大須に移動し、「大直禰子神社(おおただねこじんじゃ)」、通称「おからねこ神社」へ。


立て札によれば、
『当社の祭神は大直禰子命にて人皇第八代崇神天皇の御代国内に疫病流行して天皇痛く宸襟を惱まし給ひしが一夜夢中に大物主命(大国主命)枕上に立ち給ひ我を大直禰子命をして祭らしめよ 然らば国内の疫病直ち止まむとの神告によって河内国に住みし大直禰子命をして祭祀を掌どらしめ給ふ之に依て国内の疫病止まりしという(古事記)之は即ち現今奈良県三和町鎮座大神神社(元官幣大社にして大和国の一宮)初代の祀職にして大直禰子命は之大国主命の子孫なり
尚当社は古来より「おからねこ」の俗称を以て猫の守護の如く云ひ慣ひしも祭神とは何ら関係なきにして家内安全無病息災の霊験あらたかなるものなり』
とあり、神社は猫とは無関係としています。が、よく見ると社の下には招き猫の石像。


これを拝見できたことに良しとし、この神社が猫に関係するか否かは一旦置いておきます。
おからねこの由来ですが、「尾張名陽図会」では、昔、鏡の御堂と呼ばれるお堂があり、狛犬(お唐犬)の頭が一つ置かれていたのを「おからねこ」と呼んでいたそうです。
その後、お堂もなくなって、この狛犬の頭も行方がわからなくなりましたが、お堂のそばにあった大榎が残り、その大榎も枯れて根だけが残ったのを「お空根子」と呼んだともあります。
他の文献には、妖怪としての「おからねこ」が存在したとされています。
その姿は、牛や馬を束ねるほどの大きさで、背中に数株の草木が生え、いずれの時から過去の場所から動くことなく居続け、一声も吠えず、風雨も避けず、寒暖も恐れないとされ、人々の願いを叶えてくれるが、その名前を知っている者はなく、猫に姿が似ているので「御空猫」と呼んでいたとのことです。
余談ですが、どこかで大直禰子神社を見た覚えがあるなと思ったら、地元、奈良の三輪神社にもあったのを思いだしました。
しかも勧請した三輪神社も大須にあったそうで…。知らんかった。


立て札によれば、
『当社の祭神は大直禰子命にて人皇第八代崇神天皇の御代国内に疫病流行して天皇痛く宸襟を惱まし給ひしが一夜夢中に大物主命(大国主命)枕上に立ち給ひ我を大直禰子命をして祭らしめよ 然らば国内の疫病直ち止まむとの神告によって河内国に住みし大直禰子命をして祭祀を掌どらしめ給ふ之に依て国内の疫病止まりしという(古事記)之は即ち現今奈良県三和町鎮座大神神社(元官幣大社にして大和国の一宮)初代の祀職にして大直禰子命は之大国主命の子孫なり
尚当社は古来より「おからねこ」の俗称を以て猫の守護の如く云ひ慣ひしも祭神とは何ら関係なきにして家内安全無病息災の霊験あらたかなるものなり』
とあり、神社は猫とは無関係としています。が、よく見ると社の下には招き猫の石像。


これを拝見できたことに良しとし、この神社が猫に関係するか否かは一旦置いておきます。
おからねこの由来ですが、「尾張名陽図会」では、昔、鏡の御堂と呼ばれるお堂があり、狛犬(お唐犬)の頭が一つ置かれていたのを「おからねこ」と呼んでいたそうです。
その後、お堂もなくなって、この狛犬の頭も行方がわからなくなりましたが、お堂のそばにあった大榎が残り、その大榎も枯れて根だけが残ったのを「お空根子」と呼んだともあります。
他の文献には、妖怪としての「おからねこ」が存在したとされています。
その姿は、牛や馬を束ねるほどの大きさで、背中に数株の草木が生え、いずれの時から過去の場所から動くことなく居続け、一声も吠えず、風雨も避けず、寒暖も恐れないとされ、人々の願いを叶えてくれるが、その名前を知っている者はなく、猫に姿が似ているので「御空猫」と呼んでいたとのことです。
余談ですが、どこかで大直禰子神社を見た覚えがあるなと思ったら、地元、奈良の三輪神社にもあったのを思いだしました。
しかも勧請した三輪神社も大須にあったそうで…。知らんかった。