・ 【孫の七五三祝いで鎌倉に行って来ました】
前回の脳梗塞直後で延び々になっていました、着物は長男のものだそうです、孫にも衣装です
(照れていますが、可愛らしい姿です)
爺ばかと仰りますな!世の中の爺は皆同じです!
・ 【鎌倉はいつながら混んでます】
長男一人だけで駐車場まで行って貰いましょう!自分のお祝いだと思ってますが、今日は誕生日でもないし?
(これからお嫁さんのご両親様と久しぶりに対面です)
先方は先についているはず、今は携帯電話があるので状況はわかってもらえます、北鎌倉からの道路が渋滞でした!
八幡様の境内は広くて、本日は結婚式も多い、お嫁さんが横を通ります
・ 【孫は早速、屋台のお面がほしいよ】
お嫁さんは連絡に忙しいし、ママは孫に手を引かれて広い境内を右往左往、子供は疲れをしりません
(沢山の人ごみの中でご両親さまと出会えるのは何時でしょう)
何時行っても鎌倉鶴が岡八幡宮は混んでいます
・ 【久しぶりの八幡様ですがちょっと雰囲気が違いますね】
何が違うと聞かれても即答できませんが、入り口形状がでしょうか?左にあった大銀杏の気がありません
(遊んでいたリスさんたちはどこへ行ったのでしょう?)
ここら辺りで皆さんの行きたい方向がばらばらになります!
・ 【ママは孫の手を話しませんが】
お嫁さんはこれから始まる七五三の祈祷所受付場所はどこでしょう?長男は本殿を仰ぎます
お姉ちゃんはカメラをもって被写体探しです!
今の時代は小学生でもデジタル一眼レフで写真を撮ります
・ 【カメラ持つ手にも自信がありそう】
爺なんか、コンパクトカメラ以外持った事がありません、大きなカメラを持つと気おくれします
ばっさり切られた大銀杏の木でした!
・ 【銀杏の陰にかくれていた公卿が・・・】
八幡様の大銀杏の歴史
「鶴岡八幡宮は1063(康平6)年に源頼義が奥州を平定(武力で治めること)し、
鎌倉に入った際に源氏の氏神として出陣のご加護を祈願していた、京都の石清水八幡宮を
由比ヶ浜にお祀りしたことに起源する。
その後、源氏再興の旗揚げをした源頼朝が、鎌倉に入るとすぐに由比ヶ浜の八幡宮を
現在の地に遷し、1191(建久2)年に鶴岡八幡宮を創建。八幡大神は源氏一門の信仰により
武家の守護神や武道の神として、また国家鎮護の神として全国に広まっていった。
現在のご本殿は1828(文政11)年、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による江戸建築である。
若宮とともに国の重要文化財として指定され、知っての通り今では国際的に知られる
歴史ある鎌倉の中心となり、国内外より多くの参拝者が訪れている」
孫よこの銀杏かげに潜んでいた若者がいたのだよ!
・ 【大きくなって日本史を学んだ時重い出しておくれ】
実朝暗殺
「年が明けた建保7年(1219年)1月27日、雪が2尺(約60cm)ほど降りしきるなか、
実朝が右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣する。夜になって参拝を終えて石段を下り
公卿が立ち並ぶ前に差し掛かったところを、頭布を被った公暁が襲いかかり、
下襲の衣を踏みつけて実朝が転倒した所を「親の敵はかく討つぞ」と叫んで頭を斬りつけ、
その首を打ち落とした。同時に3,4人の仲間の法師が供の者たちを追い散らし、
源仲章を北条義時と間違えて切り伏せたのち、八幡宮の石段の上から
「我こそは八幡宮別当阿闍梨公暁なるぞ。父の敵を討ち取ったり」と大音声を上げ、
逃げ惑う公卿らと境内に突入してきた武士達を尻目に姿を消した。儀式の際、
数千の兵はすべて鳥居の外に控えており、その場に武装した者はいなかった」
本殿での七五三の祈祷が終わればご馳走が待ってました!
