セネガル日和2

アフリカ最西端の国、セネガル共和国での日々の出来事(2009.4~2010.3)

東京

2010-03-27 | 日記
 心配していたお腹の張りもなく、離着陸時にもぞもぞと動いたぐらいで無事に成田に到着する。久しぶりの日本、東京の朝は6度ととんでもなく寒かった。
 隊員の任期が終わって帰国したときも感じたが、東京は人が多すぎて上手く前に進めない。それもそのはず、東京都の人口とセネガル共和国のそれはほぼ同じとデータにはある。人口密度が違いすぎるのだ。こんなに人が多いとインフルエンザが怖いというのも頷ける。そんな人ごみをなんとか交わしつつ、時差ボケの頭のままフラフラしながら築地へ赴く。帰国一番で口にしたいのはやっぱり寿司!おいしいお寿司が食べたいと、夫婦で行ったことのない築地を選択した。しかし、知らなかったのだが築地は立派な観光地になっており、ここでも人、人、人の人だかり。まだお昼には早い時間に着いたのだが、どのお店にも長蛇の列。ひどいところでは3時間待ちなんていうところもあった(そういう所は大抵TVや雑誌で紹介されている)。もはやディズニーランドのアトラクション待ち状態だ。我々は適度にすいている列に並び、早々に握りにありついた。新鮮な魚貝と米の美味しさを無言で味わう。その後、ちらりとあたりを観光してからホテルにチェックインする。
 東京でいると目から耳から受動的に日本語の情報が入ってきて、その渦に押されて疲れてしまう。看板、電光掲示板、客の呼び込み、スピーカー。それと、買い物をしたときに店員が「○○カードをお持ちですか?」と聞いてきて「ない」と答えると「失礼しました」と返される場面が何回かあり、なぜそこで謝られるのか違和感を覚えた。なぜなんだろう?

最終健診

2010-03-23 | 日記
 2週間前に7ヶ月健診を受けたばかりだが、長距離移動に備えて最後の妊婦健診を受診する。結果、なんの問題もなく移動も大丈夫とのこと。機内では水をたくさん飲み、適度に体を動かし、足をマッサージするようにというアドバイスをいただいた。いよいよ帰国一直線。結局、1月からルーガに戻ることは叶わなかったが、お世話になった人には電話で挨拶をすませる。
 今回のセネガル滞在は「奥さん」としての滞在だったために多少の不安はあったものの、セネガルの奥さんやダカールの日本人マダム、隊員等それぞれと交流のできた一年だった。あと、海外で妊娠生活を送るという貴重な体験もできた。一概に「楽しかった」とは言えないし、「またセネガルに戻ってきたいですか?」と聞かれれば、ちょっと答えにとまどってしまうだろう。でも、”生活をする”ということはどこの国でもそうなのだと思う。不快なことも不便なことも全てをごちゃ混ぜにして「生活」なのだから。大切なのはそれら負の部分にとらわれず、楽しんで生活しようとする気持ちと工夫だろうか。
 そんなことをつらつらと考えつつ、気分は日本の花見に向いている。

[写真:セネガルの歯ブラシを売るバナバナ]

フランス式

2010-03-22 | 日記
 月曜日だが夫の職場は休みのため朝からせっせと荷造りし、ダンボールに詰めた荷物を日本に送る。その後、フランス会館へ。
 今月初めに申し込んだ授業は結局開講されなかった。授業があるはずの初日にのみ「来週まで待って」という電話があり、その後の連絡がないためこちらから電話をすると「担当者から連絡をする」と言われてそれっきりだった。お金は既に支払ったあとだったので心配になって先週一人でフランス会館に行ってみた。すると連絡をしなかった謝罪も一言もなく、受講料については「払い戻し請求書を書いてください」と事務的に言われてしまった・・。こちら側ではなく、あきらかに学校側の責任で授業が実行されなかったにも関わらず!唖然としつつ様式があるのか続けて聞いたら、「ない。適当に書いて」とのこと。私の語学力ではこのレベルが限界で、仕方なく夫に休日の今日一緒に行ってもらうことにした。
 私同様、夫も怒り心頭で払い戻し請求書を殴り書きして事務に持っていくも、予想通りのたらいまわしに会う。最終的な責任者は校長ということがしばらくして判明し、何度目かの交渉に入る。結局、お金はおよそ2週間後に日本の口座に振り込まれるという、なんとも怪しい回答だった。授業があると信じて高いお金を払ってしまった私も間抜けだが、事前の説明も全くなくお金を受け取るだけ受け取ったらあとは冷たく手続きの山というのはひどすぎる。なんだか詐欺に遭った気分だ。先週フランスから来ていた友人(仏在住3年)にこのことを話すと「フランスはそんなもんよ。私も保険に必要な証明書をもらうのに1年かかった」とのこと。
 なんだかフランス語に対するモチベーションまでさがりそうだ。

ランチ送別会&cafe送別会

2010-03-21 | 日記
 ランチはビーズ部部長のMさん家族に誘われて、ダカールで最近できたばかりのRadisson Hotelのビュッフェに行った。我々は知らなかったのだが、このホテルは日本にももちろん、世界中にある有名なホテルらしい。セネガルのホテルでいうとランクは2番目に高級とのこと。敷地の隣にはショッピングモールと3つの映画館が建設中だった。ホテル内に一歩足を踏み入れるとそこはセネガルで居ることを忘れてしまうような空間が広がっており、海を眺めつつイタリアンのビュッフェに舌鼓をうった。
 夕方には夫が担当した隊員らが主催する送別会にそのまま参加する。12名の隊員とテーブルを囲み想い出話を語りつつ、手作りのムービーを鑑賞し、プレゼントとして赤ちゃんの服と食器をいただく。最後には夫にギター演奏のリクエストが入るというサプライズ付。予想外の展開に汗をかきかき歌を歌い、ギターを弾く夫を片目に見ながら、昨日の送別会でも思ったが、彼がいい仕事ができたのはいい隊員に恵まれたからだなぁと心の中で一人ひとりの隊員に感謝した。

[写真:ホテルのプールは海との境界が目立たないように作られているが、設計があまかったらしく海に浸食されて現在は工事中だった。やっぱりセネガルだな]

帰国隊員の送別会

2010-03-20 | 日記
 今日は夫のではなく、帰国する隊員の送別会に参加した。今回帰国する隊員の中には私が隊員時代に一緒に活動したTさんがいた。Tさんは夫にとっては受け入れから見送りまで2年間の全てに関わってきた隊員でもある。
 彼女は私の活動していた村をそのまま引き継いでくれて、また彼女の後輩隊員がその村で活動をしているときいた。彼女を中心として同任地隊員でまとまり、様々な活動を展開した。ステージに立つ彼女と同任地隊員らの満足気な顔を見て、自分の活動が彼らにつながっていることを実感するとともに、隊員を一番近くでサポートする立場にある夫の仕事が実を結んだと、彼の苦労をねぎらった。自分達の帰国を目前にしてこの場にいれたことで気持ちよくセネガルを発てそうだ。

[写真:新しいドミトリー近くのレストランにて送別会]