8月16日、姶良市加治木町の加治木郷土館企画展「明治維新150年・・西郷隆盛・光蘭院貞姫」を見てきましたので、その一部を紹介します。
〇 西郷隆盛と加治木・・①南洲翁遺訓「人間の道」・・人間の道は、天地自然のものである。人間は天地自然の賜物であり、また天地自然を本として生存しているものであるから、天地自然を敬うことが人間本来の目的である。しかも天地自然は他人も自分も同様に愛されているから、自然を愛する心をもって他人を愛しなければならない。これが天地自然の道であり、同時に人間の道である。(「大西郷の遺訓と精神」南洲翁遺訓観光会発行)
②「敬天愛人」・・私学校加治木分校設立記念に西郷隆盛が贈った縦書きの「敬天愛人」の額
③私学校加治木分校における内紛と西郷・・私学校本部が「東京遊学禁止令」を出すと、これが原因で内紛が生じ、加治木分校でも対立が発生したので、西郷さん立ち合いのもとで、会議が開かれました。しかし、本部の指示に従わない主張を否定したため、約30名の退学者がでました。
〇光蘭院・貞姫・の生涯・・①婚姻の目的・・朝廷と幕府の両方にバランスよく親戚関係を築くことによって、発言力を高める。②娘時代・・篤姫の婚姻時は10歳。加治木島津屋形で成長 ③養子縁組・・島津久光は貞姫を自分の義子(養女扱い)とし、貞姫と改名、婚礼の準備が進められる。④嫁ぐ準備・・準備は、小松帯刀や大久保利通等が担当。約120名の護衛に守られて出発。⑤輿入れ・・19歳で近衛忠房(26歳)と婚礼。正室(光子と改名)⑥「光蘭院」と改称・・忠房死去(36歳)、落髪し「光蘭院」と改称しました。・・76歳で逝去
※撮影禁止のため、内部の展示物の写真はありませんが、資料をスキャンして添付します。
看板
加治木郷土館入り口
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