小田・開化寺へ行きました…

2020-07-07 00:13:51 | つれづれ思うまま
7/5(日)10時ごろ
「蓮」を見に行こうと準備していたけれど、結局遅くなってしまって(しかも歩いて行ったものだから…)
10時26分着で"時、すでに遅し!"(午前中なら大丈夫だろうと高を括っていたんですね、ワタシ)
もう”すぼみ始め”か、”蕾”かは定かではない  
 
言われていたんですよ、8時~10時までの間に行かないと閉じちゃうよって
花びらが散った後の様子はなかなか妙で面白かったけど、、、(これ言い訳みたいね(笑))…

残念だけど、狸さんと一緒に本堂を拝ませてもらって、七夕に(心の中で)願いを込めてお祈り。
 


「開化寺」に来るまでのコースを辿ることにします。
城下町を抜け、鍵屋の辻から小田へ抜けるにはトンネルを通ります。
伊賀鉄道の下を通るいわゆる「小田隧道」と呼ばれるものです。
   ここで電車が通ってくれると最高なんだけど…
資料によると
≪大正3年(1914)伊賀軌道(株)が設立され、大正5年(1916)に上野駅から上野町駅に至る鉄道が開通して、
鍵屋辻駅と西大手駅が設置された。鍵屋辻駅は昭和20年に休止、昭和45年に廃止された。
駅は、開化寺門前の道を西に行ったトンネルの北方辺りにあった。
線路の下を抜けるトンネルは3か所あるが、一番大きな南のトンネルは、天井がアーチ型に赤レンガ積まれている≫
まさに、このトンネルです、音響はとてもいいです

他にも「小田カルバート」と呼ばれる暗渠(あんきょ)もあり、「人」も通れます、ワタシも通ったことがあります。

≪伊賀線は伊賀上野駅を出て、服部川を越えた辺りから次第に上野台地に向けて坂を昇っていく。
線路が通る土手は、生活路や用水路を遮断するので、所々でトンネルを作ることになる。
そのうちの一つが大正8年(1919)に造られた「第二暗渠」。
鉄橋ではなく、このような花崗岩を積み上げただけの簡易な構造のものが今まで残されているのは極めて珍しい≫と、
伊賀上野の歴史遺産を調べている方はおっしゃいます。
よくぞ、耐えて残ってくれてます、何万回ここを電車が往復したことか!昔の人の技術に感謝です。

そのトンネルを抜けると、
「元鉄砲場」があった台地と小田との境界があちこちに見えます。いきなりの絶壁!です。


そこを降りるには「※小六坂」を通るルートもあれば、階段で降りる手もあります。
 「小六坂」
※≪小田村から藤堂藩の鉄砲練習場のあった西ノ丸へ登る坂を開削者:田村小六の名前から小六坂と呼ぶ。
この道を利用し、平成9年から12年にかけて上野市ウォーキングトレイル事業を施行。
「甚七郎の散歩道、西ルート」の一部として整備された。
小六坂周辺の道は竹藪が多くあり、伊賀の嵯峨野ともいうべき佇まいがある。≫
確かに、この台地を見ると竹藪が多いのは実体験済みです(笑)。(但し、藪蚊も多いです、この時期)

そこを下れば「開化寺」にたどり着く。


綺麗に手入れされた境内に「三重塔」が見えます。
 
方向を変えて撮っています。

資料より
≪高さ13mで上層屋根は法隆寺、中層屋根は四天王寺、下層屋根は八坂の塔様式を模したもので、
現在三重県下で木造層塔はこれ一基です。日本で一番低い三重塔と言われています。(一重目の柱間は2m)
小さいながら二重と三重には高欄がめぐらされ、屋根の頂部には相輪を頂く。≫とのこと。

伊賀鉄道からも垣間見えるはず、、、(なんだか電車に乗ってみたくなりました

「蓮」を見るつもりが、お勉強の会になってしまいました(笑)。
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