・ 【高知城の見学も早回りでした】
高知と聞いて坂本竜馬を思い出しますが、お城側にいた人も明治維新を動かした人達でした、徳川家の影響が濃い
と言われますが、薩長土肥と言われて山内容堂、後藤象二郎など明治維新に活躍した名前が浮かんで来ました
(南海道随一の名城の天守閣に登りましょう)
・ 【外は相変わらずの雨模様でした】
バスから降りて県庁の中をお城まで歩きます、廃藩置県で藩は廃止されましたが、藩主は貴族としての身分が与えられました
(廃藩置県は今日の日本を作り上げ、中央集権国家を立ち上げた明治維新の大きな運動一つでした)
「廃藩置県」によって、まず全国の藩に変わり北海道に「1使」、東京・大阪・京都に「3府」、そして全国に「302県」が置かれ
現在の1都・1道・2府・43県の原型が作られました
・ 【一豊の妻が有名になりました、妻次第で男の人生は変わるのです】
ママがいて僕がいるのですが、僕の人生、どの辺から変わってきたのでしょうか、今や年賀状が殆ど来ません僕と
今では沢山の友だちがいて年賀状も沢山来るママとの違いは何なのでしょうか
・ 【雨で蒸し暑く天守閣まで相当な上りを必要としました】
お城の建物まで行っても、中は狭く階段が高いので膝の悪いご婦人の方は途中でダウンでした
・ 【雨が降ってますので写真もいい加減な映像です】
高知県は雨が多い県ですとガイドさんは申し訳なさそうに言ってました、雨では早まわりも致し方ありません
・ 【城内には一豊物語の資料も展示されてました】
ママは歴史に疎いので記念撮影だけに集中しております、手に持ってるのは雨に濡れた靴です、ビニール袋より
大きな靴替えコーナか土足で歩けるようにした方がいいね
・ 【昔の建築物です、城主が天守で寝起きしたとは考えられません】
天守閣はお城の象徴です、天守にいては狭すぎて行政がままになりません、今の県庁当たりで寝起きしたものと思われます
・ 【天守閣に登ると高知市内が見えてきました】
こうして眺めると視界が狭いので熊本にも松本にも見えてきます
・ 【天守に近くなると階段幅は狭く高さは高くなってきました】
古い木造建築でも震災に合わなければ何百年も持つものです、高知は津波被害に何度も襲われましたが
地震の影響は少なかったようです、怖いのはかまどで火を炊くので火災でした
・ 【土佐の高知は城下町でした】
高層建築がありませんが、高さ制限でもしているのでしょうか、県庁所在地と言っても人口は30万人程度なのです
(神奈川の藤沢市が40万、平塚・小田原・厚木が20万、相模原は70万ですが、人口が大きければ良い事ではありません
坂本竜馬のような偉人が生まれる強烈な風土が土佐にあったのです)
・ 【おらが国の象徴は錦の御旗とも言える個性をはぐくみました】
お城があると学校ができます、藩校から偉大な人物が飛び立っていくものです
・ 【お城に住み着いている猫は何を考えているのでしょうか】
この辺から帰り路を間違えました、進む度に行く先が同じところに出てしまいます、天守に登ってぐるぐる建物の中を回りましたので
完全に方向間隔を失ってしまったようです、観光バスの待ってる駐車場に行けません
(迷うとママは僕をなじります、なじられるとますます混乱してきました)
ロシアはなかなかギブアップしません、戦争は長引きそうです、あれだけの経済制裁を受けながらモスクワの市民生活は全く影響がないようです
アフリカの飢餓に対してはロシア一国の援助で対応するといい穀物協定の破棄は継続すると強行政策は改めようとしません
BRICSの首脳会議にもプーチンはビデオで参加すると言いますし、見かけ上の姿勢は揺らいでいません
(欧米のウクライナ援助もロシアの核の脅しが効いて、相手を見ながら小出しですので、一気に押し出せる戦力に掛けています
こうした中でもミサイル攻撃は続いて一方的にウクライナが被害を被っている実情です)
一方的にロシアがウクライナを攻めて、地図上からウクライナを抹殺しようとしているのに国連は何もできません
紛争の当事国のロシアが安保理事会で拒否権を乱発して、強制力のない決議しかできません
(強いリーダーシップで引っ張ってくれるリーダーが非常時には必要なのです)
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