ジャン・ギャバンと映画人たち

Jean Gabin et ses partenaires au cinéma

アナベラ Annabella (1)

2015-09-20 | 女優


 アナベラは、1930年代前半、ヨーロッパで最も人気のあったフランス人のスター女優である。日本でもフランス映画を愛好する往年の洋画ファンの間では絶大な人気があった。アナベラ・ファンを激増させたヒット作は、なんといってもルネ・クレール監督の『巴里祭』(原題『7月14日』1933年)である。アナベラが演じたアンナという可憐な花売り娘は、下町のパリジェンヌの一つの理想のタイプと見なされ、とくに日本では、この映画同様、ヒロインの彼女も愛され続けた。いや、今でもフランス映画ファンの多くの人に愛され続けていると言えよう。
 私が映画『巴里祭』を初めて見たのはもう35年ほど前だが、その時、遅ればせながら私も、アナベラ・ファンになった。映画が作られたのもアナベラが花売り娘のアンナを演じたのも、その50年前のことだったにもかかわらず、アナベラを見て好きになり、こういうパリジェンヌを恋人にすることができたらどんなに幸せだろうと思った。



 最近また『巴里祭』を見直してみた。
 ストーリーは、パリの下町に住む花売り娘(アナベラ)とタクシーの運転手(ジョルジュ・リゴー)の相思相愛の二人が一度は喧嘩別れして別々の道を歩むが、偶然再会して、今度はほんとうに結びつくという、ごくありふれたものにすぎない。この二人の周りに、老若男女いろいろな人たちが出て来て、その人間模様がポンチ絵のように面白おかしく軽快に描かれていくわけだが、ルネ・クレール独特の小気味の良さと洒落っ気に溢れた楽しい映画であった。
 石畳の街路、古いアパート、その内階段と室内、高級レストラン、ビストロなど、舞台になっているパリの下町はすべて美術監督ラザール・メールソンの作ったセットなのだが、この舞台に現れる人々が人形劇のように躍動し、モーリス・ジョベールの音楽にのせ、淀みなく流れるような映像でこの映画は構成されている。
 クレールはその前に『巴里の屋根の下』(1930年)というトーキー第1作となる名作を撮っている。この映画も最近見直したが、こちらはまだ無声映画の特色が強く、主題歌のシャンソンをうまく使ってパリの街の雰囲気を出していた。『巴里の屋根の下』は、名場面も多く、味わい深い作品であるが、『巴里祭』と主役の男女だけを比べてみれば、アルベール・プレジャンとポーラ・イレリよりもジョルジュ・リゴーとアナベラの二人の方がずっと良い。後者の方が青春カップルらしく、ういういしさが感じられるからだ。『巴里の屋根の下』は、女好きのおじさん臭いアルベール・プレジャンが主役だが、『巴里祭』は可愛いアナベラが主役だからでもあろう。プレジャンの相手役をやったポーラ・イレリも、パリジェンヌではなく、彼女の出身地同様ルーマニア人という設定だったが、娼婦のように見えて、魅力がなかった。彼女は『巴里祭』にも出て、ジョルジュ・リゴーの元恋人でアナベラの恋敵を演じていたが、こっちの方が柄に合っていた。『巴里の屋根の下』を見て驚いたのは、アナベラが端役で顔を出していたことである。ビストロに座っている客の一人であったが、しっかり確かめたので間違いない。これは今回見て初めて気づいたのだが、アナベラはクレールのトーキー第2作『ル・ミリオン』で準主役の踊り子に抜擢され、続いて『巴里祭』で主役をやるのだが、すでに『巴里の屋根の下』にも出演していたのだった。
 『巴里祭』でアナベラが扮した花売り娘は、ルネ・クレールが創り出したパリのお伽話のような恋愛物語の中だけで生きている架空のヒロインなのだろう。しかし、そうは言っても、アナベラという女優あっての『巴里祭』である。彼女の個性と人柄がこのヒロインにぴったりはまって生き生きと描き出され、輝きを放っている。もちろんそれを引き出したのは監督のクレールで、クレールは、アナベラがたたずんでいる姿を、真正面からバスト・ショットで、何度も映し出している。彼女の住むアパートの窓辺、花かごを持って入っていくレストラン、建物の入口の前での雨宿り、ビストロのカウンターの中、などであるが、彼女一人の立ち姿が実にうまく映画の中で生かされている。台詞はなく、ただアナベラがこちらに顔を向けて立っているだけなのだが、その時の表情から彼女の思いや気持ちがこちらに伝わって来て、アナベラを一層愛らしく感じさせるのだ。

