない。というのは、50日間の大名旅行から帰国直後、伊藤博文がハルビン駅頭で暗殺されたからだ。

 そのプラットホームは、つい先日、漱石の靴の裏を押し付けた所だ。倒れんとした伊藤公を抱きかかえたのは中村是公だ。負傷した田中清次郎は満鉄理事の社宅ですき焼きを御馳走(ごちそう)してくれた。当然漱石は強い刺激を受けたはずだ。なのに触れない。となるとあれは『満韓ところどころ』ではない、『漱石ところどころ』だと揶揄(やゆ)された。胃痛の話ばかり出てくる。体調が悪いと文章も冴(さ)えない。

 だが漱石は、伊藤公狙撃の凶報に触発されてやはり書いていた。記事は11月5、6日付のトップに掲載されたが、満洲日日新聞は発行が大連なものだから、『漱石全集』にも洩(も)れたのである。黒川創が見つけて、新潮2月号に出たこの『韓満所感』を読むと、漱石は植民地帝国の英国と張り合う気持ちが強かったせいか、ストレートに日本の植民地化事業を肯定し、在外邦人の活動を賀している。



 日韓併合に疑義を呈した石黒忠悳や上田敏のような政治的叡智(えいち)は示していない。正直に「余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た」「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた」と書いている。「まあ」に問題はあろうが、ともかくも日本帝国一員として発展を賀したのだ。


 新発見を報じた産経新聞はそんな漱石の結論も載せたが、朝日新聞には肝心のその感想がない。さては漱石発言を差別的と感じて隠蔽(いんぺい)したかと疑ったら、後の同紙文芸時評に「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた」を引き、「この当代きっての知識人さえもがこうした無邪気な愛国者として振る舞っていたのか、といううそ寒い感慨」に囚(とら)われたと松浦寿輝氏が書いている。私は東アジアの中で日本に生まれた幸福を感じているから、漱石の自覚はまあそんなもので、「うそ寒いは嘘だろう」と内心思った。





 ≪中国批判抑制要求に「ノー」≫


 何でそんなことを言うかといえば、私は1974年、『西欧の衝撃と日本』を書いて編集者ともめた。当時は日中国交回復で一大友好ブームとなった。すると歴史書の内容の書き換えを求められたのである。「現時点ではソ連の批判は宜(よろ)しいですが、中国については批判めいたことはお控え願えませんか」。私はきっぱり断って原文のまま出版した。そして前書きに「二十世紀の後半、東アジアの諸国の中で日本のように言論の自由が認められている国に生を享けたことは、例外的な幸福である」と書き足した。日本人に生まれて、まあよかったという意味である。

 学問や言論の自由がある日本に生きてよかった、と大学を去る時も教授会で挨拶(あいさつ)した。余計な気兼ねなしに率直に書いた私の歴史書は、マッテオ・リッチや東西の試験制度や黄禍論など中国の問題も視野に入れて論じたせいか、東アジアの留学生の間で好評だった。




 ≪中韓がはまった精神の蟻地獄≫


 植民地主義は二級市民を生むが故に悪だ。韓国では伊藤博文を暗殺した安重根を義士として讃(たた)える切手も出した。だが世の中には植民地主義よりさらに悪い一党独裁制もある。大陸は台湾の併合を狙うが、教育水準の高い台湾に根付いた民主主義が大陸に広まる方が人民共和国国民にも幸せだろう。しかし、中南海の新政権担当者は中華文明至上のアイデンティティーを護(まも)ると称して西洋文明を拒否し民主主義を受け入れるまい。


 保守的富裕層は「中国対西洋」という二項対立の自己防御的思考に陥る。西洋を他者と捉え、非西洋的なものとして中国民族主義の自己を規定しようとする。それゆえ、人権、民主主義、文化多元主義などの「西洋的」価値を否定する度合いが強ければ強いほどより純粋な愛国者と見做(みな)されるという「精神の蟻地獄(ありじごく)」にはまり込む。


 それはいってみれば、韓国で自国の業者によって斡旋(あっせん)された女性をも、他国の軍によって強制的に連行されたといい、虚言癖の人の発言のみを引用し、その数を多く増やして述べるほど純粋な愛国韓国(朝鮮)人と見做されると信じる、憎日主義的愛国主義の倒錯に似ている。慰安婦像を建てれば建てるほど韓国の名誉になるというのか。そのうちに従軍慰安婦の愛国記念切手でも出すつもりか。

