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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
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1151)私的岩手通史の旅 第101回(奥州藤原氏 第7幕)

2011年11月27日 | 私的岩手通史の旅
 昨日の午後、拙宅からJR千葉駅まで歩いてみましたが、約1時間半かかると予想したのところ、地図を見ながら最短コースをたどったら約1時間で着きました。これで奉公先から千葉駅までたどり着けば何とかなるという妙な自信を抱き、電車に揺られて拙宅へ戻りました。


第101回 奥州藤原氏-第7幕-(平泉町 毛越寺)

 本日ご覧いただくのは、中尊寺と共に平泉観光の代表的観光地「毛越寺(もうつうじ)」です。毛越寺は850(嘉承3)年に慈覚大師(円仁=えんにん)が開きました。一時寺勢が衰えましたが、藤原氏によって再興されました。

 この再興について「岩手県の歴史散歩(山川出版社)」では「藤原基衡によって建立された」とあるのに対し、「平泉と奥州藤原四代のひみつ(新人物往来社)」では「藤原清衡が中興し」とあり、故宮脇俊三氏も「発掘調査の結果、初代の清衡の創建とする説が有力になりつつあるという。この説には心をひかれる。(一部略「平安鎌倉史紀行」講談社文庫)」と記しています。

 今後のどのような事が明らかになるか分かりませんが、ここでは清衡が再興し、基衡がそれを引き継いだという説で先に進みます。


(1989(平成元)年建立の新本堂-パンフレットより-)

 清衡によって再興された毛越寺は、その子基衡によって多くの仏寺が建立されました。その様子は「堂塔四十余宇、禅坊五百余宇」だったと伝えられていますが、現在その多くの仏寺は残っておらず、どのような一山だったのかは想像するしかありません。


(境内に建つ毛越寺イラスト -平泉町平泉 2011/02/05-)

 毛越寺には新本堂と宝物館以外の建物はほとんど無く、何も知らなければ大泉ヶ池(浄土庭園)を中心とする公園に過ぎません。実際私もそうで、訪れた数回とも大泉ヶ池の周囲を1周し、あちこちに建つ「○○跡」という標柱を「ふうん」と一瞥して跡にしてしまいました。

 しかし多少学習した今では、標柱の建つ場所すべてに堂宇があったら壮観だっただろうと思っています。この感覚で再訪して大泉ヶ池を眺めれてみれば、また違った感想を抱くことでしょう。


(凍った大泉ヶ池 -平泉町平泉 2011/02/05-)


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