ジャン・ギャバンと映画人たち

Jean Gabin et ses partenaires au cinéma

ジャン・ギャバン年譜(4) Biographie de Jean Gabin(4)

2015-07-28 | ジャン・ギャバン年譜
(4)波瀾万丈の大戦中、戦後の低迷期(35歳~47歳

1939年
 7月、ジャン・グレミヨンの『曳き船』の撮影期間中にミシェール・モルガンと恋愛関係になる。
 9月、フランス、ドイツと開戦。第2次大戦はじまる。ギャバン、応召され入隊。『曳き船』の撮影は中断、ミシェール・モルガンとも離れ離れとなる。

1940年
 5月、除隊し、『曳き船』の撮影を続ける。
 6月、ドイツ軍、フランスへ侵攻。
 6月14日、パリ陥落。ギャバンはパリを逃れ、南フランスへ避難。
 妻ドリアンヌと別れる(離婚成立は2年後)。
 ニースに滞在。
 ミシェール・モルガンが渡米することになり、見送る。これが彼女との別れとなり、ギャバンは失意のうちに暮らす。

1941年
 2月、フランスをあとに、ポルトガルのリスボンから船でアメリカへ渡る。
 しばらくニューヨークに滞在し、ハリウッドへ行く。ダリル・ザナックとフォックス社の映画出演契約を結ぶ。憧れの女優ジンジャー・ロジャースに会う。
 この頃、マレーネ・ディートリッヒと出会い、恋愛関係になる。
 ディートリッヒとハリウッドの家で夫婦同然に暮らす。この家はグレタ・ガルボ所有で、隣りにガルボが住んでいた。渡米中のフランス人の映画関係者などを招いて会食する。


 ディートリッヒと

1942年
 フォックスで『夜霧の港』を撮る。にわか仕込みの英語で台詞をしゃべる。
 渡米中のデュヴィヴィエ監督で『逃亡者』を撮る。

1943年
 自由フランス軍に志願入隊。階級は二等兵曹。
 4月、海軍の護送船で大西洋を渡り、北アフリカ(アルジェ)へ行く。任務は石油タンカーの護送だった。
 途中、ドイツ機に襲撃され、応戦。
 アルジェでは、海軍陸戦隊の教育係を務める。
 アメリカ空軍婦人部隊の一員になってアルジェに立ち寄ったディートリッヒと再会。
 
1944年
 8月20日、連合軍パリ解放。その報をアルジェで知る。
 秋、巡洋艦でフランスへ渡航。ブレスト港に着き、3年半ぶりに母国の土を踏む。
 冬、第二機甲師団に入り、戦車でロレーヌ地方へ向かう。


 戦車隊で活躍した頃

1945年
 2月末、パリに立ち寄り、親戚一族に再会。
 4月、ドイツ軍基地の解放に向かう。戦車に搭乗し、ロワイヤンでの攻防戦に参加。その後、ライン川を渡り、各地で転戦。
 5月8日、休戦協定。
 7月、復員してパリに帰る。
 ディートリッヒとパリで生活を始める。
 マルセル・カルネ監督から『夜の門』への出演を依頼される。相手役にディートリッヒを起用するという条件で引き受けるが、ジャック・プレヴェールの脚本を読んだディートリッヒが出演を辞退。ギャバンも降りる。主役はイヴ・モンタンに代わり、カルネ、プレヴェールとの友情にひびが入る。(『夜の門』の主題歌「枯葉」はのちにモンタンが歌い、大ヒットする)
 ギャバンは、自ら映画化を企画していた『狂恋』の製作に力をそそぐ。ディートリッヒが相手役を引き受ける。

1946年
 12月、『狂恋』(ジョルジュ・ラコンブ監督)が公開され、興行成績は良かったが、凡作で映画評はかんばしからず。ギャバンもディートリッヒも魅力を発揮できずに終わる。
 以後、ギャバン自ら「幕間」と呼ぶ灰色の時代が始まる。
 ハリウッド映画へ出演するため再三アメリカへ帰るディートリッヒとの関係も熱が冷めてゆく。

1947年
 ディートリッヒと破局。将軍の令嬢コレット・マルスと交際を始める。
 『面の皮をはげ』(レーモン・ラミ監督)の1本のみに出演。この映画でギャバンはコレットに役を与え、デビューさせる。また、共演した新進女優マルティーヌ・キャロルとの間にも噂が立つ。

1948年
 9月、仏・伊合作映画、ルネ・クレマン監督の『鉄格子の彼方』に出演するため、イタリアへ行く。ジェノヴァでロケ、ローマでセット撮影。(フランス公開は翌年11月)

1949年
 2月、劇作家アンリ・ベルンスタンが書き下ろした『渇き』で主役の一人を演じ、二十年ぶりにパリの舞台(アンバサドゥール座)に出る。相手役はマドレーヌ・ロバンソンで、クロード・ドーファンも共演。この芝居は好評を博し、1年以上に及ぶロングランになる。


 芝居『渇き』で演じたジャン・ガローヌ役

 2月初め、ファッションモデルのドミニク(本名マルセル・クリスチアーヌ・マリー・フルニエで、呼称クリスティアーヌ)と知り合う。
 3月終わり、知り合って2か月後に結婚。ギャバン44歳、ドミニクは13歳下の31歳。ギャバンにとって三度目の結婚。ドミニクも再婚で連れ子(ジャッキーという9歳の男の子)がいた。その後彼女はギャバンとの間に二女一男をもうけ、良妻賢母として家庭を守り続けていく。
 
 マルセル・カルネと和解し、『港のマリー』の製作に力をそそぐ。
 11月、長女フローランス誕生。ギャバン45歳で初めての子を持つ。

1950年
 2月、『港のマリー』公開。映画はヒットするも、港町のプチ・ブルジョワ実業家に扮したギャバンの役は不評。
 この年は仏伊合作映画『天国の門』1本のみに出演。イタリア人監督ルイジ・ザンバの作品でローマにて撮影。

1951年
 マックス・オフュールス監督がモーパッサンの短編を映画化したオムニバス作品『快楽』の第二話「テリエ館」で、マドレーヌ・ルノー、ダニエル・ダリューの二大女優と共演。ルノーとは12年ぶり、戦前からのスター女優ダリューとは初共演だった。ギャバンは田舎の農民に扮し、個性を出す。
 続いて、『ベベ・ドンジュについての真実』(アンリ・ドコワン監督)で再びダニエル・ダリューと共演。中年の夫婦役を演じて、お互い意気投合する。(フランス公開は翌年2月)



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