 渋谷には米兵相手の女性が彼らに送る手紙を代書した恋文横丁の記念碑はあるが、そうした女性たちの像などは米国大使館の前にない。私はそんな日本に生まれて、まあよかった、と感じている。(ひらかわ すけひろ)









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多数形成へ石を食む気概ありや

2013-03-28 08:55:48 | 正論より
3月28日付     産経新聞【正論】より




多数形成へ石を食む気概ありや   拓殖大学大学院教授・遠藤浩一氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130328/elc13032803140000-n1.htm




 自民党がまとめた衆議院選挙制度改革案の評判がよくない。

 小泉進次郎・自民党青年局長は「選挙制度は分かりやすい方がいい。民意をそのまま受け止めないで、民意を変える装置を組み入れるみたいなもの」(3月22日)と批判している。同感だ。





 ≪自民の選挙改革案の不評≫


 比例選挙の定数を30削減して150にするのは、まあいい。問題はその先だ。90議席は現在の方法で配分し、残りの60議席については得票数2位以下の政党に分配するという。

 こうした中小政党優遇策が罷(まか)り通れば、第一党に投じられた票は、第二党以下が得る票より価値が低くなり、新たな「一票の格差」(伊吹文明衆院議長が指摘する「憲法上の問題」)が生じるのは明らかである。自民党自身、民主党政権時代に提起された中小政党を優遇する連用制について、違憲の疑義を指摘していたではないか。

 場合によっては、第一党と第二党の獲得議席が逆転する可能性も出てくるが、それを防ぐために別の工夫を加えれば、制度はより複雑になり、矛盾を増幅させる。

 選挙には民意の「反映」と「集約」という2つの機能がある。両者の間でいかに平衡を保つかが常に問われるのだが、これがなかなかに難しい。前者に偏れば政治は安定性や機動性を失うし、後者に傾けば敗者に投じた人々の不満が鬱積する。

 誰もが得心する完全無欠な制度を構想することがそもそも困難なのだから、その意味で、選挙制度とは本質的に「分かりにくい」ものともいえる。そこにきて、このたびの自民党案は(かつての民主党案と同様に)、民意の「変更」を制度化しようとしている。邪道である。

 ところで、「民意を変える装置」に首を傾(かし)げる小泉氏にしても、「各党の賛成を得ることができない中で生まれた苦肉の案。今さら本筋論を言って通るのかというと、難しい状況だとも思う」と、なんだか腰が引けている。





 ≪害あって益なしの公明優遇≫


 「各党」といっても、公明党以外の野党は、この案には否定的ないし冷淡なので、実態は公明党の賛成を得るための案にほかならない。つまり制度としての合理性や有効性を追求して多くの党の賛同を得ようとしているのではなく、当面の政略上・政局上の要請からとりあえず公明党の賛同を得るために導き出された「苦肉の策」なのである。

 ならば、自民党にとっての政略上の観点からみて、この選挙制度改革案は有益といえるだろうか。むしろ有害無益ではないのか。

 第1に、特定の政党に過度に配慮して選挙制度を不合理なものに改めるのは、民主主義の基本ルールの翻弄であり、畢竟(ひっきょう)、議会制民主主義の衰退をもたらす。その責めは自民党が負うことになる。しかもそうまでして、「連立政権のブレーキ役」(山口那津男公明党代表)たることを公言する政党との協力関係の固定化をはかれば、将来、連立組み替え、あるいは政界再編を進める上で禍根を残すだろう。他方、公明党にしても見え透いた政党エゴの追求は、有権者の反発を買うので、賢明な選択とはいえまい。

 第2に、万年野党に甘んじる政党ならいざ知らず、自民党は政権担当すなわち第一党たらんことを有権者に訴えて選挙に臨み続ける政党の筈(はず)、である。にもかかわらず、自党支持者の「一票の価値」を低減させ、本来獲得すべき議席を第二党以下に譲渡するような制度を率先して導入するのは、支持層に対する背任である。党勢回復基調に水を差しかねない。





