昨日(6月21日)は、今から77年前に初めてLPレコードがリリースされた日だそうです。LPというのは「ロング・プレーイング」の略で、片面23分の収録ができたのだそうです。だからカセットテープで両面46分という商品があったのですね。何十年も使っていて(今も時折テープを聴いています)初めて知りました。

県南ひと周りの続きです。猊鼻渓駅で10名ほどを降ろした列車は進路を北から東に変えて柴宿駅に到着しました。1962(昭和37)年に開業した請願駅だそうで、県道19号線に隣接しています。まったく個人の見解ですが、「宿」という文字が付く地名にはひかれてしまいます。ここに旅人が集う宿が連なっていたのでしょうか。

(柴淑駅)
柴宿駅から更に東へ進むと摺沢駅です。開業当時の終点はここ摺沢で、今年の開業100周年というのは一ノ関から摺沢までとなります。当初一ノ関から東進して気仙沼を経て大船渡を目指すはずだった大船渡線が摺沢を経由となったのは、摺沢出身の立憲政友会の政治家の力と言われています。

(摺沢駅)
地図をご覧になればお分かりのとおり、摺沢まで来てしまったのであれば、大船渡市盛へはここから東へ向かい高田を経由するのが近道ですが、その後憲政会が総選挙で勝利すると、摺沢から千厩を経由する経路に再度変更されました。なので列車は南へ向かいます。
そして到着したのが千厩駅、精一杯千厩の街に近づけようとしたという感じのする駅です。この千厩駅を起点に歩いたのは、もう5年半前なんですね。

(千厩駅)

(千厩駅構内を最後尾から)
本日もご来店ありがとうございました。
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県南ひと周りの続きです。猊鼻渓駅で10名ほどを降ろした列車は進路を北から東に変えて柴宿駅に到着しました。1962(昭和37)年に開業した請願駅だそうで、県道19号線に隣接しています。まったく個人の見解ですが、「宿」という文字が付く地名にはひかれてしまいます。ここに旅人が集う宿が連なっていたのでしょうか。

(柴淑駅)
柴宿駅から更に東へ進むと摺沢駅です。開業当時の終点はここ摺沢で、今年の開業100周年というのは一ノ関から摺沢までとなります。当初一ノ関から東進して気仙沼を経て大船渡を目指すはずだった大船渡線が摺沢を経由となったのは、摺沢出身の立憲政友会の政治家の力と言われています。

(摺沢駅)
地図をご覧になればお分かりのとおり、摺沢まで来てしまったのであれば、大船渡市盛へはここから東へ向かい高田を経由するのが近道ですが、その後憲政会が総選挙で勝利すると、摺沢から千厩を経由する経路に再度変更されました。なので列車は南へ向かいます。
そして到着したのが千厩駅、精一杯千厩の街に近づけようとしたという感じのする駅です。この千厩駅を起点に歩いたのは、もう5年半前なんですね。

(千厩駅)

(千厩駅構内を最後尾から)
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