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東京から瀬戸内海の小島へ行く

2016年01月11日 22時33分55秒 | 旅行
これは、瀬戸内海に浮かぶ小さな島々を訪れた時のお話です。

 
  
この写真は、香川県高松市の男木島港から見える女木島を写したところです。
輝く海と空がとても美しい。

この島を目指して、東京の八王子インターから高速道に乗り、10時間余りをかけて香川県高松市まで車を走らせました。
もちろん、夫の運転です。
飛ぶような高速運転は、私には自信がありませんから。
助手席で、高速道路の進路変更をナビするのが私の役目です。

早朝、午前2時35分に家を出て、高松市に到着したのがお昼の12時10分。
長い長い、ハラハラドキドキ、でも楽しいドライブとなりました。
途中、伊勢湾岸道路の分岐点で迷って一般道路へ出てしまうというハプニングもありました。
1時間のロスタイムがありましたが、無事に目的地へ着きました。

中央自動車道 → 東名高速道 → 新東名高速道 → 東名高速道 → 伊勢湾岸自動車道 → 東名阪自動車道 → 新名神高速道 → 名神高速道 → 中国自動車道 → 山陽自動車道 → 神戸淡路鳴門自動車道 

明石海峡大橋を通って淡路島に渡り、島を縦断します。
さらに、鳴門大橋を通って徳島県に渡ります。
あいにくの曇り空でしたが、初めての淡路島は、大きく広い美しい島でした。


 鳴門大橋を通る。

以前、瀬戸大橋やしまなみ海道を渡って四国に旅したことがあります。
今回、明石海峡大橋や鳴門大橋を初めて通り、その便利さや雄大な景色が素晴らしく感じられました。
橋は、島と島を結び、人の行き来を盛んにし、多くの文化の交流が行われます。
自動車往来の文化の発展はめざましいものです。


でも、小さな離島には、橋がかかりません。
その不便さからか、どんどん人が都会へと流出し、深刻な過疎に悩んでいるのでした。

高松市からフェリー船で20分のところに女木島があります。
瀬戸内海の美しい海と大小の島々が見渡せるいいところです。

  
  桟橋から対岸に屋島が見える。
  (※小豆島と思っていたら違っていたので、訂正します。)

フェリーボートで海を渡るときのゆったりと落ち着いた雰囲気は、私の生まれ故郷と同じでした。
島で生まれ、小中学校時代を過ごし、高校・大学では、街の学校へ通ったことが思い出されました。

今思うと、飛ぶように走る自動車にくらべ、ゆっくりとしたフェリーに乗ってあれこれ思いながら過ごす時間は、とても大切な時間でした。
人にとって、ゆったりとした時間の流れは、こころを豊かに取り戻すことのできる必要不可欠なもの。現代の時間を競う風潮は、人のこころを追い詰めるのです。

  
  「めおん2」という名のフェリー。


島の道をたどって歩いてきました。
ゴミのないきれいな道でした。
道路で出会う人にあいさつすると気さくに答えてくれました。
しかし、集落のあちこちで見かける廃屋は、過疎の現実をひしひしと感じさせるものでした。

山のふもとにある神社や海岸にある神社は、とてもきれいに手入れされ、島の人々に守られていることがうかがえました。
今でも伝統的な祭礼が大事にされているのです。

  

急な坂道を歩いて登るのは、大変でした。
それでも、山の上から眺める景色は、とても美しいものでした。

  

その後、フェリーに乗って男木島に行きました。
女木島と並んで浮かぶ男木島は、石垣に築かれたひしめく家々が印象的でした。

  


高松市は、近代化された大きな街です。
その街から、ほんの少しはなれたところに、美しい自然に囲まれた島があるというのは、貴重です。
もっと大切にされていいのではないかと思いました。

私は、田舎から街へ引っ越しました。
街での生活は、ものに溢れ、便利で豊かです。
文化的な情報や学びの場もたくさんあります。
働いて安定した収入さえあれば、とても暮らしやすいでしょう。

けれども、終の棲家は、大自然に囲まれて自然の恵みを感じながら、生計を立ててみたい。
先日お会いした小学校の恩師が、「今は地球をけずりながら生きています。」と話していました。
私も、山や海のあるところで、土を耕しながら生きてみたい。
どこに住んでも、生きることは力いっぱいです。
けっして手を休めることは出来ません。



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