 ≪憲法改正へ関門さらに高く≫


 第3に、第一党が身を削って中小政党に議席を分配しようという姿勢は一見謙譲の美徳を示しているかに見えるが、政党、とりわけ政権政党にとって最も重視されるべき美徳は責任ある政策遂行であり、そのためには安定した多数議席を確保することが死活的条件となる。他党への安易な議席譲渡は公党として責任放棄でしかない。

 しかも、自民党は憲法改正を党是に掲げる政党である。安倍晋三首相は当面、改憲要件を緩和するための96条改正をめざすとしているが、これとて衆参両院で3分の2以上の賛同を得なければ実現できない。党是を実現するために、自民党は石を食(は)んでも、泥水を啜(すす)っても、多数派を形成しなければならないのである。ここで中小政党に議席を再分配する制度を導入するならば、憲法改正へのハードルは、もう一段高くなる。

 本格的に選挙制度を改革するには、衆参両院のそれを連動させて構想する必要がある。両院の性格と機能を再定義した上で、民意の「反映」と「集約」を適切に実現する制度の再構築をめざすのが本筋だろう。場合によっては、そのための憲法改正が必要となる。一票の格差是正を迅速、誠実に進めるのは当然としても、本格的な選挙制度改革はこれとは切り離し、参院選後に腰と腹を据えて取り組むべきではないだろうか。(えんどう こういち)







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竹島を「聖地」にした韓国の甘え

2013-02-22 10:19:44 | 正論より
2月22日付    産経新聞【正論】より


竹島を「聖地」にした韓国の甘え    筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://sankei.jp.msn.com/world/news/130222/kor13022203220000-n1.htm


 冷戦期、朝鮮半島は共産主義勢力と自由主義勢力とが拮抗(きっこう)するバッファーゾーン(緩衝地帯)だった。大国が直接接触する危機を避け、北朝鮮と韓国という小国同士が代理で思想戦・心理戦を繰り返す。それでも小さな軍事衝突は避けられず、世界規模の冷戦が終わってもそれは続き、その度に両陣営の心胆を寒からしめてきた。



 ≪北をいかに自死させるか?≫


 問題は、この小国たちが大国からの自立を試みたことにあった。北朝鮮は、核・ミサイルの開発に特化して、武力発展を遂げた。一方の韓国は外資を導入し、貿易に特化して、経済発展を遂げた。

 北朝鮮はその結果、国内の生産体制が崩壊して、中国の経済植民地状態に陥った。金を借りることもできず、買ってもらえる商品も作れない。米国を核・ミサイルで挑発し、中国にたかる。北朝鮮のバッファーゾーンとしての存在価値はゼロを超えてマイナスになった。北を静かに自死させるにはどうしたらよいか。今、周りの国々は密(ひそ)かにそう思い始めている。

 韓国はというと、外資占有率と貿易依存度の異常に高い国になった。利益を外国投資家に持って行かれる一方、輸出を増やして国内総生産(GDP)の半分以上を賄う。米国から金を借りて中国に商品を買ってもらう。米中のバランサーになるというのが彼らの理想だったが、現実には、どちらにもすり寄り、どちらにも内心の敵意を燃やすという一国バッファーゾーンとなった。私が前に本欄で説いた「韓国の出島化」である。


 韓国が一国バッファーゾーンとしての役割を全うするには、順調な貿易、特に対中輸出を維持するか伸ばすかしなければならない。だが、「アベノミクス」は円高を是正し、韓国のウォン安時代は終わることになる。日本製品が安くなれば、わざわざ韓国製を買う必要がなくなるのも道理である。

 また、米国は10年前から在韓米軍の削減を実行している。韓国は安全保障への米軍の関与を維持しようとし、韓国軍の指揮権引き継ぎを2015年末まで延ばしてもらった。だが、在韓米軍の撤兵は続く。代わりに、韓国の弾道ミサイル射程を800キロまで伸ばすことで米韓両国政府は合意した。




 ≪南には助けず教えず関わらず≫


 貿易面で対中依存、安保面で対米依存が減じれば、韓国は済州島の海軍基地の完成後、中国船舶を引き入れる可能性がある。バッファーゾーンであるよりもバランサーでありたいという意識が、欠損を埋めようとするからである。


 韓国の最も大きな誤認は、地図上の大国に事大主義で仕えている限り、日本を敵に回しても構わないという甘えであり、この甘えが日本の防衛、ひいては、東アジア全域の安全保障に重大な危機をもたらすということがあり得る。


