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1284)私的岩手通史の旅 第117回 奥州合戦-第10幕-

2012年04月08日 | 私的岩手通史の旅
 上野動物園にいるオスのホッキョクグマが、釧路動物園のメスのクマの元へ婿入りすることになりましたが、釧路で待つ彼女は当初オスと推定されたため、名前が「ツヨシ」となったそうです。クマの世界でも男女の判別は難しいのでしょうか?人間にしても「めんこい」と思った人が実はMr.レディーだったりしますからね(Mr.レディーって死語ですか?)。



第117回 奥州合戦 第10幕(宮城県仙台市 榴岡公園)

 私的岩手通史の旅、奥州合戦の山場が続きます。3日間の攻防の末、福島盆地北部の阿津賀志山防塁が破られた時、奥州藤原氏の棟梁である泰衡は国分原鞭館(むちだて)に陣を張っていましたが、国衡敗死の連絡が届くと「戦わずして多賀国府や平泉をも捨てて敗走(奥州藤原四代のひみつ(新人物往来社))」しました。

 国分原鞭館というのは現在の仙台市榴岡(つつじがおか)ではないかとされています。調べていくうちに榴岡(つつじがおか)公園が陣を張っていた場所と推定されていることを知りましたが、同公園は仙台駅の東にあったので、北東北へ出向いた際に訪れてみました。

(榴岡公園正面 -宮城県仙台市 2012/01/22-)

 仙台駅東口から東へまっすぐ歩くこと約15分、小高い丘を持つ榴岡公園に着きました。何も知らなければ単なる都市公園に過ぎませんが、「泰衡が陣を張った場所」という意識で見ると小高い丘が陣を張っていた城山に見えてきてしまうから不思議です。ただ、確実な遺構が見つかっていないので、有力な比定地という位置づけだそうです。

(冬の曇天下の公園斜面 -宮城県仙台市 2012/01/22-)

 戦わずして北へ敗走と聞くと、何のために平泉からここまで出てきて陣を張ったのだろう?という疑問を抱きます。家臣に尻を叩かれて嫌々南下してきた・・・そんな印象すら抱いてしまいます。


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