(ドナウ川を挟んで端の向こう側が旧ルーズベルト広場)
今年5月、ハンガリーの首都ブダペストの広場の名称が変更されました。
交通の要だったモスクワ広場がセール・カールマン広場に、
そして、鎖橋のたもと、ルーズベルト広場がセーチェーニ・イシュトヴァーン広場に
なりました。
ともに戦前の名称に戻ったわけです。
レーニン通りやマルクス広場と同様に、ルーズベルト広場の名称も戦後つけられた
名前だったのですね。
アメリカ人にとってはフランクリン・ルーズベルトは英雄かもしれませんが
古い世代のハンガリー人にとっては、ヤルタでハンガリーをソ連に売り渡した、
スターリンの共犯者です。
民主化以前にガイドから、主犯?のドイツは4分の3は米英仏の占領下に入れたのに
従犯のハンガリーはなぜ全部ソ連領なんだ、という愚痴?を聞いたことがあります。
ヤルタといえば、チャーチルはポーランドについてソ連に妥協し、
ルーマニアとブルガリアを犠牲にしてまでギリシャを西側に残したわけですが、
(ルーズベルトに任せていたら、全てソ連に持っていかれたわけですから、
この件でチャーチルを非難できません)
現在進行中のギリシャ危機に対してのドイツやフランスの支援を見ていると
つくづくヨーロッパ人はギリシャが好きなんだなあと感心します。
ヘレニズムはヨーロッパ文化の源流のひとつだから?
日本人が中国の古典が好きだというのと少し違う感じがします。
ルーズベルト広場は1956年のハンガリー動乱の際、
市民兵とソ連軍の最後の戦闘場所でした。
そういえば、このときのハンガリーの首相ナジ・イムレの最後のSOSも
アメリカに無視されたのでした。(大統領選で忙しかったとのちに釈明)
市民の蜂起にCIA局員がかかわっていたことは間違いないのに。
(照沼)
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