しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

伊豆の手前:根府川の海岸です

2016年03月25日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                           【海にはサーファーが喜びそうな大波立っていました】

台風前でもないのにうねりが出て大波が立っていました、小田原から熱海にむかう国道は東海道線と並行してはしりますが
崖のような断崖を通って行きます、線路は上を通りトンネルを抜けていきますが、道も断崖の上を走る事になります
道は一番海側と旧道と東海道線が走り、さらに上には林道もあります、この辺は山が海に迫っている所ですが、3本の道路と鉄路が走っています

(交通路が一カ所に集中する所でもあります、新幹線も走っていますがほとんどトンネルの中を進行しています)

バイクで伊豆行ですが、この辺でトイレ休憩に寄ります、何時もは穏やかな海模様ですが今日は大波が打ち付けて白波が広がっていました



海岸には人口的な大岩が一列に並んでいました


・                           【この海岸横には関東大震災の断層が走っているのです】

多分関東大震災の時の爪痕だと思います

「根府川駅列車転落事故は、1923年(大正12年)9月1日に発生した列車脱線事故である。
 神奈川県足柄下郡片浦村(1954年〈昭和29年〉12月1日に小田原市に編入合併して消滅)の根府川駅付近で、
 東京発真鶴行普通第109列車(960形蒸気機関車977牽引、ボギー客車8両)が、熱海線(現在の東海道本線)
 根府川駅のホームに入線しかけたところで大正関東地震によって引き起こされた地滑りによる土石流に遭遇し、
 根府川駅の駅舎やホームなどの構造物もろとも海側に脱線転覆して最後部の客車2両を残して全てが海中に没してしまった。
 この事故に遭遇した列車の乗員乗客と根府川駅にいた乗客及び駅勤務職員のうち、112人が死亡(行方不明を含む)、
 13人が負傷した。事故であるとともに関東大震災に含まれる災害でもある。
 根府川駅付近ではこの事故以外にも大規模な土石流が発生し、根府川地区や米神地区で多くの死者・行方不明者が出た。
 この列車転落事故による死者及び行方不明者のうち、発見された遺体はわずか5体にすぎなかった。
 大正関東地震が原因となって引き起こされた列車事故のうち、最悪の被害を出した事故である」

100年前に飛んでもない災害が襲ったのです、100年ごとに襲来する大災害の事を肝に銘じたいです



今は鉄橋ができて電車がひっきりなしに往来しています


・                           【崖の上から東海道線の車両が落下しました】

交通の要衝ですから今ここで土石流が発生したらどうなる事でしょうか、当時とは比べ物にならない被害が出るはずです

「根府川・米神地区の惨状
 根府川駅の南側を流れる白糸川でも、本震の4分半後に起きた余震(マグニチュード7.3)が原因となって大規模な土石流が発生した。
 土石流の発生地点については、災害発生の3年後にまとめられた『神奈川県下の大震災と警察』という資料が箱根連峰古期外輪山の
 聖岳(標高837メートル)説を記述したのを始めとしていくつかの説がある。現地の地形や土の粒度分布などの資料を検討すると、
 発生地点として有力とされるのは、白糸川の上流4キロメートルのところにある箱根連峰外輪山の1つ、大洞山(おおぼらやま)である。
 このときの土石流は時速にして50キロメートル近くの速さで、わずか5分ほどの間に海まで到達している。
 厚さ3メートル以上にも及ぶ土石流は白糸川の谷を流れ下り、根府川地区の民家を呑み込んで200人以上の人命が失われ、
 そのほとんどは白糸川河口付近に住んでいた人々であった。震源に近い根府川地区では、本震の約5分後に津波が押し寄せたため、
 人々は土石流と津波に挟み撃ちされたような状態だった。
 たまたま海岸で遊泳中だった根府川地区の子供たちも遭難し、少なくとも20名が死亡または行方不明となった。
 土石流は白糸川にかかっていた鉄橋(橋脚の高さは基礎を含めて22メートルあった)をも襲い、
 コンクリート製の橋台や隣り合わせになっていた橋脚まで押し流し、橋台や橋脚は行方が分からなくなってしまった。
 当時の白糸川河口は入り江になっていたため、船の停泊地として使用されていた。しかし、土石流が運んだ土砂などが
 入り江を埋め尽くして陸地と化したため、その後松林となっている。なお、根府川地区に近い米神地区でも大規模な土石流が発生し、
 50人以上の死者・行方不明者を記録した他、熱海線の石橋鉄橋が落ちるなどの被害が出た」

確かに松林が広がっていました、昔は海で船着き場もあったのですが全てを飲み込んだ惨状があったのです



今は平穏な海で今日のように波が荒いと生まれる前の事でしたが僕は思い出すのです


・                           【その跡を見せられる現場でした】

従って断崖を降りて松林を抜けて行くとき、足の下に風が抜けていくような気になってならないのでした






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4 コメント

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見習い様:転落列車に乗っていて (しいたけ)
2016-03-12 00:51:21
海に投げ出され奇跡的に助かった人の話をTVで聞いた事があります
トイレ手前の松林の下に港があったのです
返信する
Unknown (城ケ崎-見習い2号)
2016-03-11 21:47:49
しいたけさん。
そこはトイレがあるところですね。
一昨年、オカメ桜を見に行きました。
小さい川ですが、落差がありますね。
あそこに港があったとはあ想像ができません。
返信する
りんご屋さん:今どこでしょうか (しいたけ)
2016-03-11 11:16:03
風の頼りから南紀あたりかと思っております
返信する
3.11 (りんご屋)
2016-03-11 10:50:11
災害は忘れた頃にやって来る。
地域の災害をよくぞ掘り下げて下さいました。

3.11に相応しい記事かと。
返信する

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