・ 【銀閣寺は銀箔が貼られてないので門前で通過します】
銀閣寺の創建
「慈照寺は、京都府京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院。
相国寺の境外塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。
室町幕府8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、
観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。銀閣は、金閣、飛雲閣(西本願寺境内)と
あわせて京の三閣と呼ばれる。
山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は足利義政、開山は夢窓疎石とされている。
夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物(故人)であり、このような例を勧請開山という」
銀閣寺も庭の見事さを誇っていますが慈照寺とういう大きな寺の一部なのでした
(こうした歴史的背景が頭に入っていないと寺社仏閣の見物はつまらないものになります)
昼食時でバイク屋さんはグルメスポットを探して走り回りますが、ナビの情報も最新情報ではないのです
(京都地理は二条城から始まります)
・ 【僕は旅に行けばグルメはしません】
年配のおば様方のお食事はグルメなのです、ローストビーフの素敵なお店を探してくれますが、残念ながらやっと探し当てても今は夜しかやっていないそうでした
近所の人からグルメ情報を聞きだしておりました
京都の地理は二条城の四角い掘割から始まります、現在改築中で中は見れないそうです
・ 【修学旅行で行った思い出を心の中で広げます】
天井に絵が書かれていたと思います、皇居と比べれば小さなお城です、戦いに備えるというより
迎賓館の趣でありました、お店を探していたら隣の駐車できるスペースのある「おこのみ焼き屋」さんがありました、
お好み焼きなんてビールと一緒に戴きたいですが、おば様方にとっては関係ないことなのです、仕方なく運転中のビールは我慢でお好み焼きだけ食べました、
(京都の「おこみ焼き」は「マヨネーズをかけない!」ときっぱりママさんから言われましたのでマヨネーズを下さいとは言えませんでした)
銀閣寺の回りも外国人や修学旅行生が多いです
・ 【この道が哲学の道につながっていきます】
歩いている人の多い中、原付バイクならではの走行でした
京都は世界遺産の宝庫です
・ 【その分拝観料が高くなりました】
銀閣寺のいわれです、昔は拝観料は100円200円の世界でした、世界遺産に格上げされたのか拝観料も値上げしているようです
銀閣寺の拝観料はわかりませんが昔は遠慮気味に取っていたはずです、それが今や堂々と料金を取るようになりました
(ケチで言ってる訳ではないのです、映画と同様にシニア割引を適用して貰いたいです)
哲学の道とは何でしょう
「明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。
その後、京都学派の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが散策したため
「哲学の小径」と云われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。
1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果
「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになった。
日本の道100選にも選ばれている散歩道である」
・ 【銀閣寺から下る道となっていました】
わが町の遊歩道は車も入れない道が駅へと続いています、道としては「こぶし」に囲まれる
この道のほうが良いとも考えられます
バイクを停めて写真をパチリなんですが、あっという間に皆さん見えなくなっていきます
・ 【京都の地理は不案内につき】
大いに不安になります、時間帯通行止めなんですが今は通って良いようですが、散策する人も少ないし自転車も
通っていません
走って行く内に道はどんどん細くなっていきます、この辺りで広い道に出て貰いたい思いますが一番後ろでは声を出しても伝わりません
「哲学の道」を最後まで究めるのは大いに結構ですが、何処にでもある風景なのです
・ 【バイク屋さんの奥様が停めます】
僕もこの辺で満足です、この先へいっても何も無いはずです
(「哲学の道」は散策するためにあるのです、バイクで蛇行しながら通っても思索に触れる事はできません)
ヘルメットの中で考えるのは前から遅れない、追突しない事だけ考えています
銀閣寺の創建
「慈照寺は、京都府京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院。
相国寺の境外塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。
室町幕府8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、
観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。銀閣は、金閣、飛雲閣(西本願寺境内)と
あわせて京の三閣と呼ばれる。
山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は足利義政、開山は夢窓疎石とされている。
夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物(故人)であり、このような例を勧請開山という」
銀閣寺も庭の見事さを誇っていますが慈照寺とういう大きな寺の一部なのでした
(こうした歴史的背景が頭に入っていないと寺社仏閣の見物はつまらないものになります)
昼食時でバイク屋さんはグルメスポットを探して走り回りますが、ナビの情報も最新情報ではないのです
(京都地理は二条城から始まります)
・ 【僕は旅に行けばグルメはしません】
年配のおば様方のお食事はグルメなのです、ローストビーフの素敵なお店を探してくれますが、残念ながらやっと探し当てても今は夜しかやっていないそうでした
近所の人からグルメ情報を聞きだしておりました
京都の地理は二条城の四角い掘割から始まります、現在改築中で中は見れないそうです
・ 【修学旅行で行った思い出を心の中で広げます】
天井に絵が書かれていたと思います、皇居と比べれば小さなお城です、戦いに備えるというより
迎賓館の趣でありました、お店を探していたら隣の駐車できるスペースのある「おこのみ焼き屋」さんがありました、
お好み焼きなんてビールと一緒に戴きたいですが、おば様方にとっては関係ないことなのです、仕方なく運転中のビールは我慢でお好み焼きだけ食べました、
(京都の「おこみ焼き」は「マヨネーズをかけない!」ときっぱりママさんから言われましたのでマヨネーズを下さいとは言えませんでした)
銀閣寺の回りも外国人や修学旅行生が多いです
・ 【この道が哲学の道につながっていきます】
歩いている人の多い中、原付バイクならではの走行でした
京都は世界遺産の宝庫です
・ 【その分拝観料が高くなりました】
銀閣寺のいわれです、昔は拝観料は100円200円の世界でした、世界遺産に格上げされたのか拝観料も値上げしているようです
銀閣寺の拝観料はわかりませんが昔は遠慮気味に取っていたはずです、それが今や堂々と料金を取るようになりました
(ケチで言ってる訳ではないのです、映画と同様にシニア割引を適用して貰いたいです)
哲学の道とは何でしょう
「明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。
その後、京都学派の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが散策したため
「哲学の小径」と云われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。
1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果
「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになった。
日本の道100選にも選ばれている散歩道である」
・ 【銀閣寺から下る道となっていました】
わが町の遊歩道は車も入れない道が駅へと続いています、道としては「こぶし」に囲まれる
この道のほうが良いとも考えられます
バイクを停めて写真をパチリなんですが、あっという間に皆さん見えなくなっていきます
・ 【京都の地理は不案内につき】
大いに不安になります、時間帯通行止めなんですが今は通って良いようですが、散策する人も少ないし自転車も
通っていません
走って行く内に道はどんどん細くなっていきます、この辺りで広い道に出て貰いたい思いますが一番後ろでは声を出しても伝わりません
「哲学の道」を最後まで究めるのは大いに結構ですが、何処にでもある風景なのです
・ 【バイク屋さんの奥様が停めます】
僕もこの辺で満足です、この先へいっても何も無いはずです
(「哲学の道」は散策するためにあるのです、バイクで蛇行しながら通っても思索に触れる事はできません)
ヘルメットの中で考えるのは前から遅れない、追突しない事だけ考えています
をもっと見たかったです。ちょっと残念。京都の小路いいですね。
素敵な写真を有難うございます。
金閣寺は豪華さで最も人気はありますが、銀閣はどうなのでしょうか
判らなくてもおもしろいのしょうね