・ 【逆行に気がつかなかった「えちごかわぐち」の道の駅です】
越後製菓というお菓子メーカーが近くにあって、お徳な割れ「せんべい」を買い求めます、
でもどこで消費してしまったのか分かりません、この辺は先日の雨で水害にあったらしく堤防が決壊していて
修復作業が終わっていました
(長野側は梓川と犀川が合流して千曲川となり、名も無き川もさらに合流して新潟に入る
と魚野川と合体で日本一長い信濃川になります)
大雨が降るとここで信濃川は大きく蛇行しますから「河口」でもないのに川口の名前がついています
川の洪水が育んだ肥沃の大地ともなっています、洪水と水の便の良さは表裏一体ですね!と部外者は客観的に
思ってしまいますが、当事者にとって洪水や自然災害は甚大です!
(元気だせ!力を合わせて復興だ!の文字が掲げれていました)
「千曲川は埼玉県・山梨県・長野県の県境に位置する甲武信ヶ岳の長野県側斜面
(南佐久郡川上村)を源流とし、八ヶ岳、関東山地などを源流とする諸河川と合流しつつ
佐久盆地(佐久平)、上田盆地(上田平)を北流する。長野盆地(善光寺平)
の川中島で、飛騨山脈を源流とし松本盆地(松本平)から北流してきた犀川と合流した後
北東に流れ、新潟県に入って信濃川と名前を変える。信濃川は、十日町盆地を通って
越後平野(新潟平野)に出て群馬・新潟県境の谷川岳から流れてきた魚野川と合流、
新潟市で日本海に注ぐ。河口は阿賀野川の河口に近く、時代によっては新潟の地で
合流して河口を共有していたこともあった」
この道の駅を出る時に新潟とは逆の高崎方面に向かいます、コンパスの方向を指す「北」方面ですから間違いありません
なんとなく通った所ではないとかとの疑念もありましたが20kmほど逆行でした
(100円ショップでの自転車用をバイクで使おうしてはいけません)
三国峠は古い道です、バイクでの日帰りツーリングの限界ポイントになっております
・ 【三国峠を下って長い下りの途中にありました】
冬にはウインタースポーツで賑わうのでしょうが、夏には廃墟のような大きなホテルが林立している
苗場スキー場を横に見てトンネル潜ると、今度は長いくだり坂が待ち受けていました
途中に道の駅があるも、名前を忘れてしまい、思い出せません、ここで自転車で東京へ向かうという青年にお会いします
何度か通ってるそうで長い上りの道のりは想定内だそうです、こんな長い上りを上がって行くとはたいした者です
越後湯沢から三国峠までは登りで急さかの長い道が続くのです
「古くは越後と江戸を最短距離で結ぶ三国街道の一部として整備されていたが、冬期の積雪、
雪崩、夏場の集中豪雨による土砂災害など難所であった。昭和になり、国道17号(三国トンネル)
の開通により物流の大動脈となるが、その後の関越自動車道の開通により交通量は減少した。
ただし、燃料や一部の薬品などの危険物を搭載した車輌は関越トンネルの通行が禁止されているため、
現在でもこの峠を経由している。バブル景気の前後には、月夜野ICから苗場スキー場に向けて
スキーヤーの車で大渋滞した。現在、三国トンネルの老朽化などに伴って新三国トンネルの建設が計画されている。
田中角栄が選挙民向けに行った演説として、「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。
そうしますと、日本海の季節風は太平洋側に吹き抜けて越後に雪は降らなくなる。
出てきた土砂は日本海に運んでいって埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります」というものがある」
政治家はドエリャー事を考えるもんです!!