 従って日本は、あくまでも韓国をバッファーゾーンに固定するように施策を練る必要がある。とりあえず、「助けない、教えない、関わらない」という3カ条で、韓国の甘えを断ち切り、バランサーが夢であることを自覚させることから始めたい。経済で困っても助けない、企画や技術を教えない、歴史問題などで絡んできても関わらない。これが日本にはなかなかできない。努力が必要である。


 「出島化」した韓国には内憂が付きまとう。大財閥がGDPの70%余を稼ぎ出し、サムスン電子が22%を占める。民族の行動パターンは李朝と同じ。財閥企業のエリートが両班(ヤンバン)であり、一般人は常民(サンノム)だ。常民はカードの束をトランプのようにし、消費して遊ぶ。彼らの家計負債はGDPの80%に達した。




 ≪日本を敵に回さぬ朴槿恵氏≫


 ヤンバン・サンノムの階級選別は大学入試という「科挙試験」で固定化され、敗者復活戦のない、希望のない差別社会が生まれ、自殺率は経済協力開発機構(OECD)諸国随一となった。次期大統領、朴槿恵氏のスローガンは「幸せな国にします!」、である。


 周辺諸国が韓国に望むのは、経済の現状維持と突出しない政治行動であり、「出島化」の推進である。これには朴氏は適任だろう。今、東アジアの政治指導者は期せずして、全員、「良いうちの子」になった。中国の太子党の習近平総書記、韓国の朴正煕元大統領のお嬢様、槿恵氏、日本の岸-佐藤-安倍家のサラブレッド、安倍晋三首相、北朝鮮金王朝3代目の王子様、金正恩第1書記。北朝鮮指導者には幼稚さの点で若干の問題が残る。韓国の次期大統領は「良いうちの子」だから、現大統領の竹島上陸のような突拍子もない行動を取り、日本国民を一気に敵に回す大見えは切らないだろう。


 今日はその「竹島の日」だ。


 北朝鮮には、金王朝発祥の地で民族の聖地である白頭山(中国領は長白山)がある。韓国には長く聖地がなかったが、日本からもぎ取った竹島を、不当にも、「独島(ドクト)」と改名して反日の聖地とした。聖地には、北でも南でも詣でる人々が引きも切らない。「ウソも通ればめっけ物」の国々である。うっかり深く付き合ったり共生したりしてはならない。(ふるた ひろし)












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中国の「非合理的行動」に備えよ

2013-01-22 09:33:31 | 正論より
1月22日付    産経新聞【正論】より


中国の「非合理的行動」に備えよ    防衛大学校教授・村井友秀氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130122/plc13012203320003-n1.htm



「2013年、海洋強国に向け断固、歩み出す」(中国共産党機関紙、人民日報)。中国は、東シナ海や南シナ海で海洋監視船、漁業監視船や海軍艦艇の活動を強化して、「多彩なパンチを繰り出している」(同国国家海洋局)。



 《尖閣棚上げ論は過去の遺物》


 その国家海洋局の航空機が12年末には、尖閣諸島の日本領空を侵犯した。沿岸国の利益を侵害しない限り「無害通航権」が認められている領海とは異なり、政府機関の航空機が許可なく領空に侵入すれば重大な主権侵害である。棚上げ論など一顧だにせず、日本との対決をエスカレートさせている中国は、日本との軍事衝突をどのように考えているのであろうか。


 中国共産党は中国本土を制圧すると同時に朝鮮戦争に介入し、台湾の島を攻撃し、チベットを占領した。1960年代になると国境をめぐりインドやロシアと軍事衝突し、70年代に入るとベトナムからパラセル(西沙)諸島を奪い、さらにはベトナム国内に侵攻し、「懲罰」作戦を行った。80年代には南シナ海でベトナム海軍の輸送艦を撃沈し、90年代にはフィリピンが支配していた島を奪った。


 中国共産党は戦争を躊躇(ちゅうちょ)する政権ではない。彼らにとり、国境紛争のような小さな戦争は平和時の外交カードの一つに過ぎない。


 中共は、核心的利益である「固有の領土」を守るためには戦争も辞さないと主張している。それでは、中国の固有の領土とは何であろうか。中国の領土について次のように説明されることがある。


