お疲れさま〜の〜こんばんわ🌆です😔
やっとこさぁ〜通りすがり〜の〜GW前のお仕事終了。
昨日のお仕事だったし、今回は本当にヘトヘト君。
まぁ…今回は、メインのメーカーの製造部門は、GWの最長の休みで…その間の資材の手配に頭悩む世界と…寒暖の差やら高温の環境の中で一斗缶の搬入やらで…疲れた。
明日から通りすがり〜の〜くま🐻のGWだよ!
色々とやらなければならない事だらけなので、気持ちを引き締めて、最前線基地での作業が待ってる。
そして、朝のネットニュースで、ドイツのフォルクスワーゲン社の「ゴルフ 50周年」ビートル後継モデル開発の裏舞台〜に凄い興味津々😊🎶
1960年代後半、世界は様々な変革を迎えていた。自動車業界でも新たな動きが見られた。フォルクスワーゲン(VW)においては、「ビートル」の後継車が模索されていた。
後の「ゴルフ」で、エンジニアやデザイナーたちは、大小様々な新型車のアイデアを練っていた。
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向かって左側がEA276、真ん中が初代ゴルフで、右側がEA266
ビートルの後継車は、VWにとって新型車1車種以上の使命が課せられていて、ビートルのアメリカ輸出に依存している状況はリスクをはらんでおり、1964年にアメリカから帰国し取締役に就任した、カール・H・ハーン(後に会長)は、「ビートルが心臓発作を起こせば、私たちの終わりを意味する」と当時述べてる。
何しろビートルは、空冷エンジンでリアエンジニアで後輪駆動するレイアウトも旧態化して…。
ビートルの後継車の開発作業は、この後1960年後半に、ウォルフスブルクで始まった。
例えば、試作の一つ「EA266」は、車体中央の床下にエンジンを搭載するユニークなフォーマットだった。
トヨタさんの初代エステマも車体中央の床下にエンジンを寝かせて搭載していたよなぁ〜凄い構造だったけど〜(´∀`*)ウフフ⭐⭐⭐
1970年代初頭までは、実験や開発、そして選択肢の排除の連続だった。
当時のデザイン開発の先駆者だった、イタリアのデサインスタジオのベルトーネや、ギアや、イタルデザインやピニンファリーナ関与していた。
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プロトタイプのEA266
1970/71年頃には、ビートルの後継車の基本案件が確立していた。それはフロントに4気筒直列エンジン搭載し、トランスミッションもフロントに配置し、時代で古びないボディデサインを組み合わせる。
いくつかの試作車の中で、1969年の「EA276」は、後のゴルフの多くの特徴を備えていた、フロントエンジン、大きなトランクリッド付きのハッチバック、トーションビームアクセルなどである。
ただボンネットの下には、ビートルと同じ空冷水平対向エンジンされており、信頼性と低コストが重視していた。
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EA266とハーン元会長と初代ゴルフ
しかし、空冷エンジンの時代は終わを告げようとしていた…。
EA276のデサインは先駆的だったが、量産に向けて、別のコンセプトモデル車両が開発されてて、その新型車はジョルジェット・ジウジアーロ氏(イタルデザイン)が手掛ける事になり、新たな時代がゴルフで始まった。
フロントエンジンと前輪駆動の時代だ。なお、この動きはVWでは、1972年に発表された「シロッコ」と「パサート」に寄って始動していた。またVWで最初のフロントエンジン・前輪駆動は、1970年に発表された「K70」でNSUがVWグループになっていたから、ラインナップの刷新を準備していたVWブランドで、発売されたのだった、ビートルを置き換えた事実、そしてその後の成功の大きさから、”革新的”と言う文脈で語られがちなゴルフだが、”満を持って”の登場でもあったわけだ。
まぁ〜何しろアメリカ市場でのビートルに売上を頼る世界で次に繋がる新型車の開発は慎重になるし、そんな中でも、良い塩梅のデサインコンセプトを見極めて、満を持っての初代ゴルフの登場なんだもんね😊🎶
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ビートルの後継のボツ案
今日も通りすがり〜の〜くま🐻の備忘録を読んで頂いてありがとうさんです😔
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