・ 【今日はあんたが主賓です】
何でも食べてくだされ、創作和食所ですが子供にはやっぱり、ジュースですね
爺は残さず食べましたよ、(ノンアルコール付きで・・・・)
直ぐに再発ですからあの時禁アルコールでなくても良かったように思う?
・ 【今日は何の日か判ってるのかしら】
ご馳走たべて、きれいなおべべを着て、満足です。今日は誕生日ではありませんよ
爺も昔の七五三思い出はありません、(情けない事に小学校入学前の思い出はありません)
天真爛漫、素直に育ってもらいたいね・・・此れだけは親の責任、爺はかわいがることしかできません!
・ 【何時までもとは言いません】
子供らしく育って貰いたい、七五三とは?
「11月15日は、子供成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事(神社庁より)。
現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。
現在は「七五三」という名称から、その年齢にやる同じ行事のように捕らえられ、
そうなりつつあるが、実際には、それぞれの年齢で行う、別々の異なった行事であり、
3つの子供の行事を、「七五三」と呼んだ為、本来の神事の内容が薄れ、同じ行事のように思われている。
そのため、現在でも地方によって年齢や祝う内容が異なるが、発祥とされる関東地方では
以下のように考えられている。
数え年3歳(満年齢2歳になる年)を「髪置きの儀」とし、男女とも行う。
江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀。
数え年5歳(満年齢4歳になる年)を「袴儀」とし、男の子が行う。男子が袴を着用し始める儀。
数え年7歳(満年齢6歳になる年)を「帯解きの儀」とし、女の子が行う。
女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀」
関東圏の儀式としたら、当時の爺は北海道にいましたから、多分やらなかったと思うます
母さん小学校入学直前は引越しでごたごたしていましたよね!
前回の脳梗塞直後で延び々になっていました、着物は長男のものだそうです、孫にも衣装です
(照れていますが、可愛らしい姿です)
爺ばかと仰りますな!世の中の爺は皆同じです!
・ 【鎌倉はいつながら混んでます】
長男一人だけで駐車場まで行って貰いましょう!自分のお祝いだと思ってますが、今日は誕生日でもないし?
(これからお嫁さんのご両親様と久しぶりに対面です)
先方は先についているはず、今は携帯電話があるので状況はわかってもらえます、北鎌倉からの道路が渋滞でした!
八幡様の境内は広くて、本日は結婚式も多い、お嫁さんが横を通ります
・ 【孫は早速、屋台のお面がほしいよ】
お嫁さんは連絡に忙しいし、ママは孫に手を引かれて広い境内を右往左往、子供は疲れをしりません
(沢山の人ごみの中でご両親さまと出会えるのは何時でしょう)
何時行っても鎌倉鶴が岡八幡宮は混んでいます
・ 【久しぶりの八幡様ですがちょっと雰囲気が違いますね】
何が違うと聞かれても即答できませんが、入り口形状がでしょうか?左にあった大銀杏の気がありません
(遊んでいたリスさんたちはどこへ行ったのでしょう?)
ここら辺りで皆さんの行きたい方向がばらばらになります!
・ 【ママは孫の手を話しませんが】
お嫁さんはこれから始まる七五三の祈祷所受付場所はどこでしょう?長男は本殿を仰ぎます
お姉ちゃんはカメラをもって被写体探しです!
今の時代は小学生でもデジタル一眼レフで写真を撮ります
・ 【カメラ持つ手にも自信がありそう】
爺なんか、コンパクトカメラ以外持った事がありません、大きなカメラを持つと気おくれします
ばっさり切られた大銀杏の木でした!
・ 【銀杏の陰にかくれていた公卿が・・・】
八幡様の大銀杏の歴史
「鶴岡八幡宮は1063(康平6)年に源頼義が奥州を平定(武力で治めること)し、
鎌倉に入った際に源氏の氏神として出陣のご加護を祈願していた、京都の石清水八幡宮を
由比ヶ浜にお祀りしたことに起源する。
その後、源氏再興の旗揚げをした源頼朝が、鎌倉に入るとすぐに由比ヶ浜の八幡宮を
現在の地に遷し、1191(建久2)年に鶴岡八幡宮を創建。八幡大神は源氏一門の信仰により
武家の守護神や武道の神として、また国家鎮護の神として全国に広まっていった。
現在のご本殿は1828(文政11)年、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による江戸建築である。
若宮とともに国の重要文化財として指定され、知っての通り今では国際的に知られる
歴史ある鎌倉の中心となり、国内外より多くの参拝者が訪れている」
孫よこの銀杏かげに潜んでいた若者がいたのだよ!