 「一度、中華文明の名の下に獲得した領土は、永久に中国のものでなければならず、失われた場合には機会を見つけて必ず回復しなければならない。中国の領土が合法的に割譲されたとしても、それは中国の一時的弱さを認めただけである」(Francis Watson、1966)。中国の教科書では、領土が歴史的に最大であった19世紀中葉の中国が本来の中国として描かれ、「日本は中国を侵略し、琉球を奪った」(『世界知識』2005年)との主張が今でも雑誌に掲載されている。





 《ミスチーフ礁を奪った手口》


 フィリピンが支配していたミスチーフ礁を中国が占拠した経過を見れば、中国の戦略が分かる。

 中国がミスチーフに対し軍事行動を取れば、米比相互防衛条約に基づき米軍が介入する可能性は高かった。そうなれば、中国はフィリピンを屈服させることはできない。時のベーカー米国務長官は、「米国はフィリピンとの防衛条約を忠実に履行し、フィリピンが外国軍隊の攻撃を受けた場合には米国は黙認しない」と述べていた。

 したがって、1974年のトウ小平・マルコス会談、88年のトウ・アキノ会談で、トウは問題の棚上げを主張したのである。軍事バランスが中国に不利である場合、中国は双方が手を出さないように主張する。将来、ミスチーフ礁を獲得するために当面は問題を棚上げし、相手の行動を封じたのである。


 91年9月、フィリピン上院が米比基地協定の批准を拒否し、92年11月に米軍がフィリピンから撤退した。第二次大戦中に建造された旧式駆逐艦1隻を有するフィリピン海軍は中国海軍の敵ではない。フィリピンのマゼタ国防委員長は「フィリピン海軍としては軍事力による防衛は不可能で、戦わずに撤退せざるを得ない」と発言している。中国はミスチーフ礁問題に米軍が介入する可能性が低いと判断し、問題の棚上げを放棄して95年にミスチーフ礁を占領した。





 《軍事バランス維持し抑止を》


 トウは尖閣についても、日中軍事バランスが中国に不利であった78年に棚上げを唱えている。「棚上げ」は時間を稼ぎ、不利を有利に変える中国の戦略である。中国の危険な行動を抑止するには、軍事バランスが日本に不利にならないようにすることが肝要である。


 ただし、軍事バランスは相手の合理的な判断に影響を与えるが、相手は常に合理的に行動するとは限らない。人間は感情に動かされる動物である。人間は何かを得ようとして失敗するときより、持っているものを失うときにより大きな痛みを感じ、失うまいとして、得ようとするときより大きなコストに耐え、あえてリスクを取る傾向がある(プロスペクト理論)。

 尖閣に関して中国が本来自分の領土ではない島を日本から奪うと認識していれば、あえて軍事行動といった大きなリスクを取ることはないであろう。しかし、失った「固有の領土」を取り戻すと中国が本気で認識していれば、大きなコストに耐え、軍事行動という危険を冒す可能性が高くなる。

 「国家には我慢のできないことがある。国家の名誉、統合性、領土などに対する攻撃は我慢の出来ないことであり、こうしたことに対してはあえて危険を冒すものである」(ネルー・インド首相)

 とすれば、中国が日本から見て合理的な判断を常に下すとは限らない。軍事バランスを維持し「合理的な中国」に対する抑止力を高めると同時に、想定外の事態を想定して、「非合理的な中国」に備えることが防衛の基本である。(むらい ともひで)











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「安全運転」だけの内閣でいいか

2012-12-27 09:24:46 | 正論より
12月27日付     産経新聞【正論】より



「安全運転」だけの内閣でいいか    評論家、拓殖大学大学院教授・遠藤浩一氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121227/plc12122703080003-n1.htm


 第2次安倍晋三内閣が発足した。熟慮を重ねた人事の狙いは、来夏の参議院選挙までは外交・安全保障などでは「安全運転」を心がける一方で、経済再建に全力を傾注し、実績を上げて選挙に臨み、“ねじれ”を解消しよう、ということのようである。



 ≪政権維持が自己目的化しては≫


 政権が1年や2年で頻繁に交代する事態は好ましくないと、誰もが言う。だったら、ここは安倍氏に長期政権を託せばよさそうなものだが、国民はそこまで腹をくくっていないし、なにせ同氏への一方的な批判を社是とする新聞社もあるのだから、いつ足を引っ張られるか知れたものではない。ここは「安全運転」にしくはなし-。

