一昨日、若宮神社に行ってきた話を書いたが、実はもう一つ目的があった。
これは、私がかねてからずーっと思っていたことで、その実現を果たすことがついに出来たと言っても過言ではない。
国道495号線、この道は今まで何回通ったことだろう。もう数えきれない。いつも横目で見ながら通り過ぎていた。
なぜなら、隣の助手席にはそんなことには全く興味を示さない奥様が座っているからだ。
一昨日は、私一人で出かけた。チャンスである。今思えばこういうチャンスはいくらでもあったのだが、腰が重い。いざなってくれたのは福津市の広報のおかげである。
そう、そのもう一つの目的とは、「新原・奴山古墳群」をじっくり見てみたいということである。
この希望は、この古墳群(沖ノ島を含むここら一帯)が世界遺産に登録される前からあった。だから、長年の思いがやっと実現したのである。
この古墳群の場所はこの国道沿いに看板があるのですぐわかった。古墳群が見えてきたところに老人ホームの大きな駐車場があったので、ここに停めさせていただき歩いていった。歩き始めたらなかなか遠い。
この日は天気が良く午後4時ごろだというのに、日差しがまぶしくて強い。
日ごろの運動不足がたたりきつくて汗びっしょりだ。
たどり着いてみると、なんと、車で来れたではないか!!ちゃんとした道があった。
しかし、いい運動になった。
近づいてみると、小山のような古墳が並んでいる。説明書きには前方後円墳とかいてあったが、これはどう見ても円墳だろうと思われるものがあったが、豪雨によって何度か後円部の噴丘斜面が崩壊したとある。もとは前方後円墳だったようだ。
さらに、説明書きをよく読んでいくと、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しているとのこと。前方後円墳はヤマト王権とつながりが強い有力者の墓であることを示しており、また、5世紀~6世紀にわたり勢力を伸ばした古代豪族の宗像氏によって築かれたと考えられていますとのこと。
この辺りには、この「新原・奴山古墳群」以外にも、あちこちに古墳が点在している。
まさに、ここら一帯に強力な豪族が国を形成していたに違いないと思いをはせ、よく晴れ渡ったこの日、ここから見渡す景色に「古代のロマン」を感じた。
これは、私がかねてからずーっと思っていたことで、その実現を果たすことがついに出来たと言っても過言ではない。
国道495号線、この道は今まで何回通ったことだろう。もう数えきれない。いつも横目で見ながら通り過ぎていた。
なぜなら、隣の助手席にはそんなことには全く興味を示さない奥様が座っているからだ。
一昨日は、私一人で出かけた。チャンスである。今思えばこういうチャンスはいくらでもあったのだが、腰が重い。いざなってくれたのは福津市の広報のおかげである。
そう、そのもう一つの目的とは、「新原・奴山古墳群」をじっくり見てみたいということである。
この希望は、この古墳群(沖ノ島を含むここら一帯)が世界遺産に登録される前からあった。だから、長年の思いがやっと実現したのである。
この古墳群の場所はこの国道沿いに看板があるのですぐわかった。古墳群が見えてきたところに老人ホームの大きな駐車場があったので、ここに停めさせていただき歩いていった。歩き始めたらなかなか遠い。
この日は天気が良く午後4時ごろだというのに、日差しがまぶしくて強い。
日ごろの運動不足がたたりきつくて汗びっしょりだ。
たどり着いてみると、なんと、車で来れたではないか!!ちゃんとした道があった。
しかし、いい運動になった。
近づいてみると、小山のような古墳が並んでいる。説明書きには前方後円墳とかいてあったが、これはどう見ても円墳だろうと思われるものがあったが、豪雨によって何度か後円部の噴丘斜面が崩壊したとある。もとは前方後円墳だったようだ。
さらに、説明書きをよく読んでいくと、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しているとのこと。前方後円墳はヤマト王権とつながりが強い有力者の墓であることを示しており、また、5世紀~6世紀にわたり勢力を伸ばした古代豪族の宗像氏によって築かれたと考えられていますとのこと。
この辺りには、この「新原・奴山古墳群」以外にも、あちこちに古墳が点在している。
まさに、ここら一帯に強力な豪族が国を形成していたに違いないと思いをはせ、よく晴れ渡ったこの日、ここから見渡す景色に「古代のロマン」を感じた。