・ 【大きくなって日本史を学んだ時重い出しておくれ】
実朝暗殺
「年が明けた建保7年(1219年)1月27日、雪が2尺(約60cm)ほど降りしきるなか、
実朝が右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣する。夜になって参拝を終えて石段を下り
公卿が立ち並ぶ前に差し掛かったところを、頭布を被った公暁が襲いかかり、
下襲の衣を踏みつけて実朝が転倒した所を「親の敵はかく討つぞ」と叫んで頭を斬りつけ、
その首を打ち落とした。同時に3,4人の仲間の法師が供の者たちを追い散らし、
源仲章を北条義時と間違えて切り伏せたのち、八幡宮の石段の上から
「我こそは八幡宮別当阿闍梨公暁なるぞ。父の敵を討ち取ったり」と大音声を上げ、
逃げ惑う公卿らと境内に突入してきた武士達を尻目に姿を消した。儀式の際、
数千の兵はすべて鳥居の外に控えており、その場に武装した者はいなかった」
本殿での七五三の祈祷が終わればご馳走が待ってました!
・ 【今日はあんたが主賓です】
何でも食べてくだされ、創作和食所ですが子供にはやっぱり、ジュースですね
爺は残さず食べましたよ、(ノンアルコール付きで・・・・)
直ぐに再発ですからあの時禁アルコールでなくても良かったように思う?
・ 【今日は何の日か判ってるのかしら】
ご馳走たべて、きれいなおべべを着て、満足です。今日は誕生日ではありませんよ
爺も昔の七五三思い出はありません、(情けない事に小学校入学前の思い出はありません)
天真爛漫、素直に育ってもらいたいね・・・此れだけは親の責任、爺はかわいがることしかできません!
・ 【何時までもとは言いません】
子供らしく育って貰いたい、七五三とは?
「11月15日は、子供成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事(神社庁より)。
現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。
現在は「七五三」という名称から、その年齢にやる同じ行事のように捕らえられ、
そうなりつつあるが、実際には、それぞれの年齢で行う、別々の異なった行事であり、
3つの子供の行事を、「七五三」と呼んだ為、本来の神事の内容が薄れ、同じ行事のように思われている。
そのため、現在でも地方によって年齢や祝う内容が異なるが、発祥とされる関東地方では
以下のように考えられている。
数え年3歳(満年齢2歳になる年)を「髪置きの儀」とし、男女とも行う。
江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀。
数え年5歳(満年齢4歳になる年)を「袴儀」とし、男の子が行う。男子が袴を着用し始める儀。
数え年7歳(満年齢6歳になる年)を「帯解きの儀」とし、女の子が行う。
女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀」
関東圏の儀式としたら、当時の爺は北海道にいましたから、多分やらなかったと思うます
母さん小学校入学直前は引越しでごたごたしていましたよね!
これが本当の「冷えとり」の手引書 | |
PHP研究所 |
長男の衣装の3人の兄弟を回りました、元気に育てば良いのです
三番目の息子としばし伊豆暮らしですが、喧嘩ばかりしています
うちの孫はレンタルです。朝着付けして、汚さぬうちに返却です。
息子のは記憶が全くありません。娘のはカミさんが頑張って作りました。その後、3人の姪をぐるっと回って所在がわからなくなりました。幸い孫が3人とも男なので今のところ問題なしです。
親に聞くと覚えていないだけかも知れませんね、親に聞いて見ましょう
お宅の坊やは我が家の孫1号と同級生ですね。元気は二倍ぐらいありそうですね。
自分の753の記憶はありません。袋入りの飴をもらってなめた記憶はあります。