風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1264)下野ワンデイハイク 旧足尾町(12景目 高原木)

2012年03月19日 | 栃木彷徨
 春眠暁を覚えず・・・、最近は休日も平日とあまり変わらぬ時間に床を離れておりましたが、昨日に限ってはいつもの倍近く目を閉じておりました。半日損した気分でもありますが、外出向きでない天気でしたので良しとします。それにしても今年は花粉症の症状が今のところ軽いのがありがたいです。

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 旧足尾町歩き、前回同様今回も渡良瀬川を挟んで対岸の風景です。愛宕下地区を北上して、銅親水公園が間近となる辺りの対岸を見ると、妙に平たい台地が現われます。

 それまでの地形と異なり、人工的な匂いがしますが、対岸(こちらがわ)に立つ説明板によると、「高原木(こうばらぎ)堆積場」跡とありました。

(険しい地形の中に現われた平坦な台地 -旧足尾町高原木 2012/02/26-)

 1590(天正18)年、小田原の武士だった斉藤大和守(やまとのかみ)と弟の山城守(やましろのかみ)が浪人となって足尾に入り、弟が高原木村に住んで渡良瀬川沿いの赤倉村等を治めたといいます。時代的に考えると豊臣氏の小田原攻めで滅んだ北条氏の家臣だったようですが、にわか勉強家には説明板以上のことは分かりませんでした。

 明治に入り足尾銅山が再開発されると高原木は採鉱に伴う廃石の堆積場となりました。それが対岸に見える「高原木堆積場」跡で、1907(明治40)年以降はその上に銅山社宅が建てられました。しかし戦後間もなく撤去が始まり、1949(昭和24)年頃には無人になったそうです。

 旧足尾町内には地区ごとに説明板が立っていると以前申しましたが、多くの説明板には銅山で賑わっていた時代の写真も掲げられています。高原木の説明板にも、対岸の台地上に銅山社宅が並んでいた写真が付いていました。

(無人となった昭和30年頃の銅山社宅 -説明板より-)


2011/03/19の一品・・・お休みでした
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2008/03/19の一品・・・212)栃木散歩 真岡市(北関東自動車道)

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2 コメント

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花粉症 (リヒター)
2012-03-19 20:27:51
店主様は花粉症落ち着いているとのこと・・・羨ましい限りです。
私は毎年のことながら「春の風物詩」として職場にネタを提供してしまっています(笑)。
店主様のアップされる風景写真がここ数日の癒しのひとつとなっています。
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Re:花粉症 (店主)
2012-03-20 09:49:35
<リヒターさん
コメントありがとうございます。
落ち着いているなんて書いたら、逆襲を喰らっています
季節遅れの風景で癒していただけるなんていずいです。もうしばしお付き合い下さい。
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