しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

「醍醐寺」も古いお寺さんです

2015年05月09日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                    【「醍醐寺」は古さが目立つお寺でした】

バイク屋さんは大津方面に進路をとりました、八坂神社から祇園を抜け、四条河原町の繁華街を抜けていきますが
いたるところで道路工事をやっていて、車の渋滞にもはまっています、何しろ一番最後なのでどんどん距離は離れます

「まってくりゃ!」とヘルメットの中で叫びますが聞こえるはずもありません、赤信号で止まると
車をすり抜け強引に割り込んで先頭に追いつきます、山科を抜けて上り坂を上がって大津方面に下りていきます

途中から細い道を右折していきます、まるで地元の人のように裏道や抜け道を知ってる如くに案内して戴けます、
本当に「醍醐寺」に着くのかしらと不安になりますが、やがて「醍醐寺」の脇から到着そのまま境内に入って行きました

(とても僕では「醍醐寺」に到着できません)

境内へ深く入っていきますと、観光の皆さんがバイクに注目していきます、バイクは若者の大型軍団ではなく
小さい原付バイクでしかもおば様方なのでナンバープレートから遠くから来ているのが珍しいのでしょう
コテコテの大阪弁で「どこから来たの?」とか「そのお年で運転ですか?」、「私は足がいとうて」と質問が飛んできました



「醍醐寺」も世界遺産で大きな伽藍ですが、「仁和寺」と比べて古さ際立ちます


・                    【お寺の配置としては仁和寺ににています】

山門の仁王様も古いし、拝観料は1000円も取るのに全部は見れませんし、トイレは遠くにあって、しかも紙を置かないようにしています

(バイク屋さんはあまりに遠いのでバイクを動かしてとトイレに行ってます)

京都;醍醐寺とは

「京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある、真言宗醍醐派総本山の寺院。
 山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は
 理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。
 伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ
 寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。」

やはり関が原で敗れた豊臣方のお寺ですから江戸時代には優遇されなかったと思います



世界遺産に登録されたと強調していました


・                    【確かに大きな五重の塔でした】

醍醐寺の五重塔

「天暦5年(951年)建立。承平元年(931年)、その前年に亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るために
 第三皇子の代明親王が発願し、穏子皇太后の令旨で建立が計画された。
 しかし、代明親王の死去(937年)などの影響で工事は停滞し、発願の20年後に完成した。
 総高38メートル。うち相輪部が12.8メートルで、全体の3割以上を占める。
 屋根の逓減率が大きく、塔身の立ちが低いため、後世の塔のような細長いプロポーションにはならない。
 創建以来修理を重ねたが、特に天正13年(1585年)の地震では一部の軒が垂れ下がるなどの甚大な被害を受けたため、
 豊臣秀吉の援助で慶長3年(1597年)に修理が完成している。昭和25年(1950年)の台風でも被害を受け、
 同35年(1960年)に修理が完成した。京都に残る数少ない平安時代建築として貴重であるとともに、
 初重内部の両界曼荼羅と真言八祖を表した壁画も平安絵画の遺品として重要であり、
 塔本体とは別に「絵画」として国宝に指定されている」

お腹がゴロゴロなっていまして、早くトイレに行きたいのです、、トイレが遠くにありましたが紙がありません



醍醐寺の金堂です


・                  【立派な金堂ですが遠くから眺めるだけです】

「入母屋造本瓦葺き。正面7間、側面5間。平安時代後期建立。豊臣秀吉の発願により
 紀州から移築したもので、慶長3年(1598年)から移築を開始し、秀吉没後の慶長5年(1600年)に落慶している。
 『紀伊名所図会』等によると、当初は紀州湯浅(和歌山県湯浅町)の満願寺
 (12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)本堂であったという。
 部材には平安時代のものが残るが、堂が湯浅にあった鎌倉時代に改修を受けており、
 移築時の桃山時代の手法も混在する。立ちの高い入母屋屋根は近世風で、移築時の改修である。
 内部には本尊薬師三尊像(重要文化財)を安置する。堂内は内陣と外陣(礼堂)の境に結界や間仕切りがなく、
 一体の空間とする点に特色がある。」

早めに写真を取って、僕は急ぎたいのです



秀吉さんが好んだお寺さんです



・                    【醍醐寺は数々の法難にあってきました】

大きなお寺なのに廃寺の危機だったのです、いくつかの難関を乗り越えて今日世界文化遺産になっているのです 

(京都の中心から離れているし、秀吉が主催した「醍醐の花見」の移動手段は人が運ぶ駕籠です
 大変だったように思いますが、僕が調べる歴史程度では詳しく語ってくれません)

雨でも降った時の、ぬかるみ、泥道、警備にと、とても往生したように思います



屋根も朽ち果てている建物がありました


・                    【大きな幕でさえぎられて少ししか見えません】

何とか補修できないのでしょう、闇夜には訪れたく無い朽ち果てた不気味な建物でした
通路が幕で囲まれて、訪問コースには入っていませんが、風で幕がたなびくと見えてきまして
使われていない建物が多すぎです


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