副題~「~二重化の為の距離の解消~」~
「距離」とは、「両者間の隔たり」である。
今朝、メールに
昨年の今日に、書いた記事が届いていた。
これは、「goo blog」のサービスである。
それは、
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/11b005c1ecd3a296b1041aa2ee0ee768 である。
~~~~転写~~~~
久しぶりの更新である。
家内と私の確定申告、父の準確定申告、
相続による不動産登記の移転手続き…等が終わって、
残るは相続税の申告書ひとつとなり、少々心の余裕が生じた。
だから、やっとのブログ更新である。
そこでそれなら、やっぱり月研ぎさんの約束だろう!と思い書くことにした。
以下は、月研ぎさんのコメント、である。
~~~~~~~~~~~
距離 (月研ぎ)
2019-01-19 23:24:03
せっかく自由びとさんが「教育」を
整理して列挙してくれたのですから、
その一つ一つのそして多重化する
具体的な過程(的構造)
を掘り下げてみませんか。
1)教師が学生に対する教育
2)教師が教師に対する教育
3)学生が学生に対する教育
4)学生が教師に対する教育
例えば、1)の過程で言うと、
教師と学生の間はあまりに
実力の相違という距離があるので、
一方向的になりがちですが、
教師と学生の間に日常よくある
「先輩」をはさみます、
すると途端に
1)と2)と3)と4)が重なり多重化します。
つまり、「距離」という概念で
教師と先輩と学生が相対化されます。
学生からは遠い教師像が
先輩からのより近い教師像を介して
学生により鮮明な教師像が描かれ、
教師は、その学生の距離の変化で、
学生像が更新される。
自由びとさんの展開
楽しみにしています。
………む以下省略………
~~~~転写終了~~~~
昨年、上記のコメント・記述を読んで時、私は「理解出来た、分かった」と思っていた。
でも今、再度読み進めたら、去年の私には分かっていなかった事に
気付き、その事が分かった。
それは、変化・運動について…であり…
それは、師範の全集第三巻を読み始めて気付いた事…
それは、「真理は二つ」について思い考え気付いた事…
そもそも、
「変化」が、変化と分かる・認識し得るとは?
「運動」が、運動と分かる・認識し得るとは?
変化とは、「あるモノ・コト」の様子・状態が、異なる・異なった事。
運動とは、「あるモノ」の位置が、異なる・異なった事。
ここで、変化にしても、運動としても、
対象は、同じ「あるモノ(コト)」の必要がある。
しかし、あるモノ・コトが、別のあるコト・モノに変化しているのに、
どうやって、その二つが同じモノと気付ける・知り得るのだろうか?
あるモノから別のあるモノへの変化が小さいのであれば、
あるモノ≒変化したあるモノ、ならば、同じ「あるモノ」と認識可能であろう。
運動における位置の移動も同様である。
変化を認識するには、
対象―今のそのモノ・コトと今以前のそのモノ・コトの比較・検討が不可欠である。
今の…とは、
今の眼前の、そのモノ・コトであり、
今以前の…とは、
自分の記憶の中、
または、他人の記憶の中…の、そのモノ・コトである。
今の…と今以前の…の
統一の結果を、そのモノ・コトの変化・運動と認識するのだろう。
さて、上記の
教師が学生への教育のポイントは、
教師が如何にして、どれだけ、学生との距離を縮め得るか!である。
その時の問題点は、教師一人に対して、数十人の学生…という事である。
もっとも…授業では多数であっても、個別もあり得るが…
教師が教師に対する教育のポイントは、
その両者が、互いに、どれだれ相手との距離を縮め得るか!
教員同士・大人同士なら、二重化の能力は、それなりにある筈…
学生が学生に対する教育の場合。
その学生二人の求める目標・到達点が、
確りと教師の求めるモノであるか否か?がポイント。
相互間の距離を縮める意義は、
それは、互いに同じモノ・コトを見る・感じる…為だろう。
教師⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒学生⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒目標………到達点・理想
学生⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒教師⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒目標………到達点・理想
学生⇒⇒⇒教師⇒⇒⇒教師⇒⇒⇒学生⇒⇒⇒⇒目標………到達点・理想
論理的に具体化するから、上記のようなパターンが考えられる。
教育成果達成の為には、
その相互間の距離・隔たりを可能な限り近付けられるか?であろう。
そして、その延長線上に、目標、到達点、理想…があり得ている事。
学生と教師の間に先輩・学生を…
学生と学生の間に教師を…
教師と教師の間に学生を…
全ては、
二重化の為に…
困難な二重化を容易なモノにする為に…
二重化の結果が、道を外れてしまわない為に…
その両者間の距離・隔たりを縮める為に、
変化を変化と認識し得る為に、
運動を運動と認識し得る為に、
変化を変化、運動を運動と自覚・認識し得たなら、
次からは、自力で、求める良き変化・運動を求めて…
認識活動を始められる、のだろう。
そのような事を「月研ぎ」さんは、言いたかったのだろう…と~
私は、自分勝手に納得・実感し得ているのだが…
前回のテーマが「~一体化の為の二重化~」だったので、
今回のテーマは「~二重化の為の距離の解消~」かな…