 まあ、この程度のことは、誰もが考える。筆者も、当面の方針として、これもやむなしと思う。


 しかし、「安全運転」とか「まずは経済」といったスローガン自体に罠(わな)がひそんでいることも、承知しておいたほうがいい。

 言うまでもなく、第二次安倍内閣の使命は経済再建にとどまるものではない。外交・安全保障、教育など、戦後の長きにわたって歪(ゆが)みを増幅させてきた諸分野の是正-安倍氏の表現を借りるならば「戦後レジームからの脱却」、あるいはその象徴的事案としての憲法改正こそが、本質的課題だろう。慎重な政局運営も、安定的な政治基盤の確立も、課題解決のための手段でしかない。


 ところが政治の現場では、目的が手段に呑(の)み込まれてしまうということが往々にして起こる。かつての自民党は、政権の維持という手段がいつしか目的と化し堕落していった。それは安倍氏自身、折節に指摘してきたところである。

 昭和30年に結党した自由民主党の党是は、経済成長・社会保障から国防・安全保障にいたる総合的な国家再建であり、自主憲法制定が中心課題だった。安倍氏の祖父・岸信介首相はその主導者だったが、安保改定で精力の大半を使い果たし、昭和35年、志半ばにして退陣する。





 ≪「古い自民」の轍踏んだ民主≫


 後継した池田勇人首相は「経済政策しかないじゃないか、所得倍増でいくんだ」(伊藤昌哉『池田勇人』)と、経済成長にナショナル・インタレストを特化させる路線を歩み、その後の自民党は政権維持のために分配を駆使する政党と化す。その遺伝子は自民党を経て民主党に継承された。3年3カ月にわたる民主党政権の惨めな失敗は、畢竟「古い自民党」の失敗にほかならなかったといえる。

 池田氏は、「自分の内閣では憲法改正を議論しない」と明言した最初の自民党総裁だが、政治指導者がそんなことを口走れば、豊かさを手にしつつあった国民が憲法改正に対して投げやりになるのも当然である。政治家の発言は良くも悪くも国民を動かす。そして、豊かさの獲得には、国家的課題への切迫感を麻痺(まひ)させるという副作用があった。「古い自民党」の最大の罪はこうした副作用を等閑に付し、しかも党是たる自主憲法制定から逃げてきたところにある。


 安倍氏がいま採用しようとしているのは一見、池田氏のやりかたのようにも見える。もちろんそれは、「古い自民党」から脱皮して日本を再建するという、真の「目的」を達成するための「手段」に違いないと信じる。しかし、政治家の便宜主義が憲法改正への切実感を麻痺させたという教訓を忘れてはならない。




 ≪安倍氏は所信を訴え続けよ≫


 その意味でも、「安全運転」とか「まずは経済」といった安易な便宜主義は曲者(くせもの)だ。国民に対して、勇気をもって自らの所信を、不断に、愚直に訴え続けることこそ肝要ではないか。


 さて、戦後一度首相を退いて再びその座に返り咲いたのは、昭和23年秋の第2次吉田茂内閣以来である。吉田氏は翌24年1月の総選挙で民主自由党を圧勝させ第3次内閣を発足して以降、復興と主権回復という難事業と、本格的に取り組むこととなるわけだが、このとき彼は、選挙での勝利に満足せず、民主党を分断して犬養健氏らの政権への取り込みをはかっている。保守合同によって「政局の長期安定を確保し、国家再建をなしとげたい」(『回想十年』)と考えたのである。

 安倍氏にとっても国家再建が究極の政治課題である筈(はず)だ。その前提として「政局の長期安定」が必要なのであり、そのためにいまのところ「安全運転」に徹するということだろう。しかし、自民党と公明党という枠組みの復活が、果たして「政局の長期安定」を保証するだろうか。安倍氏の構想する「国家再建」を実現することになるだろうか。


 自公政権の復活は、言ってみれば3年4カ月前の「古い政権」の再現でしかない。むしろ「維新の会」などを巻き込むかたちで保守政党の合同を実現することによって、はじめて国家再建への展望が拓(ひら)けるのではないかと思われるのだが、「安全運転」の自己目的化はその芽を摘むことになりはしないか? そんなこと、新首相は、百も承知だとは思うが。(えんどう こういち)














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