 恋愛映画の名作は、ヒロインあっての名作だと言える。恋愛映画の名作が古くならず、いつみても新たな感動を与えてくれるのは、男と女の恋愛がいつの世も変わらないからだと思うが、やはり映画の中で生き生きと輝いているのはヒロインであり、映画はヒロインの美しさとともに時代を超えて永遠に近い生命を持ち続けると言えるだろう。『ローマの休日』とオードリー・ヘップバーン、『風と共に去りぬ』とヴィヴィアン・リー、フランス映画では、『うたかたの恋』とダニエル・ダリューがそうである。アナベラは決して美人とは言えないが、『巴里祭』とアナベラは、作品の素晴らしさとヒロインの輝きから言って、上記の3本にひけをとらないと思う。

 私はアナベラ・ファンの一人であるが、では、アナベラが出演したほかの映画を何本も見ているかというと、そうではない。正直言って、デュヴィヴィエの『地の果てを行く』(1935年)とマルセル・カルネの『北ホテル』(1938年)の2本だけなのだ。それでアナベラ・ファンだと言うのはおこがましく感じるが、ほんとうは、『巴里祭』の花売り娘に扮したアナベラだけのファンだと言った方が良いのかもしれない。とはいえ、『巴里祭』と『地の果てを行く』と『北ホテル』はそれぞれ7、8回見ているので、アナベラの姿が私の目に焼きつていることだけは確かだ。この3本でアナベラに関してだけ言えば、『巴里祭』が抜群に良く、『北ホテル』はまあまあで、『地の果てを行く』は別にアナベラがやらなくても良かったと思っている。


『北ホテル』 アナベラとルイ・ジューヴェ

 『北ホテル』でアナベラはジャン=ピエール・オーモンとルイ・ジューヴェを相手役に、二人の間を揺れ動くパリジェンヌを演じたが、好演しているわりには引き立っていなかった。マルセル・カルネは、『巴里の屋根の下』と『ル・ミリオン』でルネ・クレールの助監督についていたこともあり、『北ホテル』はカルネ版『巴里祭』といった作品であるが、世代も作風もルネ・クレールとは異なり、クレールのように古き良きパリを楽しく洒落っ気たっぷりには描かず、『北ホテル』は、ドラマ性が強く陰影に富んだ作品になっていた。アナベラの役は、『巴里祭』の花売り娘の延長線上にあるのだが、悲劇的な人物に仕立てたため、かえってつまらないものになってしまったと思う。また脚本と台詞を書いたアンリ・ジャンソンが恋愛話を好まなかったらしく、アナベラが生かされていなかった。『北ホテル』は、ルイ・ジューヴェとアルレッティが印象に残る作品になったが、それはそれで良かったと思う。

