太田市長とれたて日記

清水まさよしが太田の元気をお届けします

かかし祭り

2007年09月14日 | Weblog

久しぶりに役所まで歩いてきた。
玄関先でごみ袋をもって職員T君が立っていた。役所のまわりの掃除をしていたらしい。「最近ブログ書いてませんよね。薮塚のかかしまつり、書いてくれませんか。きっと薮塚の人たち喜びますよ」。そういえば花火とかねぷたとか、派手目な祭りしか宣伝活動していない。打ち合わせに行って薮塚のかしましお母さん方にいわれたのだろう。
この春は、地域の人たちが子どもたちといっしょに田植えをした。かかし祭りのメイン会場にしようというものだ。そこにかかしが少なくては形にならない。
「かかしまつり」の宣伝はもっとしなければ、と反省であった。

 

「かかしまつり、どうしてくれるのよ」縁台トークで気合を入れられた。かしまし女性群たちに。「市長が悪い」からさびしくなってきたということだ。
とにかく出品作品が減っているという。以前は笠懸とか桐生とかからも出品があった。作品が多ければ賑わいもでる。東京からも見物にきた。去年出かけてみたが、今は合併前に比べればさびしくなったといわれるのも納得できる。
教育委員会にお願いした。消防署にもお願いした。
結果がものをいう。増えてくれればと願うばかりだ。

 

かかし祭りが終われば稲の収穫。
薮塚の子どもたちの田植えに招かれたが、そのときは用事があって腕を見せられなかった。
50年前の田植えの名人?である。迷人かな。
小学6年のころ、となりの人といつも競争だった。速かった。
私の後から祖母がだまって植えなおしをしている姿があったが、手伝いにきてくれているおばさんには負けたくなかった。機械で植える苗は弱弱しいが、あのころの苗はしっかりしていた。植え終わったあとを見渡すと、真っ青な水田に変わっていた。満足感があった。
稲刈りも名人?だった。
これも、祖母が刈りそこないの稲をだまって刈ってくれていた。手は小さく、握れる稲の束が限られる。小脇にかかえながら刈らねば負けてしまう。かなり雑になっていた。でも、おばさんには負けたくなかった。
「まさよしさんは速いね」とおばさんにいわれるのがうれしかった。負けたふりをしてくれていた。「速くったってあの刈り方じゃ・・」と祖母は思っていたはず。でも口には出さず目じりを下げていた。

 

今思い出しているが、かかしってあまり見たことがない。いやうちの田んぼや周りにかかしの記憶はない。
かかしくらいですずめを退治することなどできないとあきらめていたのかも・・。放ったらかしだったような気がする。
薮塚は丘陵があって、そこのすずめが田んぼに降りてくるのか。そして、穂をつばむのか。
かかし祭りの由来は聞いたことないが、回を重ねてきた理由はあるのだろう。

 

9月29日(土)から10月8日(月)まで、菊をつくったり地場産品をそろえたり、お客様を迎える準備は怠りなくやっています。
かかしを出品する方は急いで、また大勢のお客様を薮塚美人が待っていますのでいらしてください。


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