せっとせとになってる(ミラー!)

海馬社長を永遠に崇拝しながら、ボッチヲタ生活を送る
昔のよろずサイトのノリで雑食二次ヲタな日々(たまに三次)

歳月と生き死に

2009-12-02 01:29:32 | 語り
明日は弟・キダ名二の誕生日でして、海馬家と同じく5歳離れてるのですが、ふと思った…。

私が遊戯王&瀬人にハマった年齢にとうとう追いつかれたわけだ!!!!!!!!!!!

ズ━━Σ(*oωo;)━→…ン☆!!


ヘラヘラと「そっかぁ~もう5年かぁ~www」なんて構えていたが、そう考えてみると、とても恐ろしい事のような気がしてきたιι
てゆうかあっという間だった(´Д`)
確かに全速前進で毎日を生ききって、充実してたとも言えるけれども(悩)
この5年で大分脳味噌偏っただろうな同じ事しかしてないし…年も食ったなぁι

でも人生ってこんなもんかも?
何事もなさぬのなら長すぎるし、何かをなすのには短かすぎる、そんなもんさな(´・ω・`)

まだまだ瀬人を愛し足りないと感じる私がいる!


話は変わるが今夜の爆笑問題のニッポンの…何だっけ?(いい加減覚えたい)で、死生観の話してましたね。

アレを見て、私が子供の頃、母親に死について説明されてそれを初めて自分なりに理解しようとした時のことを、思い出した。
確かに「いなくなる」というニュアンスで説明されたし、そう理解しましたね~( ̄ω ̄)
粗方のみんなもきっとそうだろうな。
虫とか動物の死は勿論日常にあって、それはそれで認識してたワケだけど、やっぱり人の死だけは別だった気がする…
多分今もどこかでそうだ。
でも一方で「動かなくなる=死」の人の死も主に虚構の世界で沢山見てガッチリ身に付いてきて今日に至るワケで、
そういうとこでのせめぎあいというか揺らぎみたいなものが、多分いつまでも私を捕らえ続けるんだろうな~…(*_*)

てか、私ほどこの二つの死の溝が深い奴もそういまいて。

私が幼稚園の時に祖父が亡くなったが、私はついに一度もその死に顔を見ることはなかった。

「死=いなくなること」で終わって欲しい。
今もそうだ。
家族に何かあった時に、私は亡骸と対面できる自信がない。
一生それを受け入れぬまま、地の果てまで逃げ続けてしまいたいと思う(。┰_┰。)

その一方虚構や自分に無関係な世界に於ては、破壊的・暴力的なものを好み、「肉体的な死」━死姦的な趣味すらある私だ…。

(0□0∥)この間の溝は一体何なんだ!
この相容れぬ二つのものは一体…!

私がSでMなのとか、乙女なのに野獣なのとか、そういうあらゆる変態性がここに起因してるとしたらどうだろう。
…本を読め?
本は嫌いさ☆

この記事についてブログを書く
« それで名一と母親が扱い(Blog... | トップ | 肉♂が喰いたい »
最新の画像もっと見る

語り」カテゴリの最新記事