 『地の果てを行く』でアナベラはジャン・ギャバンの相手役だったが、この映画はデュヴィヴィエが男同士の対決を描いたもので、アナベラは脇役であった。アナベラのアイシャという役は、モロッコのベルベル族の娘でキャバレーの踊り子だった。『巴里祭』のヒロインとは似ても似つかぬような化粧と衣装のエキゾチックな娘で、これがあのアナベラなのかと見違えるような役であった。民俗舞踊を踊ったり、カタコトのように思わせるフランス語の台詞を話したりする有様で、もっとまともな役でギャバンと共演してほしかったと思ったほどである。外人部隊の兵士のギャバンと愛し合って、結婚するのは良かったが、その時、互いに腕を傷つけ合って血を舐め合う場面があって、こんなことをアナベラにやらせていいのかと思った。が、最近、ギャバンの本を読んで知ったことなのだが、『地の果てを行く』にアナベラが出演したのは、ギャバンに対する友情出演だったことが分かり、納得がいった。
 ギャバンは『地の果てが行く』の撮影に入る前に、『ヴァリエテ』(1935年)というドイツの大手映画会社ウーファ社で製作された映画で主役のアナベラと初共演した。
 『ヴァリエテ』というタイトルはドイツ語で「サーカス」のことで、主役のアナベラは空中ブランコ乗りで、同じブランコ乗りの男二人に愛され、この三角関係がこじれて、片方の男がもう一方の男を殺そうとする内容だったという。この映画はまずドイツ語版が作られ、続いてフランス語版が作られた。この頃はまだ声優による吹き替えがなく、出演者をドイツ人からフランス人の俳優に入れ替えて作り直していた。すでにヨーロッパの人気スターだったアナベラは両方に主演し、フランス語版は男優をフランスから呼んで撮ったのだが、男の一人がギャバンで、もう一人がフェルナン・グラヴェだった。ギャバンは同僚を殺そうとする男の方を演じたという。
 『ヴァリエテ』のフランス語版はフィルムが失われたらしく、現在は見ることができない。また、『ヴァリエテ』のドイツ語版は日本で公開されたが、ギャバンが出演したフランス語版は日本では知られていない。また、ギャバンのフィルモグラフィでは『地の果てを行く』のあとに『ヴァリエテ』を記載しているが、これはフランスでの公開時期に従ったもので、製作時期は『ヴァリエテ』の方が先である。

 さて、ギャバンとアナベラは、ベルリンで『ヴァリエテ』の撮影時にかなり親しくなったようだ。ただし、私生活の上ではなく、仕事をしながら互いに好意を抱き、とくにギャバンの方がアナベラにいろいろ気をつかい、親切にしたようだ。二人の関係が恋愛にまで発展しなかったのは、アナベラが俳優のジャン・ミュラと結婚したばかりだったからである。
 アナベラ自身が語っている話では(アンドレ・ブリュスラン著「ジャン・ギャバン」)、アナベラがサーカスで使う熊に襲われ、足を挫いて、撮影が遅れてしまった時、ギャバンはフランスで『地の果てが行く』の準備があるのに、一言も文句を言わず、アナベラに優しくしてくれたそうだ。また、ギャバンは『地の果てを行く』の製作に大変な情熱を燃やしていたという。この時は、『地の果てを行く』にアナベラが出演する予定はまったくなかったのだが、『ヴァリエテ』の撮影が終わって、アナベラがフランスへ帰って田舎の別荘で休養していると、ある日突然、ギャバンからの伝言を持って製作主任が訪ねに来たそうだ。ギャバンの相手役のモロッコ人の女優が使いものにならないので、是非アナベラに代わって出てもらいたいのだという。それでアナベラは、ギャバンのためならと思い、すぐにオーケーし、その日の夜行列車に乗り、ギャバンと監督スタッフが待ち構えるパリの撮影所に直行したのだった。


『地の果てを行く』 ギャバンとアナベラ

 アナベラの話を少しだけ引用しておこう。

――この役どころは比較的小さな役だったので当時、なぜ私が引き受けたのか不思議がられました。でもそれはただ一つ、ジャンから折り入って頼まれたから、というほかはありません。(中略)彼のために私は出演したのです。ということはジャンという人はそれほど他人を動かす何か魅力のようなものを持っていたのです。

 アナベラというのは、もちろん芸名である。戦前の日本では、アンナベラと書いたり、その前はアンナ・ベラと書いて、ベラが苗字のように思っていた時期もあった。フランスの俳優や歌手は、ひと頃前まで、姓か名のどちらか一方、または愛称を芸名にしている人が何人もいた。こうした一語だけの芸名の方が観客や聴衆に親しみやすかったのだろう。男優ではフェルナンデル、ブールヴィル、女優ではアルレッティが有名である。
 アナベラという名前は、エドガー・アラン・ポーの詩に登場する女性名アンナベル・リー(Annabel Leez)から取り、映画監督のアベル・ガンスが彼女を大作『ナポレオン』(1927年)に出演させた時に付けたのだという。(つづく)



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