やっと新潟市内へ入ってきました、大型バイクで高速道路をワープするのと違って原付バイクはそれなりに疲れます
・ 【やっと新潟市内に入って来ました】
まずは土地勘を呼び起こすために市内をぐるぐる回ります、途中で立ち寄ったガソリンスタンドの
店員さんがフェリー埠頭が分からないと答えられ、ますます頭がパニックになります
新潟は仕事でも来ていますから駅まで来ればフェリー埠頭ぐらいは何とかなります
(折角割高な有人スタンドに立ち寄ったのに二人の店員さんが分からないとは残念です)
新潟到着は14時頃でした、このまま走っても秋田へは行けてしまう距離です
・ 【秋田までのフェリー出港は深夜です】
あえて深夜発の秋田行きのフェリーまで待ちます、秋田行きフェリーを今夜の宿としていまして
これから出港までが夜の新潟散策として丁度良いのです、旅は目的地に行くのが目的ではないのです、
旅の途中も楽しまなきゃ!です
(フェリー埠頭の奥には市場があって雰囲気ある居酒屋街があるのでした)
3年前と比べて寂れています、お昼ご飯ご馳走になったおばちゃんに話しを聞くと馴染みの人も
高齢の為来なくなったと寂しい事を言ってました、当時はまだ元気のいいおじいさん達がいました
・ 【居酒屋3軒回ってやっと乗れましたが爆睡です】
まずはおばちゃんから近くの銭湯を紹介していただき、案内通りに行きましたが道を一本間違えました
迷ってるうちに土地勘が養われました、銀行やシャッター商店が多いです、昔はこの町は新潟では一番物価が安く
住みやすい町だったよ、新潟の商店街の中心でもあったのよと言われました
古い建物の銭湯で身体をさっぱりさせた後いよいよ本格的出番です、横浜に居る限り月火は禁酒の身なんですが
今日は誰も止める人は居ません、最初はお昼を戴いたお店に向かうも早々とシャターが閉じられています
やはりご常連さんが居なくなってしまったようです、小さなママがやってるスナックへと足が向かいます、
市場商店街のはずれにある居酒屋さんへも訪問、なんとなくお客さんが居なくて僕独りでは寂しいね、
さらに道端にママさんがやってる小さなスナックも訪問です、
(飲めなくなったとは言え、今辺で酩酊です、フェリーは秋田経由の北海道行きでしたが
乗客の大半は秋田行きでした)
「青森ねぶた」や「秋田竿灯祭り」のお祭り見物の人が多いと思います!
越後製菓というお菓子メーカーが近くにあって、お徳な割れ「せんべい」を買い求めます、
でもどこで消費してしまったのか分かりません、この辺は先日の雨で水害にあったらしく堤防が決壊していて
修復作業が終わっていました
(長野側は梓川と犀川が合流して千曲川となり、名も無き川もさらに合流して新潟に入る
と魚野川と合体で日本一長い信濃川になります)
大雨が降るとここで信濃川は大きく蛇行しますから「河口」でもないのに川口の名前がついています
川の洪水が育んだ肥沃の大地ともなっています、洪水と水の便の良さは表裏一体ですね!と部外者は客観的に
思ってしまいますが、当事者にとって洪水や自然災害は甚大です!
(元気だせ!力を合わせて復興だ!の文字が掲げれていました)
「千曲川は埼玉県・山梨県・長野県の県境に位置する甲武信ヶ岳の長野県側斜面
(南佐久郡川上村)を源流とし、八ヶ岳、関東山地などを源流とする諸河川と合流しつつ
佐久盆地(佐久平)、上田盆地(上田平)を北流する。長野盆地(善光寺平)
の川中島で、飛騨山脈を源流とし松本盆地(松本平)から北流してきた犀川と合流した後
北東に流れ、新潟県に入って信濃川と名前を変える。信濃川は、十日町盆地を通って
越後平野(新潟平野)に出て群馬・新潟県境の谷川岳から流れてきた魚野川と合流、
新潟市で日本海に注ぐ。河口は阿賀野川の河口に近く、時代によっては新潟の地で
合流して河口を共有していたこともあった」
この道の駅を出る時に新潟とは逆の高崎方面に向かいます、コンパスの方向を指す「北」方面ですから間違いありません
なんとなく通った所ではないとかとの疑念もありましたが20kmほど逆行でした
(100円ショップでの自転車用をバイクで使おうしてはいけません)
三国峠は古い道です、バイクでの日帰りツーリングの限界ポイントになっております
