一昨日の晩、情報番組で東北6県の特集が放送されていました。芋の子汁の特集や青森県での南部弁と津軽弁の話など興味深く見ましたが、青森出身の出演者が「南部と津軽は昔戦争していましたから」と語っていました。番組内ではテロップが出てひと笑いで終わってしまいましたが、中央では教えられないこの史実は今でも青森県では教えているのかな、と思いました。

本日は、昨年12月30日以来の「青森彷徨」です。このカテゴリーは2010(平成22)年9月に八戸へ転居した際に設けたもので、それ以前の青森の風景は「各地彷徨」に埋もれていますから、このカテゴリーの記事本数はほかに比べて少ないです。久しぶりといいつつ、今回を「風景」と呼んでいいのかどうか・・・。
御覧いただくのは目時駅です。同駅の南側には青森県と岩手県の県境がありIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の境界駅ですが、駅自体は青い森鉄道の管理です。1924(大正13)年12月に信号所として開設され、1948(昭和23)年10月に駅に昇格したそうですから、旅客駅としては今年で72歳ですね。電化複線化に際し線路の付け替えが行われ、現在の位置に移ったのは1967(昭和42)12月ですので、こちらでは53歳です。
目時駅には前回の岩手・宮城県境同様、国道4号線をバイクで走破した際に立ち寄りました。一見すると15年間での違いは無さそうですが、現在の目時駅舎には駅名の下にベンチがあり、飲料自販機が設置されていました。トイレが立派でしたね。

(三戸町目時 -2005/08/13-)

(三戸町目時 -2020/08/01-)
ホームにお邪魔してみます。複線の立派な線路の両側に長いホームが設けられています。偶然ですが15年前も下りホームに上り盛岡方にカメラを向けていました。青い森鉄道の駅名標やホームの策が水色になっているところがこの15年の変化でしょうか。

(15年前のホーム)

(現在のホーム)
東北本線から青い森鉄道に移管され、今冬で18年経ちます。もうそんなに経つのだなというのが率直な感想です。
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本日は、昨年12月30日以来の「青森彷徨」です。このカテゴリーは2010(平成22)年9月に八戸へ転居した際に設けたもので、それ以前の青森の風景は「各地彷徨」に埋もれていますから、このカテゴリーの記事本数はほかに比べて少ないです。久しぶりといいつつ、今回を「風景」と呼んでいいのかどうか・・・。
御覧いただくのは目時駅です。同駅の南側には青森県と岩手県の県境がありIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の境界駅ですが、駅自体は青い森鉄道の管理です。1924(大正13)年12月に信号所として開設され、1948(昭和23)年10月に駅に昇格したそうですから、旅客駅としては今年で72歳ですね。電化複線化に際し線路の付け替えが行われ、現在の位置に移ったのは1967(昭和42)12月ですので、こちらでは53歳です。
目時駅には前回の岩手・宮城県境同様、国道4号線をバイクで走破した際に立ち寄りました。一見すると15年間での違いは無さそうですが、現在の目時駅舎には駅名の下にベンチがあり、飲料自販機が設置されていました。トイレが立派でしたね。

(三戸町目時 -2005/08/13-)

(三戸町目時 -2020/08/01-)
ホームにお邪魔してみます。複線の立派な線路の両側に長いホームが設けられています。偶然ですが15年前も下りホームに上り盛岡方にカメラを向けていました。青い森鉄道の駅名標やホームの策が水色になっているところがこの15年の変化でしょうか。

(15年前のホーム)

(現在のホーム)
東北本線から青い森鉄道に移管され、今冬で18年経ちます。もうそんなに経つのだなというのが率直な感想です。

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