とぜんなかblog

2022年11月から透析生活が始まりました。
その透析について、思ったことや感じたことを綴っていきたいと思います。

キャッシュレス

2021-12-23 18:28:24 | 日記
 生まれて初めて、キャッスレス決済なるものをコンビニでやった。

私にとっては画期的なことである。

キャッスレスと言っても、クレジットカードや、キャッシュカードのことではない。

これだったら今までに何度も利用したことがある。

今回利用したのは、スマートホンでのキャッスレス決済だ。

先日、iPhone8から、最新式ソフトバンクのiPhone13に変えた。

なので、Paypayで支払ったのである。こんなに簡単だとは思わなかった。

以前、慣れないおっさんがレジでまごついていて、後ろに並んでいる人がイライラしているという話をよく聞いていた。

小心者の私はレジが混んでいない時を狙っていった。

何のことはないPaypayのアイコンをタップするとバーコードが出てくる。

それを店員さんに “ピッ” と読み込んでもらうだけだったのである。

現金より簡単だ。

うむ、これからはこれで行こう。

行ってきました熊本へ

2021-12-14 14:11:32 | 日記


 熊本へ行ってきました。

 1泊2日の旅である。

 1日目:阿蘇神社へ行ってきた。初めてのことである。

震災前の神社を知らない私にとって復興中の神殿の様子が分からないが、

大きなカバーに覆われているその姿を写真で想像するしかない。

もちろん、地震発生時の悲惨さはニュースで何度も見た。

計り知れないその悲惨な状況であっても、また、たくましく元の姿に戻ろうとしている。

立派な神社が出来上がることだろう。それはそれで素晴らしいのだが、来てみて一番感じたことは自分のうかつさであった。

 それは・・・

 “なぜ、震災前に見にこなかったのか!!”


これは大きなカバーに描いた絵です


 宿泊先の「アーデンホテル阿蘇」はでかくて広いホテルだが、いま一元気がない。

チェックインの時の雰囲気が暗い。お客様も少ない。閑散としていたとまでは言わないがそれに近い状況である。

これもコロナの影響か?

温泉は気持ちよかった。100メートルくらい離れたところにある“どんどこ湯”は宿泊客以外の人も入れるようになっていて、入浴客は結構多かった。

この “どんどこ湯” は人気のようだ。
 
 さて、一番楽しみの夕食。これはうまかった。湯上りの一杯の生ビールは格別だ。

この世にこんなうまい飲み物があるだろうか。

 料理もおいしかった。しかし、品数が多すぎた。多すぎて最後まで食べきれなかったことが悔やまれる。

食品ロスが叫ばれている今日、申し訳ないと思った。



 2日目:朝風呂にはいりバイキング形式の朝食後、大観峰から雲海が見えるということで行ってみた。

天気も良く朝は冷え込んでいたので見ることはできたらしいが “遅かった” 残念!

