晴走雨読

駿遠線廃線跡ランおまけ

先週発見できなかった駅跡を探しに今日も行ってきました。



谷口駅跡。
あっさり見つかりました。前回も同じところを通ったけど気が付かなかっただけでした。



南大阪駅跡。
こちらも前回通った所にありました。なんで気が付かなかったのだろう。注意力散漫は中高年の証です。



新三俣駅跡。

袋井と旧大東町は駿遠線跡をそれなりに整備してますが、旧大須賀町は全くなにもしてません。
どうしてでしょう?
軽便鉄道なんて全く興味がないのか、なにか恨みでもあるのかな?


取り敢えず旧大東町までの廃線跡は確認したのでこのシリーズは終了。いつか終点の藤枝まで行ってみたいですね。

帰りはそのまま引き返さず途中から150号線目指して南下。なんでも安倍清明に関する遺跡があるらしい。


国道150線脇に「清明塚」なるものがありました。有名な陰陽師・安倍清明に由来する塚だそうで。



星印は陰陽道の桔梗紋?



しばしば津波に襲われていた当地に来た時、石を積んで祈願したら津波の被害がなくなったらしい。
しかし清明はその頃からすでに超有名人。ほんとにこんな片田舎に来たのか?
多分ニセモノに騙されてお金を巻き上げられたんじゃなかろうかと、ヒネくれたおっさんは想像してしまいます。

そもそも平安時代にこんな所に人が住んでたこと自体驚き。150号線沿いは今でも民家はまばらです。


150号線はランニングするにはまことに不向き。
歩道はなく大型トラックがすぐ横をびゅんびゅん飛ばしていきます。広い側道が現れたと思ったら砂利道。

国道の一本内陸側の田んぼ道を走っているとこんな看板を見つけました。


「十内圦」という遺跡の案内板。
圦(いり)というのは川の下をトンネルを掘って水を通す水路の事。
江戸時代にこんな発想と土木技術があったとは驚きです。



更に西にくると袋井で3つ目の命山を建設してました。
まるで古墳を作っているみたい。市長が人柱として中に入れば津波もこない?



こちらは江戸時代の命山。




遠州灘に近いこのあたりは昔から津波や高潮の被害にたびたび襲われてました。更に大きな川がなく干ばつ被害も多い。そのくせ水はけが悪いから水害も多い。
全く農耕には全く不向きな土地なのに、人々はこの土地にしがみついて、防潮堤や命山作ったり圦という用水路を作ったりほんとに苦労してきました。
それだけ苦労してもなにか魅力のある土地だったのでしょうね。まあ確かにまっ平ではありますが。


本日の走行距離  33km
時間       3時間50分
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