晴走雨読

幕末のミイラ?

私が生まれ育ったのは愛知県の刈谷という所で刈谷城というお城がありました。

徳川家康の母親「於大の方」はこの刈谷城の初代城主水野氏の娘です。

石高も2万5千石。家康つながりといい、規模といい横須賀城と共通点が多いような。

お城が海に面していたという事も同じです。

その刈谷城の城内にあった藩校が成り立ちの亀城小学校が母校であります。



先日横須賀の撰要寺で横須賀城主大須賀氏の墓所を見て思い出した事があります。

実家の近くに十念寺というお寺があり、ここは刈谷城最後の城主土井家の菩提寺となっていました。

私が小学生の時ですから50年も前の事ですが、市街地開発で道路拡張のため土井氏の墓を移転する事となりました。

墓を掘り起こして移動させたわけですが、そのうちひとつの墓から埋葬当時そのままの姿で遺体が出てきたのです。

当時は当然土葬ですが、城主ともなれば陶器の棺桶でその周りには防腐処理がされていたので白骨化することなく、かなり保存状態も良かったのです。

お寺の本堂に安置された遺体を怖いもの見たさに行きました。

確かに頭はちょんまげを髷ってまして、剃髪した部分は毛が少し伸びてました。爪もかなり伸びてました。死後も髪や爪は伸びるんですね。

皮膚を押さえるとわずかに弾力がありました。そういやあのおっさん平気で触ってたなあ。

ミイラといっても死後100年少々しか経っていないのですが・・・

でも江戸時代の人間を見たのですから、貴重な経験だったと思います。

棺桶の回りの防腐剤、多分松ヤニのようなものだと思うのですが、とにかく強烈な臭いを発していて町じゅうその匂いが充満していたのを覚えています。

臭いの記憶は結構忘れないものですね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事