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掛川歴散歩・横須賀城編

先日高天神城へ行って、その後色々調べていたら興味深い事がいくつかわかりました。

そこで今日は横須賀城に関係のある場所を巡ってきました。




まずは馬伏塚城址。
我が家から一番近い史跡で以前から知ってはいたのですが、どうせ大したものではないだろうと思ってました。

しかし調べてみたら徳川家康と武田勝頼による高天神城の攻防では最前線基地として大きな役割を果たしたお城でした。




現在は田んぼの中に土塁がわずかに残るだけですが、当時はかなり大きな平城だったようです。




馬伏塚城址から東に1.5kmほどの所にある北八雲神社。
岡崎の城山と言われる城跡、というか砦跡。
馬伏塚より更に高天神に近い所に作られた砦跡らしい。空堀跡が残るのみ。




そして更に高天神城に近い所に築城された横須賀城。

これで我が家の近くにある馬伏塚城から高天神城まで直線上に歴史の流れがつながったのでありました。




横須賀城の北西1kmほどの所にある撰要寺。
この山門は横須賀城の不開門を移築したもの。




横須賀城初代城主、大須賀康高の墓。
境内には他にも城主本多家の歴代の墓や、小笠原一族の墓などがたくさんあります。




横須賀の街から少し北の山の中にある本源寺。
ここの山門も横須賀城の門を移築したもの。




本堂前でうろちょろしていたら中から住職が出てきておいでおいでと手招きされる。
説明してやるから上がれという。

この寺は3代将軍家光の時代に建立されたもので、日光東照宮を作った職人を呼んで作らせたものだそうだ。

確かに彫り物を見てもなかなか精巧にできている。




本堂の天井には一面花の彫り物がありました。
また欄間のような所には天女の彫り物も。日光東照宮もかくやと思わせる豪華なものでした。
それも全て創建当時のままですから。

住職は単に自慢したかっただけのようでしたが、確かにこんな田舎の山寺としては素晴らしいものでした。




参道に杉の巨木が並ぶところも日光に似ているかもしれない。

横須賀城11代城主・井上河内守正利の父親井上主計頭正就は息子の婚姻のもつれにより豊島刑部明重により江戸城中において刃傷され、殿中にて死亡。
その菩提を弔うためにこの寺が創建されたそうだが、赤穂浪士以外にも同じような事件があったんだ。
とても興味深い本源寺でした。





本源寺から東へ1kmほどの所にある普門寺。
山門を入ると仁王像? B級の匂いがぷんぷん。




観音堂の正面には鳥居が。ここはお寺?神社?




隣りのお堂は海の神様らしく、スクリューが奉納されてました。
スクリューって・・・・




この弁天堂は彫刻が素晴らしく市の文化財に指定されてます。



横須賀城に関わる史跡めぐりのつもりでしたが、最後は単なるお寺巡りになってしまった?

こりゃ将来は四国八十八ヶ所巡りマラソンか?

これまでショボイ城下町だと思っていた横須賀ですが、色々興味深い史跡などもあり新たな発見がありちょっと見直しました。


本日の走行距離  26.28km
走行時間     3:12:26
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