しかし、大観峰から見える景色は、何度見てもそのスケールの大きさと素晴らしさは何物にも代えがたい。

しかし、寒かったなあ。ダウンを着ていたがそれでも寒い。冬山を侮ってはいかんと思った。

草千里へも行こうと思っていたが、寒くて止めた。

途中放牧されていた牛さん(赤牛)がいた。昨日はごちそうさまでした。思わずつぶやく。

 熊本城。ここも地震で甚大な被害が出たところだ。熊本城は何度も行ったことがある。

が、震災後は初めてである。復興中の箇所があちらこちらあり、その為の土台やら足場やら、

観光客が見やすく入りやすいようにするための道などいろいろ造ってあるため、雰囲気が以前と違う。

熊本城と言えば難攻不落の名城として加藤清正が造ったとして有名だ。それを証明したのが「西南戦争」。

国内最後の内戦として語り継がれている。

その様子や、城主の移り変わりなどの歴史が、場内へ入ると詳しく説明してある。




さて、帰ろうかという時に、“熊本城おもてなし武将隊”の演武があるということで、それも見ることにした。

武将隊は全員で10名いるということでしたがこの日は4人。

この4人のメンバーが凄い。

ありえないメンバーだ。

大村吉前と飯田覚兵衛は清正の家臣なので解るが、黒田官兵衛、さらには薩摩藩の島津義弘までも居たのが

驚き桃ノ木山椒の木。

午前中と午後の1日2回、交代で演武をしているということだ。

一応動画を撮ってきた。この熊本城には1時間くらいのつもりでしたが、食事もせず、つい、2時間半以上も見学したことになる。


観光地で思ったこと、

①運動になる・・・広くて階段の上り下りが多くいい運動になった。

②大勢の観光客がいたが、皆さんほとんど、いや全部の人がマスク着用されている。
 日本人の律義さを感じた。阿蘇神社でも同じだった。
 ニュース等で見る欧米人のマスク着用の少ないこと。感染拡大は当然だと思う。

最後変なことを書いたが、楽しい旅でした。



熊本城おもてなし武将隊

こむらがえり

2021-12-11 14:39:56 | 日記
 1週間ほど前の朝、目が覚めていつものように“う~ん”と大きく「伸び」をした。

 すると、左足のふくらはぎが剥がれたのかと思うような激痛が走った。

 足がつるということはいままでにも何度かあった。

 その時は足の親指を反らして痛みを和らげていたもので、すぐに治っていた。

 ところが今回の件では、足の親指を掴むことが出来ない。

 親指を掴むには体を曲げなければできないのだが、ふくらはぎが痛くて痛くてそういう体制をとれないのである。

 そのくらい痛かった、時間と共にある程度の痛みは治まったものの、ふくらはぎの痛みは残った。

 階段が上り下りする度痛みが走る。湿布を張り、風呂に入ったときはよくもんだ。

 それでもなかなか完全に痛みはとれない。先日のボウリングが良くなかったのはそのせいだと自分の中で言い訳が出来た。

 うん、そうだ、そうだたんだ。ここにやっと結びつけることが出来た。

 何という屁理屈でしょう!!

田中理事長

2021-12-01 18:07:05 | 日記
 日大の田中理事長が逮捕された。このニュースをテレビで見た時、私はあの田中さんだったとは全然気付かなかった。
 
 変われば変わるものだ。悪の権化のようなその容姿。失望した。年齢は私と同じである。

 「田中さん」?まるで知り合いかのような書き方をしていますが、ただのファンだった一人です。

 フアンってどういうこと?と思われるかもしれませんが、若いころの彼はかっこ良かった。

「小学校低学年から相撲を習い始め、日本大学在学時相撲部の選手として活躍、3年生のとき学生横綱となった。1969年・1970年・1974年の3度アマチュア横綱となったのを始め、のべ34のタイトルを獲得し、1980年に現役引退。アマチュア相撲界の大鵬といわれた(ウィキペディアより)」

 彼は、このころのアマチュア相撲界では全国に名をとどろかせていた。

 私は相撲が大好きで、歳も同じということもあって、彼の強かった青年時代のことをよく覚えている。

 四つ相撲で、足腰が強くまわしを取ったら絶対負けなかった。

 まさに、大鵬のような力士だった。いや、力士ではないか、アマチュアだから選手か。

 私は、ぶつかりあう押し相撲より、四つ相撲の方が好きだった。

 例えば双葉山、若乃花、栃錦・・・古すぎる~!

 初代貴乃花、その息子の貴乃花、輪島、現役中に死去した玉の海などが好きな力士だった。

 田中選手はアマチュア横綱のころは、もっとかっこ良くてひかり輝いて見えたものだ。

 このような道を歩いていたとはつゆ知らず、久しぶりに見たテレビ画面の中の田中選手は当時の面影はまるでなかった。

 たくましくキリリと引き締まったあの姿はどこに行っちまったんだ!!

 ああ、時の流れを痛いほど感じる。