「距離」とは、「両者間の隔たり」である。
今朝、メールに
昨年の今日に、書いた記事が届いていた。
これは、「goo blog」のサービスである。
それは、
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/11b005c1ecd3a296b1041aa2ee0ee768 である。
~~~~転写~~~~
久しぶりの更新である。
家内と私の確定申告、父の準確定申告、
相続による不動産登記の移転手続き…等が終わって、
残るは相続税の申告書ひとつとなり、少々心の余裕が生じた。
だから、やっとのブログ更新である。
そこでそれなら、やっぱり月研ぎさんの約束だろう!と思い書くことにした。
以下は、月研ぎさんのコメント、である。
~~~~~~~~~~~
距離 (月研ぎ)
2019-01-19 23:24:03
せっかく自由びとさんが「教育」を
整理して列挙してくれたのですから、
その一つ一つのそして多重化する
具体的な過程(的構造)
を掘り下げてみませんか。
1)教師が学生に対する教育
2)教師が教師に対する教育
3)学生が学生に対する教育
4)学生が教師に対する教育
例えば、1)の過程で言うと、
教師と学生の間はあまりに
実力の相違という距離があるので、
一方向的になりがちですが、
教師と学生の間に日常よくある
「先輩」をはさみます、
すると途端に
1)と2)と3)と4)が重なり多重化します。
つまり、「距離」という概念で
教師と先輩と学生が相対化されます。
学生からは遠い教師像が
先輩からのより近い教師像を介して
学生により鮮明な教師像が描かれ、
教師は、その学生の距離の変化で、
学生像が更新される。
自由びとさんの展開
楽しみにしています。
………む以下省略………
~~~~転写終了~~~~
昨年、上記のコメント・記述を読んで時、私は「理解出来た、分かった」と思っていた。
でも今、再度読み進めたら、去年の私には分かっていなかった事に
気付き、その事が分かった。
それは、変化・運動について…であり…
それは、師範の全集第三巻を読み始めて気付いた事…
それは、「真理は二つ」について思い考え気付いた事…
そもそも、
「変化」が、変化と分かる・認識し得るとは?
「運動」が、運動と分かる・認識し得るとは?
変化とは、「あるモノ・コト」の様子・状態が、異なる・異なった事。
運動とは、「あるモノ」の位置が、異なる・異なった事。
ここで、変化にしても、運動としても、
対象は、同じ「あるモノ(コト)」の必要がある。
しかし、あるモノ・コトが、別のあるコト・モノに変化しているのに、
どうやって、その二つが同じモノと気付ける・知り得るのだろうか?
あるモノから別のあるモノへの変化が小さいのであれば、
あるモノ≒変化したあるモノ、ならば、同じ「あるモノ」と認識可能であろう。
運動における位置の移動も同様である。
変化を認識するには、
対象―今のそのモノ・コトと今以前のそのモノ・コトの比較・検討が不可欠である。
今の…とは、
今の眼前の、そのモノ・コトであり、
今以前の…とは、
自分の記憶の中、
または、他人の記憶の中…の、そのモノ・コトである。
今の…と今以前の…の
統一の結果を、そのモノ・コトの変化・運動と認識するのだろう。
さて、上記の
教師が学生への教育のポイントは、
教師が如何にして、どれだけ、学生との距離を縮め得るか!である。
その時の問題点は、教師一人に対して、数十人の学生…という事である。
もっとも…授業では多数であっても、個別もあり得るが…
教師が教師に対する教育のポイントは、
その両者が、互いに、どれだれ相手との距離を縮め得るか!
教員同士・大人同士なら、二重化の能力は、それなりにある筈…
学生が学生に対する教育の場合。
その学生二人の求める目標・到達点が、
確りと教師の求めるモノであるか否か?がポイント。
相互間の距離を縮める意義は、
それは、互いに同じモノ・コトを見る・感じる…為だろう。
教師⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒学生⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒目標………到達点・理想
学生⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒教師⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒目標………到達点・理想
学生⇒⇒⇒教師⇒⇒⇒教師⇒⇒⇒学生⇒⇒⇒⇒目標………到達点・理想
論理的に具体化するから、上記のようなパターンが考えられる。
教育成果達成の為には、
その相互間の距離・隔たりを可能な限り近付けられるか?であろう。
そして、その延長線上に、目標、到達点、理想…があり得ている事。
学生と教師の間に先輩・学生を…
学生と学生の間に教師を…
教師と教師の間に学生を…
全ては、
二重化の為に…
困難な二重化を容易なモノにする為に…
二重化の結果が、道を外れてしまわない為に…
その両者間の距離・隔たりを縮める為に、
変化を変化と認識し得る為に、
運動を運動と認識し得る為に、
変化を変化、運動を運動と自覚・認識し得たなら、
次からは、自力で、求める良き変化・運動を求めて…
認識活動を始められる、のだろう。
そのような事を「月研ぎ」さんは、言いたかったのだろう…と~
私は、自分勝手に納得・実感し得ているのだが…
前回のテーマが「~一体化の為の二重化~」だったので、
今回のテーマは「~二重化の為の距離の解消~」かな…