・ 【三国峠を下って長い下りの途中にありました】
冬にはウインタースポーツで賑わうのでしょうが、夏には廃墟のような大きなホテルが林立している
苗場スキー場を横に見てトンネル潜ると、今度は長いくだり坂が待ち受けていました
途中に道の駅があるも、名前を忘れてしまい、思い出せません、ここで自転車で東京へ向かうという青年にお会いします
何度か通ってるそうで長い上りの道のりは想定内だそうです、こんな長い上りを上がって行くとはたいした者です
越後湯沢から三国峠までは登りで急さかの長い道が続くのです
「古くは越後と江戸を最短距離で結ぶ三国街道の一部として整備されていたが、冬期の積雪、
雪崩、夏場の集中豪雨による土砂災害など難所であった。昭和になり、国道17号(三国トンネル)
の開通により物流の大動脈となるが、その後の関越自動車道の開通により交通量は減少した。
ただし、燃料や一部の薬品などの危険物を搭載した車輌は関越トンネルの通行が禁止されているため、
現在でもこの峠を経由している。バブル景気の前後には、月夜野ICから苗場スキー場に向けて
スキーヤーの車で大渋滞した。現在、三国トンネルの老朽化などに伴って新三国トンネルの建設が計画されている。
田中角栄が選挙民向けに行った演説として、「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。
そうしますと、日本海の季節風は太平洋側に吹き抜けて越後に雪は降らなくなる。
出てきた土砂は日本海に運んでいって埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります」というものがある」
政治家はドエリャー事を考えるもんです!!
やっと新潟市内へ入ってきました、大型バイクで高速道路をワープするのと違って原付バイクはそれなりに疲れます
・ 【やっと新潟市内に入って来ました】
まずは土地勘を呼び起こすために市内をぐるぐる回ります、途中で立ち寄ったガソリンスタンドの
店員さんがフェリー埠頭が分からないと答えられ、ますます頭がパニックになります
新潟は仕事でも来ていますから駅まで来ればフェリー埠頭ぐらいは何とかなります
(折角割高な有人スタンドに立ち寄ったのに二人の店員さんが分からないとは残念です)
新潟到着は14時頃でした、このまま走っても秋田へは行けてしまう距離です
・ 【秋田までのフェリー出港は深夜です】
あえて深夜発の秋田行きのフェリーまで待ちます、秋田行きフェリーを今夜の宿としていまして
これから出港までが夜の新潟散策として丁度良いのです、旅は目的地に行くのが目的ではないのです、
旅の途中も楽しまなきゃ!です
(フェリー埠頭の奥には市場があって雰囲気ある居酒屋街があるのでした)
3年前と比べて寂れています、お昼ご飯ご馳走になったおばちゃんに話しを聞くと馴染みの人も
高齢の為来なくなったと寂しい事を言ってました、当時はまだ元気のいいおじいさん達がいました
・ 【居酒屋3軒回ってやっと乗れましたが爆睡です】
まずはおばちゃんから近くの銭湯を紹介していただき、案内通りに行きましたが道を一本間違えました
迷ってるうちに土地勘が養われました、銀行やシャッター商店が多いです、昔はこの町は新潟では一番物価が安く
住みやすい町だったよ、新潟の商店街の中心でもあったのよと言われました
古い建物の銭湯で身体をさっぱりさせた後いよいよ本格的出番です、横浜に居る限り月火は禁酒の身なんですが
今日は誰も止める人は居ません、最初はお昼を戴いたお店に向かうも早々とシャターが閉じられています
やはりご常連さんが居なくなってしまったようです、小さなママがやってるスナックへと足が向かいます、
市場商店街のはずれにある居酒屋さんへも訪問、なんとなくお客さんが居なくて僕独りでは寂しいね、
さらに道端にママさんがやってる小さなスナックも訪問です、
(飲めなくなったとは言え、今辺で酩酊です、フェリーは秋田経由の北海道行きでしたが
乗客の大半は秋田行きでした)
「青森ねぶた」や「秋田竿灯祭り」のお祭り見物の人が多いと思います!
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