しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

2%開花の「河津桜」ですが!(開花をズームします)

2013年02月28日 | 遊び場
・               【カメラのズームを目一杯に利用します】

開花している花も一部ありました!


・                【確かに咲いている花も目撃です】

満開時は枝が見えなくなるくらいに花が咲きます、桜の満開はいつ来るのでしょうか?


・           【桜の木の下で佇んでるおばあちゃんがいました】

地元のおばあちゃんですが、「すみませんねえ」と謝ってくれます

(お婆ちゃんのせいではありません、寒いお天気で咲かないのです!)


・              【川沿いで一番咲いている所です】

駅にも近い所ですから、観光客で大混雑になってました、これより上流に行けばもっと咲いている
と思ってはダメです、上に行けば行くほど花は咲いていません

(行きかう観光客が寒さで縮こまっていました!)



この辺りで二分咲き程度でしょうか?「河津桜」は寒いとき咲きますから長く咲いてくれます


・              【来週より再来週が満開になりそうです】

「桜」は咲いています、今週はこの辺で我慢しましょう!

川から離れた所の方が良く咲いています!


・               【駅近くの役場前でしょうか?】

駅降りてこれだけ咲いていると期待してしまいますが、川へ行ってはいけません

(花より団子に興味のある方はどうぞです!)

やはりここも川から離れた所なんです


・               【駅近くの民宿の前です】

お寺さんの桜も満開には程遠いです!


・            【河津三郎って曽我兄弟の話でしょうか?】

ネットから引用です

【曽我兄弟の父】
谷津に館の内(たてのうち)という地名があり、バス停には館跡(やかたあと)と書かれている。
この辺りが平安時代の末頃に河津氏の館があった場所といわれている。
河津三郎の父伊東祐親が建てたもので、北条政子(源頼朝の妻)の母、曽我物語で有名な
河津三郎の子五郎時致と十郎祐成がこの館で生まれています。
曽我物語のルーツはその頃の伊東の領地争いからはじまります。工藤祐経から伊東祐親暗殺の命をうけた
大見の小藤太と八幡の三郎は奥野で頼朝一行と狩りを楽しんでいた祐親を赤沢山で待ち伏せします。
一番手の大見は機をのがしてしまったが、二番手の八幡の三郎が放った矢は目的の祐親ではなく、
側にいた河津三郎に当たってしまいました。三郎はちらりと見えた敵の名を告げ、「妻子をたのむ」と
一言残した後その場で息をひきとりました。その後、妻の万却は子供を連れて相模に住む曽我の太郎と再婚。
そして十八年後、曽我兄弟は元服し、富士で巻狩中の祐経を夜いんに乗じて襲い、見事に父の敵を討つのでした。

赤沢には「血塚」もありますし、待ち伏せ現場の「しいの木3本」という場所がひっそり案内が立っています!

(あだ討ちは殺人事件です、法国家ですから裁判で決着をつけましょう)



これが本当の「冷えとり」の手引書
PHP研究所

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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見習いさま:そうなんです! (しいたけ)
2013-02-26 09:01:27
今年は看板こそ出ていませんが昨年までは日本一開花が早いをキャッチフレーズにしていました
海洋公園は日本一が好きな公園なんです、「日本一海に近いプール」
「日本一原種の数が多い紫陽花」などがありました
返信する
城ヶ崎桜は (城ヶ崎-見習い2号)
2013-02-25 23:56:59
10日にお客さんを案内して海洋公園のそばを通りましたら、しっかりと咲いていました。こっちの方が速いみたいですね。
返信する

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