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新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

形と型について…

2018-05-05 09:40:33 | 悟りシリーズ


形とは何か?
型とは何か?

形と型の意味とは?
形と型の意義とは?

守・破・離について…

「形(かたち)」の意味を辞書で調べると~
① 例えば「丸」「三角」「ふくらんだ」「とがった」「たまごに似た」
のように捉えられる、ものの様子。
② 整った有り様。出来上がりの姿。
③ 人の顔つき。服装や身づくろいなど、外から見て分かる、その人の様子。

「形(かた)」の意味は~
① もののかたち。
② 借金をする時、かわりに預けるもの。

「型(かた)」の意味は~
① 同じかたちのものを製造する為につくる、金属や土、紙などでできたわく。
② 古くから習慣として決まっている物事の形式。
③ 芸道や武道、スポーツなどで手本となる、定まった動きや方式。
④ 同じ種類のものを、他のものから区別している、共通の形式。


辞書を調べて初めて分かった事。
今までの私は、「型も形」も同じだと思っていた。
でも、この辞書の意味・説明と現実を合わせて考えるなら、

初めに、あるモノの様子「かたち」を見て、
人が、その変化している様子を「かた・形」と認識し、
その様子を真似る為の「型・かた」を創り出した。

私は、今ブログを、文章を、書いている。
この文章とは、私の「形と型」についての思い・考え・認識を、
現国(現代の日本語)の文型・言葉型に嵌めて、書かれているモノである。

これは、私の認識の現国的表現であり、
それは、私の認識像の言語化・型化でもある。

型を考えるなら、
コンビニやファミレスのマニュアルとか、
日常生活の挨拶の仕方、「こんにちは…」「こんばんは…」とか、
交通ルール、一般常識…色々と考えつくが…


両親、教師、先生、恩師、師範、教祖…等の教えも「型」と言える。
それは、言葉であり、無言であり、態度であり、一挙一動である。

子供、児童、生徒、学生、弟子…は、
その相手から学び取る為の方法が、
「守」⇒「破」⇒「離」であろう。


先ずは、言われた事・教えを守り、その動きを守り・真似する事から始め、
次には、その言葉、その動きの本質へ迫る為に、意図的に破る事へと進む、
そして、その「破」の繰り返しの過程で、教えられた本質へと近づく、
その体得した本質を、教えられた表現から離れ、自分的な表現への到達。


人間の闘いを考えると、動物的であり、人間的である、と言えよう。
動物的とは、自然的であり、成長的である。
それは、その人が生きている過程で自然に身に着けた闘い方である。

人間的とは、「強くなりたい」「闘い方」を知りたい、
と言う目的意識を持って、
他人から、書物から、動物の動き…から学んだ闘い方である。


ならば、「闘い方」の本質とは何か?
それは、「闘魂」と言えよう。
「闘魂」とは、
ハングリー精神、負けず嫌い、意地っ張り…等、色々であろう。

「型」の意義とは、自己表現の為の手段。
それは、自己の目的を確実に達成する為の手段である。

社会的である人間の目的達成とは、
他人から・社会的に承認されて、初めて「達成」と言えよう。

このブログの内容も、多くの現国が分かる人達が、
読んで分かる言葉・文型である事から始め、

その言葉で私の今の認識を的確に表現する事へ、
そして、その私の言葉が本質へ到達し得るモノへ、


私の言葉が本質へ到達し得るには、
私の認識が本質へ向かっている必要があろう。
私の求めている本質とは、「悟り」であり、「悟得」である。

悟りの型とは、
「宗教的悟り」であり、
「武道的悟り」であり、
「学問的悟り」であろう。


人が日々を平穏に生きていく為の本質が「悟り」だと私は考える。
現象論的な悟り、構造論的な悟り、本質論的な悟り、であろう。


悟りとは、自己の制御不能な感情の、自己制御の手段であり、型であろう。
端的には、自己の感情を自己意識からの分離である。
それは、自己のマイナス感情に動かされない認識であろう。
マイナス感情とは、自己の目的に反する感情である。

相手と仲良くしたい時、
自己の怒りの感情から相手を罵倒したり、殴ったりしたら、
果たして、仲良くなれるだろうか?

子供同士、同級生同士なら、殴り合って仲良くなる事も起こり得る。
しかし、大人同士なら、そのような事は、殆ど起こり得ないだろう。

悟りとは、自己の感情の
合目的的な解消の手段・認識であり、
合目的的な表現を可能にする手段・認識でもある。


相手の無礼を笑い飛ばせる認識。
闘いの恐怖を笑い飛ばせる認識。

怒鳴りたいから笑い飛ばす。
怒りを微笑の型で包み込む。
笑いを怒りの型で包み込む。
悲しみを笑み型に包み込む。

喜怒哀楽は感情である。
喜怒哀楽には、それぞれの表現がある。
それは、社会的表現、形・型がある。

怒りの表現が、爆笑や微笑では、それ一般的な感情表現ではない。
しかし一般的でない事が時に目的達成に合致している場合がある。



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