1975年に発表された予言の書「日本の自殺」
「前略 人間は物欲を満たす動物と考える限り、欲望は際限なく広がり、とどまる所を知らないであろう。いかなる欲望充足の努力も、永遠にこの肥大化する欲望に追いつくことはできず、満足することがない。
それは砂漠の“逃げ水”のように、追っても追ってもつかまえることはできない。
そしてこの欲望の肥大化のサイクルから解放されて自由にならない限り、人間はつねに不平不満の塊りとなり、欲求不満にさいなまれ続け、心の安らぎを得ることができないであろう。 後略」
利益を追求。企業人としては当たり前。自分たちは「人よりいい給料、人よりいい生活」
と教えられてきました。そして、数年前、島●さんのテレビ番組で、金持ちの特集など、国民がセレブという言葉に惑わされていきましたが、島●さんは、テレビ界から干されてしまいました。
「日本の自殺」もう驚愕の預言書のようです。今、書かれた方々がいたら、どんな未来を書くのでしょうか??
この論文の筆者は「グループ一九八四」となっている。37年前にこの論文を掲載した当時の「文藝春秋」編集長、田中健五さんが寄稿し、筆者についても明かしている。それによれば、グループは各分野の専門家二十数人による学者の集まりで、中心人物は香山健一元学習院大学教授だったことが後にわかったという。そして田中元編集長の想像で、グループには公文俊平元東大教授、佐藤誠三郎元東京大学名誉教授、さらには清水幾太郎元学習院大学教授の研究室にいた学者たちがいたのだろうと書いている。
■日本没落の予感
問題提起である。日本が沈みゆくのではないか、という危機意識である。
■ローマ帝国滅亡との類似
これは昔から良く言われたことである。消費につぐ消費。食べ物などを粗末にし、食べた傍から吐くという様は、ローマ時代でも行われていた。
この論文では、
第1 消費と娯楽
第2 人口の増加
第3 経済的な没落
第4 経済のスタグフレーション化
※経済活動の停滞(不況)と物価の持続的な上昇が共存する状態
第5 エゴの氾濫と悪平等主義の流行
という、5つの観点でローマ没落を語るが、このように切り出してみても、今日本が抱えている問題の切り口と極めて似ている、と思える。
■日本が直面する困難
ここで、当時(1975年)時点で考えられた、日本の困難が3つ出てくる。
第1 資源・エネルギーの厳しい制約
第2 環境コストの急上昇
第3 労働力需給のひっ迫と賃金コストの急上昇
これが、1975年のことだとすれば、この37年間、日本は結局変わらぬ課題を引きずっている、と言わざるを得ない。この3つの困難は、まさに今の日本が抱えている課題である。特に第3の課題は、少子高齢化で、年々高齢者が増え続け、労働人口が少なくなる日本において、喫緊に解決すべき課題に見える。しかし37年間手つかずだ。
■危機は日本人の内部にある
テロでも、侵略でもない。「決定力のない日本」、この危機や試練を正確に認識する能力を失いつつあることを憂いている。これを「自壊作用」といい、これを「内部の敵」としている。
■豊かさの代償
この「内部の敵」がはびこる(成長する)背景だが、「豊かさ」という視点で見ている。
豊かさの代償には3つあるという。
第1 資源の枯渇と環境破壊
第2 大量生産-大量消費のメカニズムの急速な回転の中で加速される生活様式の悪影響
第3 便利さによる、体力・知力の低下、「ブロイラー人間」
■現代文明がもたらす幼稚化
個人的には、この章の記述がまるで予言するかのように今の日本を表しているが驚嘆ものである。一部抜粋。
『思考力、判断力の全般的衰弱化と幼稚化は、第一に、すでに触れたところの便利さの代償として生じている。現代人はこの便利な技術世界のなかにあって、文字通り子供のようにふるまっている。押しボタンを押すだけで、かれは居ながらにして世界中をあちらこちらと覗き込むことができる。』
『押しボタンの世界のなかで生活をしていくのに、現代にどれほどの思考力、判断力が必要とされるであろうか。押しボタンの世界はブラック・ボックスの世界である。この世界のなかで生きていくのに、ブラック・ボックスのなかの仕組みがどうなっているのかなどという厄介な問題について頭を悩ますことは不必要なのだ』
『知っている必要があることは、どのボタン押せば、どういう便益が得られるかというところ』
まさしく、今の日本だし、今の僕にも当てはまる。
■デマによる集団ヒステリー
氾濫する情報で、心因的なトラブル・ヒステリーを引き起こすことがある。こうした間違った情報を「情報汚染」とし、これが内部を破壊していく。
■情報の洪水が人間を劣化させる
現代の情報環境をいくつかの視点で考察している。
第1 マス・コミュニケーションによる情報中心で、その間接的な経験の比重が増大
第2 情報過多に伴う、不適応症状
第3 情報の同時性・一時性
第4 情報受信と発信とのアンバランスさ
第2の因果関係は必ずしも確立されているものではない。第3は、「情報の使い捨て」という言葉を使っているが、これもまた現代の我々の情報との付き合い方に酷似している。
第4は一方的な受信の継続の割に、発信が少ない環境において、そのアンバランスさがいびつな思考や創造力への影響としてつなげている。
■自殺のイデオロギー
ここまでの内容が、判断力・思考力の衰弱、情緒性の欠如、幼稚化・野蛮化へと向かい、自壊作用を強める、としている。これが「自殺のイデオロギー」とも呼ぶべきものである。
また、ここで、教育の世界におて、徹底した平等主義(オール3やオール5)を、悪平等主義と呼び、ここでも、均一化してしまい、特化した人材の輩出が困難、幼稚化への推進を上げ、「自殺のイデオロギー」とつなげている。
■戦後民主主義の弊害
こうした、一見民主主義のように見えてしまうもの「自殺のイデオロギー」を、「疑似民主主義」とし、6つの徴候群としてあげている。
第1徴候群 非経験科学的性格
第2徴候群 画一的、一元的、全体主義的性向
第3徴候群 権利の一面的強調の仕方
第4徴候群 批判と反対のみで、建設的な提案能力に著しくかける
第5徴候群 エリート否定、大衆迎合的な性格
第6徴候群 コスト的観点の欠如
■没落を阻止するために
この「自殺のイデオロギー」を超克するにはどうしたらいいか。過去に学ぶと次の教訓が出てくるという。
教訓1 国民が狭い利己的な欲求の追及に没頭して自らのエゴを忘れると経済社会は自壊する。
教訓2 国民が自らのことを自らの力で解決するという自立の精神と気概を失う時その国家社会は滅亡する。
教訓3 エリートが精神の貴族主義を失って大衆迎合主義に走る時、その国は滅ぶ。
教訓4 年上の世代は、いたずらに年下の世代にこびへつらってはならない。
教訓5 人間の幸福や不幸は、決して金銭や物の豊富さで計れるものではないということ。
恐ろしいほど当たった論文ですね! 経済学はたいした事は無いと思っていましたが!