しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

津波の被害は未だ残ってます!

2013年11月29日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・               【津波被害がそのままに残っています】

国道はリアス式湾奥の高台を串刺ししていくので津波被害はいちど海側に下りていく必要があるので時間が
掛かりますので前回見たところはバイパスして行きます

何気ない国道沿いの民宿のような建物です、国道45号線は開通してます、悲しい事にお客さんが来ないので
津波被害そのままで放置されていました



見上げる高さの塀を乗り越えて津波はやってきました


・       【防潮堤は作られていましたが想定外の高さだったのです】

【田野畑村の被害状況】

2011年(平成23年)3月11日 :マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生。
震度4にとどまった田野畑村であったが、この地震が引き起こした大津波によって被災し、
死者・行方不明者40人を出した

・村域にある島越駅(三陸鉄道北リアス線)は高さ約10mの鉄筋コンクリート製橋梁の上に
 設けられた高架駅であったが、津波に呑み込まれて駅舎・プラットホーム・線路が全て流失。
 橋脚の一部の残骸を残すのみとなった
・人口約4,200人の1割にあたる約400人が漁業関係の就労者で、漁師180人のうち60歳以上が約80人という
 田野畑村であるが、漁船565隻中の512隻、漁協事務所、魚市場、養殖施設などが流失し、
 漁業関係の被害額だけで村の財政規模の約2倍にあたる76億円と推算されることから、
 自力での復興は困難と考えられる
・明治三陸大津波で打ち上げられたと言い伝えられる羅賀地区の「津波石」に、津波が再び到達した。
 岩が動くことはなかったが、羅賀の住宅約150棟のほぼ半数が全壊し、地区住民約450人のうち9人が行方不明となった
・4月9日 :この時点で田野畑村は、住宅約200棟全壊。死者14人、行方不明者25人、避難者347人



この辺りから復興とはとても言えない状況が続きます


・            【瓦礫は整備されましたが復興には時間が掛かっています】

津波で助かったと言われる普代村の大防潮堤を見て、山を下ると田野畑村ですが両村ともに国道は海から
離れていまして、リアス式海岸を降りていきます

【普代水門】

「2011年の東日本大震災発生後、遠隔操作により閉門を行っていたが途中で停電したため、
 一部を久慈消防署普代分署の立臼勝副分署長ら3人の消防士が手動で操作して津波の到達前に
 水門を閉鎖したその後津波が到達し、水門を2メートルほど乗り越えたものの水門自体は決壊せず、
 津波は水門から数百メートル上流付近で停止した。乗り越えた津波により水門の上流側に設けた
 管理用の橋が破損したが、付近の小中学校や住宅などに浸水の被害はなかった
 普代村においてはこの普代水門と太田名部防潮堤が住宅地や集落中心部への津波到達を防いだため
 2011年4月下旬現在で普代村における震災の人的被害は船の様子を見るため防潮堤の外に出た
 行方不明者1人のみで、死者はゼロ、被災民家も無かった。今回の震災において、宮古市田老地区の
 高さ10メートルの大型防潮堤をはじめとする各地の水防施設が越水・破損により機能不全に陥る中、
 沿岸部で機能した数少ない堤防であった。ただし津波がより長い時間水門を越えていたり、
 より高い津波が来襲していたりした場合には、耐えきれず決壊した可能性もあったという。
 深渡宏村長は「先人の津波防災にかける熱意が村民を救った」と述べている。
 想定をやや上回ったとはいえ、防災のための公共事業の重要性を示すこととなった」

天災だって想定内にしていた先人の教えがあったのです



決壊した防潮堤の修復工事が行われています


・             【地盤も沈下しているように見えます】

ここにも港があったのでしょうか?防潮堤の内側は何に利用されていたのでしょうか
むなしくテトラポットが取り残されていました!



やはり地盤沈下していますら盛り土を行ってました


・             【津波は何波も来ましたから全てと流してしまいます】

ただただ見守るだけであります



鉄路(北リアス線)の復旧は旧ピッチです!


・              【電車はまだ走っていません】

山側は復旧が進んでいます


・              【被害の少ない山側は復旧が早いのです】


・               【ねむの木が赤く咲いています】

たぶん「ねむの木」だと思います



・               【田野畑村まで16kmです】


・               【田野畑村の道の駅で田楽を戴きます】

味は普通のお土産屋さんお味でした


・               【道の駅の売店です】

昆布を買いましたが、やはり昆布は北海道の「羅臼昆布」が一番です、南に下るほど昆布の厚さが薄くなるのです


・                【恩惟大橋とは】

【恩惟大橋】

「松前沢にかかる全長315m、高さ120mの「逆ローゼ橋」としては全国有数の大規模な橋です
 そばには道の駅たのはたや産直プラザ思惟大橋、思惟大橋コミュニティー公園があり
 国道45号の休憩ポイントとして好評です」

道を間違えて旧道に入ってしまいました、戻って通行し直しました



田野畑村の写真が多いのは前回訪問のとき見過ごした所でした


・            【たのはた物語とは】

たのはたに赴任した役人が、あまりの谷の深さに辞職を決意したといわれる 辞職坂にまつわる物語だそうです


・            【津波直後に看板を新しくしたって!】

次回に来るのは、100年後かも知れません、とても看板は持ちません、それまで津波の意識を持続させるのが難しいのです


・             【田野畑村には変化に富んだ地形があります】

【田野畑の大地に隠された古代のロマンを探検しよう!】

「ジオとは、大地や地質、地球などのことをさします。そして、そのジオを楽しむための
 フィールドや受入体制が整備された場所はジオパークに認定されています。
 日本には20カ所のジオパークがあります(平成24年8月現在)。 
 田野畑を含む三陸海岸も、現在日本ジオパーク認定を目指して活動しています。
 田野畑の大地を楽しむジオパークガイド、ぜひご参加ください」

田野畑村の道の駅は入りませんでした


・          【これだけ見れば満足でした】

下の説明書きがめくれているのは津波がここまできた印ではありません、道の駅ははるかに高い所にありました



退院の報告でバイク屋さん訪問です!随分痩せたね、ええ、でも太ってましたから、後20kg痩せねばなりません
脳梗塞について保険の扱いのお話を伺いました、当分はビックスクーターの運転は自重します、幸い3男が
伊豆で乗ってましてアッシーとして活躍してくれます、親孝行の前払いだと思って有難く頂戴しています
話を聞きながら、並んでいるバイクを見ますと1台ナンバーがついて新車があるではありませんか?


・              【丁度1台125ccが欲しかったのです】

ミニバイク(50cc)では時速30kmまで、伊豆に来るにはパトカー追尾が恐ろしいのです、ママを後ろに
乗っける事もできません、ミニバイクはママの伊豆専用の足として僕には往復用の足として活躍して貰いたい
ヘルッメットを借りて試乗したら、運動神経が悪くなっている今の僕には丁度よい塩梅でして早速購入でした
そのまま乗って家に帰りましたら、ママはお冠でした、病後の状況も判らないのに衝動買いして、
返してらっしゃいとは言いませんでしたが、私もエルメス買おうかなと脅される始末でした!

(前々から二人乗りのできるバイクで保険もファミリー特約で経済的なのが欲しかったので衝動買いではありません)

横浜から伊豆高原まで高速乗れませんから400円だけのガソリン代で住みます、ママと相乗りなら一人200円です!



これが本当の「冷えとり」の手引書
PHP研究所

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